羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

継続

2015年02月12日 | Weblog
べつに忘れていたわけでもない。
書くことがないというわけでもない。
おそろしく多忙だったわけでもない。
パソコンもスマホも毎日使っている。

このブログを書き始めた10年くらい前は
書く理由がハッキリしていた。

そうだ、10年もの歳月が流れていたのだ。

ふと今見たら昨日のページビューが581となっていたので、
どなたかがふと興味をもって過去へとさかのぼっていただいたことが
わかる。
こういうことは時々ある。
更新していないのに三桁の数字が一夜のうちに出現するとき。
どなたかが、何かの理由でここに来てくれたのだ。

無邪気に毎日ブログを綴るのもたぶん楽しい。
書くことは苦にならない。
そこに大きな意味はなくささやかな「趣味」みたいなものだ。

「趣味」ならべつに真実や真意や内実にこだわらない。
継続も中断も自由である、と当たり前のことを思う。


「三鷹ネットワーク大学」、以前にもひとつ受講したことがあった。
今回「小説巡りのツーリズム入門」という連続講義が始まっている。
仕事を終え、家事をすませ、夜になってから授業を受けに行く。