天然居士の独り言

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上皇様・・・

2021年12月24日 17時55分27秒 | 日記
 昨日は、上皇様の米寿のお誕生日でした。
 12月23日が祝日と言う環境の中で働いて来たので、
 まだ休日との感じがしていました。

 僕は、基本的に天皇制には反対です。
 世襲によって役職に就くと言うのが納得できませんし、
 天皇の地位に就く人も基本的な人権が制限されていると思うからです。
 こうした考えが少し変わったのが、
 上皇様が阪神淡路大震災や東日本大震災などの大きな災害で、
 何度となく現地を訪れ、被災者の方々を励まし寄り添う姿を見て、
 天皇以外の誰が行っても、あれだけの励ましは出来ないだろうと思った時でした。
 更に、上皇様は戦争での犠牲者を悼む平和のための行脚を続けて来ました。
 このような姿を見て、
 天皇がいる事によって、国民が慰められ励まされるのならば、
 それはそれで良いかと思うようになりました。

 昭和天皇から天皇の地位を引き継いだ上皇様は、
 象徴天皇制の下での天皇と言う地域を模索されて来たと語られていました。
 昭和天皇が現人神から象徴天皇に劇的に変わられたのとは違い、
 地位を継いだ当初から象徴天皇制だった訳なので、
 あるべき姿を考えて来られたのだと思います。
 そのために、理想的な人間になる事を指向されたのではないかと思います。
 美智子上皇后様とご結婚され、
 国民の多くが、理想的な夫婦像だと思ったのではないかと思いますが、
 それもやはりそのような姿を見せるように努めて来られたように感じています。

 生身の人間は、簡単には理想的な人間にはなれません。
 そのためには、多分人に話せないようなご努力があったのではないかと思います。
 現在の天皇陛下がまだ若く皇太子時代、ある県を訪れた時に、
 出された果物を見て、思わずこれ好きですと言ってしまった事があるそうで、
 その後、どこに行ってもその果物が出されたとの話を聞いた事があります。
 本当かどうかは分かりませんが、あり得る話だと思いました。
 多分、それによってご自分の発言の重さをお感じになったと思いますし、
 とにかく事ほど左様に、難しい立場なのだと思っています。

 こうした発言や行動のすべてにわたって細心の注意を払う事は、
 一朝一夕に出来る事ではなく、
 そうした環境で幼い頃から育てられて来たからこそ出来るものなのだと思います。
 一昨日、皇位継承に係る有識者会議が報告を行いましたが、
 その中に、「旧皇族の男系男子を養子に迎える」との案も出ていました。
 何を考えているのかと思ってしまいました。
 ある程度の年齢まで、自由に育って来た人が、
 そのような不自由な生活に耐えられるのか、
 幼く自らの意思を表明出来ない内に養子に出すのか、
 いずれにしても無理な話のような気がしています。

 少し話が横道に逸れましたが、
 上皇様は、唯一ご自分を強く出されたのが生前退位でした。
 現在の皇室制度では、皇族を離れる事が出来るのは女性で結婚した場合だけです。
 自らの意思で退く事が出来ない、非人間的な制度だと思っています。
 そうした制度に、上皇様が風穴を開けられたように感じています。
 理由は、加齢により公務が行えないとの事でしたが、
 保守派の猛反対を退けて退位されました。
 恐らく、象徴天皇とは何かと突き詰められた結果だったのではないかと思います。

 今上陛下がどのような天皇像を持っていらっしゃるのか良く分かりませんが、
 上皇様ご夫妻に育てられた事から、
 上皇様のお考えを十分承知されているものと思います。
 ただ、如何せん就任間もない事ですし、コロナ禍により、
 国民と接するような公務は出来ないような状況です。
 とにかく、国民が信頼出来る天皇であって欲しいと思います。

 上皇様は、戦争中、日光市にある田母沢御用邸に疎開されていました。
 御用邸は、現在は国から栃木県に移管され、
 田母沢御用邸記念公園として建物なども公開されています。
 庭の一画には、防空壕が設置され、これも残されているとの事です。
 田母沢御用邸を県が引き継ぎ、公開した後で上皇様ご夫妻も訪れた事があり、
 思い出話を上皇后様にお話しされていたと聞きました。

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