優先席付近での携帯電話の利用ルールが、首都圏でも混雑時のみご遠慮下さい、というものに変わりました。
既に変更している関西圏などに揃う格好ですが、この変更はユーザーからは遅すぎる変更、と不満ながらも歓迎されています。
しかし、この現状追認とも言うべき変更は本当に正しいのでしょうか。
優先席付近での携帯規制はそもそもペースメーカーなどの誤作動を理由にしていましたが、当初からそれは方便で、「迷惑行為」としての規制が多分に含まれるなか、迷惑という主観的なものではなく理由が付く範囲として医療機器の誤作動が前面に出ていたはずです。
当初から「迷惑行為」の側面が強く、少なくとも車内での通話は「ご遠慮下さい」となっていますが、メールやサイト閲覧などの行為は容認されているなかで、携帯、というかスマホという機能向上型の登場で、TVなど動画の視聴、さらには新聞、雑誌、書籍の閲覧と、従来車内で行われてきた行為の代替にも進出しており、車内では猫も杓子もスマホをいじっていると言っても過言ではない状況です。
一方で「迷惑」の度合いは確実にアップしているわけで、中には危険行為に類するものも目立ち、「歩きスマホ」の禁止についてはキャリア各社や交通事業者も推進しています。
しかしそれも通り一遍であるばかりか、全員がやっていることを規制するような状況と言うこともあり、事業者も規制のやる気を疑う状況ですが、迷惑の度合いという意味では年々ひどくなるばかりです。
特に混雑時にスマホを眺めている、ゲームや動画を見ている、という手合いは、自分の前になんとか空間を取ろうとするため、車内に本来ある有効空間が死んだ格好になります。これではE231系などのワイドボディ化も意味を成さないわけで、吊革に掴まらずにスマホに熱中してよろけて他人にぶつかる、吊革につかまってはいるが前の空間を空けるあまり、通路のど真ん中に立って乗降の邪魔になる、とか、迷惑行為は枚数に暇がありません。
着席していてもゲーム等に夢中で肘が当たったり、貧乏揺すりのような震動を全身で発したり、フラッシュする画面の光害とか、黙々とテキストを眺めているくらいしか迷惑にならぬ行為はないというような状況です。
携帯の規制が始まった頃、通話の規制については、外出先での通話を規制しては携帯の意味が無い、連絡等必要に迫られての行為まで規制するのか、という批判をしたことがありますが、足下の状況は、あくまで「本人にとっては」とはいえ、必要やむを得ずの行為はほとんどなく、ゲームや動画閲覧など「娯楽」に限りなく偏重した利用実態であり、「公共の場」において、そこまで「個人的な行為」を容認して良いのか、という本質的な議論が無いままに、方便ではあれ規制が緩和(撤廃)されることは、益々「迷惑」が増長することになります。
まあここまで普及するとどうしようもないんでしょうね。あれだけストイックに迷惑行為を指弾する世間の声、特にネット世界も、なぜかこの問題については大甘どころかだんまりです。電車内での「臭い」や飲食、またベビーカーの乗り入れに対するヒステリックな指弾と比較すると一目瞭然で、食事や育児という必然性を持つ行動を排除し、娯楽というなくても困らない行動を容認する姿勢は、要は自分に対する規制は困る、ということなんでしょうが、人に厳しく自分に甘い対応が説得力を持つのか、そしてそれに寄りかかるように規制を緩和して良いのか。よく考えたいものです。
既に変更している関西圏などに揃う格好ですが、この変更はユーザーからは遅すぎる変更、と不満ながらも歓迎されています。
しかし、この現状追認とも言うべき変更は本当に正しいのでしょうか。
優先席付近での携帯規制はそもそもペースメーカーなどの誤作動を理由にしていましたが、当初からそれは方便で、「迷惑行為」としての規制が多分に含まれるなか、迷惑という主観的なものではなく理由が付く範囲として医療機器の誤作動が前面に出ていたはずです。
当初から「迷惑行為」の側面が強く、少なくとも車内での通話は「ご遠慮下さい」となっていますが、メールやサイト閲覧などの行為は容認されているなかで、携帯、というかスマホという機能向上型の登場で、TVなど動画の視聴、さらには新聞、雑誌、書籍の閲覧と、従来車内で行われてきた行為の代替にも進出しており、車内では猫も杓子もスマホをいじっていると言っても過言ではない状況です。
一方で「迷惑」の度合いは確実にアップしているわけで、中には危険行為に類するものも目立ち、「歩きスマホ」の禁止についてはキャリア各社や交通事業者も推進しています。
しかしそれも通り一遍であるばかりか、全員がやっていることを規制するような状況と言うこともあり、事業者も規制のやる気を疑う状況ですが、迷惑の度合いという意味では年々ひどくなるばかりです。
特に混雑時にスマホを眺めている、ゲームや動画を見ている、という手合いは、自分の前になんとか空間を取ろうとするため、車内に本来ある有効空間が死んだ格好になります。これではE231系などのワイドボディ化も意味を成さないわけで、吊革に掴まらずにスマホに熱中してよろけて他人にぶつかる、吊革につかまってはいるが前の空間を空けるあまり、通路のど真ん中に立って乗降の邪魔になる、とか、迷惑行為は枚数に暇がありません。
着席していてもゲーム等に夢中で肘が当たったり、貧乏揺すりのような震動を全身で発したり、フラッシュする画面の光害とか、黙々とテキストを眺めているくらいしか迷惑にならぬ行為はないというような状況です。
携帯の規制が始まった頃、通話の規制については、外出先での通話を規制しては携帯の意味が無い、連絡等必要に迫られての行為まで規制するのか、という批判をしたことがありますが、足下の状況は、あくまで「本人にとっては」とはいえ、必要やむを得ずの行為はほとんどなく、ゲームや動画閲覧など「娯楽」に限りなく偏重した利用実態であり、「公共の場」において、そこまで「個人的な行為」を容認して良いのか、という本質的な議論が無いままに、方便ではあれ規制が緩和(撤廃)されることは、益々「迷惑」が増長することになります。
まあここまで普及するとどうしようもないんでしょうね。あれだけストイックに迷惑行為を指弾する世間の声、特にネット世界も、なぜかこの問題については大甘どころかだんまりです。電車内での「臭い」や飲食、またベビーカーの乗り入れに対するヒステリックな指弾と比較すると一目瞭然で、食事や育児という必然性を持つ行動を排除し、娯楽というなくても困らない行動を容認する姿勢は、要は自分に対する規制は困る、ということなんでしょうが、人に厳しく自分に甘い対応が説得力を持つのか、そしてそれに寄りかかるように規制を緩和して良いのか。よく考えたいものです。