光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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「駅」に感じるノスタルジーのはなし

2014-10-30 16:32:37 | 思いつくままに・考察
 今更ながらに思うのですが私個人が鉄道の魅力を感じる部分というのは車両3割、乗って3割、その他1割という比率です。
 残りの3割は「駅、そして線路周辺」だったりします。

 特に私が個人的に魅力を感じるのは夜の駅です。

 どんなに周囲が真っ暗で人気が少ない夜の住宅地でも最終電車が通るまでは駅構内は灯りが点り、そこだけがどこか異質な空間となって惹きつけられます。
 ましてやターミナル駅だと送迎の人も多いですし売店なんかもやっていますからどんな田舎でも一種不夜城の感覚を味わわせてくれます。
 特に私の好みは日曜日の夜の駅の雰囲気でしょうか。平日と違って通勤客が少ない事もありますが日曜の夜というのは意外に『旅立ち』を連想させる見送り風景が多い事もあって独特の賑やかさとその直後の寂寥感を感じる事が多いです。

 私の故郷の盛岡駅などが特にそうだったのですが昭和の終わり頃までは市街地からわざわざ外れたもの寂しい場所にあったため「巨大な駅ビルだけが煌々と明るい」という一種独特の雰囲気がありました。
 宮澤賢治の童話に「氷河鼠の毛皮」というのがあり、吹雪の夜のターミナル駅の雰囲気が描かれているのですが、実際雪の夜の盛岡駅というのはまったくそのまんまの雰囲気があったのです。
 新幹線開通前の当時は夜行列車の全盛期。しかも上野や青森の発車時刻との兼ね合いから深夜の3時4時でも列車の発着があるためさながら「市内唯一の不夜城(当時は24時間営業のコンビニなどありませんでしたしガソリンスタンドですら日曜は休みでした)」の様相でした。

 自分が山の中の一軒家で周囲が真っ暗な中、寒々として布団にくるまっているその瞬間にも駅だけは眠らずに列車が発着している…
 冬の夜などはよくそんなイメージを抱いたまま寝についたものです。

 その雰囲気はまさにそれだけで手軽に「非日常性」を感じさせ、当時子供だった私には列車に乗る事自体が何か特別な行事みたいに思わせるに十分だった訳です。

 現住地に住み着いてからはしばらくの期間近くにJRのターミナルのある所に住んでいました。
 ここは「ターミナル」とは言っても単線ローカル線のそれで電車の駐泊施設が併設されているというだけ。
 単線なので上下線の行き違いがあるというのとかろうじて特急が停まるというだけの代物で駅には売店もなく夜ともなると駅前に開いている店がなくなるというもの寂しいロケーションの場所でした。
 (今は隣に葬祭殿ができたり、交番が閉鎖されたりしてもっと寂しくなっているのですが)

 ですがそれでも最終電車が停まる夜11時過ぎまでは寂しい中に不夜城の雰囲気が感じられて前を通るだけで少し心強い気持ちになる事も一再ではありませんでした。
 これまた自宅で寝につくときに遠くの方で最終電車が通過する時のジョイント音をかすかに耳にすると(たとえそれが3扉の113系だったとしても)盛岡の時と同じ旅情を感じたものです。

 少なくともこの感覚はバス停や高速の料金所では感じられないところです。またいくら不夜城と言ってもコンビニや救急病院に哀愁を感じる訳には行きません(笑)

 強いてこれに近い雰囲気の所を挙げるなら「バス停を併設した高速のパーキングエリア」辺りでしょうか。
 考えてみると駅に近い隔絶性があり周りの寂寥感に反して内側ではそこそこ活気が感じられ、更に旅立ちの雰囲気もそこそこあるというとPAは結構該当します。
 この駅という空間の特殊性が私をひきつけている所が大きいのでしょう。

 レイアウトを作る時も一部のモジュールを除いて駅を必ず付けますし、駅を作る時はいつになく気合いが入るのが通例です(笑)
 そろそろうちのレイアウトの駅にも照明を入れたくなってきました。