Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

思い切った繰り上げ復旧

2018-09-14 21:46:00 | 交通
西日本豪雨の影響で長期運転見合わせになった広島県下のJR線ですが、今日その復旧が大幅に繰り上がることが発表されました。

山陽線の残る不通区間となった三原#虫s間が10月中の予定から9月30日に繰り上がりました。
伯備線~山陰線~山口線の貨物列車の迂回運転もあと半月となった、というか1ヶ月ちょっとでの終了となり、平常に戻ります。
代行バスの直行便などの設定も9月9日からの3週間で終焉です。

呉線は10月14日に安倹・K″L間の復旧に続き、11月に安浦∴タ倹・Kも復旧。代行バスの輸送力が懸念されるのは安浦以西だっただけに、ここが一つの節目になります。

驚いたのは放置プレイも噂された中国山地で、三次口での区間運転が始まります。
10月4日から券・ェ備後庄原℃O次、福塩線が吉舎℃O次で復旧し、福塩線は10月18日に上下°g舎間も復旧します。

このあたりは9月になって通学輸送が戻ってきて、これでは耐えられない、という声が高まったのでしょうね。特に券・笊汢鱒・ェ復旧するのはそういった理由が透けて見えます。
あるいは代行バスに車両を出している貸切バス各社も、秋の行楽シーズン、特に修学旅行シーズンを前に、それなりの対価が支払われているとはいえ、「本業」で対応できないと来年以降、いや、春のシーズンの商売に影響するというプレッシャーが、早期の復旧、代行バスの終了を促しているようにも見えます。




関空の代替

2018-09-13 00:27:00 | 交通
胆振東部地震の陰に隠れてしまった台風21号の災害ですが、関空の復旧に手間取っています。1Tの復活が見えてきたとはいえタンカー衝突による連絡橋損傷でアクセスに問題があり、空港機能が大幅に低下しています。

関空の発着を伊丹、神戸で代替するという話になっていますが、「関西3空港」がいがみ合っていた往時が嘘のような協調で、運営会社が同一になったメリットでもありますが、そんなことは本来公が差配していた往時のほうが出来た話のはずで、結局伊丹の収益をゲットできてえびす顔になって丸くなっただけの話です。

それはさておき、国内線の代替であれば伊丹や神戸の「規制」は関空延命策の面もあるので薄紙を破るように簡単にできるでしょう。
伊丹の騒音問題がありますが、関西にとっての非常事態に原則を振りかざすのもいかがなものか。時限的な特例であり、関西の復興どころか今後に係わる話というのに自分ファーストの主張をしてしまう市民団体は、これでは指示も理解も失うでしょう。

逆に騒音問題も含めて「適材適所」のガラガラャ唐キるいい機会であり、それが関西の将来に寄与する、という戦略的な対応が取れないのか。伊丹は騒音に見合う利便性、経済効果を得る(増やす)チャンスですし、神戸も関空延命策の規制で隠れているメリットやャeンシャルを知らしめるチャンスです。

とはいえいきなり代替と言われてもインフラがないのではどうしようもありません。特に国際線の代替というのはどうなのか。国内線を伊丹と神戸に振って国際線に専念する、というほうが素直ですが、伊丹や神戸で国際線という流れになっています。まあこれも将来の国際化をにらんだ実績作り、インフラ整備という戦略に基づく敢えての打ち出しかもしれませんが。

そうなると伊丹は厳しいですね。到着ロビーの集約化など国内線専用空港を前提にした設備投資がちょうど進行しているわけで、国際線の仮ターミナルやCIQをどこに置くのか、という問題があります。

一方の神戸も同じ問題がありますが、ターミナル西側の拡張予定地に仮設で設置する余力がありますし、CIQについてはメ[トターミナルの外航客船入港時に対応しているわけで、派遣もそこまで困難ではないはずです。
奇策としては国外扱いで空港とメ[トターミナルを結ぶバスやトラックで貨客を移動させれば、簡単な保税区域の区分けだけで対応可能です。(貨物の保税蔵置も周辺で可能です)

神戸は6時−23時の運用時間拡大も実現するようなので、「実績」を積んで将来につなげてほしいものです。

ちなみに伊丹も神戸も仮設対応という意味では荷物、貨物の対応がカギですね。
小規模な国際線対応としては茨城空港がありますが、ターンテーブルなど国内線とは別に一組設置しており、それが到着ロビー直結ですから、どう国際線用の設備を設置するか。その意味でもメ[トターミナルへ、という奇策が可能な神戸は余力があります。

と書いてみましたが、21日に鉄道も復旧するようで、代替することなく復旧しそうです。



「日本人」の俺様定義

2018-09-13 00:25:00 | ノンジャンル
テニスの4大大会で日本人初の優勝を成し遂げた大坂なおみですが、その出自から「日本人」に疑義を唱えたり感じたりする人も少なくありません。
確かにハイチ出身の父親とのハーフですが、日本で生まれて日本国籍を先天的に有しているわけで、帰化による後天的な取得でもない「日本人」を捕まえて何を言うか、という話です。米国籍も取得していますが、これも先天的な取得であり、国籍選択の期限はまだ来ていないし、日本国籍を選択してもこの場合は申請しての取得ではないので米国籍は自動的に放棄できません。日本国は国籍要件があるケースを除き国籍選択以上の行動を要求しておらず、二重国籍を積極的に排除する必要もありませんから、当時の民主党の代表のように二重国籍だと非難することはできません。

こういう議論が繰り返されるのは、「国籍」「民族(人種)」に対する感情があるわけですが、中にはそれこそ正しい意味での「ャ潟Rレ」に抵触するものもあるわけで、社会としてそういう意識を排除していかないといけないものもあります。

残念ながら今の日本には「ャ潟Rレ」に抵触する感情が根強いわけです。先の民主党代表の問題でも見え隠れしていましたが、「日本国籍」があり、「台湾(中華民国)籍」がなければいいのか、というと歯切れが悪いわけで、帰化した「日本人」に本来日本人であれば分け隔てなく扱われるべきことを認めないという二流市民として扱う気マンマンな感情があふれていました。

米国のような多民族国家では「○○系」という概念があり、公式な人口統計でも「○○系」を区分しているのですが、じゃあ「○○系」で括るのか、というと「日系」でも「日本人」と見做さないのが現実なわけです。中南米から来日して日本国籍を有する「日系人」は政治的、人種的の両面で「日本人」ですが。

「日系日本人」でも「仲間」に入れない。もちろん海外でも人種的には一緒でも同郷その他のカテゴライズで仲間か否か対応が変わるのが現実ですが、そこに「○○人」という大きな括りを持ち出してそのカテゴリーに入らないと排除することはありません。特に地方出身者が県人会などで固まることは多々ありますが、県人会でないから日本人でない、というようなトンデモはないわけですが、人種的な話になると代々日本人の日系日本人でないと「日本人」と認めないという「(狭義の)日系日本人」という概念が罷り通っているのが現状です。

「○○系」レベルで固まるのまで排除することはさすがに乱暴ですが、様々な「○○系」は等しく「日本人」である、という「ャ潟Rレ」は必要なのかもしれません。「(狭義の)日系日本人」が圧涛I多数を占めるがゆえに、「日系」にあらずんば「日本人」にあらず、というのはややもすると差別を生みますが、そうなると差別をする側が往々にして主張する「弱者利権」が保護が不可避なことで必然的に発生するわけで、ある意味マッチャ塔vです。

おりしも日露間で平和条約を巡る思惑が交錯していますが、日露間最大の懸案である北方領土問題の解決には、この議論が不可避です。もし本当に北方領土の返還が実現したら、今そこに住んでいる人はどうなるのか。73年前のソ連がやったようにロシア領で残る地方に放逐するのか。「日本人」が入植してきた期間より長い時間が流れているなか、相当数の「ロシア人」を受け入れる必要が出てきます。

そこで発生する相当数の「露系日本人」をどう扱うのか。まさか「(狭義の)日系日本人」と区分するのか。それこそ「二流市民」扱いの始まりです。
ここの意識改革というか、ある意味強制的な「(狭義の)日系日本人」的意識の排除を考えないと、足下のグローバル化、将来の領土返還へ対応できなくなります。

さて、その大坂なおみですが、一見「日本人離れ」した風貌であり、それが故に「(狭義の)日系日本人」との差異が目立ち、違和感を感じる人が多いわけです。
ところがその「日本人離れ」もテニスコートでの姿という特殊事情が増幅しているわけで、逆に象徴的な部分を隠すと、意外な素顔が見えてきます。

NHKのサイトに掲載されたカップを掲げる彼女の写真。ウエアの上に長袖を羽織り、サンバイザーで髪の毛もアングル的に隠れてしまっています。そこにあるのは極めて「日本人」的な顔立ちであり、北海道在住の母方の祖父とそっくりです。
そうなると彼女よりも「エキゾチック」な「(狭義の)日系日本人」はごまんといるわけで、まさに見た目の感情論にすぎません。

逆に有り体に言えば「典型的なおっさん」顔という残念な結果であり、陸上の桐生、ヤクルトの清宮とならんで、天は二物を与えず、という茶化しで「同胞」としていじるのであれば「ャ潟Rレ」的な問題もないでしょう。

そういう意味では、優勝が決まった直後に民放のニュースショーで、彼女の物まねで一旗揚げようとしている倹lが出てましたが、風貌やたどたどしい日本語を強調した「戟vは三流倹lが「世界一」を侮辱しているに他ならない「戟vというのも恥ずかしい内容なわけで、こんなもんコーナーの企画の段階で排除できなかったのか。それが罷り通るのも「(狭義の)日系日本人」にあらずんば、の意識があり、それとの差分をあざ笑う意識があるわけで、それが自然に排除されるまでは積極的な意識改革が必要でしょう。



「三島」抜きで那須を語るとは

2018-09-12 23:12:00 | 歴史
NHKの「歴史秘話ヒストリア」のラーメンの回に捏造あり、とネットで話題になっていますが、こうしたアカデミック系で最も人気を博している「ブラタモリ」も捏造とまではいかずとも、事実を大いに枉げた内容に出っくわすと、一気に醒めます。

深夜の再放送で見た「那須」の回、那須野ヶ原の開墾まで持ち出すのであれば当然この人、という三島通庸が全く出てこなかったのです。
那須の開発は華族の農園ありき、当時のセレブの別荘がもとで、というまさに人民史観での構成ですから、自由党弾圧でお馴染みの三島通庸は持ち上げるどころか取り上げることも許されない、ということでしょう。

だいたい華族の農園は確かにありましたし、那須野ヶ原出はそれが主力でしたが、セレブの農園なんて小洒落たものではなく、のちに明治の元勲と言われるようになるテクノクラートが、殖産興業を目指して欧米並みの大規模農園の開墾を夢見たが故の話です。

その華族の農園が根差すきっかけになったのは栃木県令の三島通庸であり、那須疎水の建設により水利が確保され、ここから農園開発が始まったのですがそれは無視です。
華族の農園ガー、というところで背景のパネルに三島通庸の写真もありましたが、通庸が子爵の爵位を得るのは死の直前、栃木県令時代のはるか後です。

那須は大規模農園たるべし、と主張した松方正義を持ち出し、千本松牧場を映して当初から元勲が大規模に土地を囲い込んで、という印象操作をしていましたが、千本松牧場は開墾社からの購入で開場は三島通庸が没した後というタイミング。多くの華族農園はものにならず閉園、という厳しい現実を隠してさも華族ガー、という構成はひどいですね。

現地の研究者が出ていましたが、こういう「歴史」で語られていることに問題はないのか。人気番組で取り上げられることを優先したのか、人民史観にシンパシーを感じているのか。
セレブを強調するために御用邸も持ち出していましたが、まずできた塩原御用邸は三島通庸の別邸が寄進されたもの。今に続く那須の御用邸はそのあとです。都合のいいつまみ食いです。

三島通庸が那須野ヶ原の開墾に乗り出し、死後子孫が別邸を寄進し、広大な開墾地を払い下げたのです。
西那須野にある整然とした農地はその名残であり、三島の名は地名になり、通庸の孫である三島通陽がボーイスカウト運動に人生をささげた縁で、広大な農地の一部はボーイスカウトの野営場となって青少年の育成に役立っています。

山形、福島、そして栃木と「土木県令」「鬼県令」と人民史観の歴史家の敵だった三島通庸が残した社会インフラの一つが那須野ヶ原であり、三島通庸を無視して那須を語ることなどできないはずです。

タモリにしても地理や地学、交通に詳しいと評判であれば、東北筋での三島通庸の業績を知らないとは言わせないわけで、それであの内容を「演じて」いたのであれば、あの番組も壮大なデマゴーグと言わざるを得ません。



デマの流布

2018-09-12 22:42:00 | 震災・災害
そういったデマの流布ですが、苫東厚真のダウンによるブラックアウトは泊が稼働していれば避けられた、というのは全くの誤り、という論文がビジネスを称するサイトに出ていました。

まあ後述するように大概なトンデモですが、それを持ち上げているのがバリバリの反原発という確信犯であるのは致し方がないとはいえ、それを拡散しているのは、やはりデマの流布に加担しているとしか言いようがありません。特に普段こんな人の書き込みを拡散していないのにこれだけは、というのは意図的な行為であり、デマを振りまいていると言われても仕方がないでしょう。

これを読んで反論ができるか、と大絶賛ですが、サイトの紹介を見てお察しとしか言いようがないわけで、電力や原発は専門外だが独自研究を続けて、という経歴には、内容の正しさを爪の先ほども担保できないわけです。

そもそも泊が稼働していてもブラックアウトは不可避(周波数調整は不可能)といいながら、全文の8割以上を「原発は危ない」と根拠もない手垢がついた煽りで埋め尽くし、肝心な「不可避」の理由にしても、原発、火発が負荷調整ができないという目が点になる珍説です。
確かに原発や石炭火力はLNGや重油炊き火発に比べると負荷調整は苦手ですが、できないと言い切るのも、という話です。
そもそも泊があれば苫東厚真の一歩足打法じゃないから、苫東厚真がトリップしても泊が半舷運転しているでしょうから(深夜だから苫東厚真、泊とも半舷運転でしょう)、一句に電源を失い系統崩壊に進む、ということはないのです。

そんな内容をもてはやすのはプロパガンダであり、それを拡散することは為にする意図がなければできません。
そしてそれはデマの流布である、ということを自覚してほしいですね。