発音で民族を識別するという「差別」が現代によみがえったわけですが、それに賛同しやすい手合いに共通しているのが中途半端な漢字や仮名の使用です。旧字旧仮名を徹底するでもなくつまみ食いというケースが大半ですし、そもそも旧字旧仮名を「歴史的・・・」と主張しますが、変遷する言語の一時点を切り取ったにすぎません。新字に見えて歴史的な略字とかも少なくないですし、じゃあ万葉仮名まで帰るのかというとそれはしないご都合主義です。以前も指摘しましたが、例の「もり」の小学校も、「瑞穂の國記念小學院」と書いてドヤ顔ですが、「穂」が新字体なんですよ。現地で元首相の名前を入れるべく不自然に空いた空間を眺めるうちにこの事実に気が付いてずっこけましたね。
まあ世の中にはこうした勘違いが間歇的に現れるようで、昭和初期に現れた鉄道大臣はその典型。ひらがな、漢字、ローマ字を並べる駅名標の日本語部分を右書きにせよとし、さらに「歴史的仮名遣い」で書かせたわけです。既に戦後と同じようにヘボン式ローマ字に左書き口語体の日本語となっていたのを「戻した」わけです。
この時に甲府が「かふふ」、大阪が「おほさか」(本来は万葉仮名を交えた「於ほさか」だが)となるなど頭を抱える事態になったわけで、国粋大臣の異名を取った鉄相をあてこすって「国粋大臣は鉄道を排して駕籠に乗るかも」と言われたとか。
なお旧字旧仮名を使って知識のあるところを見せようとして馬脚を顕すケースも少なくなく、旧仮名のように見えて実は違う、というケースもあります。江戸料理ではどじょうを「どぜう」と書くことがありますが、本来は「どじゃう」であり、「どぜう」は江戸時代の店主がそれっぽくつけただけです。駅などの電略で「モセ」として有名な下十条(電車区)もそう。「しもじうぜう」から取ったという誤りが後を絶ちません。旧仮名では「しもじうでう」です。同じ文字にならずに駅名をイメージできるという趣旨で決まったにすぎません。
まあ世の中にはこうした勘違いが間歇的に現れるようで、昭和初期に現れた鉄道大臣はその典型。ひらがな、漢字、ローマ字を並べる駅名標の日本語部分を右書きにせよとし、さらに「歴史的仮名遣い」で書かせたわけです。既に戦後と同じようにヘボン式ローマ字に左書き口語体の日本語となっていたのを「戻した」わけです。
この時に甲府が「かふふ」、大阪が「おほさか」(本来は万葉仮名を交えた「於ほさか」だが)となるなど頭を抱える事態になったわけで、国粋大臣の異名を取った鉄相をあてこすって「国粋大臣は鉄道を排して駕籠に乗るかも」と言われたとか。
なお旧字旧仮名を使って知識のあるところを見せようとして馬脚を顕すケースも少なくなく、旧仮名のように見えて実は違う、というケースもあります。江戸料理ではどじょうを「どぜう」と書くことがありますが、本来は「どじゃう」であり、「どぜう」は江戸時代の店主がそれっぽくつけただけです。駅などの電略で「モセ」として有名な下十条(電車区)もそう。「しもじうぜう」から取ったという誤りが後を絶ちません。旧仮名では「しもじうでう」です。同じ文字にならずに駅名をイメージできるという趣旨で決まったにすぎません。
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