まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

緊急入院

2014-04-08 | 暮らし

わたしが保育園へ孫を迎えに行って帰ってくると、旦那が真っ白な顔をして「下血をしたので、早退して〇下先生に診てもらい紹介状を書いてもらったので、明日市民病院へ連れて行ってほしい」という。この頃は、癌が骨にまで転移しているので、腰も痛いのだ。下血は大腸癌か?旦那に覚悟は決めといたほうがいいよ、分かった時点で治療に向かうんやから大丈夫と言い、検査もあるので食事をせずに休むわと言っているところへ、娘が子供たちを迎えにきた。

「わーーお父さんの顔、真っ白や。」と、驚き容態を聞いて、子供たちにじいじがつらいんやから静かにしなさいと言いながら帰って行った。

食事の支度を終えたころ、旦那が2階の寝室へあがると言うので付き添った。ソファから立ち上がったとき、緩めていたズボンが下へ落ちたので、どうせパジャマに着替えるのだからと脱がせたときに、すでに足も上がらないくらいで、わたしにつかまって脱ぎ、居間のドアのところでふにゃっと沈み込んだ。なんとか私の肩に手を回し階段のところまで行ったが足があがらない。

階段の手すりにつかまってもらい「下の座敷に布団を敷くから、2階へあがらんとこう」と、声をかけ座敷に向かおうとしたら、廊下に血がぽたぽた落ちた。急いでタオルを取りに行って戻ると、牛乳パックをぶちまけたくらいの血が廊下に広がったので、もう救急車しかない、40キロの私が80キロ近い旦那を支えられない。

婆さんに、「お父さんが大変やから救急車を呼ぶから」と、言って旦那のそばにいてもらい、バスタオルを2,3枚持ってきて渡す。

娘の携帯を呼びながら、119を回し両耳に電話を当てて、救急の人との問い合わせに答えていく。娘は「もしもし?」と、言ったがさっき家に寄っていたので様子を察知してくれた。119を切ると同時に娘の電話も切って、下着とパジャマを急いではかせてタオルを当て、上も羽織らせる。律儀に旦那はワイシャツを脱ごうとするので、そのままでいいからと促しているうちに救急車到着。タンカを廊下に置いたが腰の痛い旦那はしゃがめないことを隊員は知らない。急いで柔ちゃんみたいに旦那の下に潜り込んで一緒にしゃがみこみ何とかタンカに横たえ、隊員に運ばれ、玄関外に待機しているストレッチャーに乗せられた。付き添って救急車に乗り込んだが、血圧が90と50から80と45とか言っているのを聞きようやく事の重大さに心配になってきた。毛布から出た足は冷たく質問にしっかり答えてはいるものの顔面蒼白。救急隊員で真っ先に入ってきて対応してくれたのは女性だった。てきぱきと支持し、保険証、薬の手帳をかばんに入ればたばたとしていたので、心配は後回しだった。

病院の夜間入口から待合室に入り待っている間、看護士があちこちと走り回っている。もうひとりの娘に連絡したら、すでに連絡を聞いていてすぐに来てくれる。外科の先生の「輸血はまだか・・」という声に、万が一の時にAB型は誰だったかとぼんやり考えていた。検査、CTと造影剤の承諾書など書いて待っているうちに11時過ぎていた。集中治療室に入ってからやっと対面。頬は赤みが差し、血圧は正常。「ようやく血圧も安定しました」と看護士。本人はにこにこして冗談までいうほどになった。

先生の説明を聞くと、腸内からの血が止まらず、カメラを入れたところは異常がないので、CTによると、上のほうと思われるが、止まらなければ手術も考えるとのこと。婆さんに連絡すると「それじゃ鍵かけとくね」と、言われ、待ってくれ私は鍵を持っていない。「開けといて・・」婆さんは、旦那の入院に私が付き添うと思ったのだ。息子の惨状を見たら今日は帰れないと思ったのもやむを得ない。まさか、ほっぺを赤くして冗談をいうまでになったとは考えにくい。

先生や看護士や救急隊員のみなさんのお蔭だ。仕事とはいえ、ほんとうに頭が下がる。

後で、考えると2階に上がっていなくて良かった。ズボンを脱がせていて良かった。真夜中で寝入っていなくて良かった・・と、しみじみ思うところだった。

 

 


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