羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

母と娘

2012年04月11日 | Weblog
昨夜は日頃思っていたこと(いわゆる本音)を思い切って吐露してみたら、
スッキリしたけどサッパリ眠れなくなった。
1時過ぎに眠剤も飲んでパッタリ寝るつもりだったのにいろいろなことが
思い浮かんで脳が覚醒して、結局イヤフォンで好きな曲を聴きながら
3時頃まで静かにしていた。

コメントもいただいたように「母と娘」というのは避けがたいテーマなのだと思う。
「母が重くてたまらない」(信田さよ子)という本もベストセラーになった。
タイトルに怖気づいて未読だけれどいつかは読んでみたい。

母との葛藤は普遍的かもしれないけれど客観視することができるなら、
すこしはラクになる。
渦中にいても一歩ひいてみることができればいいと思う。

幼児、わたしは可愛げのないのろまな女の子だった。
少ないモノクロ写真ではほとんど笑っていない。
ボーっとしているかカメラを睨んでいるかよそ見をしている。
そのぶん兄が、満面の笑顔でその場を補っているようにみえる。

母にとって、そういう娘は扱いにくいコドモだったろうか。

あまりそういう話をした記憶がない。
いくらか成長をして思春期も過ぎ会社員になった頃は母とジグソーパズルに夢中になった。
二人で次々とパズルを仕上げた。
パズルで作った写真の場所に行こうと二人で奈良へ旅行したこともある。
結婚をする前、とにかく旅が好きだったわたしは母を伴って津軽へも倉敷にも行った。

だから、仲が悪かったかといえばそれほどでもないと思う。
わたしもオトナになって、母を「考え方の違うひと・理想とは異なる女性」として
とらえていたことだけは事実だった。

こうしてブログという手段で行状を書いたり公表しちゃったりできるから、
「逃げ場と息抜き」があると考えて気をラクにすればいいかもしれない。

友だちとこういう話はあまりしないけれど、
「介護の先輩」のあるひとからは同じような話を聞いた。
そう、立ち場の逆転。
ずーっと負け戦だったのにある日ふと相手(母親)が戦線離脱してしまったと・・・。
いつの間にかじぶんが母の保護者になっていたと。

タクシー往復や病院で、すみません、ありがとうございます、よろしくお願いしますと
無言の母に代わってわたしが先に立つ事はごく自然の成り行きではあった。

母がディサービスに行くときは、
「一緒に来てくれないの?」と何度もわたしに訴える。
スタッフに声をかけてもらってようやく車に乗ると一生懸命に手を振っていて
なんだか可愛い。
さて母がいない間はどうしているかと時計を見ながら気にかかる。
帰りの時刻が近づくとそわそわして落ち着かない。
昔、学校に入った娘が心配で帰りの時刻になると外で待っていて
待ちきれなくて学校方向に歩いていったことを何度も思い出す。

でも母は幼いコドモではないし成長過程を見守る立ち場の「保護者」は全く違う。
焦点はそこにある。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
童心・・? (すみれこ)
2012-04-16 23:12:45
ああ、もう小学生ですか・・・!
さゆさん、妹さんお元気で育児を頑張ってこられましたね。体調も安定されているのでしょうか、、、本当に良かったです。ご入学、おめでとうございます。
うちの母は童心に返ったかのように見えるときもあれば
「コドモ扱いされた」と怒るでもなく嘆息することもあり『プライド』ということを考えさせられます。接し方はホントに難しいですね。
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駄々っ子。 (さゆ)
2012-04-16 06:41:44
甥っ子がこの春はやくも小学生になりました。
母があれ??と子供がえり?のような変化をみせはじめたのは妹が母の元に里帰り出産し、赤ちゃんとふたり、自分の家に戻ってしまったあとからでした。一人暮らしだったのに、急に育児の手伝いで忙しくなり、可愛らしい孫との日々が余程楽しかったのでしょう。それが無くなりやる事が少なくなって。。
そんな母の異変を妹と話しながらのここ数年、まるで良(名前^^)とそっくりだね!と共通点いっぱいでした。我が儘だったり感情むきだしだったり。「母」族にも、年相応にどんどん成長していただいて「親(←娘)」をほっとさせて欲しいですよね。
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はい (すみれこ)
2012-04-15 12:22:29
さゆさん、こんにちは。
もちろんそうだと思います。
どんな些細な事柄も「積み重ねの学習体験」だと思います。
現状としては実質的にわたしが先導しなくてはならず行動面からいえばやはり「保護者」そのものですが。。
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不思議な感覚 (さゆ)
2012-04-14 23:16:24
>いつの間にかじぶんが母の保護者になっていたと。

確かに母を護る立場になったと思うのですが、今お話を読みすすめている時、でもでも私の場合は、護るよりその何倍も何倍も母にまたもや育てられている。。と考えていました。
イライラ四苦八苦するという事は、試されているという事でもありますよね。簡単に出来るなら余裕の笑顔でいつもいられるはず。まだまだ私たちは子供で、母に育てられているのかもしれないな。。と。
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