Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

実効性を優先する対応

2019-06-27 00:20:00 | 時事
「法の抜け穴(抜け道)を突く」という嫌な言葉がありますが、明示的に禁止されていなければ何をやってもいい、というスタンスは「違法」ではないとはいえ、それを積極的に肯定する気にはなれません。

そういうモヤモヤというか、はっきり言えば制度や法令の不備を放置する方の問題もまた厳しく問われるべきですが、ここに来てそういう「抜け穴」を積極的に塞ぐことで事実上侵害されている側を保護する動きになっていますね。

事実上特定個人による商標の大量出願に対し、申請料の納期限を悪用していた箇所を塞いで、大量出願に見合う申請料の納付が必要としたことで対応しましたが、そういったピンャCントの対応は「法の下の平等」を考えると微妙ながら、そうしないと社会全体の公平が保たれないという判断に舵を切っています。

今回その流れで効果的な対応を官民の両方で見たわけですが、まずは「チバニアン」の研究者の嫉妬的な横槍で地権者から賃借権を取得し立入りを拒もうとしている件につき、地元の市原市が天然記念物の管理者として学術研究での試料採取を目的とした立入り規制を禁止する条例を制定するそうで、登録に支障しないように速攻で制定する動きには、時間がかかれば妨害者の勝ち、というやったもん勝ちを封じる姿勢も好ましいです。

民間では家電量販店によるフィギュアの予約販売における「転売屋」締め出し。
外国人を大量に雇ったり、あるいは外国人が自分で高値転売が期待できる商品を買い付けるために、絶対にその商品の客層でない人が行列しているシーンが目に余りますが、京都のヨドバシであからさまに並んでいたそういう手合いを念頭に、商品名を言う、商品の画像を提示する、という条件を課して転売屋を閉め出したそうです。

これは「外国人差別」にすり替えた批判を流布させようとする勢力がなんとも香ばしいのですが、日本人も含めて明らかに転売目的あるいは転売屋の手先という連中が行列の大宗を占める光景が日常茶飯事になる中で、各種チケットを念頭に置いたネットオークションでの転売行為への規制を新設した際にこのジャンルをカバーしなかったことは、水平展開能力の著しい欠如を示すものですが、本来は当然このような行為も規制すべきです。

「抜け穴」が塞がれていない状態での対応は実効性を優先すべきであり、こういうケースはどうなる、と重箱の隅をつついて結果として規制そのものを先送りさせてしまうのは、規制されて困る勢力ではないかと疑いたくなる話です。未成年者の飲酒喫煙問題で、年齢確認が取れない場合は一切販売しない、という対応で、「親のおつかい」も例外にしない、という対応は、普通にあるケースを排除してしまったわけですが、実効性を優先する姿勢そのものであり、不便を甘受するコンセンサスを得られたわけで、本件のようなケースも「本当に欲しい人」に公平に行きわたるという大義のために若干の不自由は甘受しようというコンセンサスを確立させたいところです。

この手の転売屋を封じる対策としては、2014年に発売された際に大量の転売屋による行列で大混乱となった東京駅100周年記念Suicaの騒動後の対応のように、購入希望者総てに販売することでプレミアムが事実上ないようにすることが実効性が高いのですが、プレミアム感を煽らないと購買意欲を誘発できないので、販売する側から見たら転売屋が多数並ぶ方がありがたい、という感覚ではないかと邪推してしまいます。

その意味では今回の対応はまだまだ改善の余地はあるものの、メジャーになりうる対応でしょう。例えば購入等の受付で「質問」をして回答できない客を排除する。一発勝負は酷なので3問くらい用意して1問でも回答出来ればOK、とすれば、少なくとも対象物を知らない人による120%転売目的の購入は排除できます。

質問は多数用意しランダムに提示する。受付にタブレット端末を置いて表示して(=多言語対応も可能)対応する。運悪く答えられなくて諦める「本当に欲しい人」もなかには出てくるでしょうが、それは「修行が足りない」と諦めるしかないでしょう。その「質問」が回答できないのであればしょうがないよね、というレベルで十分ですから。




普遍的価値観を捨てて憧れる独裁

2019-06-26 00:46:00 | ノンジャンル
民主主義、自由主義という本来普遍的な価値であるはずの体制が、「ジャイアン」その他のご都合主義で無視されることを前に指摘しました。お気に入りでない国には民主的でないとかバリバリの内政干渉をするくせに、お気に入りの国は専制君主制で女性の人権が蔑にされていてもスルー、という見事なまでのダブスタです。

もちろん民主主義、自由主義を貫くことで衆愚に流された意思決定になったり、意思決定までのプロセスが長きに失することも多々あるわけで、指導者による迅速な意思決定を羨む向きも少なくありませんし、「衆愚」に委ねる方が誤り、という価値観を持つ人もいるようです。

しかしそうした結論に至る大前提として、常に「正しい選択」が示される、ということが必須です。若干の遠回りであろうと、極端な話、間違った選択であろうと、主権者の合意(多数決)で決定した事項である以上は、遅延や間違いの責任もまた主権者にあるわけで、それは一般的に「民主主義のコスト」と呼ばれます。

一方で指導者による迅速な意思決定。これは独裁か強大な授権が前提であり、民主主義とは相容れないはずの体制です。ですから「正しい選択」はたまたまベクトルが一致しただけであり、決定プロセスに与れぬまま国民の意思に反した「選択」がなされるというリスクが常にあります。

こうした国家はアジアに多く、「赤い資本主義」はその典型ですが、「開発独裁」とされる国家もまたその一種です。社会的安定性あっての国家の発展という建前で民主主義、自由主義の抑制、抑圧を正当化しているのですが、社会の不安定に起因する「遠回り」を排除してショートカットしたことで高度成長の果実を最短、最大で得られる。その還元が行きわたることで抑制、抑圧による「不自由」を甘受する。お互いwin-winであれば問題視されないわけで、まさに「衣食足りて礼節を知る」、経済的発展の方が、民主主義、自由主義といった観念的なものよりも重要視されたわけです。

ところが経済成長が鈍化すれば得られるメリットは少なくなり、「不自由」だけが目立つことになります。そうなると、強力な独裁を敷くことで半端ない抑制、抑圧を維持するか、メリットを追求するか、民主主義、自由主義の軍門に下るかになります。
そのうち「メリットを追求」というのは言うは易しですが、小規模国家であれば可能な対応であり、シンガメ[ルがその典型と言えます。

まあアジアの発展している国家は大なり小なり「独裁」がプラスに働いている面が強く、その陰では様々なひずみや「不自由」が顕在化していますが、眩い摩天楼の立ち並ぶ様に感嘆するだけのレベルではそういった問題点を見出すことすら出来ないのです。
シンガメ[ルなんかは上手に立ち回って「独裁」を見せないようにしていますが、今は故人となった「首相」が建国以来政権の座につき、退いてなお「上級相」として院政を敷くというおよそ民主主義、自由主義とは言えない状況にもかかわらず、繁栄で免責された格好です。

観光客やビジネスマンが行き交う繁華街では決して見えてこない普段着の市街地をどれだけ見ているか。しかもそれすら「上級国民」であり、汗をかく仕事は誰がしているのかまでを見ているのか。無邪気にシンガメ[ルを礼賛する人には決して見えていない現実です。有名な「Fine Country」ですらまだ可愛いもんだ、という現実があるのです。

ここで気になるのは大阪方面からシンガメ[ルへの憧憬の念が感じられるような声がネットで見受けられたこと。
まあ単純に「伊丹のせいでキタに高層ビル街が出来ない」と駄々をこねるような手合いですから、ショーウインドー的な眩い都市国家に憧れているだけなのかもしれませんし、金融都市としての成功に、金融先物市場を世界で初めて構築した自らの歴史を重ねあわせているのかもしれませんが。

いまですら「上澄み」を必死にプロモして背伸びをしているわけですが、ダークサイドの底上げを図るのではなく置き去りにするんでしょうね。まさにシンガメ[ルのように。そして民主主義、自由主義を必ずしも尊重しない風潮。独裁者が正しく導けばそれでいい、という政治風土も何気に相似形を描くのをみると、民主主義、自由主義という絶対的であるべき価値観の共有すら覚束ない状態を許してしまったことは、日本にとっての不覚と言えます。



虚栄心で鰍ッる大迷惑

2019-06-26 00:45:00 | 時事
いよいよ今週末にかけてG20ですが、はっきり言って迷惑極まりないですね。
東京五輪もそうですが、虚栄心や見栄の域を出ないメリットで全体を縛るのはうんざりです。それでも五輪や万博は我々も地元開催として楽しめる面が少なくないのですが、G20サミットはいったい何のメリットがあるのか。G8(G7)と比べて総花的な面は否めず、それでいて規模が拡大しているからさまざまな面で対応が大変、というのに、ダボハゼのように手を上げて食いつく大阪の欲目はいい迷惑です。

警備が厳しい、だけでなく、物流にも大きな影響が出て、という誰得の状態のサミットを誰が頼んだのか。サミットという「本業」において開催国だから何かメリットがあるわけでもないでしょう。交渉事で恩恵があるのならそれこそ米国や中国なんか毎回手を上げるでしょうに。
「大阪の知名度が上がる」なんて能天気なことをほざいている人もいるようですが、G20レベルの国において既に十分知られているでしょう。もし知名度の向上が必要、というのであれば致命的ですし、開催くらいでキャッチアップなんかできません。

それでも咲洲なら洞爺湖サミットの時のようにある程度隔離できる、はずでしたが、米国は伊丹を使いまくるし、物流への影響は阪神間にも及ぶし、散々です。前々回のG20で日本開催が決まってしまったとはいえ、だったら洞爺湖の時のような「人里離れた」開催地をまず選ぶべきでした。

招致の時は「インスタ映え」じゃないですが、京都や神戸も交えた「関西」を前面に押し出して、実際の開催は大阪で握りこむ。まあ万博の招致も同様のいつもの手口ですが、今回は迷惑は再び「関西」で分担させる、という点で最低です。やりたければ自力でケツを拭くところまで完結しろ。それが出来ないのなら分不相応に見栄を張ってあれこれ招致をするな、と言いたいです。

だいたい、首脳が来るのが日常茶飯事の東京でここまでの影響が毎回出てますか?
先日のトランプ大統領来日然り。首都高羽田線と都心環状線の一部時間規制は毎度の話ですが、宅配便の受け付け停止や小売での欠品とか、なんでこうなった、という感が強いですし、そこが東京との致命的な差でしょう。



お為ごかしも大概に

2019-06-25 00:43:00 | 交通
今朝のCX系のニュースショーで、フードコートの持ち込み問題を取り上げていましたが、興味深かったのは市民アンケートで過半数が持ち込みはありと考えていたことでしょう。

飲食店が共同で食事スペースを整備している、という位置づけの場所であれば持ち込みは問題でしょうが、そのフードコートが全体の商業施設の一部である場合、オープンスペースとしての休憩場所という位置づけなのかどうか、という話になります。

店舗型の飲食店も整備されている中で「フードコート」があるアウトレットモールのような場合、持ち込みの可否は判断が分かれているケースがあるわけで、一概にダメとは言えない現地での決め事ですし、持ち込みの可否が利用者の評価にもなるという点で、各施設が判断しているわけですから、善悪の問題ではないと言えます。

なかには食中毒等の問題を踏まえて飲食物の施設への持ち込みを禁止するケースもありますが、「フードコート」を休憩所として利用することまでは禁止していないのが一般的です。
一部には衣料品などのショップよりもフードコートが人気の源泉という本末転唐ネアウトレットモールもありますが、基本は各ショップでのショッピングと考えたら、休憩場所を提供することで買い回りの時間が増える可能性が高いといえます。

さてここで気になるのが、近年モール化が顕著な高速道路のSAやPAでしょう。
設置間隔や施設内容が結構厳格に決まっているのもドライバーの休憩施設としての位置づけがまずあるというスタンスであり、ドライバーも休憩を取るのは必須であることは、「過労運転」が一定の酒気帯びよりもはるかに重い、「酒酔い運転」と同格の一発免取の点数になっていることからもうかがえます。

かつてのSAやPA、特にSAはそれが配慮されており、テーブルとイスが並ぶスペースはフードコートというよりも休憩所の色彩が強く、軽食の販売もありましたが、無料の給茶器のお茶を飲みながら休憩する、という光景が当たり前に見られました。

それが給茶器は2台が1台になり、目立たない場所に追いやられ、テーブルやイスを取り巻くように店舗が並び、そこは食事スペース、というまさに「フードコート」化しており、高速道路会社もそれが当たり前、良いこと、という意識で整備を加速しています。

休憩所はどこ、というと屋外のベンチがあれば御の字で、中には長年整備を怠ってしまい雑草や蜘蛛の巣まみれというケースも多く、当然雨の日は、猛暑のときは、という施設が休憩所となっており、結局クルマの中で休むしかない状態です。エンジンをかけて空調を効かせるしかないので、アイドリングによる環境負荷の増大も懸念されますが、休憩を取らねば重大事故の発生に直結しますから。

ドライバーの休憩なんざ知ったこっちゃない、という態度を高速道路会社は全力で示しておきながら、いけしゃあしゃあと「SA・PAは高速道路をご利用いただくお客様の休憩を目的とした施設であり」とほざいているわけです。


(見事な建前論)

じゃああの「フードコート」は当然「お客様の休憩」が目的の施設なんだな、という話になるわけで、お昼時に観光バスで人数を繰り出してあそこで「休憩」してもいいんだな、という話になります。給茶器のお茶でくつろぎ、旅の疲れを癒す。お昼時ですから家で作ってきたにぎりでも食べましょうか。まさに「お客様の休憩」ですよね。

観光バスは・・・と歯切れ悪く言うのであれば、ドライバーが押しかけたらどうなんでしょうか。疲れているんで、と突っ伏したりして仮眠するとか、お早めにお替り下さいとも言えないシチュエーションであればいいんですよね。

店舗が商売あがったり?そんなことは知ったこっちゃありません。本末転唐ネ場所貸しをしている方が悪いんです。安全二の次の姿勢こそ指弾、糾弾されるべき存在です。


(ここは休憩場所ではなかったか)

私事ですが、お盆に家族でクルマで帰省していた頃、SAで家で作ってきたおにぎりやおかずを家族水入らずで食べていましたが、普段は富士川SAあたりまで進んで公園仕立ての広場で食べたりしてましたが、首都高や保土ヶ谷バイパスの渋滞でお昼時が早くも、あるいは早出で朝ご飯が海老名SAになっちゃうこともしばしばでした。

これが改修で休憩するような場所でなくなり、次の足柄SAも同様だったので車内で食べたりしていましたが、せっかく子供たちの好物を揃えていたのに味気なかったですね。家族揃っての帰省をしなくなる前のお話ですが、商売優先の発想だと、そういう「思い出づくり」もガン無視なんでしょう。




新幹線がいちばんコスパ良好

2019-06-25 00:42:00 | 交通
静岡界隈のJR東海のサービスの件が長年定期的に話題になりますが、クロスかロングかという件については、名古屋地区では都心部の地下鉄的利用が目立つ中央西線ですら転クロ化に舵を切っているなかで、静岡がロングでなくては、という絶対的な理由はないわけで、車両の出し惜しみをした結果が混雑耐性を故意に下げている短編成化であり、だからロングでないと、という本末転唐ネ結論に誘導しています。

ボックスや転クロは定員通り座れない、という声もありますが、転クロはさすがに2人鰍ッで「狭い」というのはいかがなものか、というわけですし、ロングでもバケットシートを無視して座ったり、荷物を置いたりで、ひどいケースだと3名分を占拠していることもありますね。

それはさておき、アコモに並んで批判が多いのは快速運転をしないことです。
ただしこれは悩ましく、快速運転でどこまで早くできるかというと限定的で、中間の主要都市を無視できないこと、また通過駅のフリークェンシー確保の問題もあるわけで、普通10分ヘッドを本数同じで快速30分ヘッド、普通15分ヘッドにして「便利」といえるのか。

この典型が京阪神の新快速で、姫路付近では新快速が毎時4本ながら快速(普通)が毎時2本、要は使える列車が毎時2本という閑散ぶりです。ですから毎時8本を充たせる需要が前提に見えますが、もしこれ以上新駅を作るなり全体の所要時間が増加する傾向に転じたら、中間の主要都市対応としても快速がいるかもしれません。

静岡で気になるのは静岡&l松という政令市同士を結ぶ流動があるはずなのに快速運転が根付かないのはなぜ、という部分。一つの仮定として1時間以上かけてお互いの都市に向かうくらいなら、思い切って名古屋や東京に出る、ということかもしれません。

あとは新幹線の存在でしょうか。新駅が増える前の隣駅相互は特定特急券での乗車が可能で、圧涛Iな短時間による移動を840~980円のプラスで実現できるため、在来線のコスパが相対的に落ち、在来線に+αレベルの高速バスもインセンティブがないのでしょう。

新幹線が隣駅関係にある区間で高速バスが定着しているケースが実は少ないこともそれを示しており、静岡&l松間は廃止、福島′S山間も平日7往復、土休4往復と少ないわけです。バスどころの広島でも広島℃O原間は廃止と厳しい現実があります。
唯一博多¥ャ倉間は盛業ですが、これも高速上の停留所や面的な広がりを見せる福岡市街、小倉市街を細かくカバーしているのが奏功しているわけで、基本的に天神・博多と小倉駅付近を直結した「スーパーノンストップ」は20年以上前に消えています。

高速バス相手じゃないですが、北陸新幹線の上田£キ野間のように並行三セクを食っているケース(三セクの賃率+篠ノ井線との加算で新幹線との価格差が小さい)もあるわけで、隣駅関係は最強です。