羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

夏休みの宿題

2011年08月19日 | Weblog
「今年こそは出す」と去年も言った、
たしかに言ったのに実行できなかった気持ちが片隅にあり、
夏の真ん中に「今度こそ宣言」を長女とした二人誌「薄紫の冬桜」。
このままではマボロシになってしまうのでまだ創刊号を読んでいただいた方の
記憶に多少でもあるうちに二号を発行しようと決意した。

「もう帰るところはありません」という詩集をだしたとき、
一冊分のファイルの取捨選択を松下育男さんに見ていただいた。
「これでいいと思いますよ、残りはまた次の詩集で出せばいいんです」と、
笑顔で言ってくださったことが嬉しくて安心もした。

そのファイルはそのまま松下さんがお持ち帰りになったので、
未発表の作品は古いフロッピーにそのまま眠っていると思う。
眠っているこどもたちを置き去りにしたような気がして、
あらためてどこかに発表しようかと思うこともなくはなかった。

そしてすこしのときが過ぎ、「薄紫の冬桜」創刊号でまた取捨選択。
ときどき思う。
捨てたわけではないのだけれど、
捨てたようにそのままになっている僅かな詩、、。
ひろい集めてみよう、そして新作がなくても「薄紫2号」にしてみては?
と思ったのが浅はかだった。

パソコンの中に2~3年前の詩を探す。
散在していてなかなかない(ふつうはドキュメントにまとめておくだろうに)。
ワードはごちゃごちゃしていて二台のパソコンに混在している。
どこかで何かを書いた気がして探して見つけてみると、
詩のかたちはどうにかしていても、なんというか推敲もしていないし、
緊張感?もなく、、「全然ダメだ」と落胆した。

ブログの中で書いていたり、ふと言葉のカケラを書き留めたりしたものが、
すこしだけ見つかってそのたびに自信喪失した。
唯一、年に一度だけの発表の場「灰皿町」に投稿したはずの詩が何故か見つからない。
サイトでもアンソロジーの更新はなくてさらに行方不明。
たしかに一年に一度は投稿しているので、ないとなると探す。
まさか管理人の清水さんに「わたしの詩を教えてください」という訳にもいかない。

ダメだと思いながらも稚拙なりにまとめておこうと考える。
これは無名の詩人の自尊心なのか。

ノンフィクションの詩なんてないんだよ、そういう読み方をされることへの壁。
だけどいっぽうで、柔軟に受け取ってくれる方たちもいる。
じぶんのこころと作品に向き合う夏の午後。

夏休みの宿題。