忘却への扉

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幼い孫の優しい贈り物

2016-12-14 | 追憶

 【 幼孫の贈り物 】 松野町松丸 男性( 79歳 )

[ 昨年夏、孫娘が異国から帰省した。そして、4歳の誕生日に訪れたレストランで、ままごとのミニ聴診器をプレゼントされた。大喜びで帰ると、すぐ病気の妻のもとにやってきた。
 「バアバ、すわって」と促し「まずはバアバが先生から」と聴診器を差し出した。妻は孫の体に当てて「ミミちゃん大丈夫よ」と笑顔で伝えた。すると孫は「つぎはミミちゃん先生」と聴診器を受け取り、妻の体に当て「バアバもだいじょうぶだよ」と言った。妻の顔に笑みがこぼれた。
 今年の夏も帰省した。そして路傍に咲く花を手折り、転がるように走って「バアバ、花」と、妻の手がいっぱいになるまで届け続けた。別れは突然やって気t。告別式も終えて拾骨のとき、じっと見ていた孫が突然「わたしもする」と言い出した。すぐに高い踏み段を用意してもらった。幼い手で黙々と骨を拾い続ける姿に、透き通るような温かさと真剣さが漂っていた。
 今年の春、命の尽きることを悟った妻は「孫に会うまで生きていたい。そばにいる時に逝きたい」と祈っていた。遺骨とバアバが大好きだった幼い孫の優しい贈り物で満たされた器には、あの手折った花のような美しい花模様が描かれていた。]
                         《 こだま 読者の広場 【 へんろ道 】 》 地方紙「投稿欄」より
 
( 忘却への扉 ) 4歳の女の子の姿に涙がこぼれそうになった。私の孫である次女をおんぶし歩いているとき脳梗塞で倒れ入院した母。家に帰ってからも毎日、母屋から隠居に「ばあちゃん、まんまよ」とご飯を抱えて行き顔を合わせていた。
 半年余りで逝ってしまったが、葬儀のあとも年毎に仏事は続いた。まだ幼い次女が、1人家の横にある畑の土で、お墓のつもりの小山を作っていたのが強く印象に残っている。次女と4歳の子の姿が重なって見えた。


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