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京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

平安京大内裏を歩く 4.5km

2018-12-15 05:40:19 | 京都歴史散策


平安宮(大内裏)は平安京の北部中央に位置し、東西1.2キロ、南北1.4キロに囲まれたエリアです。
その南部中央に朝堂院、その北東に内裏があり、それらを囲むように諸司百官の庁舎が建ち並んでいます。
内裏は天皇の居所。紫宸殿が公的行事の場で、清涼殿が日常居所の場です。
平安宮(大内裏)は現在の千本丸太町あたりになります。




今の京都御所は平安宮内裏よりも1.7km東にあります。
もと里内裏(内裏が火災で焼失した場合などに設けられた臨時の内裏)の一つであった土御門東洞院殿の地でした。
南北朝時代(14世紀半ば)から北朝側の内裏の所在地として定着し、明徳3年(1392年)の南北朝の合一以後、正式の皇居となって明治2年(1869年)、明治天皇の東京行幸時まで存続しました。

今回も京都市埋蔵文化研究所の「京都歴史散策マップ」のコースを歩きます。
このあたりは数多くの石碑や説明板が集中しています。見落としそうになることしばしばです。










スタートは朱雀第二小学校前です。
①平安宮西限・藻壁門跡











②史跡平安宮豊楽院跡(豊楽殿跡)
豊楽院は国家的な饗宴が行われた場所で、その正殿が豊楽殿です。
発掘調査で豊楽殿北西部と北側の清暑堂の建物や両堂をつなぐ豊楽殿北廊が見つかっています。

豊楽殿復元模型(京都アスニー)











































③平安京大内裏朱雀門跡
平安宮南面中央にあった正門です。
内裏の門のうち、朝堂院の応天門と並んで最重要視されました。










現在の千本通





千本通りを北へ上がったところに平安宮朝堂院昌福堂跡の説明板があります。





④二条児童公園(ヌエ池碑)
頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇という妖怪「ヌエ」
退治の時源頼政が鏃(やじり)を洗ったと言われる「ぬえ池田跡」の碑があります。



















⑤パス

⑥平安宮中務省東面築地跡
中務省は天皇の秘書官としての職務と内廷の諸雑務を担当した重要な役所の一つです。










⑦平安宮内裏宜陽殿跡
納殿ともいわれ、累代の御物を納める所で枕草子や源氏物語にも記載があります。










⑧平安宮綾綺殿跡
天皇の住まいである内裏十七殿の一つで、宮中に舞等が行われていました。










平安宮内裏淑景舎(桐壷)跡



⑨平安宮内裏蘭林坊跡
内裏の北西に位置し、儀式の際の用具を腹はじめとする御物・御書等が納められていた場所です。










⑩平安宮内裏弘微殿跡
















⑪平安宮内裏承香殿跡










⑫平安宮内裏昭陽舎跡
後宮五舎の一つで、庭に植えたことから梨壷とも呼ばれました。
後撰和歌集の編纂もここでされました。










平安宮内裏東限と建春門跡





⑬平安宮内酒殿跡発見の井戸と木簡
内裏に納める酒を醸造した役所があった場所です。





⑭平安宮一本御書所跡
世間に流布した書籍を各一本ずつ書き写して保管していた場所です。









⑮平安宮内裏承明門跡
















⑯史跡 平安宮跡内裏内郭回廊跡
内裏を囲む内外二重の郭の内側部分、内郭回廊の西側にあたります。
発掘調査で基壇や雨落溝などが見つかり、史跡指定され大切に保存されています。

























⑰北回廊跡(縁石)





⑱小安殿跡(縁石)





⑲大極殿跡(縁石)





⑳大極殿跡(タイル)

22大極殿跡(タイル)


現在の千本丸太町






23大極殿跡(説明板)










28大極遺跡










29平安宮朝堂院跡









30京都アスニー ゴール





史跡 平安宮造酒司倉庫跡
造酒司は内裏に納める酒・甘酒・酢などを醸造していた役所です。
タイルの模様は発掘調査で見つかった倉庫の柱の穴の跡で、遺構がそのまま地下に保存されています。(市指定史跡)















石碑や説明板ばかりで、地理感が不明な方にはちんぷんかんぷんかも知れないです。
応仁の乱で焦土になり、秀吉の京都改造、さらには徳川家康による二条城建設などで、平安京の遺跡はほとんど残っていないのです。
それでも長年の発掘調査で詳細な建物跡が解明されてきました。
かつての都の中心を石碑や説明板をもとにブラブラ散策も良いものです。







平安京貴族邸宅跡の散策 5.7km

2018-12-13 05:42:42 | 京都歴史散策


平安京にはさまざまな貴族の邸宅がありました。
特に堀川に面した京の北部には歴史上有名な貴族の邸宅が集中しています。
これは邸宅の庭園内に池を造るのに適した場所であったと言われています。
有力貴族の邸宅は約4,300坪~約19,000坪という広大な面積で、庭園内の池で優雅に舟遊びを行っていました。
その様子は「駒競行幸絵巻」等に描かれています。
また内裏が焼失したときは、天皇の里内裏として利用されました。

今回の散策は平安京貴族跡の散策です。
京都市埋蔵文化研究所発行の「京都歴史散策マップ」でまわります。





貴族邸配置図





出発は二条駅です。
駅前に「文化財情報板」があります。

























千本通り(平安京の朱雀大路)を下がり、三条通りの一角に奨学院址があります。
奨学院は在原業平の兄(行平)が創業した一族のための教育施設です。





三条会商店街を歩きます。
坊条通り近くに勧学院址の石碑があります。












三条商店街を少し南に下がると武信稲荷神社があります。
平安初期藤原良相が創設した、勧学院と延命院の守護神社です。
後に藤原武信が厚く信仰して発展に努めたことからその名が付いたと言われています。
平安末期、平重盛が宮島厳島神社から苗木を移したとされる樹齢約850年の樟があり、坂本龍馬とその妻おりょうの再会の逸話から、縁結びの木としても有名だそうです。





三条通りに戻り、北上すると史跡神泉苑に着きます。
平安京造営の際の禁苑で、当日は今の10倍の広さがありました。
824年に祈雨祈願で空海と守敏の法力比べの場となり、869年に開かれた御霊会が祇園祭の端緒となるなど、伝承の多い場所で、現在は真言宗の寺となっています。













恵方社が台風21号で倒壊していました。これには驚きました。










神泉苑を東に行くと「不思議な礎石」があります。
藤原道長の六男、長家邸の礎石と伝えられる石です。















堀川御池に京都堀川音楽学校があります。
その敷地内の中庭に堀河院跡復元庭園があります。
発掘調査で出土した景色や州浜の石を用いて堀河院の園池が復元されています。
ここは中に入れません。


御池通りの小川通りを上がります。
以前紹介した御金持ち神社があります。
今回も訪れる人は多いです。





押小路通りに出ると閑院内裏址の石碑があります。
藤原冬嗣邸を藤原公季が伝領してから「閑院」と称されました。
大内裏荒廃後は里内裏として利用されました。





現在このあたりには西福寺になっていますが、豊臣秀吉妙顕寺城跡でした。










東堀川通りを北上すると旧京都国際ホテル前にでます。
現在新たなホテルが建築中です。
ホテル前に堀河天皇里内裏址の石碑があるのですが、工事シートに覆われています。


堀川丸太町を東に歩くとビルの前に「高陽院跡」の案内板があります。
摂政 関白・藤原頼通の邸宅です。





とにかく広大な敷地面積です。
現在の地図ではこんなになります。赤線内。





邸宅の様子





南下し夷川通りに児童公園があります。
二条院候補地(陽成院跡)です。
平安時代、陽成院と呼ばれた邸宅跡。源氏物語の主人公光源氏の邸宅である二条院のモデルとする説があります。











釜座通りを下がると東三条殿址です。
平安時代に隆盛を極めた藤原氏の邸宅跡です。
後醍醐天皇皇子から藤原良房、藤原兼家(東三条殿)の姉、そして藤原道長へと引き継がれた場所です。












二条殿址
和歌連歌で著名な二条良基の邸宅です。
後に織田信長の所有となり、本能寺の変では長男の信忠が自害した場所です。





このあたりは江戸時代、金座、銀座の跡でもあります。









室町通りに二条殿御池跡の石碑があります。
二条殿の邸内にあった「龍躍池」の跡。現在の龍池町、御池之町、二条殿町等の地名の由来となっています。







高松殿址、高松神明神社
醍醐天皇の息子源高明の邸宅跡です。娘の明子(高松殿)が伝領の後、後白河天皇がこの地で即位しました。保元の乱では後白河陣営の本拠地となり、源義朝や平清盛らがこの地に参集、平治の乱で全焼しましたが、鎮守社の高松神社だけは今も残っています。
















三条通り三井ガーデンホテル前に「三条烏丸御所跡」の石碑があります。
堀河、鳥羽両天皇の乳母である藤原光子の住居で、子の実能に受け継がれた後、鳥羽法皇の御所となりました。







烏丸通り旧新風館前には「三条東殿跡」の石碑がありますが、現在工事中でシートに覆われています。白河天皇をはじめ歴代天皇が里内裏としてしばしば用いました。
平治の乱勃発地でもあり、その様子が『平治物語絵巻』にも描かれています。



在原業平邸址 御池通り間之町南角
平安初期の代表的歌人で六歌仙の一人です。





三条通りには京都の歴史と文化を紹介する京都文化博物館があります。
京都文化博物館別館(1906,明治39年)
旧日本銀行京都支店、赤レンガに白い石の辰野式です。
中に入ると当時の銀行の内部がそのまま残っています。
設計は辰野金吾、長野宇平治 中京区三条高倉










中京郵便局(1902,明治35年) 私の好きな近代建築
中京郵便局旧庁舎、レンガ造りの現役の郵便局です。
設計は吉井茂則、三橋四郎 中京区三条通り東洞院東入ル





以上の散策距離は約5.7kmです。













平安京復元模型、豊楽殿・鳥羽離宮・法勝寺の復元模型

2018-12-12 05:39:33 | 京都歴史散策


京都市平安京創生館に行ってきました。
ここは平安京を体感する展示施設で、京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)内に開設されています。





平安京の姿が一目でわかる「平安京復元模型」(1/1000)、国の重要な建物を再現した「豊楽殿復元模型」(1/20)の他、「鳥羽離宮復元模型」(1/1000)、「法勝寺復元模型」(1/100)などを常設展示しています。
また発掘調査によって出土した遺物や復元品などを展示した平安京のくらしと文化のコーナー、平安装束などの体験コーナーもあり、都に暮らす人々の生活や文化を垣間見ることができます。
ボランティアによる解説もあり、平安京時代を学ぶには最適スポットです。
しかも全てすべて無料です。
平安京に興味のある方には必見です。

京都市平安京創生館





平安京の歴史と暮らし、平安京復元模型、豊楽殿復元模型、鳥羽離宮復元模型展示室

1.平安京復元模型(1/1000)

全体模型























平安京内





大内裏付近





今回新たに郊外のエリアも追加展示されました。


大覚寺





仁和寺





松尾大社





広隆寺





2.平安京の歴史と概要





















白河と鳥羽





3.住居、服装、食事、役所の配置





















平安京と東寺、西寺















豊楽殿模型















鳥羽離宮





















別エリア





法勝寺模型

















上杉洛中洛外図屏風










体験コーナー











源氏物語車争図屏風










パネルの内容は不鮮明ですが、平安京の概要を知る上では必要かと思いあえて投稿しました。
京都旅行の合間にいかがでしょうか。








東寺と西寺跡、羅生門、西八条第跡を歩く 4.4km

2018-12-11 05:48:47 | 京都歴史散策


紅葉シーズン前の11月初旬の散策です。

平安京初期の西寺跡と東寺、羅生門、平安後期に平清盛が権勢をふるった史跡を歩いてきました。
コースは今回も京都市埋蔵文化財研究所発行の「今日歴史散策マップ」を参考にしました。





平安京ができたとき、メインストリートである朱雀大路(道幅84m)の南端には、平安京の表玄関である羅生門があり、その両脇には国家鎮護のために二大官寺である東寺と西寺がありました。現在はご存知のとおり、東寺しか残っていません。

平安京模型図
平安京が造られた当初は、朱雀大路を挟んで東寺と西寺が配置されています。
朱雀大路に隣接した空地は現在まだ解明されていません。





東寺





西寺跡





史跡 西寺跡
平安京建都に羅生門を挟んで東西に建立された二大官寺の一つで、823年東寺は空海に、西寺は守敏に下賜されました。
東寺が真言密教の道場として発展したのに対し、西寺は鎮護国家の官寺となり、その後の度重なる火災で1233年以降完全に姿を消してしまいました。

公園内に史跡 西寺跡があります。





公園中央に盛り上がった丘があります。
このあたりは、西寺の講堂跡のようです。
工事用フェンスに囲われているのは、発掘調査中の表示がありました。









当時の西寺はこのようだったそうです。
東寺と同じ五重塔もあります。






フェンスの所に「史跡 西寺跡」説明板があります。






現在まだ発掘中のようです。





丘の上に上ると石碑と礎石があります。












石碑







礎石





次に向かったのは平安京の表玄関、羅生門です。
平安京の中央を走る朱雀大路の南端に造られた幅35.7m、奥行き約10.2mの二階建ての大門。
暴風雨によって二度も倒壊し、980年を最後に再建されませんでした。
羅生門上に安置されていたとされる兜跋毘沙門天像(国宝)は、現在東寺に所蔵されています。

京都駅前に展示してある羅生門1/10模型





遺跡

















東寺(教王護国寺)
廃寺になった西寺とは対照的に度々兵火に遭いながらもその都度再建されました。
境内の徳川家光によって再建された五重塔は、現存する木造塔としてはわが国最高の55mで、京都のシンボル的存在です。
境内は史跡指定され、1994年には世界文化遺産に登録されています。











五重塔






西八丈第
東寺を少し北へ上がったところにある梅小路公園内にあります。
平安時代後期、このあたりには平清盛が造営した広大な一門の邸宅群がありました。
1181年に清盛が亡くなると、その2日後に火災が発生し、その後再建された建物も、平家都落ちの際に自ら火をかけて焼失させたといわれています。


梅小路公園芝生





説明板があります。











近くに水族館ができました。





若一神社
西大路八条にある神社で、平清盛の別邸であった西八条第内に、紀州熊野の若一王子の御神体を祀ったことがはじまりです。
その後、清盛が太政大臣に任命されたことから、開運出世の神社として信仰されています。
















歩いた距離は約4.4kmです。



聚楽第の散策 4.3km

2018-10-25 05:26:58 | 京都歴史散策


今回の散策は聚楽第です。
かつての平安宮北東部に豊臣秀吉が天正14年(1586)に聚楽第の造営を開始、翌年に完成しました。
掘と石垣に囲まれていた城郭ですが、分禄4年(1595)に秀次失脚の後、秀吉の命により完全に破壊されつくされました。
十年に満たない聚楽第の位置や規模などは長い間不明でしたが、近年の発掘調査でつぎつぎに掘跡や石垣、軒瓦などが明らかになってきました。
それらの調査結果や町名などでかつての聚楽第の位置がほぼ特定されるようになりました。
また聚楽第周辺でも武家屋敷門跡も発見されています。


聚楽第の歴史





今回の聚楽第周辺の散策コース
京都市埋蔵文化研究所発行の京都歴史散策マップ





散策のスタートは晴明神社です。





現在の橋になる前の橋










千利休居士の聚楽第屋敷跡 晴明神社の一角に石碑があります。










聚楽第周辺には当時の武家屋敷があった場所や遺構に由来する町名が残されています。

黒田如水邸跡(如水町)










上杉景勝屋敷跡(弾正町)










児童公園あたりは平安京の一条院跡です。










町屋建築の医院





大内裏及び聚楽第東濠跡石碑





北ノ丸北堀石垣跡は私有地でした。


正親小学校前は本丸掘跡です。












こういう説明板もありました。





またこのあたりは、平安宮大蔵省跡です。











郵便局に近くで東西方向の掘跡が発見されています。
またこのあたりは鍋島加賀守直茂の屋敷跡です。町名は加賀屋町です。





道路に残る2m以上の落差は、聚楽第西外掘によるものと考えられています。





聚楽城武家地、豊臣秀勝邸跡伝承地
そして平安宮内裏蘭林坊跡地




















京町屋ゲストハウス





このあたりは平安宮内裏承香殿跡です。











平安宮内裏梨壺跡












松林寺
聚楽第南外濠跡です。















平安宮内裏東限と建春門跡





稲荷社の祠横に聚楽第南掘跡の石碑が立っています。










町内











山崎闇斎邸跡





桂昌院殿御生家菩提寺










堀川通りを渡り東堀川通りを北上します。


伊藤仁斎宅跡
江戸時代前期に活躍した儒学者の邸宅と書庫跡です。非公開。










ルビノ堀川には朝ドラで有名になった広岡浅子の生誕地






堀川





終着の一条戻橋











散策距離は4.3kmです。






平安時代 千代の古道を歩く 4.3km

2018-10-23 05:36:08 | 京都歴史散策


紅葉めぐりがはじまる前に、京都の歴史散策をしようと思っています。

嵯峨野方面を散策していると「千代の古道」と書かれた道標石碑をいくつか目にします。
この「千代の古道」というのは、平安時代に天皇や貴族が北嵯峨野(大覚寺)に通った道を呼ぶということが分かりました。
平安時代前期の歌人在原業平(818ー893)が嵯峨天皇(在位809ー823)を偲ぶ和歌に詠まれた「千代の古道」からきているそうです。
後世にいくつかの道がそれと見なされ、道標石碑が建てられました。

先日古代の道の一つとされる石碑に沿って歩いてきました。

京都市埋蔵文化財研究所が出している「京都歴史散策マップ」の「千代の古道」の散策ルートです。
梅宮大社から大覚寺に向かう道です。





梅宮大社からスタートです。
松尾大社とともに酒造の神として信仰される奈良時代創建の古社です。
嵯峨天皇の皇后が祈願したとされる「またげ石」があり、子授、安産のご利益も有名です。





東の鳥居を出て、神社のコンクリートブロックのところに石碑があります。
















民家の建ち並ぶ道路を歩きます。





分岐路にイラストの道標があり、矢印に従い右折します。





古民家のある道です。






民家の前に石碑があります。





突き当たり、畑のなかに石碑があります。











右折し、高田橋を通ります。
愛宕山付近の景色












少し歩くとまた石碑があります。










三条通りの角にスーパーがあリ、店先にも道標があります。









三条通りを左折してすぐ、斎宮神社があります。
伊勢神宮に奉仕する斎宮のために有栖川の辺に野宮を建て、精進潔斎をした旧跡と伝わります。嵯峨野の野宮神社と斎明神社、西院の西院野々宮神社と並んで市内に残る四つの野宮跡の一つです。















三条通りをもう少し歩くと有栖川橋です。





右折し有栖川沿いに北上します。






嵐電の遮断機を超え、山陰本線の遮断機も超えます。










甲塚橋を左折






広沢橋の手前の一角に安堵の塔(ルルゲさん)があります。
甲塚古墳に隠れて難を逃れた日像上人が題目を刻んだと言われる古墳の石窟。
災難避けの功徳あるとされ親しまれています。ルルゲとは龍華(りゅうげ)が訛ったものと言われています。





丸太町通り広沢南野町の信号を真っすぐ北上します。






遍照寺
宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正が山荘を改めて創建した寺院で、かつては広沢池を中心に広大な寺域を有していました。
かつては広沢池の近くにありました。





堀川高校グランドのブロック塀沿いに歩くと、左に小山と鳥居が見えます。





稲荷古墳です。
遍照寺の北門横にある古墳。約20mの円墳に冨岡大明神の朱い鳥居と頂部に稲荷が祀られています。






堀川高校グランド沿いを北上して府道29号(広沢池)にでます。





広沢池
遍照寺が建立されたときに造られたとされ、当時は遍照池と呼ばれていました。
古代から観月の名所として知られ、王朝人の遊猟の地でもあったこの池は、あまりの風景の美しさから西行や藤原定家らの和歌にも登場しました。






児(ちご)神社
998年に没した遍照寺開祖寛朝僧正の死を嘆き、後を追って広沢池に身を投げた侍児の霊を祀ったと言われる神社です。










神社の境内のなかに、草に覆われた道標があります。





北嵯峨野の田園が広がる一帯です。
稲刈りは終わりました。





農道の一角にある石碑を左折します。










北嵯峨野高校が左に見えます。





大澤橋を渡り、突き当たりを右折すると大沢池の前に出ます。





大覚寺です。
大覚寺は嵯峨天皇が建立した嵯峨院を改めた寺院です。歴代天皇や皇族が院政を行った門跡寺院であるために嵯峨御所とも呼ばれました。御所跡は史跡指定されています。
現在戊戌開封法会期間中で大混雑しています。





散策距離は4.3kmです。
三条通りの有栖川を北上しましたが、そのまま三条通りを進むこと1.3kmほどで渡月橋に着きます。



天寧寺の額縁門、足利将軍ゆかりの相国寺

2018-10-21 05:40:31 | 京都歴史散策


応仁の乱の地を歩いたとき、天寧寺と足利将軍ゆかりの相国寺に寄りました。
天寧寺は曹洞宗の寺院で、天正年間(1573ー92)に、会津城下から移転されたと伝わり、金森宗和、剣道示限流善吉和尚らの墓があります。
山門の「額縁門」は東方の比叡山を借景としています。


天寧寺
きれいな額縁門です。















境内に入ります。





観音堂





本堂、書院、表門
芙蓉とススキが咲いています。



















庫裏





芙蓉










シュウメイギク





ホトトギス










鐘楼





稲荷神社が境内にあります。




















帰り道、足利将軍ゆかりの相国寺に寄りました。
相国寺は臨済宗相国寺派大本山です。
第三代足利善満が開基(1392)、開山は夢窓疎石です。京都五山の第二位に列し、足利将軍や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺です。
金閣寺、銀閣寺など山内外に多くの塔頭をもち、法堂(重要文化財)の龍図は鳴龍として知られています。
境内には承天閣美術館があり、伊藤若冲の絵画などを展示しています。










法堂










庫裏





承天閣美術館










後水尾院天皇御歯髪塚









応仁の乱を歩く

2018-10-20 05:29:20 | 京都歴史散策


少し京都の歴史散策をしようと思い、応仁の乱の地を歩きます。
応仁の乱(1467ー77)は御霊神社付近の森での合戦が発端となります。
室町幕府将軍足利義正の世継ぎ問題や、管領畠山・斯波両家の家督紛争などが背景にありました。
幕府の権威失墜もあり、守護大名細川と山名の勢力が対立し、京の町は約11年に及ぶ内乱の地になりました。

コースは京都市考古学協会発行の「京の歴史散策マップ」です。





歴史のおさらい










スタートは京都市考古資料館です。





資料館前に「西陣」の石碑があります。





山名宗全邸宅跡
守護大名山名持豊(宗全)が日野富子やその子(義尚)を擁立して、西に陣を張ったことから、このあたりを「西陣」と呼ぶようになりました。この石標は山名邸跡を示すものです。なお、山名町はその邸宅に因みます。















もう一カ所石碑が近くにあります。





次に向かったのは「百々橋の礎石」です。
百々橋を隔てて東軍と西軍が幾度も合戦を行いました。
昭和38年まであった石橋は洛西ニュータウンの竹林公園内に移され復元されました。
四石の礎石のうち一石は室町小学校の校庭に、一石は小川通り沿い百々橋跡地に残されています。












茶道、表千家、裏千家が百々橋跡の近くにあります。
















本法寺










百々橋跡を下ると本阿弥光悦京屋敷跡の石碑があります。











今出川室町の角に「足利将軍室町幕府跡碑」があります。
烏丸通りをはさんで同志社大学の西向かいになります。
1378年に室町幕府第三代将軍足利吉満が造営した広大な邸宅です。四季折々の花木が植えられた庭園の美しさから「花の御所」とも呼ばれました。室町通りにあったことから「室町殿」「室町御所」とも呼ばれ第八代将軍義政までは将軍邸として、また応仁の乱では東軍の拠点となりました。






大聖寺門跡(御寺御所)
大聖寺は御寺御所とも呼ばれる臨済宗相国寺の門跡尼院です。
境内は室町時代の花の御所跡の一画と言われ、「花乃御所」の石碑があります。
1697年に明正天皇御所の材料を移して作られた庭園(非公開)は京都市指定名勝です。










境内の御車寄せ
京都御所の御車寄せに似て立派です。















室町殿石敷き遺構
同志社大学寒梅館建設に伴う発掘調査(2002)で発見された室町時代後期の石敷き遺構が、調査された同じ場所(校地の北東角)に保存されています。

























応仁の乱勃発の地
御霊神社の前に「応仁の乱勃発地碑」が立っています。
早良親王ほか七柱を祀る神社です。平安遷都以前からこの地一帯に勢力を持った出雲氏の氏寺です。
御霊の森の広がるこの地で、管領畠山氏の内紛が応仁の乱の発端となりました






















御霊神社近くに尾形光琳邸宅のがあります。
江戸時代中期の画家、琳派と称される装飾的画派で有名です。





コース順に歩くと約6.7kmですが、下鴨神社はカットして約5.4kmです。



散策ー双ケ丘、蛇塚古墳

2015-01-20 05:27:32 | 京都歴史散策

昨日の散策は双ヶ丘登りです。
双ケ丘は東に妙心寺、法金剛院、少し北に歩けば仁和寺があります。
徒然草を書いた吉田兼好が晩年庵を結んだ地としても知られています。

単なる丘ではなく、24基の古墳がある 双ケ丘古墳群がある丘なのです。
この古墳群は、古代の豪族、秦氏の首長の墓と考えられています。

丘は、北から一の丘(119m)、二の丘 (102m)、三の丘(78m)で構成され、
国の名勝に指定されています。
それほど高くはないので、ハイキングにもってこいです。
地域の方々は勿論、保育園児も日常的に登っています。

古い地図ですが、双ケ丘の全体像です。(京都市画像より)





私が登るのは今回で二度目です。
前回も妻と登りましたが、その時は直接一の丘を目指しました。
今回は、三の丘→二の丘→一の丘のルートです。
ひとりで登るより、会話をしながらの方がやはり楽しいです。

法金剛院を少し歩くと登り口があります。





お花のきれいなところです。説明板もつけておきます。





落葉の絨毯を踏みしめて登ります。





一の丘頂上付近





頂上付近(78m)からの眺望





二の丘を通り一の丘です。





一の丘頂上(119m)からの市内眺望です。





北には仁和寺が見えます。





少しアップします。





頂上に基本(国土地理院)が埋められています。





付近に大きな古墳跡があります。
古墳の入口は塞がれています。





保育園の園児たちも先生に引率されて登ってきました。
年齢を聞くと2歳児とのこと、驚きです。





一の丘の登り口にある説明板です。










休憩所になっています。
また丘裾は桜の木が植えてあり、春は散策に良さそうです。





お地蔵様もあります。





次に向かったのは、右京区太秦にある蛇塚古墳です。
京都府下最大の横穴式石室を持つ、前方後円墳です。
古墳時代末期のもので、秦氏一族の首長の墓と言われています。
これも国の史跡に指定されています。

住宅地の中に、鉄柵に囲まれています。





以前、石室の中に入ったことがありますが、今は何もありません。





角度を変えて撮影してみました。

















平安京遺跡 羅生門、東寺、西寺を訪ねて

2015-01-16 05:39:05 | 京都歴史散策


昨日は朝から強い雨が降り続き、日課の散策にでられませんでした。
それで今日は、一昨日の散策の続きを投稿します。

私はかなり前から平安京に興味を持っていました。
一昨日早朝に嵐山にでかけ、家で休憩後に向かったのは安京遺跡です。
平安京の入口だった羅生門と当時の官寺だった東寺と西寺跡地です。

都が京都に移ったのが794年、以来1,200年以上という膨大な時が流れ、
今は当時の遺跡をほとんど街中で見かけることはありません。
特に応仁の乱で京都の街が荒廃しきったことや、火災、権力者による京都改造などで、
失われたものも多いと思います。

平安遷都1,200年事業で精密な平安京の模型が作成されました。
その模型は現在、京都アスニーの1階の「京都市平安京創生館」に展示されています。





平安京模型以外に、鳥羽離宮復元模型、豊楽殿復元模型、法勝寺復元模型、
源氏物語屏風平安京のくらしと文化なども展示されています。
平安京好きにはたまらない場所です。
ちなみに入館は無料です。
素晴らしい模型図を撮影して紹介したいのですが、あいにく撮影禁止です。
仕方がないので、印刷物の写真を利用させてもらいました。

模型図です。
一番下に都への入口、羅生門があります。
羅生門を通ると、都のメインストリート朱雀大路が大内裏まで伸びています。
朱雀大路の広さはなんと84mもあります。





羅生門跡地
朱雀大路は現在の狭くなった千本通りです。
千本通り九条近くに標識が出ています。






児童公園のなかに石碑が立っています。





説明板です。





羅生門の再現模型です。
奈良平城京の朱雀門を思い浮かべてもらえればいいと思います。





模型図で羅生門をくぐりぬけると、朱雀大路の両側に巨大な伽藍があります。
それが東寺と西寺です。
東寺だけは今も当時の様子を残しています。
東寺と西寺は官寺でしたが、東寺は弘法大師弟空海に与えられ、
真言宗の総本山になり、現在も当時の同じ場所に残っています。










朱雀大路挟み東寺と西寺が作られました。
作りは東寺の完全な左右対称です。
東寺は弘法大師に対する庶民信仰の高まりで生き残りましたが、
西寺は律令体制が衰退するなかで衰亡します。
今西寺は跡地だけ残されています。





石碑が立っています。
















再現図










大内裏跡も今は往時の遺構はほとんどありません。
そこには遺跡跡の標識が立っているだけですが、
1,200年前の様子に想いを馳せるのは楽しいものです。




散策ー京都の御土居めぐり

2015-01-10 05:49:14 | 京都歴史散策

先日たまたまNHKを見ていたら、ブラタモリが放映されていました。
何気なく見ていると、どうも見覚えのある映像がでてきます。
京都の新京極や御土居をタモリさんが紹介していたのです。

私も北野天満宮を訪れ、近くの御土居を撮影し、ブログに投稿したところでした。
それで、昨日の散策は京都の御土居めぐりとしました。

まずは御土居の説明です。
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲 に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築 いた土塁です。
台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨 川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼 び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残です。
江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり,また市街地が 洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残 をとどめるのみとなりました。
昭和5年(1930),市内に残る御土居のうち8箇所が,京都の沿革を知るうえに,また,広く我が国における 都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定,昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が 追加され,現在9箇所が指定地となっています。
また,これら指定地以外では,北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも,部分的に御土居が残っ ています。

以上は京都市の説明文です。

応仁の乱で焦土のようになった京都の町をぐるりと土塁で囲んだ地図です。
黄色いところが洛中、それ以外は洛外です。
鴨川の東、観光で賑わう祇園や東山などは洛外でした。





現在史跡に指定されている9箇所
(1)北区鷹峯旧土居町
(2)北区大宮土居町
(3)北区紫竹上長目町・上堀川町
(4)上京区寺町広小路上ル北之辺町(廬山寺内)
(5)中京区西ノ京原町
(6)上京区馬喰町(北野天満宮境内)
(7)北区平野鳥居前町
(8)北区紫野西土居町
(9)北区鷹峯旧土居町

まず私が向かったのは鷹峯です。
鷹峯街道、この突き当たりに源光庵や近くに光悦寺があります。





街道沿いに説明板が立っています。
北区鷹峯旧土居町です。




フェンスに囲まれていますが、御土居とよくわかります。











道路の向かいの住宅地入っていくと、御土居の跡が見えます。
ここも北区鷹峯旧土居町です。





次は北区大宮土居町の御土居です。
ここも土塁というのがよくわかります。










次は指定地以外ですが、大宮交通公園の中にあります。





説明板です。














次は堀川通りに面した加茂川中学校の近くにあります。
北区紫竹上長目町・上堀川町 です。















背景の建物は中学校です。





次は河原町通り、京都府立病院の向かいにあります。
上京区寺町広小路上ル北之辺町(廬山寺内)です。










最後は西大路御池の近くの神社のなかにあります。
御土居は江戸時代、つぎつぎ取り壊されましたが、神社が建てられていたため、
残ったのだと思われます。 中京区西ノ京原町 です。




















先日紹介した北野天満宮と平野鳥居町の御土居を再掲しておきます。


北野天満宮の御土居









平野鳥居町の御土居





京都の御土居の史跡いかがでしたでしょうか。
実は私は平安時代の遺跡を訪れるのも好きなのです。
また機会があれば、ブログでも紹介したいと思います。