Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

再禁輸

2006-01-23 17:40:07 | 時事
何だかと言う話です。前日に本場鶴橋で焼肉を食べてきたばっかりだけに(爆)

それにしても、1月も経たないうちに早くも違反物件です。それも全量調査ではなく抜き取り調査で見つかったのですから、他も疑わないわけにはいきません。普通、どんなに悪意があったとしても、最初くらいはしおらしく真面目にやるでしょうに、最初っからこれではいかに我が国をなめきっているかがよく分かります。

兎にも角にも、条件の充足を確認すると言う行為には、ある程度「信用」が介在しての話だったわけです。それが崩れたのでは、今後何が正しいのかをまず疑わざるを得ないわけで、再開どころの話ではありません。

あれこれ

2006-01-22 00:00:36 | ノンジャンル
新年しばらくはなぜか夜のお呼びがかからなかったのですが(笑)、ここに来て怒涛のラッシュ状態になっています(苦笑)
先週まで訳あって早起きをしていたんですが、その疲れと飲み疲れで結構しんどいです。今週もこれからラッシュ状態ですし...

年末の旅行関係の写真が上がってきました。というわけで未だに銀塩を後生大事に使っています(笑)デジカメも簡単なやつをサメ[ト&記録用に使っていますが、デジタル一眼でないのでここ一番は銀塩になってしまいます。
写真も出来たのでレメ[トを、と言いたいところですが、写真がとうに上がっている夏のレメ[トも満足に出来てないだけに、しばらくは皆様にお待ち頂く日々になってしまいそうなので、予めお詫び申し上げます...




もうひとつの「光の都」

2006-01-18 23:46:33 | ノンジャンル
11年目の震災の日を迎えました。
払暁、近所であった黙祷の集いに参加して、ロウソクを手に黙祷し、献灯してきました。

退勤後、今度は三宮の東遊園地に行って来ました。ある意味お馴染みになった「1.17」の駐宸フ灯りが輝き、子供たちが作った行灯が光っています。駐宸ナ作られた「1.17」の文字は、一重ではなく二重三重になっていますが、この無数の駐宸ヘ、関連死も含めた6500人余の犠牲者の数と一致します。そう考えた時、犠牲者の数がいかに多いかを痛感します。
その灯りを前に、手を合わせる人、ロウソクを供える人、さまざまな人々の上にはやや力強い音楽が流れています。

ここはルミナリエの円形オブジェの会場ですが、光と音楽が織り成す情景はルミナリエと対照的です。というか、12月のルミナリエと1月17日は、鎮魂というテーマは同じであり、動と静、陽と陰というように、対になった行事だと言う感じがします。
光り輝くアーチに流れる荘厳な音楽に対し、か細い灯りにやや力強い音楽。意図しているのか偶然か、実に対照的です。

ルミナリエと「1.17」、同じ場所で両方を体験してみると、また違う意味が見えてくると思います。

***
写真は黙祷のあと登った払暁の岡本・保久良神社から見た市街地。
山手は被害が少なかったと言われますが、神社は悼B鳥居や写真の石灯籠は崩れました。早朝登山のメッカである同地ですが、休憩所が悼オて4名の犠牲者を出すなど、山手も大変だったのです。




11年目

2006-01-17 23:52:11 | ノンジャンル
今年もまたこの日がやってきました。
直接の被害は受けてはいない私ですが、間接的な影響を受けており、かつ、縁あって神戸、しかも被害が甚大だった東灘区に住むことになるなど、年を経るごとに震災とのかかわりが深まる気がします。

11年経って、メディア等が震災を取り上げると、まだ震災の話?と言う声も聞こえてきますが、決して忘れるべきものではないですし、風化したころに災害は繰り返すものです。
そして、表面では復興したとは言っても、未だに辻々には11年前の痕跡がはっきりと残っているのです。

大地震と言うと、関東大震災の記録から火災を恐れるケースが多いですが、実際にこの地を襲ったのは、長田や兵庫あたりですと火災も多かったですが、実は瞬時にして建物が悼キる、という一瞬の惨劇なのです。
それは何も木造に限らないわけで、それまで誰も想像しなかったこと、そう、「防災訓練」でもそういう想定を誰一人想定していなかったことが発生したわけです。

そうした事実は長く語り継がれるべきですが、そういう大事なことは風化しているような気がします。

写真は、当時メディアがこぞって取り上げた避難場所だった、本山第三小学校です。あの時毎日のようにメディアで見聞きした場所が、身近になるとは夢にも思いませんでした。




成人式異聞

2006-01-14 23:38:12 | 時事
年末年始の疲れが出たのか、泥のように眠っていました(苦笑)
とどめを刺すかのように木曜日に東京出張が入り、日帰り往復したのが致命的だったようです。

さて、朝日が夕刊の「素粒子」と言うコラムで、先が思いやられるもの尽くしとして挙げた中に、「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」と書いたのに対して、浦安市が猛反発しています。

夕刊のコラムと言うと、朝日の「素粒子」のほか、毎日の「近事片々」など、どちらかというとワサビが効いていると言うか、毒を効かしたような小文なんですが、今回のはどうでしょう。
私自身それを見たとき、まあ「ネズミ踊り」は品がないなとは思いつつも、夕刊コラムらしい効かせ方にニヤリとしたんですが、真顔で捉える人もいたようです。

まあ浦安とTDRは切っても切れない関係とはいえ、式の会場がTDLで、時間は短いとはいえキャラクターが出てくるアトラクション付きという「成人式」、コラムニストに茶化される隙が無かったといえばウソになるでしょう。

TDRをはじめとするテーマパーク、まあ有り体に言えば「遊園地」ですが、大人も確かに楽しめますが、それは「童心に帰って」という枕詞がつく話でしょう。少なくとも、「大人が楽しむエンターテイメント」であれば、遊園地で目を輝かせる子供たちは「マセたコドモ」になってしまいますから...

その存在意義などが問われていることは抜きにして、少なくとも現時点では一生に一度の「成人になる」という通過儀礼の場とされている(だからこそ会場での馬鹿騒ぎをはじめとした無秩序が批判されるのでしょう)「成人式」、つまり、「童から大人になる」式を、よりによって「童心に帰る」場で敢えて行うべきなのか。
そう考えたら、文章に品性がないと言うような瑣末な問題はともかく、ああいう形で皮肉られても仕方がないのではと思います。

ちなみに浦安の場合、式典は新成人が企画するという自主性を持っていますが、それだけに「大人」である市側のアドバイスもさることながら、自分たちがそういう場所を選んだと言う建前としての意味で批判を受ける隙があるのです。