Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

インバン頼みの危うさ

2018-09-17 12:29:00 | ノンジャンル
インバンというと関空の閉鎖以降関西、特に大阪の経済が壊滅的に、という報道をよく目にします。
確かに成田に迫る勢いの国際線利用者数を誇る関空からの入り込みが消えたら経済に与える影響も半端でないのは理解できますが、冷静に考えたらちょっと変な話でもあります。

観光立国を唱える国策も後押しして、関空が圧涛Iな強みを見せるアジア路線も追い風となり、ちょっとまえまでは「欧米線が欲しい欲しい」と駄々をこねていたのを忘れたかのように有卦に入っています。とはいえまがいなりにも我が国第二の経済圏である関西の中心地大阪が、観光需要に左右されるほど脆弱な経済基盤だったのか。

もしそうであれば実体経済の空洞化が深刻なところを観光でカバーしているに過ぎないわけで、ブームが去ってメッキが剥げれば恐ろしい事態になるはずですが、現実はどうなのか。
まあそれでも半端ない入り込みがもたらす経済効果が、ちまちま日本人相手に商売するのが馬鹿らしくなる、という経営資源のシフトを呼ぶのも理解できますが、釈然としない部分もあります。

大阪城公園で脱税していたたこ焼き屋なんかもインバン特需でぼろ儲けしていたようですし、相手が日本の10倍の人口を抱える大国ですから、上位2割の「上澄み」であっても日本人の総数より多い、という恐ろしいマーケットを前に、算盤もフル回転なんでしょう。

ただ、やはり基盤の経済の弱さが気になるわけです。
黒門市場が関空閉鎖後客足が従来の1割、という話を聞くと、相当盛っている可能性はありますが、日常利用を前提にしているはずの「市場」が、京都の錦、東京の築地場外、金沢の近江町、函館の朝市のように、観光客の存在が大きいにしても、1割しか日常がいないというのはどうしたことか。

家電量販店やドラッグストアを中心に、「爆買いブーム」に踊らされてインバン特需に特化して、中国の引き締め政策で壊滅したのは記憶に新しいですが、足下のインバンブームも同じなんでしょう。関空の一件は高転びする前に気が付くチャンスととらえればいいのですが、18日の鉄道、21日の1T全面復旧で、再び稼げるだけのチキンレースに邁進するのでしょう。






公共放送を名乗る泥棒が推す怪しげな商売

2018-09-17 12:11:00 | ノンジャンル
関空へ向かう南海電車の中で見かけた広告です。



民泊仲介サイト最大手の広告ですが、インバン頼みの経済だけあって、沿線住民も民泊で一旗、という人が多いのでしょうか。
そういえば復路の阪和線ではどう見ても近郊のマンションの廊下に旅行者っぽい外国人が歩いているのを見ましたが、これも民泊でしょうか。

民泊というとメディア、特にNHKが異様なまでに推しているのですが、同様に公共放送の中立性など知ったこっちゃないと推しているのがドローンです。「空撮」といえばいいところを「ドローンで撮影」とわざわざ機材の固有名詞を挙げて言う必要があるのか。
ドローンを使った取り組み、というと無批判で取り上げ、民泊もそうですがキャスター、特に合の手を入れる女性アナが目をキラキラさせて早く普及するといいですね、という感じでのダメ押し。これのどこが公共放送なのか。

まあ民生用ドローンの大半が中国製ということから、中国シンパの影が見え隠れするメディアのお気に入りのツールなんでしょうね。民泊も同様。中国が多くを占めるインバン対策で、中国系の仲介が多い民泊を推進しているのもそういう邪推をすれば不思議と話の流れが整流化されます。

余談ですが、今住んでいる単身者用家具付きアパートにさっそくNHKの宅業者が契約、集金に来たんですが、総合玄関のオートロックを解除した覚えがないのに廊下トンビできたわけです。
これは厳密には不法侵入であり、住民が警察を呼ぶという「事件」があり、私もそうすればよかった、と思ったんですが、NHKはその業者を解約してトカゲのしっぽきりでおしまい。NHKの名前で不法進入という犯罪行為をして居室の玄関に居座って契約を迫るという不祥事を書面で詫びることもなく(大家は廊下トンビの集金を許可した覚えがないとNHKに抗議したそうです)、NHK神戸放送局のサイトにお詫びが掲載されることも無し。そんな泥棒まがいの「公共放送」が怪しげな商売を推し、強引な集金を許可するのですから世も末です。



関空代行輸送を見る

2018-09-16 23:58:00 | 交通
三連休一発目は間に合いませんでしたが、連休明けから鉄道が復旧して本格稼働に近づく関空に行ってみました。



夜のニュースでもやっていた復旧現場のメディア公開にちょうど出会ったようで、メットをかぶってカメラを回す取材陣が空港方の橋桁が途絶した箇所に鈴なりでした。

りんくうタウンを拠点にシャトルバスに乗るわけですが、観光タイプもあれば路線タイプもあるという状況です。



距離も短いし路線タイプのほうが、と思うでしょうが、国際線利用者の荷物が対応できないんですよね。ノンステですが後方には段差があるわけで、収拾がつきません。



しかも立席承知で詰め込むから大変です。



空港発は時間帯がいいのか到着便と重なったのか、乗り場に2台着けているのにその後方はるかまで行列が伸びて、観光タイプは補助席まで埋めて満席なり次第の発車です。

空港連絡橋は対面通行でしのいでいますが、二層構造の部分、上下線間を跨ぐことが可能なんですね。構造上無理かと思っていました。



橋桁が撤去された箇所はまさに「すっぱり」消えて、普段は見えない近くの海面が見えます。



ちなみに鉄道ですが、りんくうタウンの関空方にある片渡りが命綱で、下り本線を引き上げ線にしてJR、南海の折り返しを行っていました。



イレギュラーなりんくうタウン折り返しですが、南海は「関西空港行き」の案内に徹底していますが、JRは「はるか」の日根野行きも含めて実態通り「りんくうタウン行き」「日根野行き」です。


(南海は関西空港行きとして案内)


(JRは実態通りに案内)

ただ関空快速側の表示は編成によってばらばらで、「りんくうタウン」を出している編成、前後は「関空/和歌山」になるやつもあるし、いろいろです。


(りんくうタウン行き)


(関空/和歌山の表示。りんくう/和歌山の表示もあった)


(「はるか」は日根野行き)

18日に大きく前進する関空ですが、一方でアクセスの車中からは地震に遭ったかのような屋根の損壊、ブルーシートが目立つ街並みが見えます。

そしてシャッターが閉められ人気のない関空駅。
ラチ外コンコースはエアロプラザとの通路なので通れますが、ターミナル側には大きく運休中の案内が。





りんくうタウンまでは無料、運賃徴収はりんくうタウンからと割り切ったため、通常の代行輸送のように乗車券類の購入を要しないので、窓口も含めて閉めています。


(なんばでは関空までの口座を閉鎖)

ターミナルも北側の一部が閉鎖されており、入れません。


(国際線出発)


(到着)

商業施設も限定オープンのためひっそりとしています。


(国内線出発)


(使用されているカウンターは賑やかです)

もちろん、使用されているエリアは人出も多く、間もなくの全面オープンが待たれます。





「自由」を持ち出すのであれば

2018-09-16 11:08:00 | ノンジャンル
自分の気に入らないこと、あるいは無関心なことについては、あらゆる可能性をこね回して規制に追い込む反面、自分のお気に入りのジャンルに関しては、あらゆる可能性を持ち出して髪の毛一筋の規制も許さない、というダブスタはもうお馴染みの世界ですが、またぞろそんな蠢動が目につきます。

内面的な自由でない限り、他者の自由との兼ね合いを十分考慮しないと、人の自由を束縛する自由を認めないといけないというパラドクスが発生します。その調整機能となるのが「公共の福祉」や「公序良俗」という概念ですが、皮肉にも道徳的規範に重なる部分が多く、そして個人主義だなんだといっても、社会の「ルール」に守られてはじめて成立するのです。

自分の快楽が他人の不快ということが多々ありますが、自分の快楽を我慢すべきケースもあれば、他人がその不快感を我慢しないといけないケースもあるわけで、その対応は千差万別です。とはいえそこに求められるのは他人に不快感を与える側の自制であり、他人に不快感を与えないと「自由」は達成できないのか、という判断を自らすることが求められます。

特に最近目に付くのが、本質となる「自由」に付帯するにすぎない事象を「自由」の名のもとに主張して、本質なる「自由」まで制約することやむなしというコンセンサスを醸成してしまうことです。他人の不快感への無配慮、不寛容が、付帯する事象も含む本質への不寛容を招き、結果として本質となる「自由」も失う。その経緯から、「自由」の喪失という重大事なのに民主主義社会でのコンセンサスを得てしまっている。非常に厄介な結果を招きます。

「自由」は民主主義により束縛されない、民主主義の大前提となる所与の条件なんですが、民主主義と対立するケースも多々あるわけです。あるいは「自由」を束縛する自由ということで民主主義プロセスによって規制されるリスクもあるわけですが、結局は自由を束縛するという民主主義プロセスによる結論に至らせないようにするには、自由に反するコンセンサスを醸成させないようにする努力が必要です。

そう考えると、足下繰り返されてきている状況はどうなのか。自分のお気に入り、お楽しみに関しては「自由」を最大限規定してやりたいようにする。反論は許さない、という姿勢が自由を守るのか。そんな自由は自由の名に値しない、というコンセンサスが醸成されたらどうなるのか。「自由」の行使で対立する利害調整は道徳的規範によってコンセンサスが得られる現状では、もしその「自由」が道徳的規範に抵触する概念を含有している場合、いとも簡単に排除されるリスクがありますし、実際に法令を無視した規制を行政が「要請」の名のもとに実施し、それを事業者が受容し、社会も特に異を唱えなかった実例もあります。


かつて左翼リベラル勢力が、日本における自由ガー、と国連かどこかで訴えて、こんなに自由な社会で何を言うか、と失笑を買ったことがありますが、基本となる「自由」を得るのに命懸けという国や社会が世界中にはたくさんある、というかそれが残念ながらスタンダードなのです。自由の束縛も当然と考えるケースも多いわけで、足下繰り返されている事象も、「国際基準」で見れば「自由」でも何でもなく、規制が当然、として見られるであろうレベルなのです。

そう考えると、あくまで「自由」を持ち出すのであれば、やはり「自由」を振りかざす前に、本質となる自由を守る為にも、付帯レベルでの自制が強く求められるのであり、それが全く見えない状況は、本質となる部分も含めて排除される隙だらけの行動に見えます。


故意の違反よりも恣意的取り締まり

2018-09-14 23:23:00 | 交通
恣意的な警察の運用を放置するから、信号のない横断歩道での一旦停止が義務になる、という取り返しがつかない事態になります。
ネットのニュースで北九州市でこうした取り締まりが、秋の交通安全週間を控えた特別取締理という名目とはいえ実施されているとのことですが、何度も言いますが、道交法38条を字義通り運用すると道路交通はマヒします。特に「横断しようとする」という動作をどう判断するのか。現場の警察官の恣意的判断に拠るわけですが、刑事罰が客観性を欠いた運用に任されることがなぜ横行するのか。

百歩譲って歩行者が横断している時、あるいは横断の意思を挙手などの手段により明示している時、と客観性を担保した基準に改正しない限り、この条項を厳格に適用するとそれこそ信号のない横断歩道では一旦停止を余儀なくされる、また38条の2により、横断歩道がない交差点で歩行者が横断を始めたら停止しなくてはならなくなるわけで、横断禁止指定場所であることはドライバー側からは見えないため、収拾がつかない状況になります。

そこまで歩行者は神様なのか。円滑な交通の実現に程遠いばかりか、実際には歩行者の故意の道交法違反を黙認している法の下の平等を著しく欠く差別的対応を放置していることが法治国家として妥当なのか。反クルマの連中はこうした法治国家としてあり得ない事態も、反クルマの主義主張に適えばOKとするという、ご都合主義の権化ですから話になりません。まさか他のシチュエーションで権力の行使ガーとか言っていないでしょうね。

交通弱者だから、という頭の悪い人も少なくないですが、弱者扱いがわかっているからそれを悪用するずる賢い連中なんですよ。
今朝だって4車線道路の信号交差点で、歩行者用も自動車用も赤信号なのに堂々と横断する老人がいましたが、よぼよぼと歩いているように見えて、クルマが接近しているように見えた瞬間、当社比2倍の加速モードに一瞬入ったわけで、弱者のふりをして信号を待つ手間を惜しむというインチキ、ズルをしているわけです。

歩行者用信号が赤になっても平然と渡る連中は日常茶飯事であり、交通弱者とか甘やかすのではなく、故意の違反者、犯罪者であると性悪説で取り締まるべき存在なのに、弱者だからと一旦停止を義務付けて交通マヒすら招こうとする姿勢はどうなのか。
赤信号を認識していながら平気で通るクルマが果たしてどれだけいるのか。歩行者の出現割合と同じだけ発生していたら、それこそ事故がどれだけ起こり、何人死ぬことやら、という話であり、それくらい悪質な違法行為をしているというのに、なぜに道交法の原則、一丁目一番地を枉げてまで優先するのか。

と、横断歩行者保護の強化における問題を指弾していますが、一方で横断歩行者を全く保護しないドライバーもいるわけです。
直進側の歩行者信号が青の段階で、鼻先を突き入れて怯むすきに左折するクルマ。あるいは減速する様子もなく歩行者を立ち止まらせるクルマ。信号交差点でも平気でやらかすクルマがいるのも事実です。この行為、それこそ赤信号無視とまではいかずとも故意に等しい違反であり、残念ながら関西のほうが明らかに多いです。

こうした行為が警察官の目の前で、というケースも実際に見ていますが、歩行者の多い信号付き横断歩道とかで取り締まっている様子を見たことがないのも事実であり、やるべき取り締まりをしないで、摘発基準が明確でない取り締まりをする、そして歩行者の違反には目をつぶる、という警察の姿勢が問題です。