Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

LC車はクロスで乗り入れ

2009-07-02 23:56:00 | 交通
ジャーナル6月号の書評をした際に、阪神なんば線開業による近鉄、阪神の相互直通で近鉄のLCカーがクロス仕様で乗り入れていたことを初日のハプニングと書いた記事を、初日その場にいたから分る記事と評価しました。

確かにいろいろなところで、相互乗り入れはロング車で、と言う話を聞いており、私も実は当日阪神なんば線に乗っていて近鉄車のクロス運用は確認しているのですが、初日のそれはハプニングなんだろうな、と思っていました。

その後何回か神戸に行ってますが、幸か不幸か直通電車を見るのは決まって平日ラッシュ時とあって、ロング仕様での運行のみ見ており、それが終日なんだと信じていました。

ところが先日神戸に行った際、仕事のアヤで平日日中に阪神に乗る機会があったのですが、近鉄車の快急がクロス仕様で運転されているじゃないですか。
この時は週末までいたのですが、休日日中もクロス仕様で、尼崎以東の準急などの折り返しもクロス仕様です。


(阪神三宮で発車を待つ奈良行き快急。車内はクロスにセットされている)

こうなると当初の申し合わせは何らかの事情で修正されたのかもしれません。
もちろん4月21日発売のジャーナルの場合、入稿までにその変更が判明したとも思えないわけで、これは仕方がないことです。

LC車ですからラッシュ時はロングになるわけで、常に転クロの阪神車とは違うとはいえ、阪神なんば線が予想以上に好調という源泉である観光やお出かけ需要を対象とした時、近鉄車の方が魅力的に見えるかも知れませんね。

直通特急が運行開始され、阪神線内に転クロの山陽車が恒常的に入ってくるようになりましたが、特に直特が毎時4本になり乗り入れが増えた当初、休日なんかは梅田駅で転クロの山陽車を待つ人を少なからず見かけており、またもや阪神は「イマイチ」感を持たれてしまうのか心配です。





文化への理解が問われる

2009-07-02 23:50:00 | 時事
国立メディア件p総合センター(仮称)に対する風当たりが強いです。

この政局の季節にまたぞろ民主党批判となって恐縮ですが、鳩山代表の「国営マンガ喫茶」という判りやすい?フレーズによる批判が独り歩きしていること自体が、そもそもこの施設のコンセプトを全く理解していないとしか言いようがないのです。

「マンガ」と切って捨てるのはあまりにも単純化しすぎであり、いわゆるメディアアートというジャンルに関する拠点と言う認識をしている人がどのくらいいるのか。民主党だけでなく自民党側にもこの手の批判に同調する議員が多いあたり、そもそもこれを審議する国会議員が根本的に勘違いをしているか、理解できていないかのいずれかを疑わざるを得ません。もしくはマンガをはじめとするメディアアートを理解していないと言うより、文字通り「一段低く」見るという蔑視のスタンスが見え隠れします。

確かに不況の中、予算執行の優先順位の問題は傾聴に値するものではありますが、しかしながら民間や篤志家に任せるだけだったこの手のサブカルチャーの体系的な保管や収集の現状がどうなのかを考えると、これでも時すでに遅し、なのかもしれないのです。

評価の固まった伝統文化か、「舶来」の文化といった「お件p」をありがたがる風潮がどうしてもあるわけですが、今回の一件は、そうした「折り紙」を見て安心できる「お件p」だけでなく、現代の文化をきちんと評価できるかどうかというセンスが問われるのです。

先に臓器移植法案につき、党議拘束をかけることなく各党は各議員個人の考えで投票したことで、臓器移植と脳死に関するスタンスや理解を推し量ることができたことは有意義でしたが、この問題も各議員個人の考え方で審議させていれば面白かったですね。彼らがこの手の文化をどう理解しているかが判りますから。

さて、そうした「現代の」日本件pに対する無理解と蔑視は何もこの現代だけでないわけで、江戸期から明治期の浮世絵に対する「件pとしての評価」が今日どういう結果を招いたか。同時代に早くも世界的に評価されていた浮世絵の本国では、その体系だった研究や保存が欠落しているという取り返しのつかない事態になっていたのです。

同様に「国営マンガ喫茶」と言う批判だけを良しとしているうちに、日本のメディアアート、コンテンツ産業の「歴史」を後世に残す機会がどんどん失われていくのです。浮世絵同様、あれこれ推理を交えた「野史」はあっても「正史」がないままでいいのか。浮世絵の失敗を繰り返してはいけません。







「子ども手当」に潜む増税

2009-07-02 23:32:00 | 時事
任期満了が近づき、否が応でも総選挙をせざるを得ない中、解散権を行使する時期の選択肢もまた狭まっています。各党も声高に選挙目当ての政策を連呼するようになって来ましたが、今回のように政権選択というか、政権交替の可能性が大きい場合は、その政策というものを詳らかにして国民が適切な判断を行えるようにすべきです。
政権交替によりこれまでなかった政策を実行するわけですから、それがどう国民生活に影響を及ぼすのか、そこを詳しく分析、提供することは政党だけでなく、政局を報じるメディアにも強く望まれる部分ですが、従前の通り「野党贔屓」で政権交替ムードを煽るだけという面は否めず、本当にこの政策でいいのか、という部分が置き去りになっている感じがします。

なぜこんなことを、というと、今朝の朝日新聞に、民主党のマニフェストに絡む財源の話が出ていましたが、マニフェストの目玉の一つである「子ども手当て」と引き換えに、所得控除のうち配偶者控除、扶養控除の廃止が「財源」として出ていたのです。

中学卒業までの子供に一律月額2万6千円支給、というアドバルーンはかなり有名で、2人いれば年間62万4千円はこれは大きいな、と漠然と歓迎している人も多いでしょう。
しかし所得控除の廃止がセットとなると話がかなり変わってきます。

まず子供がいない家庭はただの増税です。
配偶者および扶養控除の額は1人当たり所得税で33万円、住民税で38万円です。
課税所得が330万円以上、額面だと500万円程度でしょうか、この層は所得税率20%、住民税率10%ですから33万円×20%+38万円×10%の年10万4千円の増税です。

子供がいれば「子ども手当て」が入りますが、子供1人当たり年10万4千円の増税に対し、「子ども手当て」が年31万2千円ですから1人当たり20万8千円の黒字です。ただし配偶者の分である10万4千円が「定額増税」になります。
また控除がなくなることで課税所得が増えますから、課税所得330万円(10%→20%)、695万円(20%→23%)、900万円(23%→33%)の刻みを超えてしまう場合、特に330万円と900万円の「壁」を超えると前者で7万円、後者で3万円の負担増になります。

子供2人の4人家族の場合、標準的な「中流」家庭なら、正味の「手当て」は年間31万2千円と名目の半分です。1人月額2万6千円といいながら、実態は第1子は月額9千円弱、第2子以降は1万7千円強に過ぎないのです。これでもかなり羊頭狗肉ですが、まあ増えるのだから良しとしたいところです。

ところが本当に問題なのはここからです。
「子ども手当て」の対象は中学校卒業までまでです。ところが現行の所得控除は「生計を一にする」限り所定の所得に達しなければ対象になります。
要は高校生、大学生を持つ家庭は「子ども手当て」の対象外であり、所得控除の廃止という増税だけを負担するのです。

標準的な「中流」で子供2人の4人家族の場合、年間31万2千円の増税です。義務教育が終了し、教育費が急増する時期の世帯収入が手取りで31万円も減るというのはかなり厳しいです。
もともと実態は第1子は月額9千円弱、第2子以降は1万7千円強に過ぎない羊頭狗肉というか朝三暮四という内容なのに、中学卒業後は増税だけが待っているというとにかくかなり胡散臭い内容です。
とはいえいちおうトータルではプラスですから、中学校卒業までに貰った分を学資保険の類に預けて備えろとでも言うのでしょうか。だったら初めからわかりやすい制度設計であるべきです。

2004年に配偶者特別控除を事実上廃止しましたが、今回はさらに踏み込んだ給与所得者の控除の根幹でもある部分の「廃止」となるわけです。
税金計算の根幹をいじったら、それが増税方向であるだけに、元に戻るのはまず不可能です。一方で「子ども手当て」のような付加給付の場合、給付額そのものは時の政権、議会の動向などで簡単に増減する危険性があります。

気がついたら所得控除はなくて、「子ども手当て」もすずめの涙、という泣きっ面に蜂という事態にならない保証はありません。なにせ「恒久」減税が数年で終わるような国ですから。
そもそも税金に関して、取れるところからは取るという姿勢に与党も野党も変わらないということを強く認識すべきです。その最たる例として、目的税である道路特定財源を、目的がなくなってもそのまま徴収することに与野党から反対はありませんでした。あまつさえ目的達成のための追加である暫定税率ですらそのままであり、民主党にしても財源が確保できないのなら暫定是率の撤廃を見送ろうと一時期主張したくらいです。

割を食うのはいつも納税者であり、それだけに納税者の意識向上が不可欠なのです。
そのためにも正しい情報の提供が必要と考えます。