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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

一時点でのルールに過ぎないものを絶対視

2025-07-30 21:14:29 | 歴史
発音で民族を識別するという「差別」が現代によみがえったわけですが、それに賛同しやすい手合いに共通しているのが中途半端な漢字や仮名の使用です。旧字旧仮名を徹底するでもなくつまみ食いというケースが大半ですし、そもそも旧字旧仮名を「歴史的・・・」と主張しますが、変遷する言語の一時点を切り取ったにすぎません。新字に見えて歴史的な略字とかも少なくないですし、じゃあ万葉仮名まで帰るのかというとそれはしないご都合主義です。以前も指摘しましたが、例の「もり」の小学校も、「瑞穂の國記念小學院」と書いてドヤ顔ですが、「穂」が新字体なんですよ。現地で元首相の名前を入れるべく不自然に空いた空間を眺めるうちにこの事実に気が付いてずっこけましたね。

まあ世の中にはこうした勘違いが間歇的に現れるようで、昭和初期に現れた鉄道大臣はその典型。ひらがな、漢字、ローマ字を並べる駅名標の日本語部分を右書きにせよとし、さらに「歴史的仮名遣い」で書かせたわけです。既に戦後と同じようにヘボン式ローマ字に左書き口語体の日本語となっていたのを「戻した」わけです。
この時に甲府が「かふふ」、大阪が「おほさか」(本来は万葉仮名を交えた「於ほさか」だが)となるなど頭を抱える事態になったわけで、国粋大臣の異名を取った鉄相をあてこすって「国粋大臣は鉄道を排して駕籠に乗るかも」と言われたとか。

なお旧字旧仮名を使って知識のあるところを見せようとして馬脚を顕すケースも少なくなく、旧仮名のように見えて実は違う、というケースもあります。江戸料理ではどじょうを「どぜう」と書くことがありますが、本来は「どじゃう」であり、「どぜう」は江戸時代の店主がそれっぽくつけただけです。駅などの電略で「モセ」として有名な下十条(電車区)もそう。「しもじうぜう」から取ったという誤りが後を絶ちません。旧仮名では「しもじうでう」です。同じ文字にならずに駅名をイメージできるという趣旨で決まったにすぎません。


当事者に文句をつける馬の骨派

2025-07-30 21:11:00 | 歴史
今をときめく政党の代表が旧皇族の直系にあたる人と論争となっていましたが、過去の発言を指摘されると得意技の「そんなことは言っていない」のしらばっくれが炸裂しています。女性天皇容認は男系女子の即位だからOKと逃げていますが、そもそもは愛子内親王殿下の践祚を明らかに期待していたわけで、秋篠宮殿下、悠仁親王殿下という皇位継承権者が存在する中での愛子内親王殿下の践祚は「廃太子」の推進以外の何物でもないわけで、こういった「消せない過去」が多すぎます。

旧皇族側は女系では明治天皇につながる家系であり、愛子内親王殿下とは明治天皇が共通の祖先となります。女系相続が万が一実現した場合、6代前の枝分かれで明治天皇につながり、しかも室町時代の枝分かれとはいえ男系の血統でもある旧皇族は十分「有資格者」であり、いかに当代の長子だからと言って馬の骨王朝への移行を正当化するものにはなりません。
そして皇位継承については皇族が男系継承への意欲と危機感を持っていることは明白であり、秋篠宮家が高齢出産で被災人親王殿下を儲けられたことが全てですが、三笠宮家の寛仁親王も、男系継承が当時御存命だった三笠宮殿下(崇仁親王)を含めて三笠宮一族の総意と言い切られています。

上記論争でも旧皇族側(厳密には臣籍降下後の誕生です)が主張をごり押しとか言っていますが、男系継承で持続してきた「神武朝」の一族の主張ですからね。自己決定権の域ですから、ポッと出の政党あたりがどうこう言うこと自体がおかしいのです。寛仁親王が発言を繰り返したころ、朝日が「もう発言を控えられては」と窘めるという暴挙に出て批判を浴びましたが、今の党首の行動は朝日と一緒です。

並行して馬の骨派はあろうことか上皇陛下の意思は女系継承と陛下の意思を騙る暴挙に出るくらいで、やはり国民に「王朝交代」というよりも「皇位簒奪」という我が国開闢以来の変事となることがバレているからネットなどの工作の効果が上がっていないという焦りなのでしょう。メディアを抱き込んで相変わらず馬の骨派ageの記事が目に余りますが、夫婦別姓もそうですが、為にする意図が露骨すぎます。まあかつては神道研究家とかもっともらしい肩書だったのが皇室研究家と変じているように、伝統を研究していたらあり得ない発言への批判もまた多いのでしょう。

まあ女系継承で馬の骨朝を実現させたいのでしょうが、そうなると別の抵抗があるわけです。皇位簒奪を目論む勢力とともに、天皇制廃止を目論む勢力もいるわけです。正統な天皇がいなくなったら「天皇」を置く必要があるのか、というステップに進むことは誰の目にも明らかです。逆に「正統」であるうちは手出しができないわけです。ですから同床異夢じゃないですが、馬の骨朝を目指していたはずが自分たちも含めて「天皇」が無くなった、となるでしょう。

政府や国会がなぜ正当に拘るか。要は馬の骨をなぜ仰ぐのか、という疑問に対応できないからです。
国民主権、貴族等の禁止、という憲法の原則があり、その例外として世襲君主である「天皇」を仰ぐのはなぜか。本来は憲法の原則に抵触する存在として否定しないと筋が通らないのです。「天皇」として長い歴史に育まれた伝統としての御位だから例外として容認され得るのですが、そうでない馬の骨を天皇として仰ぐのか。どう考えても無理でしょう。

男系に拘ると皇室が滅ぶとかエキセントリックなことを言ってますが、女系になったら滅ぶも何も皇室(神武朝)じゃなくなりますから滅亡以外の何物でもありません。馬の骨への禅譲という名の皇位簒奪にほかなりません。

そして馬の骨派がもっともらしいことを言っても消すことができない矛盾として、愛子内親王殿下の践祚から馬の骨朝への移行は、正当な皇位継承権者である秋篠宮殿下と悠仁親王殿下の「廃太子」を意味するという大不敬を隠しています。今をときめく政党の党首も日本人ファーストだといいながらそれを主張しているわけです。
そして悠仁親王殿下までは確実に現行法での男系継承が可能ですが、その次がいない場合は「従妹」の愛子内親王殿下ではなく、姉の佳子内親王殿下が践祚するのがルールです。

初めに皇位簒奪がありきだから、すぐに気が付く矛盾をもっともらしく主張しているわけです。正統は悠仁親王殿下、そして正統が途絶えるのであれば佳子内親王殿下に皇位は移るだけです。執拗な秋篠宮家バッシングと馬の骨派が重なるのは偶然じゃないですよ。正統が邪魔という悪意ある勢力ですから。

あと、男性に拘るのは、とかもっともらしく言う馬の骨派は、じゃあ男系や男性で継承してきた伝統を否定するのですか、ということ。身近なネタとして、歌舞伎の「宗家」とされる成田屋の当代である團十郎の長子は市川ぼたんですが、歌舞伎役者として成田屋を継ぐのは次子の市川新之助ですよね。天皇ですら少なくとも6世紀から続く伝統を崩せというのであれば、歌舞伎が男子限定なんておかしいと主張したらどうでしょう。実際市川ぼたんは歌舞伎座の舞台に歌舞伎の演目で立っていますからね。今のように舞踏家としての客演ではないはずですから、江戸時代初期以来の遊女歌舞伎の復活でもいいはずですけどね。男子限定は高々17世紀、遊女歌舞伎が若衆歌舞伎を経て野郎歌舞伎になった江戸時代初期からの「短い」伝統ですし。結局皇位簒奪が目的の為にする意見に過ぎないことがこれでも分かります。



「昭和100年」の変化はそんなに昔ではない

2025-07-11 17:35:26 | 歴史
7月7日のNHK「映像の世紀」はアンコールで戦後の「民族大移動」を取り上げていました。ドイツと日本の敗戦に伴う「外地」からの民間人の復員にスポットライトを当てたもので、その日本編を再放送したものです。今回は放映がなかったですがドイツのケースも実はかなり悲惨で、ドイツの「本国」ともいえる東プロイセンがポーランドとソ連領になり、故郷を追われたドイツ人が多数発生しましたが、「故郷」に住んでいたことが侵略のように扱われて、東ドイツや西ドイツに追われてもなお生活基盤がなく社会の底辺で苦しんだという戦後史です。しかもドイツの国是ともいえる「贖罪意識」により、東プロイセンなどからの復員者は顧みられることがなく、歴史に埋没しています。社会が救済に向かおうとすると、ナチスドイツの侵略の尖兵扱いで排除されてきました。

そして日本のケース。満蒙開拓団など大陸など外地に新天地を求めたのは実に当時の内地人口の約1割にあたる660万人でした。「故郷」であった東プロイセンの住民と違い、「他国」への移民という点ではドイツのケースとは事情が異なり、それこそ「侵略」のレッテルが付きまとい、そしてそれを完全に払拭できない悩みがあります。


しかし660万人は侵略する意図など毛頭なかったわけです。いや、米国における「フロンティア」のように本当はそこで暮らす人がいるのに「無主の地」としての占拠と相似形かもしれませんが、少なくとも鉱工業はもちろん農業でも利用されていなかった土地を開墾していたわけで、侵略とするにはあまりにもレベルが違います。

その660万人がどうして外地に向かったのか。内地では喰えなかったわけです。明治維新後の近代化で人口も増加していくなか、それを受け止める生産が内地にはありませんでした。満洲事変が起きた1931年には大凶作となり東北地方などで「娘の身売り」が続出するような事態になって、その影響は1934年まで続いています。
既に明治期から人口過剰状態が常態化しており、最初はハワイや米国、豪州への移民となり、黄禍論によるアジア系移民への規制で20世紀初めにはその対象が中南米に移っています。そうした受け皿を「満蒙」に求めたわけです。

幸か不幸か中国戦線では帝国陸軍は戦線を維持できており、また満洲でも敗戦直前のソ連参戦、侵攻までは平和だったことから、生産地である外地は食うに困ることは無く、空襲の惨禍が猖獗する内地への流動は無かっただけに、敗戦による一斉還流はまさに民族大移動となりました。そして当初は命からがら帰ってきた、という扱いだったものが、もともと食い扶持がなくて外地に行った人たちが戻ってきたのですから、少ない生産のパイを奪い合う格好でした。

旧軍用地を開墾することで生産と開拓の一挙両得を図ろうとしましたが、地味は最悪で、独立後は自衛隊再建の用地として再接収されたりと苦戦が続きました。さらに高度成長期を控えて開発が進み開拓地を手放し都市労働者になったりしたわけです。そこまで敗戦から20年程度に過ぎません。広大な演習場と騎兵連隊や騎兵学校が広がっていた「習志野原」もそうした開拓地となりましたが、1963年に習志野台団地の都市計画が決定し、1967年に入居開始と、今に続く歴史の中で忘れられがちな20年ほどの期間があります。

旧植民地から内地に来ていた約200万人の朝鮮、台湾出身者の多くが「帰国」したとはいえ、はるかに上回る復員者と復員軍人をどう食わせるのか。事業規模と釣り合わない受け入れを行った国鉄が巨額の赤字を抱えて1987年に「破綻」したのも人件費と年金が一因だったように、むやみに雇用するわけにもいきませんでした。
で、結局は明治期から戦前まで続いた中南米移民の再開だったわけで、1973年に世界一周クルーズと同居する格好で南米移民が乗船した時まで続きました。なかには日本と現地政府の両方から騙された格好のドミニカ移民もありましたし、まさに「棄民」政策といえます。現地で成功した人もいれば、失敗して社会の闇に消えて行ったり、命を落としたりという明暗は、NHK特集が31年間にわたって追い続けた1968年の移民船の記録に詳しいです。

最後の移民船から「わずか」52年。国内にいれば高度成長期からバブルを経験した世代と同世代が親に連れられて海を渡っています。子供の頃戦争体験は普通に近所の「おじさん」や家族、それも親世代から一次情報として聞いてきました。「語り部」とか一種の「プロ化」するまでもない時代です。満洲からの引き揚げというよりも38度線までの命を懸けた逃避行の体験をした親世代もいました。

1968年に「明治百年」というイベントが花盛りだったようですが(「明治100年=1967年」ではなく百周年という意味)、戦後に一区切りがつき、高度成長期を迎えた時期でもあり、江戸時代から大変革を遂げた100年を振り返る余裕ができたとも言えます。その頃は明治維新から100年ですから、70年代になっても長寿番付の上位者には慶應や文久、安政といった「謎の元号」が普通にあったのを記憶しています。

それから幾星霜、今年は「昭和百年」ですが、遠い昔のように見える戦前戦中から敗戦を経て今の枠組みになるまでの期間はそこまで短くないけど、大きく変わりました。既に「昭和臭い」とか言う世代から見たらただの歴史なんでしょうが、自分事として、あるいは直接見聞きして身の回りにあった時代であり、今の繁栄を所与のものとして絶対視できない最後の世代です。



甚大な犠牲の原因を擁護する怪

2025-06-25 21:20:10 | 歴史
ひめゆり祈念館の掲示に根拠もなくケチをつけた参院議員が批判を浴びましたが、皇室でも平和を祈念する日として8月の一連の日とともに沖縄戦で組織的抵抗が終わった6月23日を重要視しているように、多くの住民が地上戦に巻き込まれて多犠牲になった沖縄戦は、第二次大戦の中でも極めて悲惨なケースであり、それを直視できない、否定する動きが絶えないのはなぜか。

事実よりもイデオロギーの様相ですが、一方で左翼側も沖縄県民を代表するかのような主張はまさにイデオロギーであり、特に近年の南西諸島に対する中国の圧力や尖閣諸島問題が深刻な中での米軍や自衛隊の否定は反発を受けるに足る言動ともいえるでしょう。

そうしたなかで左翼側の「主張」がポータルに掲載されていましたが、台湾有事は中国の内政問題だから台湾有事を理由にした防衛力の配置はすべきでない、戦争に巻き込まれる、と今どきこんな論とは香ばし過ぎるものでした。
しかしそうしたステレオタイプの論の中で異色?だったのは、最後の官選知事を県民に多くの犠牲を強いた張本人のように批判していることでしょう。

最後の官選知事、すなわち内務省の任命ですから地元の人でもありません。それが戦火のなか沖縄県知事として行政と警察の解散を宣言して、最後は行方不明となっています。戦火に斃れたのか自決したのかも定かでない状態です。
沖縄戦で住民が多く巻き込まれた悲劇は、なによりも前任者による「無為無策」があったわけです。在任中の実に1/3を「東京出張」と称して不在にし、最後は東京出張中に内地の官選知事に任命されてそのまま戦後も長く生きながらえています。軍との反目が防衛体制の整備が進まなかった原因とも言われますが、住民の疎開など基本的な部分の致命的な遅れは否定できません。最後の官選知事が就任したのは1945年1月、沖縄戦のはじまりまで3ヶ月を切っていました。

どうも「ヒーロー」がお嫌いなようで、この筆者も最後の官選知事に責任があるかのように記載しており、前任者の「敵前逃亡」などの所業には触れていません。そういう意味では地元紙の編集委員が前任者の復権を図る書籍を上梓していますが、Wikiでこの人物評がこの書物だけに依っていると警告が付してあるわけで、労作ではありますがそれ以外に同様の評伝が出ていないのを見ると、正直信憑性の問題といえます。あるいは前任者は「反軍部」だから汚名を被っていて、最後の官選知事は軍と良好な関係だったから否定しないといけない、とうでもいうのでしょうか。

当時32軍司令官の辞世の句や訣別電が改竄されていたというニュースが出ていましたが、これも有名な海軍司令官の「沖縄県民斯く戦えり」を下げたいんでしょうね。県民のことを思っていた司令官という演出にしたいようですから。
沖縄戦で県民の犠牲が急激に増加したのは陸軍が首里を捨てて摩文仁に立てこもった時期であり、いかに本土決戦への時間稼ぎが目的とはいえ、首里を失った時点で足止めにもならない無意味な戦闘だったわけです。その意思決定をしたのが32軍司令官なんですが、沖縄戦での多大な県民の犠牲を云々するわりには「優しい」対応です。最後の官選知事を貶めているその口で。それこそ歴史の「改竄」でしょう。

結局左右ともイデオロギーまみれの色眼鏡で見ているからおかしくなるわけです。真実ではなく「あるべき結論」があるから話がおかしくなる。ノーベル平和賞を受賞した被団協が核兵器は絶対悪として一切許さない姿勢を貫き、「東側の核はきれいな核」という勢力を含めたいかなる勢力にも加盟しないとして矜持を保ったことと対照的です。まさに「東側の核はきれいな核」を地で行く主張ですから。


継嗣令の読み方

2025-06-25 21:17:06 | 歴史
皇位簒奪を目論むメディアの新パターンとして、中世の研究家とかいろいろ目新しい論者を出してきていますが、正直「不勉強」の域です。さらに共通しているのがポータルの記事ではコメント欄が設定されておらず、ツッコミどころ満載の記事がボコボコにされることを避けています。あるいは「愛子さましかいない」というような歴史も何もかも無視した狂信的な支持者が大量発生してドン引きされることも防いでいるのか。

何を言っているのかわからないのが愛子内親王殿下を即位させてから悠仁親王殿下に継承という主張。未成年、年少であれば「摂政」の代わりにショートリリーフもあり得なくはないですし、歴史上もありましたが、悠仁親王殿下は既に成人を迎えていますからね。「故障」もないわけで、摂政設置の要件もないわけで、即位を阻む理由はありません。結局は即位すればしめたもんで、やっぱり次も実子だよね、という感じで反故にするのでしょう。ただこれは直系がいる前提になりますから、「皇配殿下」もまた存在します。すなわち「神武朝」が「○○朝」になるというのが具体的に見える状態で、いとこの「神武朝」の後継者を否定して選ぶところまで踏み込むことになります。

ところで女系継承を肯定する人たちが持ち出す養老令の継嗣令にある「凡皇兄弟皇子、皆為親王。(女帝子亦同)」ですが、女系継承否定派も含めて「女帝の子」と読んでいるという批判を目にしました。
大前提として女帝が存在した当時において「女帝」というワードが他に見られない状態で「女帝」と呼ぶのが正しいのか、という指摘がまずあり、天皇などの称号は改行して必ず文頭に置く、それに次ぐ格の高い用語は1文字空ける、という一種の「禁則」が養老令にもあるが、「女帝」という用語はその対象に入っていません。「女帝」が女性天皇を示す用語として使われているのであれば、こうした「禁則」の対象となっているはずです。(「先帝」は禁則対象)

じゃあどう読むのか。「女(帝の子)また同じ」として天皇の娘を「内親王」とすることで定義しているという主張です。
確かに令の中には親王と内親王の待遇の差異などの規定があり、であれば「内親王」の定義が必要です。このかっこ書きがなければ娘を「内親王」と扱う根拠がなくなります。男女問わず「親王」なら「内親王」の用語も不要です。

ただこの論でも「帝子」の帝は男性を意味していないともいえるので、帝が女性天皇であればその子供が親王(内親王)になり、女系継承を想定していることになります。ただし内親王の嫁ぎ先は四世の王までが対象となっており、五世の王は女王が嫁ぎ、また臣下も五世の女王の嫁ぎ先になれると継嗣令にはるので、女性天皇の内親王は四世までの王に嫁ぐことになり、男系継承の枠内になります。

厳密に言うと女性天皇の内親王が別の女性天皇の4世の王に嫁ぐことは可能にみえますので、女系継承が発生する可能性はありますが、そういうバグは認めない運用だったことは歴史が示す通りで、女系継承を想定していたとするのは歴史を無視した話です。