光山鉄道管理局・アーカイブス

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新幹線開業50周年ネタ7「『新幹線の趣味性』について思うこと」

2014-10-12 17:41:49 | 思いつくままに・考察
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 今回は新幹線そのものについて個人的に感じる事から。

「歴史は繰り返す。それが歴史の悪い癖である」(マーフィーの法則にこんなのがあった気がします)

「(前略)日本の風景にはナローがよく似合う。
いくら上手に作ってあっても16.5ミリではぶち壊しだ。少なくとも13ミリにすべきだ。
その点ナローはしっくりくる。まず、自然と調和する。一間六尺と馴染む。
そして何よりも日本人の肌に合う。身近に鉄道と言う感じがする。
その点国鉄は化け物だ。新幹線など風上にも置けやしない」~
「新幹線は騒音がひどい。新幹線はデザインが悪い。新幹線なんか無視しちまえ」~

 以上は70年代半ばから80年代半ばにかけての雑誌等から拾いだしたものですが、やや端的な表現もあるとはいえあの当時の新幹線に対する見方の最大公約数に近い物を示したものだと思います。
 (余談ですが上の記事の書かれた時期は鉄道模型では第一次ナローブームの最盛期でした)
 開通当初からTMSの誌上でも新幹線のモデルの記事は絶無に等しく、実際の社会への貢献度や利便性の改善に対して少なくとも趣味の世界では不当に低い扱いだった事がわかります。
 今でも私と同年代以上の鉄道模型ファンは大なり小なり同じ感覚を引きずっている様な気もします。

 その新幹線が趣味人の間で評価され始めたのは0系の引退前後の時期からではなかったでしょうか。
 21世紀に入り新幹線開通当時にまだ生まれていなかった層辺りが鉄道模型趣味の中心世代にシフトし始めた辺りから新幹線、事に0系への評価や愛惜が変わってきた様な気がします。
 同じ様な事は過去にSLとかブルートレインなどでも見られたと思いますが、登場時は最先端の技術や物新しさから一般にもてはやされる一方で趣味人のメインストリームからは半ばは反発、半ばは無視に近い扱いである事も多かった思います。

 それが時代を経て、一旦消え去るとなると掌を返したように持て囃されるという点、時代は繰り返します。
 「去りゆく者への郷愁」と言う奴が鉄道模型や鉄道趣味の中心をなす嗜好のひとつである以上新幹線もその流れとは無縁ではなかったという事でもありましょう。

 尤もこんな事を書いている私自身、中断前は新幹線の車両は全く関心ありませんでしたし、再開した今でも編成としての新幹線はNにはなく、Zゲージで辛うじてと言った程度のステイタスです。
 ですから上記の事を指して「だからマニアはだめなんだ」等と言う気は全くありませんし、そもそもその資格自体ありません(汗)

 今回開業50周年に乗っかる形で新幹線ネタをメインやサブで書いてきましたが模型そのものに関する思い出は自分でも驚くほど希薄です。
 映画やテレビ、書籍と言う中でいわば外側からの視点で0系そのものよりも0系を取り巻いていた時代の気分をネタに使った所が多かったと思います。

 やはり趣味人としての私の中のどこかに上記の言説と同じ感じ方があるからかもしれません。
 あれだけ帰省のたびに新幹線のお世話になっているというのに(大汗)


 ですが現実に新幹線が無かったら私は今の住所に住んでいなかったし今の仕事にも就いていなかった可能性は濃厚です。
 となると、今の様な形で鉄道模型の趣味を再開する事もなかった訳ですから私自身が「新幹線の開通に伴う社会の変革」の影響を最も受けた一人だったと思います。
 少なくとも交通機関としての新幹線にはお礼を言いこそすれ無視したり否定する気には到底なれないのも確かです。

 ですが趣味人としての私としては今以上に新幹線を趣味の対象として捉える事はあまりない気もします。
 現にあれほど乗っていたくせに200系のモデルは1両もなく、思い入れも全くありませんからこれが変わるというのは少し考えにくい気もします。

 感覚的に言うなら「ミニバンユーザーのスポーツカー好き」というのに近い感じでしょうか。

 とか言っといて何年か後には掌を返して200系のNかZのモデルをレイアウト上でバンバン走らせているかもしれませんが(爆)