【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

琉球放浪2012冬 『 紺碧の海にすむ魚を求めて~久米島釣り旅 』

2012年01月08日 | 旅三昧!釣り三昧!
1月4日: 【壮絶なる旅の幕開け】

早朝、ロッドケースに2本の竿を詰め、着替えを詰めたキャリアをゴロゴロと曳きながら関空へ向かった。さて、久米島一人旅へ出発だ。空港に着き、荷物を預ける。

久米島は、オレが20歳の夏、2ヵ月弱の間、リゾートホテル久米アイランドにてプールの監視員をして過ごした島である。既に23年という月日が流れ、オレの記憶のコマ切れとなっている部分を少しでも埋めることが出来ればと思い立ち、この旅を決めたのである。

尚、今回は釣竿持参である。釣ったことのない沖縄の魚にトライしてみたいという気持ちもあった。23年前は、時間はあれど金はない日々。大阪南港より1人フェリーに乗って那覇へ向かい、そこから久米島へのフェリーに乗り継いだのであった。

今回は、那覇までは空路。しかしそこからは昔と同じくフェリーにて久米島へ渡ろうと思っていた。

那覇への飛行機に乗る直前に、久米島に住む親友NAKAよりオレの携帯が鳴った。



「今日の久米島へ渡るフェリーが欠航したよ~」とのNAKAの笑い声。

久米島へのフェリーは波が4メートルに達すると欠航するとの事。現地は相当天気が悪いようである。

このように予期せぬ出来事が起こりえる事こそ旅の面白いところである。

なんだか、ワクワクしながら機内に乗り込んだ。



那覇空港着陸の少し前より飛行機がかなり左右に揺れ始める。風が強く雨も降っている。飛行機から見る碧い海には、沖ですら白波が立っているのが見えた。

那覇空港に降り立ち、荷物を拾い上げた後、もう一度出発カウンターに向かい、那覇より久米島への琉球航空のチケットを購入し、再度荷物を預けた。

想像した通り、バスのように小さなプロペラ機であった。これがまた非常に揺れるのだ。

どうにかこうにか久米島空港に降り立つと、到着ロビーには笑顔の少しはにかんだNAKAが立っていた。3年ぶりの再会である。NAKAは10キロほど肥えていた。

NAKAの自宅が、オレ達がここ数日間行動するリゾートホテル久米アイランド近郊より離れていることもあり、NAKAは自分の職場であるこのホテル久米アイランドにTWINルームを押さえていてくれた。これから3日間、NAKAとオレは共にホテルに滞在する手筈となっていた。

懐かしいこのホテルにチェックインし、荷を解いた後、NAKAは午後6時まで仕事があるという事で、1人ぶらぶらイーフビーチに出て、昔懐かしい村落を歩いた。

久米島にはバイパスと呼ばれる通りが出来、又、楽天球団のキャンプ場としてスタジアムも出来ていた。昔あったスーパーやさとうきび畑がなくなり、道路も舗装されて、オレの記憶とうまく合致しない部分も多々あったが、ぼんやりながらもその頃の面影は思い出せた。



どんより曇り空で、イーフビーチはかつての感動した程の迫力はなかったが、それでもシャリシャリとした砂を噛む靴の感触や砕けたサンゴが散らばる砂浜はあの頃と全く同じであった。懐かしいあの頃の海の匂いが鼻に突いた。

夜、仕事を終えたNAKAと飯を食いに居酒屋へ向かった。

トーフーチャンプル、海ブドウ等、沖縄ならではのオーダーをして、オリオンビールで乾杯をする。途中からNAKAは『泡盛・久米仙ブラウン』のボトルを頼んだ。オレも飲んではみたがなかなか進まず、生ビール続行とした。



そこへJUNがやってきた。JUNはNAKAの職場であり久米アイランドの後輩であり、久米島出身の物静かなオトコなのだが、釣りに詳しく、今回の陸からの釣りをオレと伴にしてくれるという。JUN曰く、この天候では波がきつく、磯からは到底、竿を出せないだろうとの事だった。

「まぁ明日の事は明日考えようよ~」と沖縄弁でJUNは言った。

最初の居酒屋でカツンと飲んで気持ちよくなった後、近所の『BAR・ゴーヤール』へ移動した。そして、そのBARのオーナーであるスーさんを紹介された。スーさんは元々、ナイチャー(内地出身者)なのだが、今は年老いた御母上と伴に久米島に移り住んでいるとの事であった。パイプが似合うスキンヘッドのオトコである。スーさんも明日、釣りに一緒に行くらしい。

スーさんのBARは貸切り状態である。3人でまたゲラゲラ笑いつつ飲んでいる時に、今後はヒロポンがやってきて仲間に加わった。ヒロポンは沖縄本島出身で久米島へ嫁いてきたとの事であった。みんなそれぞれ相当なキャラクターなのであった。島の話になると、オレには分からない事が多かったが、それでも現地の宴に混じって飲んでいる時間は心地よかった。



結局、スーさんのBARでは午前3時頃まで飲んでいた。さすがにオレは酩酊して、もうネムネム状態であったが、ヒロポンがどうしてもカラオケに行きたいと云い出し、こうなったらオレ1人で帰るわけにも行かず、連れられ『スナックYUKI』へ。



正直な所、今時こんなスナックあるのか?というような店であった。しかし酔っているので、なんだって構わないのであった。

結局、そこでスーさんがヘネシーをKEEPし、それぞれ数曲ずつ歌って飲んだ。

その後、オレ達がホテルに戻ったのは午前5時半頃だったであろうか・・・ 曖昧である。

ホテルに着いた途端、NAKAの携帯が鳴り、まだ飲み足りなかったらしいヒロポンが、クルマでこちらへ向かってくる途中に、サトウキビ畑の路肩にクルマを落としたという連絡が入り、NAKAはすぐさま助けに走っていったのであった。

結局、この日、オレ達が寝たのは午前7時半であった。

しかし壮絶なる旅の幕開けとなった。

1月5日: 【アタリのこない久米島の防波堤】

ほとんど寝不足の状態であったが今回は釣り旅である。朝は起きなきゃなるまい。

朝9時半、JUNとスーさんとオレの3人は竿を持って島の防波堤に向かった。NAKAは結局起きることができず、釣り断念となった。

小雨が続き波も高い。どう考えても辛い状況である。

3人で竿を出すも、どこにいってもアタリがこない。曇っているが、さすがは久米島の海、とても水が澄んでいる。水が澄んで、かなり深い場所でも魚がいないことが一目瞭然なのであった。



ポイントを5箇所ほど変えて竿を出すも、結局、オレが小さなオジサンを1匹どうにか釣り上げただけで、午後3時頃、納竿となった。

ぐったり疲れた3人は、レストランで遅めの昼飯を食って分かれたのであった。

夕方、部屋で昼寝しているとMEETINGを終えたNAKAが戻ってきた。二人で缶ビールを飲みながら、明日の船釣りの計画を話す。明日は波も少しはマシのようである。

しばらくして飯を食いに居酒屋へ。NAKAはさすがに昨夜飲みすぎたようで酒が進まないようであった。

ゴーヤチャンプルと島らっきょうの天ぷらを頼んだ。この島らっきょうの天ぷらがすこぶる美味い。酒が進まないNAKAは横でとんかつ定食を食べていた。

そして又、スーさんのBARへ向かった。

スーさんとNAKAが熱くなり、TPPで発生するであろう島内のさとうきびの問題、沖縄基地の実情等、少し深いが興味のある話題にそれぞれの熱い考えをぶつけていた。全く2人の会話は両極端なので、オレは合間に入り、自分の意見を述べて議論を丸めるように努めた。



店はまた、貸し切り状態で、オレはバーボンソーダを4杯ほど飲んでまた気持ちよく酔い、この夜は午前1時頃、NAKAとホテルに戻ったのであった。

1月6日: 【旅のメインイベント船釣り大決戦】

決戦の朝である。朝8時に起き、ホテルでNAKAときちんと朝食を摂った。オレは船酔いを危惧し少なめに。NAKAは朝からものすごい量の朝食を食っていた。このオトコに船酔いなど関係ないようである。

スーさんと合流し、3人で船が待つ港へ向かった。

船頭曰く、小雨は仕方がないが波はまだマシの様子。今日はグルクンなどの小物ではなく、もう少し大きな魚を狙いに行きますと云う。オレの気がはやる。



仕掛けを確認すると、オレが南紀白浜の自分の船で普段行なう『落とし込み』であった。但し、針は大きく、エサも秋刀魚とイカの切り身を用いる。またまた気がはやる。

水深40メートル辺りの所で、島影の風が弱いところを選んで竿を落とす。島での釣りは、一周くるりと釣りが出来るので、風を避けた釣りが可能なのだ。

竿を落とした途端に釣れるという『爆釣!』という状態では決してなかったが、しばらくしてオレの竿も大きくしなった。

なかなか強いひきである!



上がってきたのは30センチ強のシロダイであった。NAKAの竿にもアカジンと沖縄では呼ばれる赤いハタがあがった。スーさんの竿もしなるしなる。

その他、フエフキダイも含め、3人で20数匹の魚をゲットした。

一度、オレの竿に恐ろしく大きなアタリがきた。リールのドラグをある程度締めているのに関わらず、ラインが負けず出るばかり状態だ。竿の曲がり具合から察し、船頭さんにドラグをもっと締めたほうがよいか確認するも、魚はどうやら岩の穴場にもぐってしまい上げられずに終ってしまった。

横で見ていた船頭とスーさんの話では、恐らく1メートル級のミーバイ(高級ハタ)であろうとの話であった。FISH ONした際に、もっとドラグを締めて、豪快に巻いておけばよかったと思うも、後悔先に立たず。

しかし最高の船釣りであった。



ホテルに帰還する前に、ホテルと契約する居酒屋に行き、NAKAが食べ切れなかった魚を店に進呈するとの条件で、魚を捌いて調理し、タダで酒を飲ませてもらう話をつけてきた。

部屋に帰りシャワーを浴びた後、午後7時に居酒屋へ出向いた。

先ずはスーさんが釣った大きな天狗ハギの刺身が出てきた。鯛に似て非常に美味い。鯛と云われてもわからない味である。更には鯛以上に新鮮ゆえに身が締まっているのだ。



「見栄えが悪い魚ほど美味いさ~」と久米仙を飲みながらNAKAが話す。

「うむうむ・・・」と頷きつつオリオンビールを飲みながらそれを摘み口に運ぶオレ。

釣ったスーさんはとても満足そうであった。

次に、NAKAが仕留めたアカジンが「マース煮」と呼ばれる沖縄独特の塩煮で出てきた。

これまた美味い!塩だけで煮込んでいるため、魚本来の味が楽しめた。

そして最後に、オレが釣った一番大きなシロダイがさっと揚げられて出てきた。これにレモンを絞って食べた。



やはり自分で釣った魚が一番である。揚げ加減も最高であった。

遅れてやってきたJUNも美味い美味いと食べた。

しかしさすがに疲れたか、この夜はもう帰ろうという事になり、オレ達は夜10時には部屋に戻り、ベッドに入ったのであった。

しかしNAKAは心臓がバクバクするとなかなか寝付けないようで、オレが目を覚ました午前4時、まだソファでちびちび酒を飲んでいたので、オレもまた缶ビールを開けて少しだけ酒を付き合うことにしたのであった。NAKAは御母上を心臓病で亡くし、伊是名島に住む御父上も心臓のバイパス手術をされている。あんまり暴飲暴食するなとアドバイスした。

1月7日: 【そして・・・那覇放浪へ】

午前中、NAKAが久米島の観光スポットを案内してくれた。昔、オレがいた頃からあった場所、また新しく出来た場所を廻った。



『海ブドウ養殖場』へ出向いた。そこでは久米島の深層水を用い、今日本で一番、海ブドウが養殖されているのである。働くお兄さんに海ブドウの養殖の仕方を教わり、発泡スチロールに分けてもらったのであった。





また、23年前に存在した『サンボ』というオレの記憶にもある沖縄そば屋から枝分かれした店が、島の反対側の具志川に存在し、今久米島ではそこの沖縄そばが一番美味いというので、そこに食べにいってきた。その店の店主もオレ達と同い年のNAKAの友人であった。

『激辛味噌もやしそば』という久米島そばを少しアレンジした一品とジューシーと云われる混ぜゴハンを頼んだ。採ったばかりの島とうがらしがピリリっと良い感じであった。



午後2時、NAKAに送ってもらい固い握手をした後、オレはオリオンビールのロング缶と柿ピーをコンビニで求めてフェリー『ニュー久米』に乗り込んだ。

波の高さは3メートル。どうにかフェリーは欠航せずに無事に那覇へ向けて出港した。しかしこれまた想像以上にフェリーは揺れたのであった。雑魚寝の場所で寝転がっていても、身体が廻ってしまうくらいの揺れなのであった。

那覇に無事着き、NAKAに紹介してもらった空港に近い『ホテルグランビュー沖縄』にチェックインした後、モノレールで国際通り界隈を行くあてもなく歩いた。

しかし那覇は都会である。日本の他の地方都市と何ら変わらない街である。オレが求める沖縄の旅はここではないと痛感した。



歩き疲れた頃に目に付いた居酒屋に飛び込み、そこで生ビールをジョッキ4杯飲んで、気持ちよく酔いホテルに帰ったのが午後10時、そのまま旅の疲れと伴に朝までぐっすり寝てしまい、翌朝6時半、ホテルの朝食を摂り、那覇から中部国際空港を経由し、新幹線で家に帰宅したのであった。

あっという間の旅であった。残念ながら旅の間ずっと天候に恵まれなかったが、充分に楽しい時間を過ごすことが出来た4日間であった。NAKAとはこの23年間、数回しか会えていないのだが、それでも今尚、昔と変わらぬ温かさでオレと付き合ってくれている。お互い違う世界で生きていながら、こうしてずっと親しくしていれる関係こそ親友と云えよう。なんだか年甲斐もなく懐かしくもありうれしい旅であった。

今度は夏、久米島にマグロを釣りに行く事になっている。

その時までまたカツンと生きようと思う。


TACK