天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

三内丸山遺跡へ・・・

2024年07月02日 18時16分40秒 | 日記
 2日目の6月27日は、青森に行って来ました。
 以前の日記にも書きましたが、
 新青森に朝1番で行く新幹線の指定席が取れなかったので、
 行先をAプランからBプランに変更しました。
 朝1番新幹線だと9時49分に新青森に着きますが、
 その次だと10時15分になってしまいます。
 僅かな違いのようですが、その後のつながりが悪いので、
 日帰りは難しいと思っていました。

 それでBプランなのですが、
 三内丸山遺跡と青森県立美術館に行こうと思っていました。
 新青森からですとバスで15分程度ですが、
 この2か所は他の観光ポイントから離れているので、
 いずれ一緒に行こうと思っていました。
 そんな事から今回、Bプランにした訳です。

 新青森に着いて、バス乗り場に行きましたが、
 そこでショックを受けました。
 何と、県立美術館は展示替えのため休館との事でした。
 そんなの聞いてないよと思ったのですが、
 考えてみたら、Bプランにした時、調べた覚えがありませんでした。
 帰る訳にもいかず、三内丸山遺跡だけ行く事にしました。

 バス停には、長蛇の列が出来ていました。
 新青森からのバスはねぶたん号と言う小型のバスです。
 通常は1時間に1本ですが、
 大人の休日倶楽部パスの期間などは30分に1本になっています。
 ぎゅうぎゅう詰めになりましたが、何とか並んでいた人全員が乗れました。

 三内丸山遺跡は、
 縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡です。
 約1700年間人が生活していた訳ですが、
 今の時点から1700年前と言うと弥生時代になってしまいます。
 文化や技術の進展は遅かったのでしょうが、
 変化の激しい現代社会と比べ、どちらが良いのかなぁとも思いました。
 この遺跡の居住者数は数百人と考えられるとの事で、
 この集落が何故終焉を迎えたのかは、まだ明らかになっていないようです。

 遺跡には、1997年だったと思いますが、
 短時間でしたが1度行った事がありました。
 その時、既に大型建造物や六本柱の建築物などは
 あったような気がしますので、
 余り変わった感じはありませんでしたが、
 今回は、天気も良く時間もたっぷりとありましたので、
 のんびりと遺跡を歩く事が出来ました。
 多分八甲田山だと思うのですが、山も僅かに見えて、
 ここに暮らした人も眺めていただろうなぁとも思いました。

 遺跡は余り変わっていませんでしたが、
 縄文時遊館と名付けられた施設などは立派に整備されていました。
 さんまるミュージアムと言う展示施設も出来ていました。
 出土した遺物の多くが重要文化財になっていますが、
 縄文土器や板状土偶などを見る事が出来ました。

 三内丸山遺跡を出ようとして、現職時代の後輩に偶然行き会いました。
 奥さんと一緒に北海道に行った帰りだと言っていました。

 遺跡の食堂が美術館のレストランでお昼を食べるつもりでしたが、
 県立美術館に行けないのならば、ここで食べなくとも良いかと思い、
 新青森に戻って、美味しい海鮮丼を食べて、
 指定席を変更して、予定より早く帰って来ました。
 三内丸山遺跡の写真などもアップしましたので、宜しければご覧ください。

 https://photozou.jp/photo/album/2882708

コメント
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