道路特定財源の2009年度からの一般財源化が閣議決定されました。
政府、与野党はもちろん、それを伝えるメディアからも一般財源化への賛意しか聞こえてきません。今あるお金を有効に使う、有意義に使えるといったバラ色の未来を振りまいているわけですが、そこには納税者の視点というものが全くありません。
兆円単位のお金が一般財源化で使えるようになるわけですから、そりゃ「使う側」に立てば諸手を上げて賛成に回るでしょう。地方自治体の首長も、一般財源化を前提に、道路予算にいかに配分されるか、分捕れるか、という議論になっていますが、この巨額な資金がどうして国や地方が集め得たのか、という根本が欠けています。
降って湧いたお金であれば自由に分捕り合戦をすればいいのですが、この「道路特定財源」は誰が何のために納めたのか。それを考えた時、一般財源化とそれを前提にした分捕り論は納税者に対する重大な背信であり、泥棒猫にも劣る行為です。
税金が公務員の福利厚生や娯楽に流用されたと言って大批判するのはなぜか。税金というものはそういう使途に使われる前提で徴収されていないからです。
同様に道路特定財源は、一般財源として使われる前提で徴収されていません。いかに無駄に使われているにしても、それを改めたとしても、余剰分は減税する以外はありませんし、1円たりとも流用はできません。流用したら、娯楽への流用と同じです。
いまいちピンとこない学生さんあたりに例示すれば、公立学校で納めていた学費が実は余剰気味で、今の半分程度で十分なはずだったのに、余ったお金は先生の慰安旅行に使われていた。これはケシカランということになりましたが、学費を値下げするのではなく、学校とは関係ない公立病院の経営に使いましょう、ほら、医療は大事だから有意義に使えるでしょう、というようなものです。
それで現在必要な額の倍近くを納める学費を納める学生さんの側は納得がいきますか?ということなのです。
そもそも、道路という「ハコモノ」を批判して一般財源化って正しいね、と誘導しているわけですが、一般財源化というのは、道路以外のハコモノの公共事業一切や、一般の公務員の諸手当などこれまで批判の対象となっていた歳出への充当が「合法化」されることを意味するのです。
そして兆円単位の歳入が創出されることで、これまでの行財政改革の成果が無になる危険性もありえるのです。
要は「道路だけで使わずに、みんなでおいしく使いましょうよ」という分捕り合戦、言いかえれば古い利権から新しい利権への付け替えに過ぎません。「無駄」といいながら、その分をきっちり使うことしか考えていません。
与野党もメディアもそのおこぼれに何かしらあずかれるから、呉越同舟で賛同しているのです。
一納税者として、それが許されることかどうか。このようなことが罷り通っていいものか。
一般財源化は最終的には税法の改正という立法府の判断を必要としますが、その立法府に対して主権を行使する納税者として、よく考えていきたいものです。
政府、与野党はもちろん、それを伝えるメディアからも一般財源化への賛意しか聞こえてきません。今あるお金を有効に使う、有意義に使えるといったバラ色の未来を振りまいているわけですが、そこには納税者の視点というものが全くありません。
兆円単位のお金が一般財源化で使えるようになるわけですから、そりゃ「使う側」に立てば諸手を上げて賛成に回るでしょう。地方自治体の首長も、一般財源化を前提に、道路予算にいかに配分されるか、分捕れるか、という議論になっていますが、この巨額な資金がどうして国や地方が集め得たのか、という根本が欠けています。
降って湧いたお金であれば自由に分捕り合戦をすればいいのですが、この「道路特定財源」は誰が何のために納めたのか。それを考えた時、一般財源化とそれを前提にした分捕り論は納税者に対する重大な背信であり、泥棒猫にも劣る行為です。
税金が公務員の福利厚生や娯楽に流用されたと言って大批判するのはなぜか。税金というものはそういう使途に使われる前提で徴収されていないからです。
同様に道路特定財源は、一般財源として使われる前提で徴収されていません。いかに無駄に使われているにしても、それを改めたとしても、余剰分は減税する以外はありませんし、1円たりとも流用はできません。流用したら、娯楽への流用と同じです。
いまいちピンとこない学生さんあたりに例示すれば、公立学校で納めていた学費が実は余剰気味で、今の半分程度で十分なはずだったのに、余ったお金は先生の慰安旅行に使われていた。これはケシカランということになりましたが、学費を値下げするのではなく、学校とは関係ない公立病院の経営に使いましょう、ほら、医療は大事だから有意義に使えるでしょう、というようなものです。
それで現在必要な額の倍近くを納める学費を納める学生さんの側は納得がいきますか?ということなのです。
そもそも、道路という「ハコモノ」を批判して一般財源化って正しいね、と誘導しているわけですが、一般財源化というのは、道路以外のハコモノの公共事業一切や、一般の公務員の諸手当などこれまで批判の対象となっていた歳出への充当が「合法化」されることを意味するのです。
そして兆円単位の歳入が創出されることで、これまでの行財政改革の成果が無になる危険性もありえるのです。
要は「道路だけで使わずに、みんなでおいしく使いましょうよ」という分捕り合戦、言いかえれば古い利権から新しい利権への付け替えに過ぎません。「無駄」といいながら、その分をきっちり使うことしか考えていません。
与野党もメディアもそのおこぼれに何かしらあずかれるから、呉越同舟で賛同しているのです。
一納税者として、それが許されることかどうか。このようなことが罷り通っていいものか。
一般財源化は最終的には税法の改正という立法府の判断を必要としますが、その立法府に対して主権を行使する納税者として、よく考えていきたいものです。