Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

血税に群がるさもしさ

2008-05-14 13:53:30 | 交通
道路特定財源の2009年度からの一般財源化が閣議決定されました。

政府、与野党はもちろん、それを伝えるメディアからも一般財源化への賛意しか聞こえてきません。今あるお金を有効に使う、有意義に使えるといったバラ色の未来を振りまいているわけですが、そこには納税者の視点というものが全くありません。

兆円単位のお金が一般財源化で使えるようになるわけですから、そりゃ「使う側」に立てば諸手を上げて賛成に回るでしょう。地方自治体の首長も、一般財源化を前提に、道路予算にいかに配分されるか、分捕れるか、という議論になっていますが、この巨額な資金がどうして国や地方が集め得たのか、という根本が欠けています。

降って湧いたお金であれば自由に分捕り合戦をすればいいのですが、この「道路特定財源」は誰が何のために納めたのか。それを考えた時、一般財源化とそれを前提にした分捕り論は納税者に対する重大な背信であり、泥棒猫にも劣る行為です。

税金が公務員の福利厚生や娯楽に流用されたと言って大批判するのはなぜか。税金というものはそういう使途に使われる前提で徴収されていないからです。
同様に道路特定財源は、一般財源として使われる前提で徴収されていません。いかに無駄に使われているにしても、それを改めたとしても、余剰分は減税する以外はありませんし、1円たりとも流用はできません。流用したら、娯楽への流用と同じです。

いまいちピンとこない学生さんあたりに例示すれば、公立学校で納めていた学費が実は余剰気味で、今の半分程度で十分なはずだったのに、余ったお金は先生の慰安旅行に使われていた。これはケシカランということになりましたが、学費を値下げするのではなく、学校とは関係ない公立病院の経営に使いましょう、ほら、医療は大事だから有意義に使えるでしょう、というようなものです。

それで現在必要な額の倍近くを納める学費を納める学生さんの側は納得がいきますか?ということなのです。

そもそも、道路という「ハコモノ」を批判して一般財源化って正しいね、と誘導しているわけですが、一般財源化というのは、道路以外のハコモノの公共事業一切や、一般の公務員の諸手当などこれまで批判の対象となっていた歳出への充当が「合法化」されることを意味するのです。
そして兆円単位の歳入が創出されることで、これまでの行財政改革の成果が無になる危険性もありえるのです。

要は「道路だけで使わずに、みんなでおいしく使いましょうよ」という分捕り合戦、言いかえれば古い利権から新しい利権への付け替えに過ぎません。「無駄」といいながら、その分をきっちり使うことしか考えていません。
与野党もメディアもそのおこぼれに何かしらあずかれるから、呉越同舟で賛同しているのです。

一納税者として、それが許されることかどうか。このようなことが罷り通っていいものか。
一般財源化は最終的には税法の改正という立法府の判断を必要としますが、その立法府に対して主権を行使する納税者として、よく考えていきたいものです。




大地震への対応

2008-05-14 13:18:22 | 時事
中国四川省の大地震、当初は学校の悼ナ数人が死亡という話だったのが、1万人を超える犠牲者が確認される大惨事になりました。

1995年の阪神大震災の記憶が蘇るような光景です。これだけの大規模な悼ヘ、経済発展では後進の内陸部ゆえ経済発展が優先され、耐震基準が甘いと言う事情もあるのでしょうが、阪神大震災の20倍という地震の規模によるところも大きいです。

阪神大震災の時も、1年前のロス地震での高速道路悼ノ対し、日本では起こりえないと言う認識だったし、地震災害というと1923年の関東大震災での大規模な火災被害がまずありきで、構造物の大規模な悼ニいう阪神大震災の被害はまさに想定外でした。
そういう意味では、今回のような巨大な直下型地震がもし日本の大都市圏で発生した場合、あのような大規模な生き埋めなどの大惨事が発生しない保証は無いのです。

さて中国と言えばチベット問題への対応や、世界中を巡った聖火リレーでの傍若無人振りが顰蹙を買っていましたが、一転して巨大な自然災害の犠牲者として注目を集めることになりました。
今後は国際社会からの支援が集まることになるわけですが、「あの中国だから...」と支援のやり方に注文をつけたりする声も聞こえてきます。

確かにサイクロンで莫大な被害を出したミャンマーの例もあるわけですが、かといって被災地の政治体制が気に食わないから支援は手控える、ということもいかがなものでしょうか。
相手がいかに気に食わなくとも、こういう大きな犠牲を出した災害において、支援に濃淡をつけたり、口をあれこれ差し挟むと言うのは、それこそチベット問題で中国を批判した根拠ともいえる自由と人権を標榜する先進国家のやり方ではありません。

もちろん支援物資の行く末に注意を払う必要はありますが、まず支援して、もしそれが不適切な結果になったとしたら、「被災者の上前をはねた極悪人」として指弾すればいいだけであり、そうなるかもしれないからと言って支援そのものに及び腰であったり、批判的であるべきではないでしょう。

ましてや人権弾圧の報いなどという類の言動は厳に慎むべきでしょう。
阪神大震災のときに、我が国に対してこれに類する類の世論に湧いた国がありますが、その品性が大きく問われたことを思い出しましょう。