わたしは、自分の時間は自由に使いたい、と思います。
だから、結婚した当初から『今日は何するの?』と
出勤前の夫に聞かれるのが嫌いでした。
別に隠し事がある訳でもないし大した理由もないのだけれど、
何となく干渉されたくなかったのです。
子ども達も大きくなり、家族揃って外出する機会も減ると、
わたしは土曜日も自分の時間として使うようになりました。
前にも書いたように、詩や短歌の集まりに行ったり、
野鳥の会や、難病の子を守る会の例会など、、、。
ときにはその口実で、男友達と会ったりもするようになりました。
その結果としてわたしは夫の不信をかい、今は『自由度も制限有り』、
と感じています。
彼とも一ヶ月に一度だけ、土曜日に逢っていたけれど、
今は叶わなくなりました。
その点、『ちょっと出かけてくる』とか『今日は遅くなる』と
簡単に言う夫に、不公平を感じたりもします。
わたしは例え外出しても、必ず、夕食の支度をしに帰宅しました。
彼とゆっくり食事したことは一度もありませんでした。
今、土曜日は夫のためにあります。
土曜日と2回ある日曜休みは完璧に空けてあり、夫婦(ときに次女も)
で一緒に過ごします。
この閉塞感というか、拘束されているような感じに馴染むときが
来るでしょうか。
自由にしているように見える夫にイライラせずに接することは
出来ているつもりでも、鬱屈した何か、は蓄積しないでしょうか。
それは夫からの信用を取り戻すためなのだけれど、
どこかに無理があるのは否めません。
だから、結婚した当初から『今日は何するの?』と
出勤前の夫に聞かれるのが嫌いでした。
別に隠し事がある訳でもないし大した理由もないのだけれど、
何となく干渉されたくなかったのです。
子ども達も大きくなり、家族揃って外出する機会も減ると、
わたしは土曜日も自分の時間として使うようになりました。
前にも書いたように、詩や短歌の集まりに行ったり、
野鳥の会や、難病の子を守る会の例会など、、、。
ときにはその口実で、男友達と会ったりもするようになりました。
その結果としてわたしは夫の不信をかい、今は『自由度も制限有り』、
と感じています。
彼とも一ヶ月に一度だけ、土曜日に逢っていたけれど、
今は叶わなくなりました。
その点、『ちょっと出かけてくる』とか『今日は遅くなる』と
簡単に言う夫に、不公平を感じたりもします。
わたしは例え外出しても、必ず、夕食の支度をしに帰宅しました。
彼とゆっくり食事したことは一度もありませんでした。
今、土曜日は夫のためにあります。
土曜日と2回ある日曜休みは完璧に空けてあり、夫婦(ときに次女も)
で一緒に過ごします。
この閉塞感というか、拘束されているような感じに馴染むときが
来るでしょうか。
自由にしているように見える夫にイライラせずに接することは
出来ているつもりでも、鬱屈した何か、は蓄積しないでしょうか。
それは夫からの信用を取り戻すためなのだけれど、
どこかに無理があるのは否めません。