(前回からの続き)
前回、2011年3月11日の東日本大震災の発生から数日間で急速な円高ドル安が進んだと書きました。その具体的な経緯は次のとおりです。
同日前まではドル円レートはおおむね1ドル82円前後を推移していました。これが発災からしばらくすると円高ドル安に向かい始めます。劇的だったのが17日。この日、日本時間の未明に同80円を割り込むと一気に3円以上も円高が進み、早朝にはこの時点での史上最高値76.25円をつけ、その後はドルが急反発して79円台に戻るという大荒れの展開になりました。この乱高下を受けた翌日の18日、とうとうG7(先進7か国)は10年半ぶりとなる協調為替介入の実施に踏み切ります。これが効いたのかドル円は81円台を回復して・・・といったあたりが上記数日間のおおまかな流れになります。
ここで注目するべきは18日の協調介入。これ、日本人の多くは、円高リスクすなわち急加速する円高がもたらすデフレ圧力から日本を救うために行われたものと認識してはいないでしょうか。とりわけ現在の円安万歳の目線から見ればまさにそのとおりで、協調介入によってそれ以上の円高進行を阻止してくれたG7の通貨当局よ、ありがとう!みたいに思い返す方も少なくないかと推察します。
でも、わたしの見方はまったく違います。このときのG7による協調介入は日本・・・ではなくアメリカ、つまり米ドルを救済するために実施されたものと解釈しています。それはこういうことです。先述のとおり当時、多くの日本国民は震災復興等の用途に充てる円貨を調達するためにドル資産を売りつつありました。これ、アメリカにとっては「ブラック・スワン」―――予想もしなかった、ありえない展開です。他国とは違って潤沢な貯蓄があるうえ、「核の傘」をアメリカに提供してもらっていることの見返りに「ドルを買ったら絶対に手放さない」とみなされていた日本人が突如、大挙売り出したわけですから。
「あの日本がドルを本気で売り始めた!」当然これは世界中の投資家を大いに動揺させます。原発事故の制御に失敗して広範な放射能汚染に見舞われたりしたら、日本人はさらに円貨を確保するべくドル資産を売り崩すだろう。そうなったらドルは暴落必至だから、その前にドルを売り逃げよう!と慌てて動いた投資家も少なくなかったはず。で、このままこの事態を放置したら肝心のドル体制自体が崩壊しかねない・・・となってG7は円売り、という名目の実質的なドル買い支えの協調介入をしてドル不安を解消させようとした―――といったあたりが真相ではなかったか・・・。でなければ、日本単独の円売り介入だけで十分だったはずでしょう?
・・・あのとき日本は原子燃料のメルトダウンに、そして金融マーケットは・・・ドルのメルトダウンに怯えました。日本はメルトダウンこそ防げなかったものの、幸いなことに貴重な国土の多くを失うような破局には至りませんでした。そしてドルもまたメルトダウンを免れました・・・が、図らずも露顕してしまったものがあります。それは、「日本こそがドルの信認すなわちアメリカの覇権そのものを支えている」というまぎれもない事実。上記、戦慄の数日間で世界、そして誰よりもアメリカが思い知ったのは、このことだったと考えています。