京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

ブータンのユリ、コオニユリ、オウゴンオニユリ、サクユリ、ウケユリ、紅筋ヤマユリ、ヤマユリ

2019-07-18 18:23:02 | 2019 花


ブータンのユリ
リリウム ネパレンセ 原産地ブータン










コオニユリ
北海道と沖縄以外の日本で育ち、国内に自生するユリの中ではもっとも広範囲で見られるユリです。
生育環境も海岸から山地までと幅広いですが、山の草原や低地の湿原によく見られます。













オウゴンオニユリ
長崎県の対馬のみに自生するオニユリの黄花変種です。
草丈は1m~2mほどに成長し、7~8月頃に黄色に赤褐色の斑点が入った花を下向きに多数咲かせます。





サクユリ
伊豆諸島に自生する伊豆諸島固有のユリで、ヤマユリの変種です。
伊豆諸島では源為朝を偲んでタメトモユリとも呼ばれています。
世界最大のユリです。









純白の幻のユリ、ウケユリ
鹿児島県・奄美大島の標高が高い岩場にしか自生しない「幻の純白のユリ」と言われています。
環境省のレッドリストで絶滅の恐れが最も高い「絶滅危惧1A類」に指定されています。





紅筋ヤマユリ
ヤマユリは日本特産の百合で、大輪の花を咲かせます。
基本種の花色は白地に黄色いスジ模様が入りますが、こちらは紅紫色の筋模様が入る変異種です。




















ヤマユリ
本州の平地から山地に分布し、日陰がちの斜面や、明るい林、草原に見られる球根植物です。
7月から8月に、強い香りのある、花径20cm強の大きな花を1~10輪ほど咲かせます。
花弁には白地に黄色い帯状の筋が入り、えんじ色か紫褐色の細かい斑点が散ります。











桔梗










レンゲショウマ、キレンゲショウマ
もう少しで開花しそうです。















祇園祭前祭山鉾巡行 Ⅱ 本日より後祭山鉾建てはじまる。

2019-07-18 06:43:47 | 2019 祇園祭


昨日の祇園祭前祭巡行の続きです。
前祭巡行は23基です。

鶏鉾
鶏鉾は中国・尭の時代は天下がよく治まり、訴訟を求める際に叩く太鼓が用無しとなり、その太鼓に鶏が巣をつくったという史話『諫鼓』に由来しています。
雄鳥で飾った天冠は非常に豪華で、大人びた顔立ちの稚児人形はとても印象的です。
前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されています。
見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。
この見送は、6世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されています。























白楽天山
唐の詩人・白楽天と道林禅師が問答している場面を現している白楽天山。
前掛けは16世紀にベルギーで制作されたトロイ城の陥落が描かれたタペストリー、胴掛けには18世紀にフランスで制作された『女狩人』が使用されています。
白楽天は高名な詩人で有能な官僚であることから、悪疫除けと学業成就のお守りが授与されます。










四条傘鉾
応仁の乱以前の古い山鉾の形態を持つ四条傘鉾は、明治4(1871)年以降長く途絶えていましたが、昭和60(1985)年に114年の時を経て再興されました。傘の上に赤幣と若松が飾られているのが特徴で、この傘の下に入ると厄よけのご利益になるといわれています。山鉾巡行では、地元小学生16名が棒振り踊りを披露します。














孟宗山
呉の国の孟宗が病気の母が欲しがる筍を雪の中から奇跡的に掘りあてたという中国の故事から、別名「筍山」とも呼ばれています。
ご神体は左手に鍬、右手に筍を持ち、喜んで筍を持ち帰っていく姿が表現されています。
こちらでは、親孝行の護符が授与されます。









月鉾
鉾頭に「三日月」をつけていることから「月鉾」と呼ばれ、山鉾の中で最も背が高く、さらに重量も12トンを超える最も重い鉾。
真木の中ほどの天王座には、夜と水徳の神であった月読尊がまつられています。
装飾が細部にいたるまで素晴らしく、天井の帖扇面散図など、その絢爛豪華さから動く美術館と讃えられています。
























山伏山
昔、八坂の法観寺の塔が傾いた際に法力によって戻したり、亡くなった父を祈祷によって蘇らせるなど、数々の言い伝えが残されている浄蔵貴所をご神体としています。
ご神体が山伏の姿をしていることから、「山伏山」と呼ばれています。













占出山
神功皇后が海外出兵の際に「肥後国松浦川で鮎を釣って戦勝の吉凶を占った」という故事に由来する「占出山」。
別名「鮎釣山」ともいわれています。
ご神体に神功皇后をまつられ、出兵中に懐妊していた神功皇后は、凱旋後、無事に出産したことから、安産の神として昔から知られ、会所では安産祈願のお守りや腹帯の授与されています。
占出山の巡行順番が早いと、その年のお産は安産だといわれています。









霰天神山
永正年間(1504~1520年)に京都で大火が起き、霰(あられ)が降り、たちまちにして火が消化しました。
霰と一緒に一寸二分(約3.6cm)の天神像が降ってきて、その像をおまつりしたことが「霰天神山」のはじまりとされています。
別名「火除天神」ともいわれ、火除けの神様として信仰を集めています。





放下鉾
街角で芸をしながら説法をといた放下僧の像をまつることから、「放下鉾」と付けられました。
鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、その形が洲浜に似ているため「すはま鉾」とも呼ばれます。
以前は生稚児が乗っていたが、操りの稚児人形「三光丸」となりました。巡行では、3人の人形方による「三光丸」の稚児舞が披露されます。


















辻まわしに使う竹










岩戸山
天岩戸を開いて、天照大神の出現される日本神話『天の岩戸』にちなんだ山です。
山ではありますが、室町時代ですでに鉾と同じ車輪のついた曳山です。
山である証拠に、鉾頭には松を立てている。屋上には天照大神を含め、3体の御神体がまつられています。
18世紀にインドで製作された胴掛、後掛の緞通も名品です。































巡行最後の船鉾
『日本書紀』に記される神功皇后の説話に由来する鉾で、別名「出陣の船鉾」と呼ばれています。
鉾全体が船の形をしており、舳先には瑞鳥である金色の鷁、船尾には黒漆塗青貝螺鈿細工の飛龍文様の舵がついています。
神功皇后は妊娠中に戦に出陣し、先勝した後に無事、皇子を出産したことから安産の神とされます。






























今日、明日は梅雨前線と台風の影響で雨続きのようですが、祇園祭後祭は雨の中でも山鉾建てが行われます。
山鉾建ての日程は以下の通りです。
 7月18日 南観音山、大船鉾
 7月19日 北観音山、鯉山
 7月20日 浄妙山、黒主山、役行者山、鈴鹿山、八幡山
 7月21日 橋弁慶山
宵山ば21日~23日です。
前祭のような露店は出ず、宵山本来の風情が楽しめて、私は後祭のほうが好きです。
巡行は7月24日になります。