羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

誕生日

2005年08月01日 | Weblog
その日からまた、わたしは娘の病院へと通うようになりました。
バイト休みの日、時にはバイト終わってから、、、。
彼女の受けている衝撃を思うと暗澹たる気持ちでした。

母親としてみれば、語弊はあるけれど《普通の女の子のように》、
青春をエンジョイして欲しい、いずれ結婚したときには出産も出来る、
と大きな(けれど当たり前の)期待を持った手術だったのです。

理由や原因のハッキリしない拒絶反応は、
想像以上に辛く、受け容れがたいものでした。

それでも娘はどうにかしてその現実と向き合っていました。
非常手段として首にカテーテルをさし、そこから透析するようになったので
首にはいつもカテーテルが刺さったままの痛々しい姿になりました。
誰かの見舞いに病院に来た子どもに怖がられたりして、、、。
でも許可がでればそのままコートを羽織り病室を出て散歩にも行っていました。

好奇心や同情の眼差しには慣れてしまうほど、
いろいろな体験をして来たのだと思います。
でも、そのこともあって、あの透析施設には二度と戻りたくないと
言っていたのでしょう。

そうやって、わたしが夫と話し合う約束をしたわたしの誕生日は
過ぎて行きました。
その日は日曜で、わたしは血のついてしまった娘のカーディガンを
洗いながらぼんやりといろんなことを考えていました。
茶色く汚れて行く水の中に手を浸し
洗面所の鏡に写る自分に「これから、どうするの?」
と聞いていました。

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