Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

自分さえ良ければ、になっていないか

2015-09-24 23:35:00 | ノンジャンル
優先席付近での携帯電話の利用ルールが、首都圏でも混雑時のみご遠慮下さい、というものに変わりました。
既に変更している関西圏などに揃う格好ですが、この変更はユーザーからは遅すぎる変更、と不満ながらも歓迎されています。
しかし、この現状追認とも言うべき変更は本当に正しいのでしょうか。

優先席付近での携帯規制はそもそもペースメーカーなどの誤作動を理由にしていましたが、当初からそれは方便で、「迷惑行為」としての規制が多分に含まれるなか、迷惑という主観的なものではなく理由が付く範囲として医療機器の誤作動が前面に出ていたはずです。

当初から「迷惑行為」の側面が強く、少なくとも車内での通話は「ご遠慮下さい」となっていますが、メールやサイト閲覧などの行為は容認されているなかで、携帯、というかスマホという機能向上型の登場で、TVなど動画の視聴、さらには新聞、雑誌、書籍の閲覧と、従来車内で行われてきた行為の代替にも進出しており、車内では猫も杓子もスマホをいじっていると言っても過言ではない状況です。

一方で「迷惑」の度合いは確実にアップしているわけで、中には危険行為に類するものも目立ち、「歩きスマホ」の禁止についてはキャリア各社や交通事業者も推進しています。
しかしそれも通り一遍であるばかりか、全員がやっていることを規制するような状況と言うこともあり、事業者も規制のやる気を疑う状況ですが、迷惑の度合いという意味では年々ひどくなるばかりです。

特に混雑時にスマホを眺めている、ゲームや動画を見ている、という手合いは、自分の前になんとか空間を取ろうとするため、車内に本来ある有効空間が死んだ格好になります。これではE231系などのワイドボディ化も意味を成さないわけで、吊革に掴まらずにスマホに熱中してよろけて他人にぶつかる、吊革につかまってはいるが前の空間を空けるあまり、通路のど真ん中に立って乗降の邪魔になる、とか、迷惑行為は枚数に暇がありません。

着席していてもゲーム等に夢中で肘が当たったり、貧乏揺すりのような震動を全身で発したり、フラッシュする画面の光害とか、黙々とテキストを眺めているくらいしか迷惑にならぬ行為はないというような状況です。

携帯の規制が始まった頃、通話の規制については、外出先での通話を規制しては携帯の意味が無い、連絡等必要に迫られての行為まで規制するのか、という批判をしたことがありますが、足下の状況は、あくまで「本人にとっては」とはいえ、必要やむを得ずの行為はほとんどなく、ゲームや動画閲覧など「娯楽」に限りなく偏重した利用実態であり、「公共の場」において、そこまで「個人的な行為」を容認して良いのか、という本質的な議論が無いままに、方便ではあれ規制が緩和(撤廃)されることは、益々「迷惑」が増長することになります。

まあここまで普及するとどうしようもないんでしょうね。あれだけストイックに迷惑行為を指弾する世間の声、特にネット世界も、なぜかこの問題については大甘どころかだんまりです。電車内での「臭い」や飲食、またベビーカーの乗り入れに対するヒステリックな指弾と比較すると一目瞭然で、食事や育児という必然性を持つ行動を排除し、娯楽というなくても困らない行動を容認する姿勢は、要は自分に対する規制は困る、ということなんでしょうが、人に厳しく自分に甘い対応が説得力を持つのか、そしてそれに寄りかかるように規制を緩和して良いのか。よく考えたいものです。



偏見に基づく記事

2015-09-24 23:33:00 | ノンジャンル
今朝の朝日のオピニオン欄「ザ・コラム」に、日本財団に関する記者の囲み記事が出ていましたが、各種支援への取り組みを評価する一方で、言いがかりに近い難癖をつけているのはいかがなものか。

補助を出すのは会長一任であり、説明責任が求められる、というのですが、直前に、ODAなどと比較して透明性や実効性が高い、と評価しているわけで、じゃあ何で現状に問題があるの?という話です。世襲独裁はおかしい、とシンガメ[ルを例に引いて3代目へ世襲するとしたら問題、というのですが、強引過ぎる論獅ナす。

支離滅裂に近い論調ですが、要は文中にあるとおり、日本財団、かつての日本船舶振興会に対する偏見が結局拭えてないのです。
日本財団の福祉事業を記事にしようとしたら、先輩記者から記事にする必要はない、競艇の上がりなんだから、という指示を受けた話や、初代会長が「日本のドン」「フィクサー」「右翼の大物」と言うことへの抵抗感など、ある意味正直ではありますが、結局は自分もまたその固定観念にあるわけです。

財団内に資産を積み上げて、という批判も、その資産もまた補助の原資になっているわけで、競艇の収益をそのまま出すことは法令上難しいけど社会的に必要な案件に初代会長の個人資産から拠出していたことと同じでしょう。

まあ、やらぬ善よりやる偽善、という言葉がぴったり来る記事でした。



一瞬の欲目に惑わされたか

2015-09-24 00:32:00 | ノンジャンル
二つ目の金星はなりませんでした。というか、もう少し形作れた試合だったのに、パスミスからのターンオーバーで自滅して、点差がついて緊張が切れる、という悪循環でしたね。
「金星」の例えでいえば、自分十分の体勢をつくり場内から拍手がわいたところまでは良かったが、そこからの攻めが拙くて最後は完敗、という感じです。

前半スコットランドがPG4発というのもジャパンが雑だった証左ですし、後半もいい感じでプレッシャーをかけていたのに、一つのパスミスからゲームを壊してしまい、あとはいつものジャパン、という感じで得点を許してしまっています。

おそらく前半を5点差で折り返し、後半にPGを入れて2点差と迫り、「今回もいける」と思ってしまい隙ができたんでしょう。プレッシャーをかけてジャパンの形、と来たところで攻め急ぐ格好でミスが出ており、ターンオーバーも実にジャパンが1に対し、スコットランドは6ですから。

残り2試合、無欲で地道にやれば勝てない相手ではありません。何が良くて何が問題だったか。課題がはっきり見えた試合だったと思いますし、それを活かせば勝利、そして決勝トーナメント進出は決して夢ではないでしょう。


変幻自在の専用道

2015-09-23 22:28:00 | 交通
7月に気仙沼線を訪れた際に、志津川$エ水浜間の専用道経由のはずのベイサイドアリーナ通過便がR45を経由したことについて書きましたが、8月に再訪して現地を確認しました。


(注記が消された停留所)

結論から言うと、付近の河川改良工事ほかの影響で、清水浜側の専用道へのアプローチ道路が通行止になった影響で、R45経由になっています。


(使われなくなった専用道の志津川方インターチェンジ)

R45にある停留所の「ベイサイドアリーナ通過便は別の停留所から発車」という表示が消されており、ベイサイドアリーナ通過便の時刻が併記されていることから、6月の前谷地延伸時の改正からこの取り扱いになっているようです。(下記の占用許可は7月13日からとあるので、それに先立ち使用を停止したのでしょう)


(清水浜駅(R45)とあるが通過便も併記。平成27年6月27日改正とある)

近くに工事用の占用許可についての掲示がありましたが、一時占用が2018年、長期占用に至っては2025年とあり、通行止の場所の前にはかさ上げされた土地がそびえていることから、かさ上げもするようなので、かなりの長期戦になるようですが、その頃には歌津までの専用道も復旧して再開するのでしょうか。


(R45からそれて専用道へ向かう道はかさ上げされた土地が阻んで通行止)


(当時のままで残る清水浜駅と破壊された橋梁)

ちなみに清水浜駅上り線乗り場はコンビニの駐車場に併設でしたが、コンビニが姿を消し、工事用の事務所と宿舎になるプレハブが建っていました。


(専用道時代の大船渡駅。2003年8月)


(一般道上の大船渡駅(バスベイのところ))

BRT区間は津波からの復興事業としての土地区画整理がまだなので、陸前高田市内のように専用道を建設せず、経路も流動的になっているケースもありますが、専用道の運行をスタートした区間でも、上記のように運行を取りやめて一般道経由に戻すケースが出ています。


(盛駅方の専用道とのインターチェンジ)


(下船渡駅方のインターチェンジ)

訪問当時では大船渡市街が該当し、大船渡駅の前後が一般道経由になっていますが、これなんかは一般道経由になってから再移設と、事業の進捗に合わせて柔軟にコースを決めています。


(再移設の案内)

津波で破壊された河川改良に伴う変更も志津川$エ水浜間に続き、10月5日からは歌津@、前小泉間の専用道の一部が使えなくなり、陸前港、蔵内の両駅がR45に移設されます。


(陸前港駅)


(蔵内@、前小泉間のインターチェンジ)

まあこれは「戻る」と言ったほうがいいのかもしれないわけで、歌津@、前港間のみ専用道化した時のインターチェンジがそのまま残っているのも、こうした変更や異常時への対応でしょう。同様に気仙沼&s動の沢間など一般道とのインターチェンジを専用道が延伸しても残していますから。


(歌津@、前港間のインターチェンジを使っていた頃。2013年8月)


(R45上だった陸前港駅から工事中の専用道を見る。2013年8月)

歌津@、前小泉間は3年ほどの期間としていますが、専用道として整備してまだ2、3年で使用停止はなんとももったいなく、ならばR45経由を通しておけば、とも思いますが、「復旧」を目に見える形にするにはやはり専用道であり、無駄を承知で開通させたのでしょう。




「人権」で同一視したNHK

2015-09-23 10:36:00 | 時事
22日のNHKニュース9は、国連において人権問題が議論されました、と括って、欧州本部での北朝鮮の人権侵害に関する会議における拉致被害者家族のスピーチと、同じ場所における人権理事会での沖縄県知事の発言を同列に報じました。

まったく別個のニュース、つまり前者は人権の問題そのものであり、後者は政治あるいは外交の問題として扱うのであればわかりますが、この全く異なる事象を「人権」という普遍的、絶対的価値のカテゴリーで報じたNHKには悪意、あるいは「沖縄県知事推し」の露骨な偏向を感じます。

そもそも「自己決定権と人権」と言いますが、日本国全体の安全保障に関して沖縄という一地方が口を挟めるのか。昔から言われる自衛隊に関する法整備を揶揄する例え話として、有事の際、敵が上陸しそうなところに陣地を構築しようとしても、そこが民有地であれば地主の許可が必要なので立ち入ることができない、というものがありますが、「最前線」である沖縄における自己決定権とやらを突き詰めると、この例え話のような事態を招くわけです。

確かに沖縄への基地の集中は「異常」ですが、それが人権問題なのか。最前線に兵力が集中するのはある意味当然の話であり、ミサイル時代なんだから後方から攻撃すればよろしい、という県知事の認識は、沖縄は仮想敵国と我が国が後方から撃ち込んで陣取り合戦をする戦場にするだけの危険な発想です。

沖縄の犠牲は確かにあります。しかしその犠牲は、沖縄だけでなく我が国全部を守るためのものです。「本土のための捨て石」と批判する人もいますが、我が国全体の防衛を考えたら、どこかが犠牲になって防衛線とならないと、防衛という概念が成り立ちません。
自分たちが犠牲になるのはもうこりごり、という感情は理解できますが、それを真顔で受け入れたら、最悪は沖縄を含む日本全土が滅亡するのです。

このように、自己決定権、人権を振りかざしてこの問題を指弾することは、我が国全体の国益と合致しません。そういう意味でもこの問題は人権ではなく政治や外交、安全保障の問題です。「人権」という普遍的、絶対的価値のカテゴリーに持ち込んできたのはまさに県知事の政治的思惑なんですが、それを北朝鮮の拉致問題と同列に扱って報じたNHKの見識は厳しく問われるべきでしょう。