その日からまた、わたしは娘の病院へと通うようになりました。
バイト休みの日、時にはバイト終わってから、、、。
彼女の受けている衝撃を思うと暗澹たる気持ちでした。
母親としてみれば、語弊はあるけれど《普通の女の子のように》、
青春をエンジョイして欲しい、いずれ結婚したときには出産も出来る、
と大きな(けれど当たり前の)期待を持った手術だったのです。
理由や原因のハッキリしない拒絶反応は、
想像以上に辛く、受け容れがたいものでした。
それでも娘はどうにかしてその現実と向き合っていました。
非常手段として首にカテーテルをさし、そこから透析するようになったので
首にはいつもカテーテルが刺さったままの痛々しい姿になりました。
誰かの見舞いに病院に来た子どもに怖がられたりして、、、。
でも許可がでればそのままコートを羽織り病室を出て散歩にも行っていました。
好奇心や同情の眼差しには慣れてしまうほど、
いろいろな体験をして来たのだと思います。
でも、そのこともあって、あの透析施設には二度と戻りたくないと
言っていたのでしょう。
そうやって、わたしが夫と話し合う約束をしたわたしの誕生日は
過ぎて行きました。
その日は日曜で、わたしは血のついてしまった娘のカーディガンを
洗いながらぼんやりといろんなことを考えていました。
茶色く汚れて行く水の中に手を浸し
洗面所の鏡に写る自分に「これから、どうするの?」
と聞いていました。
バイト休みの日、時にはバイト終わってから、、、。
彼女の受けている衝撃を思うと暗澹たる気持ちでした。
母親としてみれば、語弊はあるけれど《普通の女の子のように》、
青春をエンジョイして欲しい、いずれ結婚したときには出産も出来る、
と大きな(けれど当たり前の)期待を持った手術だったのです。
理由や原因のハッキリしない拒絶反応は、
想像以上に辛く、受け容れがたいものでした。
それでも娘はどうにかしてその現実と向き合っていました。
非常手段として首にカテーテルをさし、そこから透析するようになったので
首にはいつもカテーテルが刺さったままの痛々しい姿になりました。
誰かの見舞いに病院に来た子どもに怖がられたりして、、、。
でも許可がでればそのままコートを羽織り病室を出て散歩にも行っていました。
好奇心や同情の眼差しには慣れてしまうほど、
いろいろな体験をして来たのだと思います。
でも、そのこともあって、あの透析施設には二度と戻りたくないと
言っていたのでしょう。
そうやって、わたしが夫と話し合う約束をしたわたしの誕生日は
過ぎて行きました。
その日は日曜で、わたしは血のついてしまった娘のカーディガンを
洗いながらぼんやりといろんなことを考えていました。
茶色く汚れて行く水の中に手を浸し
洗面所の鏡に写る自分に「これから、どうするの?」
と聞いていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます