忘却への扉

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昔はこれがご飯のことも

2016-12-15 | 追憶

 【 イモ見て気付く豊かな時代 】 松山市 女性( 79・主婦 )

 ◇気になっていたサツマイモを掘った。春に青菜の苗を買いに行ったときサツマイモのつるが目にとまり、10本買って家の庭に植えた。3人の孫も喜ぶだろうという思いからだった。今年は異状に暑い日が続き、ほったらかしだったのだが、驚くことに大きなものが現れた。
 ◇敗戦間近だったか、体操の時間に畑でイモのつるを摘み束ねたことがあった。乾燥させて兵隊さんが食べると聞いたけど、どんな料理をしたのだろうと、今イモづるを見て思う。最近、どこの店に行っても形がよくすらっとした赤いいもばかりであることに気が付いた。私が掘ったイモは大きなものは770㌘もあった。いつの間に大きなイモが消えたのか。バターや砂糖が簡単に手に入るようになり、種類によって使い分けする豊かな時代なんだ、と改めて気付く。
 ◇イモがゆを炊き「昔はこれがご飯ということもあった」と言うと、子どもが「お母さん、こんなにおいしいご飯を食べていたの」。経験しないことは分からない。戦争は嫌だ。「戦争を知らない子と食ぶ芋の粥」」
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 古いわが家の床下には、大人がかがんで入れる大きな穴(防空壕兼用)が掘られていて、サツマイモを貯蔵していた。
 おやつとして食べるのはもちろん、輪切りにして乾燥させ、保存し、主食用に蓄えている麦が少なくなるとご飯代わりにもなった。麦にそら豆で増量したご飯も食べた。サツマイモ、麦、雑穀、他、百姓なのでいろいろ主に自給自足用に栽培していた。
 トウモロコシもサツマイモのどちらも私の子供の頃は、今売られている甘い品種ではなかったが、おいしく食べていた。だが、普段食べていた丸麦から平麦を食べ始め、米が少し入ったご飯へと変化してくると、食べ飽きたサツマイモを口にするのは減っていく。食べなくなって長い年月がすぎ、新しいサツマイモを食べた時、そのおいしさに驚く。
 戦時中は学校の運動場を畑にし、サツマイモなど栽培したという。私も戦争は嫌。世界には飢えに苦しむ人々が多くいることを忘れてはならない。


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