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まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

いないいない

2024-05-26 | 弓道
木曜は大会のため金沢へ。
土曜は仕事。日曜は会議のため8時40分出発し金沢へ。
しあさっては、授賞式のため県庁へ。
今日の帰りは4時過ぎていて、車で大の里の取り組みを聞きながら、優勝の瞬間じわっと泣けた。
こりゃ、御父上も泣けて当然だわ。石川の星だわ。
そんなことを思い、いつも相撲を観ていた殿がいたらこの優勝を喜んでいただろうと思った。
そして、殿がいたら、相変わらず家内はいないと言うだろうな。

この前、昔のブログをたまたま見たら、娘がコメントしていた。
「いないいないばあ(婆)」って。
もう、家内と呼んでくれる人がいなくなったので、呼ぶときはこっちかい。

庭のバラが咲き乱れたので、花を摘んで風呂に入れた。
王女の気分だ。名前を変えよう。バーバラ。
婆バラ!




良否の結果が翌日に出る

2024-05-24 | 弓道
最近、顕著に稽古の善し悪しが翌日身体に出ることが分かった。
朝起きたら、両手首がしびれていたら、前日の稽古で手首に力が入っていたと分かる。
押手の中指がばね指のようになっている時は、中指で弓を握り過ぎていたことが分かる。
水曜に16射したら、なんと2中しかせず、外れた矢に中てたり、的枠をたたいたりして、おかしい・・変だ・・これはあんまりだ・・中らないにもほどがある・・となって、それ以上引くのを止めた。
すると、翌日、異常に首から肩にかけてパンパンになっていた。
よほど、肩と首に力を入れていたようだ。
ひとり稽古をして深みにはまると、積み上げたものが一挙に崩れていく気がする。
いや、もともと何も積みあがってはいないのかもしれない。
さて、パンパンになった日、「ゆーりんピック2024弓道交流大会」である。
9ボーダーのわたしは、完全なる仲間入りなので、加賀市の仲間と一緒に出場した。驚くべきことに、若いと思っていた後輩が今年から仲間入りした。
60歳から出られるのである。
わたしが大前で中立は後輩のI君落ちは大先輩のK先生。
昨日、中らなかったので、ひたすら大きく引く努力だけをした。
結果、5中で女子3位を頂いた。試合の前の調子の悪さからは考えられないが、ここが弓道の怖さである。
その後の協議の結果、行けない方がいて、お鉢が回ってきて、I君もわたしも、鳥取米子のねんりんピックに出場が決まった。
メンバーにTさんもいて、石川国体のメンバーが5人中3人も入っていたのでこれもちょい笑えた。一体何十年前のことだ。
しかし、何十年前だからこそお年寄りの大会にいるのである。
石川国体は1991年であった。月日は矢よりも速く飛ぶ。
先輩に、「化けたらいい結果が期待できそうだ」と言われたけど、そう簡単に化けられるものではない。化けの皮は剥がれることはあっても。
いや、化けの皮が剥がれるためには、一旦化けなくてはならないのだった。
なんのこっちゃ。


文藝を読むー弓に関する文?

2024-05-22 | 弓道
「文藝」という雑誌に、深田久弥が「弓」という題名で短編小説を書いてあるのを見つけた。さて、どんな話しかと思ったら、馬飼いの乙女と、若人の話だった。弓は狩りとしての話だった。
旧漢字が読みにくく、わたしの読解力がないせいか、読後感はいまいちだった。思っていた弓に関するものではなかったが、気になっていたので読めて良かった。

しかし、もうひとつ気になったのが、表紙の「長谷川如是閑と折口信夫の対談」というのがあり、「長谷川如是閑」に反応したのである。
「古典」に関してのやりとりだった。
生き生きと対談している感じがあって、名前しか知らない人たちが、そこで生きているような感じがした。

長谷川如是閑は、明治8年生まれの評論家である。
弓道人なら持っている「弓道教本第一巻」に名文が載っている。
折口信夫(おりぐちしのぶ)は、民俗学者で国語学者。



昭和28年初版発行の弓道教本は、表紙の色が変わっても基本的に内容は殆ど変わっていない。
なので、長谷川如是閑の文章は、これだけの改訂、改版と変遷を経ても変わらない。
「日本の弓の尊崇性」に、「礼の美」という著書の中で、弓の美しさを称賛している。教本の中では「礼讃している」と、ある。
的確な文章でほれぼれする。
けれど、若い人には「その人、誰??」という感じだろう。
また、弓を女性的というところで、どうなんかなと思う人もいるかもしれない。

さて、弓や矢の種類にカーボンや、アルミとかの弓具が出てきた現在に、このほれぼれする文章を理解してもらうにはどうしたらいいのか。
今どきの高校生に、竹弓の美しさを述べても本物を触っていないので、改めて見せても、そういうのがあるんだ‥という感じだ。
わたし達は、入部してすぐ弓矢の各部の名称を覚えてテストまでされた。
先生より先輩の言うことの方が大事だったので、授業そっちのけで覚えた。
そういう私も、今は悲しいかな、覚えたはずの節の名前を口にしなくなったので、とっさに出てこなくなった。


色的で遊ぼう

2024-05-11 | 弓道
土曜の夜は、みなさん家族との団らんの夜かもしれない。
稽古に来たのは6人で、各自持ち的みたいになっていた。
静かに稽古をしていて、結構矢数を引いたので、「久々にあそぼー」と、Oさんに色的をやろうかと言うと、「いいですね」
と、なって、みんなで順番のじゃんけん。
自分で色を決めて、そこに中たると2点。真ん中の白は3点。
黒はマイナス点。
一時期、稽古の終わりにやっていて、点数を足していたけど、弓道教室や審査の稽古をしなくてはならないので、邪道のようなことは控えていた。
でも、小さい的もやってみよう。楽しもう。
結果。黄色を選んだわたしの矢は見事黄色に的中。
狙って引いているものの、離れでどこへ行くか分からないので、まぐれではあるね。
Oさんも水色に的中。
平和で楽しいひと時。
世界のあちこちで戦争があり、災害があり、こんな風に遊んでいられることは、なんとしあわせなひと時であることか。



帰りの検証

2024-05-08 | 弓道
さて、そそくさと帰り支度をして、タクシーで京都駅まで行く。
運転手から、どちらから?と、聞かれて、加賀市からというと、自分は越前海岸ということで、話は電車が前より不便になったともらすと、昔は福井から京都まで9時間かかって、トンネルでは窓を閉めなくては真っ黒になりましたよ~と、昭和のど真ん中ではないね。
どうも、戦時中にお生まれになった気がする。

さて、娘たちにお土産でも買って、ゆっくり帰ろうかと思ったが、すぐにサンダーバードがあるので乗ることにした。
よくみると、今度は敦賀での乗り換え時間は8分しかない。
またまたエレベーターを利用しようと思ったが、アナウンスで
「エレベーターは、小さなお子様お連れの方、ご高齢の方・・ご優先で・・」とのことで、少し控えめに乗れたら乗りましょうと思ったが、ご高齢ではないと自分では思っていることに気づいた。


関西から石川県の電車は余裕があるように思えた。
ぎりぎりに切符を買っても、新幹線も特急も、弓の置ける端っこの席は空いていたからだ。
敦賀の乗り換えで、行と同様、扉が開くと前にエレベーターがあって、すっと乗れたので、今回は乗り換え4分と時短更新。
エレベーターに乗らずに、速足で歩かずにいたらどれだけかかるのかは分からないが、緊張感のある駅だ。

帰ってからニュースで、京都駅に不審なリュックが置かれていて、駅構内が閉鎖され、86,000人に影響が出たとのこと。
もたもたしていたら、危ないところだった。
さっさと帰るに越したことはない。

ちなみに、連休中の関西から北陸のサンダーバード、しらさぎの利用は減少したということだ。能登の地震の影響と「北陸応援割」の期間外となったことによるとはいうものの、東京からの客は多いというのだから、やはり乗り換えの不安ってあるかもと思う。
金額が高くなり、到着時間があまり変わらないことも要因の一つと思う。


昇段審査 京都

2024-05-06 | 弓道
5月5日。
聞法会館、朝食バイキング付きで10,300円。
お手頃のせいか、家族連れでいっぱいだ。
翌年の予約をしたいという女性客とフロントがもめていた。
事情があって予約は出来ないらしい。
わたしも前は殿と翌年の予約をして帰っていたが、今は自分も家族も状況が変わるので、その気にならなくなった。

ホテルにいるのも落ち着かないので、タクシーで8時半に出発。
「この時間はすいてるから助かる」と、運転手は言う。
バスは弓を持って入れないと友達から言われた。
確かに、他の人の迷惑になるので使わない。
しかし、みやこメッセに到着してがっかり。
「武道センターの使用はできません」と、貼り紙が日程表の横にあった。
ここで、完全に気持ちが萎えた。
ゆっくり弓を引きながら、出番待ちすれば、澄ましもできるかと。
変に時間が空くくらいなら、日帰りでも良かったのだ。
みやこメッセの前の、蔦屋書店でコーヒーを飲み、少し散歩してこいのぼりを撮っていたら「おかあさん、撮りましょうか?」と、50歳くらいの女性から言われ、つい返事して撮ってもらったが、おかあさんかぁ、おばあさんでなくてよかったと思った。




しばらく、審査の様子を見てから出番を待ち、早めに第三控に入った。
午後一番なので、3階の方がエアコンも効いていてよかった。
観覧席通路ではない控の場所は、関係者以外立ち入り禁止のはずだが、静かに待っていると、つかつかとわたしの前に私服の50過ぎくらいの少し変わった男の人が来て、「姉ちゃん!!がんばって」と、言われた。
5人の立ちは男の人ばかりだから、ねえちゃんは私だけだが。
明らかにおかしいが、わたしはついはずみでうなづいてしまった。
後ろの方が「お知合いですか?」と、聞いたので
「いえいえ、全く知りません。びっくりしました」
「姉ちゃんって、言ってましたね」
「はぁ‥笑えます」朝はお母さんと言われたな。と、声をかけられやすい隙があるのか?武道で隙があったら命とりだなあ。

とりあえず会の5秒は伸びることが出来、弓もいい具合にくるりと返ったが、矢は11時の所に外れた。乙矢は、やや会が足らなかったが的中したが・・。
まだまだ駄目だなあと思うし、七段など及ばないとは思うのだが、目標への気持ちは絶やしてはいけないと思っている。



控え室で同じテーブルの方が、長崎から来られたそうで、高校の部活の顧問になってから弓道を始められたとか。素晴らしい!!
もう、後期高齢者です・・と、笑っておられたが、この頃は先生も忙しく、経験者でない先生が、弓を始めるなどは考えにくい。
わたしは、高校から要請されて部活に顔を出しているけれどと、話しながら「捲土重来で!!」と別れた。
いい言葉だよね!!
そのためには、もっと力をつけて帰ってこなくてはならない。
同じことの繰り返しでは、つまらない京都一人旅でしかない。

加賀温泉から新幹線

2024-05-04 | 弓道
加賀温泉から新幹線に乗る。
どこか知らない街の駅みたいだ。
待合室は新幹線の改札を出たところにある。
連休中なので、駐車場の心配もあって早めに着いたが、売店もないし寂しい。



初めて京都へ行くわけではないのに、乗り換えが心配で前泊し、のんびり新幹線の旅でもと出かけた。
切符は1枚にまとまっていて楽である。
敦賀での乗り換え時間は12分なので、たぶん余裕だ。


弓を建てて置けるように、座席指定は隅っこに。


しかし、京都へ行くのに新幹線を利用するのは必要なのだろうかと思う。
後輩は、新幹線に乗らずハピラインとJR新快速で行ったそうだ。
湖西線山科駅で乗り換えて混雑を避けてとのこと。
わたしは、とにかく新幹線体験せねばと乗ったが、落ち着かない。
いつもなら、乗ってから文庫本を読んでゆったりと行けるのだが、少し読んでいると30分で敦賀に到着だ。
弓があるので早めにデッキに出る。出たらすぐにエレベーターがあって助かった。2階で降りて改札を通り、床に行き先が書いてあるのと、係員の誘導のお陰でスムーズにエスカレーターに乗り1階まで降りる。
おかげで、着席までに5分。サンダーバードで小一時間で京都到着。
どうしても、行かなくてはならないから京都へ向かうが、車で行く方がいいかもしれない。
これでは、電車で関西から石川県へ来る観光客は減るだろう。
仕事をしていても、来館者が関西からが多かったのに、最近はぐっと減ったような気がする。
京都へ早めに到着し、西本願寺まで歩いて25分かかった。





ザックは重いわ、暑いわ。ホテルに荷物を預けて昼ご飯を豪勢にと思って四条の方へ向かおうとしたが、暑い。夏やん。
後で知ったが、この日、加賀市が全国一番暑かったらしい。33℃って。
京都も暑かった。日傘で歩く人が多く、わたしは歩くのに危険を感じて、地下鉄にもぐった。
しっかり冷やした魚を、あぶって、冷やして、かつおのたたきみたいな気分だ。と、言ってもたたきになったことはないが。

みやこメッセに向かって、武道センターで稽古をする手もあったかもと思いつつ、暑さに負けて気力もなく。
明日、早めに行って稽古しよッと、楽な決断をして、この後、だらだらひとり旅。







夜桜 お花見

2024-04-06 | 弓道
弓道仲間と弁天さんにある公民館で恒例の花見の会。
本来なら講習会だったのだが、2週間前義母の容態が心配で取りやめた。
ドタキャンをするのもどうかと思って早めにキャンセルしたが、幸い良くなってきて、夕食の準備をして花見に出かけることができた。
久々に飲んで弓道談義を熱く語っているみんな。
さて、何をどう熱く語ったのか、酔いが醒めるとすっかり忘れている。
ただ、到達できないからこそ続けていくことが出来るのだと言っていたような。
少しずつ上っているようで、迷い込んでいるようなところがある。
それでも、みんながそのことだけで延々と語れるというしあわせ。
延々と聴かされる者はお気の毒。


わたし達はここを、弁天さんと呼んでいる。
毎年、同じ所で花見をするが、毎年同じ花を愛でているわけではない。
今年の桜は、今年しか見れないし、必ず次の歳は年を取っている。
桜の木も年を取っている。
若いままでいたかったら、若いうちに死ななくてはならないと、寂聴さんがおっしゃっていたっけ。
今いることに感謝する。
そばにいる人々に感謝する。





不思議の中り

2024-03-30 | 弓道
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
と、故野村克也監督がおっしゃっていた。
もともとは、長崎県の平戸藩主であった松浦静山(1760~1841)の言葉だそうだ。
さて、中りも同様で、まぐれ中りがある。
外れは、原因は明らかだ。
最近、中っても先輩に、「それで中るのはいかん!!」と、指摘される。
離れ際に、緩んでいるのだそうだ。他人事のようだが、自分では最後まで必死に引いているつもりなのである。
なので、この刹那のところが、悔しいというか微妙というか。
おまけに、殆ど稽古日は休まないのに、コロナのために10日間道場へ行かなかった。
たぶん筋力が落ちて、まともに引けないのではないか。
久々に上る階段。武道館の3階にある弓道場に到着すると、息切れしてしんどかった。
力が入らないので、かえって良かったのか皆中した。
あれっ?骨で引くってこういう感じなのか?
それとも、まぐれなのか?欲がなくて、中てようという小賢しさがないからか。


不思議の中りだったようで、稽古を続けると外れだした。
また、次の日、始めの6射5中した。
だが、やはり最後のところで緩んでいるようだ。
手首に力を入れないことは大事だが、全部抜くことでもない。
妻手がそのまま飛んでいくといいのだが。

先日、「ヒューマニエンス選」で、運動を司る小脳は、失敗を忘れることで上達するのだという。
忘れるから、上達するって・・。
積極的に忘れなければ、高度な技を身に着けることが出来ないのだそうだ。
運動学習は、失敗をしてエラーが出たら、その動きを捨てるのだそうだ。
弓は、毎回その動きを捨てているのか。
固執したり、そうしないように努力したりしていないか。
失敗したら嫌だと思うことが、失敗を導くような、そんな訳の分からないことを考えていないで、弓を引くべき。
「忘却は記憶の強化」というのも気にいった。
この頃は、忘却を許す毎日だ。
都合の良いように理解し自分を許す、この甘さが、生き抜く力となる。
完璧だと、小さなしくじりに心折れるのだ。
きっと、わたしは長生きするタイプだ。





花束贈呈

2024-03-27 | 弓道
正月の地震のために、県の祝賀会も、県庁の表彰式もなくなった。
それでも、会議の前に花束を頂くことが出来て、なんとありがたいことか。
おまけに、たくさんの方々が贈呈される中で、Yちゃん直々に手渡されて、感慨深いものがあった。
夫の余命を知らされて、半泣きで真っ先に電話したのはYちゃんにだった。
そのことが頭によぎって、じわっときた。
夫婦ともどもよく知っていて、お世話になった。
乗り越えられたのは、皆様のお陰様だ。
そして、ひそかにこのブログを覗いてくださる友達の皆様。

そして、なんと八重の百合が素晴らしい。
一週間経って、開いた花が豪華でびっくり。
「花粉がないんだよ」というので、よく見ると、確かに百合独特のおしべの花粉がない。
初めてみた!!
お陰様で、50年も弓を引き続けて、さほどうまくもならず、日頃の的中は奥ゆかしい。

ところで、県知事の表彰は地震で延期というのだが、会長とMちゃんと3人で、本当に表彰されたのか、表彰状も発表もないまま今期はもう終わってしまう。
別に、県庁へ出向かなくても、地震の対応も大変なので、それどころではないのなら、郵送してくれてもいいのにねと話していた。
新幹線開通の日は、加賀市へいらしていたので、地震だけではなく大忙しではありますね。
森元総理も見えていたので、そりゃあ大変ですわね。
何はともあれ、花の美しさに心癒される。






女子大会 結果

2024-03-10 | 弓道
大会は2射して、束ったら予選通過である。
石川県から14人参加し通過は2名。
最終的にS先生5位入賞。
さすがの実力だが、先生なら優勝も夢ではないはずだ。
しかし、腕に覚えのある方ばかりが揃う称号の部。ここを突破するのは、よほど強い心持ちか平常心のなせる技。

わたしは、頭ひとつ違うのではないかという背の高いに選手に前後挟まれて、おまけにお二人とも立射と言われ「大丈夫ですか?」と、問われ、小さいわたしは「大丈夫です。勝手にすわって、勝手に立てばいいですから」と、答えると、回りの方から笑われてしまった。
実際、3人の真ん中の小さいのがひとりで、立ったり座ったりしていても、前から見えないのではないかと思えて、いっそ3人一緒に立射にしてもいいくらいだと思えた。けれど、流れも良く落ち着いて引くことができた。

甲矢は的中し、ことのほか大きな音がした。乙矢は残念にも左上にそれてしまった。
たった2本引くために、遠出をしたが、富山の方や福井の顔見知りの方々と会うことが出来るのも楽しみのひとつだ。

帰りの時間が気になり、弓を持っているので、乗り換えを少なくするために、ちょうどよい電車に乗りたくて帰ることにした。
しかし、その後が大変だった。    
 
新幹線止まる に、続く。

全日本女子弓道大会(中日本の部) 藤枝

2024-03-09 | 弓道
石川の震災があった後、大会開催の静岡県からのお知らせで、中止せずに「復興支援大会」として開催しますとのこと。
例年愛知県のガイシスポーツプラザであるのだが、改修工事とかで、4年のコロナ中止の時を経て、藤枝市の静岡県武道館で行われた。

出発から寒く、米原では横殴りに雪が降っていた。静岡の天気は晴れというが風が冷たかった。

加賀温泉駅前は相変わらず日々の変貌を遂げている。
もう、新幹線開通までに一週間だ。
狭い駐車場、ゴーカート場みたいに、走路がくねくね作られているが、どのように変わるのか。
新幹線開通には、あまり期待感がない。
わたしの行動範囲の、名古屋、京都へ行くことが難儀になるからだ。




前日の代表者会議で、石川県として、状況報告と開催に感謝の言葉を述べた。
皆さんが、頷きながら聞いて下さっているのに心打たれた。

夜は小松の方たちと居酒屋へ。
藤枝の駅はイルミネーションが美しい。
しかし、人はそんなに見えなくて静かだ。そして、やたら寒い風が吹く。
明日はどんな風が吹くのか自分の中に。





妻手 勝手

2024-03-01 | 弓道
持つべきものは友。
「ネットに出ていたよ」とのこと。

「コトバンク」によると、妻手「つまて」
直角をだすための木工用の道具を古く中国では矩(く)といい,帯状の薄い金属板を直角に曲げた形に作ってあり,これに目盛をつけたものであり,かねざし,曲り尺ともいい,矩尺,鉄尺などとも書いた。長短2本の枝から成り,1尺2寸ないし1尺6寸程度の長さの長枝(ちようし)(長手(ながて))とその半分程度の長さの短枝(妻手(つまで))とから成る。と、言うことだ。

つまり、短い方が妻手なので、弓で引くところの曲がっている方を、妻手といい。呼び名は、馬手と同じにしたのだろうか。

AmebaブログのKenさんが、分かりやすく説明している。(抜粋)
妻手の他に、勝手の説明。
勝手は「箙から矢を刈る右手を刈手(かって)と呼びます。貞丈雑記巻之十一一〔武蕊之部〉 蔵王町刈田郡は「かりたぐん」とは言わず「かった」と呼び刈田岳は「かっただけ」です。
この刈手を勝手と表記するようになったのは,武士にとって勝利は重要で勝ち虫や勝栗のように縁起を担いだものと考えます。

その他、大変蘊蓄のあることが載っているので、興味のある方はそちらへ訪問ください。

妻手と勝手の謎解きが出来たので、箙なるものを探した。
載っているのは、なんと「福武 古語辞典」だ。
何とも、殆ど使った様子のない辞典である。娘が置いて行ったものと思う。
当然のことながら、昔の装束や、武具、馬具が載っている。
この箙には、ちゃんと弦巻がぶら下がっている。


余談だけれど、昔は戦闘で弓返りをさせないようにしていた。
回っていたら、次の矢を番える間にやられてしまう。だからと言って、時々向こう弦になるのをよしとするわけではないが、弓が返らないと昇段審査に受からないとすると、弓道の目的は何だろうと思ってしまう。
手の内が出来ていないという証が弓返りなのだけど、そこを習うのも教えるのも難しい。
だから、長く続けられるのかもしれない。
不器用な人ほど、長く続けられるのだと言われたことがある。
不細工と言われたら嫌だけど、不器用はそう悪くない。

めて かって

2024-02-28 | 弓道
先日の「右」の定義に、「弓を引くほうが右」を思い浮かべることが出来なかった。
わたくしとしたことが・・。コメントを頂いて気づいた次第で。
週に3回、必ず道場に行っているというのに。
弓を忘れた名人がいたけど、わたしの場合は迷人である。

それにしても、最近の高校生に「めて肘でしっかり引いて!」と、言ったらきょとんとされた。
「馬手に血刀、弓手に手綱」などと言っても、余計に分からないようだ。
わたしの言い慣れているのは、弓手(ゆんで)と馬手・妻手(めて)である。
いわゆる「押手」に対して「引手」のことなのだが。
押手というと、押すイメージがある。
弓手は角見が効いていたら、ことさら押さなくても、手の内が出来ていて、しっかり引いて、下筋が張っていればよいと思うのだが。
この辺の表現が難しい。それを、押すというのかもしれない。
手の内を決めたら、何もしなくてもひたすら引くと、自然と弓手は応えてくれて推すという感じになる。
口で言うのは簡単だが、その手の内が決まらないのである。
離れた後、向こう弦になっていて愕然とする。
つい力が入って、翌日目覚めたら弓手の中指がこわばっていたりする。
こんなとこに力を入れていたのか!と、その時分かっても次には違う問題が起きて、そんなことを何十年繰り返して、実のならない木のようだ。

昼休みに職場の辞書をつぶさに見た。
広辞苑(岩波書店)は、「右手 右の方、めて。」と、ある。めては、ひらがなである。
集英社の国語辞典は、「右手 右の方。めて・馬手」と、ある。
角川書店は「右手 右の手、また右の方、右側」だった。
ここで辞書では行き詰まる「めて」。

しかし、めては「妻手」とも書く。なぜ妻の手か?弓手が夫なのか?
弓手に従うからか?いや、先の説明では、めてが引いて弓手が応えるのである。やはり妻は重要なのか?
近所の散髪屋のおばちゃんが、「亭主のバカは隠せるが、嫁のバカは隠せない」と、言っていた。嫁がしっかりしていないと家は回らないという説である。
妻手を「勝手(かって)」とも言う。辞書にも、勝手とは「弓を引くときの右手をいう」とある。
何故勝手なのか?妻はお勝手を任されているからか。一生懸命張り合わせると、勝手に跳んでいくからか。
謎である。
「現代弓道小事典」では、「かって」とは、「弓手又は押手と称する左に対して、馬手・妻手と称する右手の事を勝手という。古くは引手といった。」
あらら、古くは引手?
謎は深まる。

何故そう言うのかは、諸説あるのだろうが、指導の際「ひきて」というより、「めて」「かって」のほうが、口から飛び出しやすい。

ちなみに、わたしの妻手は奥ゆかしい。勝手に飛び跳ねもせず、弓手に影響も及ぼさず。



弓仲間たち

2024-01-17 | 弓道
長い間、石川県で弓を引いていて、宝達志水までは殿が元気な時は、試合に出かけたが、能登方面は殆ど行ったことがない。
羽咋へは、遠いけれど講習会に頑張って車を走らせて出かけたけれど。

しかし、しばらくコロナ禍で抑えられていたせいか、解禁になって、TさんとYさんと共に、昨年7月に中能登の大会、9月には和倉温泉に泊まって能登島の大会に出かけた。
また、宝達志水も殿と出かけて以来久しぶりだった。
長い間弓を引いていて初めて能登で弓を引いた。それも立て続けに。

まさか、こんなことになろうとは。
今、宝達志水の道場も射場の隆起と、矢道と安土の地盤沈下で危険な状態。
能登島の道場も、安土は崩れ、矢道は隆起、射場の照明落下と、危険な状態。
中能登の立派な体育館続きの道場の、的場の屋根が崩れたとのこと。
本来、日々の生活が基本なので、弓が引けるようになるのはその後となる。
能登の仲間の無事を案じ、被災者の方々のニュースを観るにつけ、今ある自分の非力さを知る。
先日、わずかながら、居ながらにして出来るので、ネットバンキングで義援金受付の振込先に振り込んだ。
これとて、有名人のように多額に出来るわけではない。

水が不足というHちゃんに、電気はきたというから、さつまいもを炭酸水の缶1本で、甘くておいしいふかし芋ができるよ~とLINE。
炊飯器に入れて米を炊くようにスイッチポンで。


去年、試合の合間に、Hちゃんと「なかなか中らないよね~」と、話していたことを思い出して、中らなくてもそこにいて、ふたりで並んで座って笑っていられたことが、どんなにかいい時間だったか思い知らされた。