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まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

小林秀雄と深田久弥

2021-03-13 | 読書
深田久弥と小林秀雄のやりとりが面白いことを見つけた。
それで、図書館で小林秀雄のあらゆる本に、深田久弥の名前が出てこないか調べたくなり、図書館へ行くと、Sさんが奥の書庫にあるということで、小林秀雄全集全13巻を、ワゴンに載せてきてくれた。
それを目次で調べていって、深田久弥と山に登った話を探しあてる。
結局9冊に散らばっていた。
「何冊借りれますか?」と、訊くと「9冊です」とのこと。


全部借りて、関係のある所だけを見つけて読んだ。
なにしろ、小林秀雄は難しいのが多くて分からない。「ゴッホ」や「モーツァルト」や、訳のわからない思想についてはどんどんとばす。
しかし、深田久弥との山行や鎌倉での話は楽しそうではまり込んでいく。
そこに、今日出海も登場するとしっちゃかめっちゃかで笑える。
この鎌倉文士たちが書きながらも元気よく遊んでいたのは昭和の初めのころだった。

深田久弥が「小林秀雄君のこと」題して書いてあるものがいくつもある。
どうも、小林秀雄が好きなようで、
「この頃一番よく一緒に山へ行くのは小林秀雄君だ。
小柄だが燻製の鰊みたいに肉が緊まっていて負けん気で頑張るから、彼と一緒なら~~」(『山の文学全集Ⅱ』「書斎山岳家」)
「小林君の忘れ物はひどい。~略~
小林君はいつも何か考え込んでいる。鎌倉にいた時、よく一緒に散歩したが、別に話すこともなく、彼は彼で勝手に何か考えこんでいる。そんな時の彼の顔は実によかった。一種哀愁を含んだ何とも言えぬいい顔であった。
あんなに頭が考えごとでいっぱいでは、忘れ物をするのは当たり前である。」
この他に書き出すと大変なことになるのでここでやめておこう。





中原中也と小林秀雄と深田久弥

2021-03-03 | 読書
過日の中日新聞で「文豪の恋文」と言うのがあって、しげしげと読みながら、谷崎潤一郎という人はとんでもない人やな。とか、中原中也の恋人を小林秀雄が奪ったとか、これまたとんでもないことだな。というか、いつの世もいろいろあるだろうが、今ならネットで炎上してしまいそうなこの文豪たち。


仕事で、古い本を調べることがある。
小林秀雄と深田久弥が鎌倉に住んでいた頃、よく一緒に山へ出かけたり、一夏を山で過ごしたりということが書かれている。
小林秀雄の「私の人生観」という本の中に書いてある。
ところが、その人生観の最後に、中原中也との心のやり取りが書いてあった。
どういう人生観か。人生観というより、若気のいたりの文章。

今なら週刊誌が書くだろうことを、この時代の人は「実は・・」と、自虐的に語りだす凄さ。筆で稼ぐのだから、ある意味身を削っている感じもする。
さて、ふたりが取り合いになった女性はもと女優だというので、さぞかし美人で魅力あふれる女性なのだろうと思うが、大学1年の小林秀雄は彼女を養いきれず別れてしまうのである。

この鎌倉文士たちは、大正浪漫時代を生き、自由、開放、躍動の上、自由恋愛による心中や自殺も作家や芸術家の間に流行したようだ。

そんな中で、小林秀雄は、深田久弥と山へ行ったりするとなると、これは健康的な仲間たちのように思うが、これも読んでいくと、若い人ならではの力任せの登山、スキーの様子が描かれてくるので、こうなるとどんどん頭の中で、二人の声まで聞こえてきそうな具合だ。
ちなみに、小林秀雄の若かりし頃はすごく男前である。
これでは、中也の彼女がついていってしまうのも考えられるのである。
と、言うわけで小林秀雄の本を図書館で探し始めるはめになった。



女子運動用黒布襞入裁着袴

2020-11-01 | 読書
「女子運動用(じょしうんどうよう)黒布襞入(くろぬのひだいり)裁着袴(たっつけばかま)」
向田邦子の『無名仮名人名簿』の中で語られた。
女子運動用・・とは、ブルマである。

戦争で英語が使えないので無理やり名付けた様子。
その頃、英語は日本語に直されて、それにしても長いではないか。
明日は体操がありますから、女子運動用黒布襞入・・・を持ってくるようにと、
持ち物に書いたら長すぎる。やけくそでつけた名前ではないか。

石川県弓道連盟の前会長の奥様が、語ってくれた戦後の話。
アメリカ人が小松空港でクリスマスパーティをしたのに呼ばれて、友達と行ったそうだ。
コーヒーが自動で入って食べ物が山のようにあって、
「これでは日本は負けるはずやと思ったわ」で、あった。
向田邦子は生きていたら、奥様と同年代である。
戦争と、戦後を体験している年代は強いと思う。

私たちは、提灯ブルマからショートパンツになった。
トレパンというのも履いたっけ。
今では、ハーフパンツになったけど、陸上の女子選手のユニフォームは凄いね。
水泳の選手よりも脱いでいる。そこまで脱がなくてもいいのではと思う。
向田邦子が見たらどう言うだろう。




マスク

2020-09-09 | 読書
向田邦子の『無名仮名人名簿』に、「マスク」という随筆がある。

「舗道にマスクが落ちていた。」と、いうところから始まる。
そして、「と、ポケットにしまっておいたマスクを鼻にもっていった時の、寝臭いような息の匂い」というところで、おや??と、思った。

ねぐさい・・・と、いう言葉にひっかかったのだ。
「寝臭い」は、石川県の方言だと思っていた。標準語だったのか?と、辞書を引くと、ちゃんとあるのだ。「寝床から匂うようなくさみ・・」とか。
でも、この辺で使う使い方は、腐ったような・・とか、古びたようなことを指す。
「ねぐさい話し、しなんなま」と、使う。「忘れかけたような古い話をしないで・・」と、言うような。
どちらにしても、良い匂いではないね。

さて、この「マスク」を書いたころの向田邦子は、みんながマスクをしなくてはならない今の様子を天国から見たらどう思うだろう。





暴走老人

2020-08-21 | 読書

『暴走老人』藤原智美  2007年8月 文芸春秋
図書館で借りてきて一挙に読んだ。
65歳以上の検挙数が10年前の4倍になった(2006年現在)のはなぜか?
自販機の前で老人同士がけんかして殺し合いになった事例。
コンビニへチェーンソー乱入の老人。

「新老人」と、呼ばれる人たち。いよいよ団塊の世代が突入。
帯グラフで育った年代で、時間の無駄を許さない。待つことができない。
老化と生理が待たされる時の感情爆発を起こす。
リタイアしても居残る「時間割」という心理。
リタイヤして時間割から解放されるのではなく、喪失と感じる。

日常的に支え合う人間的な基盤を失うと老人に限らず人はもろいものである。

高齢はあすの自分の行く道。いよいよ「ガラケイの修理は終了しました」とのお知らせが入り、ちまたにはキャッシュレス時代突入とばかりに流される。
マイナンバーカードは高齢者をどこへ連れて行くのだろうか。
何をさせたいのだろうか。

買い物のレジも、自分が作業者の一部になってせっせとバーコードを読みとらせ買い物袋に商品を詰め込み、作業ラインの一部になっている。
母などは、お金を払うところが別になっているとパニックになる。
それがスムーズに出来ないと自己嫌悪に陥って「もう買い物もできん・・」と、しょげるのである。
お客を待たせないのは、客に働いてもらうことが一番。
マックなどでも、自分でトレイを運び、トレイの片づけからごみを捨てるところまで、受けるサービスを肩代わりしている。その代わり安価であることに満足している。
さて、そこでそのラインを止める事態になると、出来の悪い部品になった気がする。

暴走老人にならないように。コロナでストレスを感じるがなんとか乗り切ろう。






サリエルの命題  楡周平(にれしゅうへい)

2020-07-22 | 読書
Kさんの九谷焼工房へ遊びに行ったら、作業台の上にこの本が。
Kさんと本の趣味は違うが、時々面白いものに出会う。

「楡周平・・面白い?」
「うーーむ。まあ、読んでみね」
前にヒットラーが現代に生き返った話の本を読んだが、今回は帯を見て??

いきなり料亭で、政府の重鎮のやりとり。
「少子化は正しい。問題は長寿だ」

さて、この小説は小説現代で2017年6月号から連載されていた。
それを、2019年6月18日単行本として発刊。
今を完全に予測しているようで怖い。
まず、新型インフルエンザが発生し、離島でパンデミックが起きる。
このウィルスの名を「サリエル」と、言う。

2020オリンピックも抱えて政府はどう対応するか。
その中で何度も問われる人口増加、日本の健康保険制度の危機。
崩壊する日本経済。65歳以上が全人口の1/4を超え、2040年には、2.8人に1人が65歳以上となる中、次世代に解決不可能な問題を残すことになる。

楡周平は、すでに今を予測していた。
いや、政治家たちはみんな予測していて、知らないふりをしている。
騒げば、自分の議員生命は終わるからだ。

治療薬とワクチンが出来ても、優先順位がガイドラインとして決められていて、それを巡る政治家とマスコミとのやりとり。

まるで今を見ているようだが、結末が怖くて最後は読み進めるのが怖いのだが、一挙に読めてしまった。

読み終えて考え込んだ。
わたしたちが子や孫に残す大事なことは何なのだろう。
本当にオリンピックは日本に必要なのだろうか。
オリンピック自体が歪んでいないだろうか。
真摯に努力している若き選手たちの期待に添えるだろうか。
残った箱モノはどうなるのだろうか。
若い人たちは、政治家の言葉をきちんと聞き分けて、大事な1票を投じなくてはならない。しかし、その投じるべき政治家がどこにいるのだろう。




旧漢字 『知と愛』

2020-06-24 | 読書
前回に引き続き『知と愛』の話しであるが、話の内容はともかく旧漢字を飛ばさずに読むことは辛かったが、読み終わるころには何とか読めるようになった。
何といっても日本語であると、簡単に読めると思っていたが日頃使わない字はなかなか前に進ませてくれない。
1ページ目から幇間的という言葉に出会って躓いた。
幇間的(ほうかんてき)いわゆる「たいこもち」であるが、日頃使わないので困った。
人の名で「亀太郎」が、出てきた時も、亀の旧漢字「龜」は画数が多くて黒くなっていて読めなかった。
これを拡大して書いてみると写生するより大変そうな字なのである。
そして、最後は芸術のように見える。もともと象形文字から出来たので見ていると字がのこのこ動きそうだ。
龜 かめ  鹽 しお 畫 えがく  晝 ひる
えがくと、ひるが似ている。
図画は、圖畫とかいてあり。「畫家(がか)と晝飯(ひるめし)を食う・・」と、なると、ふりがなが一切ないと読みづらい。

「縣廳」が、「県庁」と分かるまでに時間がかかったし、臺(だい)なしというのも、墓に似ていて老眼鏡や、拡大鏡を駆使しなくてはならない。大膽、體育・・・なるべくIMEパッドで済ませたが、熟語となると漢和辞典が登場してくる。久々に漢和辞典を見て思ったのは、すごい旧漢字全部載っている!!
当たり前かもしれないが、助かったと思った。
今の生活の中では、当用漢字で、もうひと時代遡ろうとすると大変なのである。さすがに10才先輩は、すらすらとあたりをつけて読んでいく。
日本語はどんどんカタカナになってついていけなくなり、旧漢字の良さも消えていく。
戀などは命がけでしたのではないかという字だ。
闘うなどは「鬭」字を見ただけで戦意を喪失しそうだ。
天稟(てんぴん)て何?生まれつきの才能のことをいうらしい。
蝨ってなに?虱だと・・。見るからに気持ち悪い気がする。

そんなこんなで、読むのに時間がかかったが、その中でいい言葉を発掘。
恩師が登場し、「自疆不息」(じきょうやまず)というのがあった。
自分からすすんで励み怠らない。コロナ禍のとき、1本でも引いて怠らないよう。
弓にまつわる漢字が入っているので何としても色紙に書いておきたい。
「疆」(きょう)は、強い、境目という意味があるらしい。
一田一田・・田んぼの境目を表す。弓を持って田んぼを守っていたのかは勝手な想像だが。

この本を読み終わったら、他の本がすらすら読めるという嬉しさが戻った。





古書『知と愛』

2020-06-24 | 読書
古書は読みづらい。しかし、がっぷり四つになって読むとそれなりの満足感がある。
但し、本は我慢して読むものではないと思っているので、日頃はこの本を読もうとは思わないのだが、本の整理をしていて勉強の意味で読んだ。
深田久弥の「知と愛」である。
深田久弥はヒマラヤ研究の本や、「日本百名山」の著書として有名だが、その前に何冊かの小説が出版されている。
正直言って読みづらい。なぜなら、漢字がことごとく旧漢字なのである。
日ごろ使わないので、対照表を見ながら読み進める。
どこの古書店にもないだろう貴重な本だ。昔の本は著作権者が奥付に押印した印紙を貼り発行部数の証拠としていた。


『知と愛』は丹頂書房と、河出書房がある。


河出書房のほうは、表紙をめくると見返しに著者の手書きの題名が印刷されている。これは貴重なものと思う。こちらは『續 知と愛』と、なっているが、出版は昭和18年で、昭和21年の方には続がついていない。順番で行くと当然『知と愛』が、先に出版されているはずだ。なので手元にあるのは好評で、戦後印刷されたと思える。
戦後の辛い時代に出したというのは、それなりに売れていたのだろうが、紙質が悪くて印刷も不鮮明で旧漢字を解読するのは目眩がしそうなので、角川文庫のきれいなものを読むことにした。これは昭和26年出版である。





内容は主人公大杉伴三が小説家として出てくるところから始まる。
山の本でお馴染みなので雰囲気は全く違う。小説であるから当然だが。
帰省する場面は大聖寺が舞台だと確証した。深田久弥の生家は大聖寺なのでそう思うが、金沢に住まいしていたこともあり、どちらも城下町で、鷹匠町は金沢にもあったというので少し迷ったが、町の名士の胸像の落成式で「てんぽなもんや」というところで、これは大聖寺弁・・・。
話しの内容はともかく旧漢字を飛ばさずに読むことは辛かったが、読み終わるころには何とか読めるようになったが、残念なことに字面を追うことに一生懸命で、話の内容が飛んでしまった。


リーダーは何をしていたか

2020-02-18 | 読書
本多勝一の『リーダーは何をしていたか』を、読み始めた。
遭難を検証する本である。本多勝一は信州の伊那谷に生まれ山を良く知っている新聞記者である。検証と取材、現地を歩くことで臨場感が半端ない。
寝る前に読んだら、眠れなくなって困った。
第一部 1980年、逗子開成高校の北アルプス遭難。冬山を登ったことのない先生が、山岳部の高校生5人を連れて、北アルプス唐松岳の八方尾根で遭難し全員死亡。
雪山にワカンも持たずに出発、ツェルトなし、磁石なし。山の初心者のわたしでもぞっとする話だ。降り積もる雪に、ラッセルし、つぼ足で歩く。雪の闇夜は想像しても怖い。わたしたちは雪国にいてホワイトアウトを想像できるが、雪の怖さを知らないリーダーである先生はどこまで危険を予測できたか。
生徒たちがこの山行に消極的だったようで、父親に「こんどは山の歌ができるよ」と、もらしていたという。
さて、山の歌というところで、逗子開成高校といえば、旧制中学時代(1910年)にボートで12人遭難し、有名な歌「真白き富士の根、緑の江の島~♪」が作られた。

この吹雪の北アルプス遭難の後、遺族と学校との裁判が続く。
リーダーは過失致死の責任を問われる。

高校生たちの遭難直前の遺影を見たら眠れなくなったのである。雪の中で肩を並べ笑顔で写っている彼らをみて心が痛む。

そのあとも、別の遭難の話が続くが、常にリーダーの無謀ではなく、無知であることを本多勝一は訴えている。
この本を読破するには勇気がいる。






山へ帰った猫

2019-08-20 | 読書

本を整理していたら、可愛い本に出会った。高田宏著「山へ帰った猫」である。高田氏の次男の猫の挿絵がすごく可愛いのだ。

高田氏の別荘が八ヶ岳にある。清里駅の隣、野辺山駅から下りて行くところで、どこかは分からないが、山荘より八ヶ岳の最高峰赤岳が見えるところにあるらしい。

赤岳を眺めてみたい。八ケ岳とはどういうところなのか行ってみたい。

 


今日も嫌がらせ弁当

2019-07-10 | 読書

愛する者に作る弁当は素晴らしい。

「今日も嫌がらせ弁当」が、今上映中と娘が教えてくれた。気になるねえ。娘を持つ身の上には気になる映画だろう。

イオンシネマ新小松へ行こうかと思ったが、9時45分からと16時からでは、どちらも食事を作る時間にかかるので難しい時間だ。せめて13時とか14時始まりなら・・。

本屋へ行くとその本があったので買ってしまった。すぐに読んで娘の家へ持っていく。

改訂版とある。何も考えずに買ってしまったが、改訂版ということはそうでないのもあるようだ。

「あいだあみつお」みたいな字で「ねむいんだもの」を、見たとき共感し笑ってしまった。だよね。よく頑張ってキャラ弁を作ったものだ。すごい。

かおりさんのブログで共感できたのは、「一人だとこうなるご飯」と、言うのがあって、それもやっぱりそうだよね。と、共感。

本を読んでいる最中、我が家の電話が鳴った。留守電にしてあるので放っておいた。固定電話にかかるのはろくでもないものばかりだ。

聞こえてきたのは「聖書では、与えられるよりも与えるほうがしあわせである・・云々」そうかね。与えてもらうほうが嬉しいけどね。と、言いたい気がしたが、この本を読んでいると、どうも与えるほうが楽しそうではあるな。

 


マッターホルンの空中トイレ

2019-02-27 | 読書

いつも山登りの時の心配がトイレである。けれど、なかなかその話はしにくい。登山は男の人の案内で行くことも多いので、言い出しにくく、女性が一緒の場合はほっとするところだ。昔は「花摘み」とか、「雉うち」に行くと言ったらしい。

その話を堂々と書いてくれたのは、かの有名な登山家である今井通子さんだ。登山家である前に、泌尿器科の医師である。両親と妹ふたりと弟の五人が眼科医という中でひとり、食卓で症例の話が出来ないという今井さん。

さて、わたしは朝トイレに行くと、午後2時か3時くらいまでは平気だが、調子の悪い時は困るのである。鞍掛山なら2時間なので大丈夫。富士写が岳は、ダム湖の管理事務所のトイレを借りてから登れば下りるまで大丈夫。しかし、先日のように雪山の場合不安だった。朝8時30分に登り、頂上で3時間作業に付き合って下りたので7時間大丈夫だった。しかし、前もって対策を練って、いざとなったらどうするか考えなくてはならない。そんなこんなで、トイレの問題は一番悩むところではある。その時は、歩くと汗も出て、水分も控えて、お腹にカイロを貼ったので効果はあった。しかし、頂上で太ももに痙攣が起きたのは水分不足かなと思った。寒いので温かいハーブティを持っていったので少しは飲んでいたが、その辺のところはどの程度どうなのかよく分からない。しかし、トイレの問題は深刻で、有名な女性登山家がトイレをするために滑落して亡くなったこともある。あだやおろそかには出来ない問題だ。

さて、本の話だが、今井通子さんの「マッターホルンの空中トイレ」は、読んだだけでも想像するに怖い。4000mの所に飛び出して作られているトイレで、空中にあるような形で、北壁に落ちるようになっているのだ。床の下が2000m、3000m見えるわけだ。

世界のトイレの写真入りで、単行本は「TOTO出版」だった。なるほどねえと思ったが、文庫本もあって、こちらは中央公論社である。やはりどんな山でも、個室の水洗トイレがあるとほっとする。文化的な生活を営んでいるので、野生にはなりきれない。女性として世界初の欧州三大北壁登攀その他、数々の記録を残している今井通子さんも、トイレは落ち着けるところがいいねと。そして、下品な話ではなく、医学的には大事な話だとおっしゃる。わたしがその話をすると、孫たちに下品だと言われるのはなぜか。


ふたご

2018-03-29 | 読書

腰が痛くて眠れない。これもインフルの症状のひとつらしい。

セカオワの藤崎さんが書いた「ふたご」を、先日本屋へ立ち寄った時に、なんの躊躇もなく買ってしまった。セカオワの歌が好きなら、オリンピックの「サザンカ」の歌もまだ耳新しい今、聴くほどにせつないのはどこから来るのかを知りたいと思ったら買わずにはいられなかった。

夜眠れなくて、むさぼり読んで3時に寝た。明日も休みだと思うのと、読んでいると身体の痛みを忘れるからだった。

これは、深瀬と藤沢さんのことなんだろうと思った。まるで、映画を観ているような話の展開で途中で寝るわけにはいかない。居場所を音楽と仲間の中に見つけるまでのふたりの生きざまは、ずっと昔読んだ「ノルウェイの森」の悲しさに似ていた。でも、このふたりは居場所を見つけ、自分たちを表現できたのだ。読み終わって本を置いて目をつぶったら、頭の中がぐるぐるまわるようで辛かった。おかしな夢ばかり見た。


氷壁

2017-06-30 | 読書

1956年2月24日から1957年8月22日まで「朝日新聞」に連載された井上靖著。

この単行本は2005年12月発行で、図書館で借りて読んだ。

実際にザイルが切れた事件があって、それをモチーフにしたようだが、読み始めてすぐ主人公魚津は友人小坂と大晦日に穂高の東壁に登る。山のことを知っている人は、穂高の東壁と言えば「氷壁」と、すぐに答えるだろう。さて、小説を読み始めて5分の1でザイルが切れるのであるが、その後、延々とそれについて書かれているのだ。ザイルがどうして切れたかという物理的な原因と、絡み合う女性問題。

ザイルが切れたというだけで、延々と長編を書けるというのは、やはり小説家の才能だ。

この後、延々と500ページ読破。はっはっは・・・最後は、切なく終わって、何だこれは!!と、思いつつ再版され、映画にもなるこの小説は、一体どうなるんだろうと興味をそそられて読めていく。それにしても、ふたりの男が惚れる八代夫人は、命をかけるほど魅力的だったのか?この辺が怪しい。無理がある。と、言いつつ久々に夜更かししてしまう本だった。

 

 


私の小谷温泉

2016-11-05 | 読書

加賀市の仲間は白山が好きだというのには根拠がある。もちろんその美しく雄大な姿を毎日観ることもそうだが、深田久弥の存在も大きい。

先日のふるさと人物ロードで、数ある人から深田久弥と、中谷宇吉郎を選んで撮ることからも、私自身思い入れがある。深田久弥と言えば加賀市のみならず登山家で知らない人はいないと思う。加賀市の人にとってはふるさとの白山を絶賛する深田久弥を白山と同じくらい大切に思っている。

中谷宇吉郎もわたしにとっては、大好きな人だ。大学時代に弓道部に入っていたのだ。雪の科学館へ行ったとき写真があって知った。単純な理由である。しかし、もと石川県弓連の北村会長はよく言われた。弓引きに悪い人間はいないのだと。

さて、入院中に友達から借りた本を読み終えた。「私の小谷温泉」深田久弥の奥さんが書いた本である。まず、題名から間違えて読んでいた「おたりおんせん」と読むのだと分かった。そして、これを書いた深田志げ子さんは、後妻として入ったのであることを知った。また、先妻さんは女流作家だったそうだ。

志げ子さんの文章は優しく読みやすい。活動的で久弥さんを支え共に楽しい登山をしている。

深田久弥が留守中に、たくさん溜まった山の本を入れる小屋を建ててしまうと言う積極的な人で、またその事を久弥が大層喜んで「九山山房」と、呼んだあたりのふたりのあうんの呼吸が伺われる。

「日本百名山」が、完成した後に、お金が入って、九山山房を建て直そうかと思案している文章の後に、「中央アジアの旅も本小屋の改築も『日本百名山』が私たちに与えてくれた夢である」と、あったが、今やそれは日本の登山家に引き継がれた夢とも言えるのではないか。わたしは登山もしないのに「日本百名山」は、持っていて、行けもしない遠い山を思ったり、友達が登った山を探す。

さて、志げ子さんは女性の目から観る山と深田久弥について、共感できてとても興味深く読める。

題名がなぜ「私と久弥」ではないのか。内容は殆ど私と久弥であるのに。それは、信州の小谷温泉が出会って間もない頃の初めてのふたりの山旅だったからだ。それが二人にとって最高の思い出の山行きだったに違いない。この時はただならぬ仲だったとか。先に逝くと秘密がばらされますなあ。ちなみに、副題には「深田久弥とともに」と、ある。

わたしは殿と初めて登った山は「鞍掛山」だが、わたし達には冴えない題名が付いた。すでに事件簿をご覧の方はご存じと思うが「おとぼけ家族のプチ遭難」である。山へ行きたかったわたしに諦めが刷り込まれ、憧れの白山は遠く霞んでいくのであった。