Straphangers’ Room2022

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突然の辞職

2009-07-30 00:34:00 | 時事
横浜市の中田市長が辞職を表明しました。
来年4月までの任期を10ヶ月ほど残しての辞職には様々な憶測が飛び交っていますが、この時期の辞職については、任期満了まで勤めた場合、9月以降に行う来年度の予算編成を退任が決まっている市長が行うのはどうか、と説明しています。

確かに一理あるとはいえ、そうなると現在「統一地方選」は4月に実施されていますが、遍くどの自治体も同じ問題に直面するわけで、ひとり横浜市だけの問題ではなく、全国規模の問題であると発信して対応を促す問題であり、自分が辞める理由付けだけに使う問題ではないはずです。

見方を変えれば、「統一地方選」でもその「問題」が論点にならないあたり、新任者は既に決まっている予算を粛々と実行し、どうしても問題であれば予算の見直しをすればいいだけで、そんな大上段に構える話でない、というのかもしれません。
そもそも行政には連続性が求めらるのであり、首長の個性がある程度反映されることはあっても、予算の割り返しと言った行政の断絶とも言える事態は好ましくないのです。




その中田市長が民放の朝のニュースショーで持論を滔々と語り、一方的な演説状態にキャスターに遮られると言う一幕もありました。
それもどうか、と言う感じですが、その「演説」を聞いてどうも首をかしげたことがあります。

ここからは非常にセンシティブな話題になるわけですが、上記の通り三選はしない、退任が確定している首長がいくら旗を振っても、退任間近になると新しい首長の登場をにらんで適当にやり過ごす、という弊害が不可避です。
要は「死に体」なんですが、その部分の説明に中田市長が再三再四「レームダック」と言う言葉を使ったのです。

「レームダック」は米国由来のスラングとまでは言いませんが俗語であり、意味は退任が決定して影響力が無い状態として、もっぱら政治家に対して使われます。
転じて役立たずといった、どちらかと言うとネガティブな比喩として使われることがもっぱらです。

一種の「外来語」なんですが、字義通りの意味を見ると「足の悪いアヒル」となるわけで、非常に微妙な比喩であることが分かります。
ですからスラングとしての意味は説明しますが、言語の字義通りの意味はあまり紹介されないことがほとんどですが、米国での政治用語として確立していることもあり、日本でも米国同様の意味合いで使われています。

「レーム」の和訳は押し並べて「足が不自由」であることを示す言葉になっており、日本ではこれをメディアや公の場で使用することが憚られる風潮にありますが、横文字になるとタブーが解けるのかメディアや公人が普通に使うのです。

こういった身体的障害を表す言葉については、本来状態を示す言葉であり、それ自体には差別的要素はなく、言葉自体をパージするのはまさに「言葉狩り」と言えます。逆に差別的意図を持ってこういった言葉を使う手合いは、「言葉狩り」で言い換えられた言葉に今度は差別的意味を持たせて使うわけで、極端な例を言えば本来意味も持たない記号でもなんでも、その対象となる存在を特定する形で使用することで意味を持たせることが可能であり、「言葉狩り」は事の本質の解決にはなっていないのです。

さらにそのあおりを受ける格好で、本来的意味である「状態を示す」修飾や比喩として使われている慣用句も道連れでパージされてきたわけですが、そういった言葉は状態の比喩ですから何の差別的意図どころかネガティブなイメージすら持っていないことも多いです。

「日本語」に関してはここまで形式基準でパージしてきており、その先頭に立っていたのがメディアであることは間違いないでしょう。まったく差別的意図も持たず、修飾や比喩としての慣用句で使っても、「ただいまの内容で不適切な表現が...」と言うシーンを何度見てきたことか。

ところがそれが横文字になるとかくも違うわけです。
私が見ていた番組でも「不適切な表現」などといわれることは全くありませんでした。
しかし、「レームダック」の字義通りの意味と本当の意味を比較すれば、状態を示すどころじゃないわけです。「足が悪いアヒル」=「影響力が無い」「役立たず」です。「アヒル」と言う言葉だけがこうした状態を指すわけは無いですから、「足が悪い」がもっぱらこの意味の形成に寄与しているわけです。

これはどう考えてもアウトでしょう。
状態から来る比喩ではなく、その状態にネガティブな意味を持たせた慣用句ですからたちが悪い。

一方、日本で「言葉狩り」にあった慣用句の多くは、若干のネガティブイメージはあるにしろ、基本はその状態を比喩に用いたわけで、意味もその状態に必然的に付帯する帰結としてのマイナス面をベースにした客観的な状態に関する比喩といえます。
今回は敢えて例示としての表記もしませんが、代表的な慣用句の「状況が分からない状態に置かれる」とか「内容を確認しないで判子を押す」と言う意味は、確かにネガティブな意味はありますが、その状態が招く直接的なデメリットを客観的にトレースした範囲での比喩である慣用句と言えます。
※後者に関しては「いい加減」という意味もあるので「レームダック」に近いともいえますが。

そう、「足が悪いアヒル」の場合、足が悪ければどうなるのか。進みが遅い、というような、その状態が招く結果をベースにした比喩としての意味であれば許容範囲でしょう。
それが「影響力が無い」「役立たず」というのはその状態に対する主観的評価に基づく比喩であり、よしんば実際にそうであっても言ってはならない評価を意味とする、本来避けるべき言葉と言えます。

そもそもそのような状態の政治家を示すときに「レームダック」以外の表現ができないと言うこともないわけで、勝負は付いていないが結果は変わらない、と言う意味である「死に体」という相撲由来の言葉がまさに当てはまるので、敢えて問題を孕む言葉を使う必要もないのです。(そもそも「死に体」は「レームダック」の説明に用いられることが多い)
※「死に体」は、土俵を割ったり土が付いて勝負が決まった状態ではないが、つま先が上を向いて唐齊nめたり、土俵外の空中に体が舞うなど、土俵内で残る見込みが完全に潰えた状態を示す相撲用語。


言葉狩りをする傍らで、「レームダック」を無検証で使用するようなスタンスは、何が問題で何を改めないといけないのか、という検証を欠いた、形式だけ注意すればいいと言うありがちな対応であり、それでは問題の本質的な解決には縁遠いです。

こうした形式と本質の主客転唐ヘ、この手の問題に限らず、あらゆる場面で見られる話であり、我々が日々注意していかないといけないことなのです。