京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」展

2015-09-03 12:04:26 | 美術・博物館

先日妻と、読者の方々から好評を受けていた、「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション 」を観に行きました。
このシリーズは毎回観ていますが、期待を裏切らないハラハラのアクションもので好きです。





映画の帰り、京都文化博物館の『レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い展』に寄りました。

この作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の戦争壁画の大作、その下絵と考えられる油彩画です。「タヴォラ・ドーリア」(ドーリア家の板絵)と呼ばれ、16世紀初頭に描かれた戦士たちの戦いの図といわれています。
日曜美術館でも取り上げられましたので、紹介します。





レオナルドが壁画に取り組んだのは1503年、「モナリザ」と同じ円熟期です。
しかし完成することなく、歴史の闇に消えた大作です。

描かれているのは、フィレンツェが宿敵ミラノを破った「アンギアーリの戦い」です。
当時のフィレンツェ政庁舎であったヴェッキオ宮殿の大会議室の壁を飾るはずでした。
しかもその横には、ミケランジェロが別の戦争画を描くことにもなっていました。









この絵は科学的なち調査の結果、技法や材料は16世紀前半と判明しました。
しかし、度重なる修復で騎士の体の一部や馬の足がオリジナル部分が削られた箇所があります。
レオナルドの直筆かどうかは結論がでていません。

レオナルドの「アンギアーリの戦い」に関する素描
軍旗を奪い合い、両軍入り乱れて争う場面です。





ペドレッテイによる全体構想復元図





ミケランジェロ『カッシーナの戦い』下絵模写
勇壮な戦いの場面ではなく、突然の敵の襲来で水浴びしていた兵士たちが慌てふためくさまを描こうとしています。
裸体彫刻の見本のような作品です。





それ以前のアンギアーリの戦い(1420年)の絵(1460年代前半)
様式的で装飾的な絵です。















それに対してレオナルドの下絵は、リアルな戦場の臨場感があります。
生死をかけて戦う兵士の形相があります。






しかしこの大作は完成することはありませんでした。
技術的な失敗という指摘もあります。
しかし、後に多くの画家がアンギアーリの戦いの模写をします。

ルーベンス『アンギアーリの戦い』模写





ロレンツオ・ザッキア『アンギアーリの戦い』模写





その他の画家もレオナルドの絵に学ぼうと模写したのです。





レオナルドの「アンギアーリの戦い」は完成しませんでしたが、後の画家たちに多大な影響を与えたのは間違いありません。
展示会ではそのことがよくわかる内容です。

なお、この展示会は東京富士美術館(八王子)を経て、京都で開催中(8/22ー11/23)ですが、京都の後は宮城県美術館(2016,3/19ー5/29)へ巡回します。




京都の洋館(第十三回)京都大学ー2

2015-09-03 05:21:33 | 京都の洋館

第十三回は京都大学の続きです。
本部構内以外の洋館を紹介します。

[吉田南構内]

正門と門衛所(1897年、明治30年)















[北部構内]

旧農学部附属演習林事務室(1931,昭和6年)
設計は大倉三郎です。
スペイン瓦・バンガロー風の建物、外周、中庭にベランダを配する。




















農学部表門・門衛所(1924,大正13年)
設計は森田慶一、コンクリート造り。
国の登録有形文化財です。





[医学部構内]

京大医学プラザ(1914,大正3年)
旧京都帝国大学生理学教室研究所です。
設計は山本治兵衛、永瀬狂三
左京区吉田橘町















医学部資料館 旧解剖学講堂(1902,明治35年)
木造平屋建の建築物で、京大歴史的建造物に指定されています。
設計は山本治兵衛





正面の方にまわります。














医学部図書館第二書庫 旧解剖学教室標本室(1901,明治34年)
設計は京都帝国大学営繕課の山本治兵衛
医学部で最初に竣工した建物です。










京都の洋館シリーズ、今回で100棟を越えました。
まだもう少しありますので、続けます。