ある日曜日。
逗子の家の庭から 梅の枝をたくさん
横浜の自宅に持って帰ってきた。
太い枝から まっすぐ天に向かって
力強く伸びてしまった枝だ。
ニホンジンの情緒は深く
下を向き また少し視線の先の枝を伸ばし
季節を経た枝には苔をたたえ
春の兆しに 蕾をふくらませる
それが 梅 というものだ。
でも シロウトの私たちが手入れをした梅は
畑仕事にジャマな枝や
込み合って虫に食われた葉のある枝は
ばっさ ばっさと切り捨てられるから
梅は怒って ワタシの手の届かない上へ 上へと
強い意志の枝を ただ伸ばすのだった。
しかしこの頃は ようやく
ニホンジンの情緒というものも
知り わかるようになったので
以前のような無茶ぶりはやめたものの
時 すでに遅し。
ところで 11月の顔面打撲
そして12月の慢性硬膜下血腫の手術から
2ヶ月。
この間にいくつかの手続きのために「診断書」をとり
生命保険の入院・手術給付金の請求をした。
わたくしの上に 伐採した枝を落とした業者からの謝罪はなく
その後の手続きがどうなったのかも知らないが
「診断書」に記載されているたった1行の文章が
わたくしをなぐさめた。
そして その1行が わたくしを 今日の仕事に就かせている。
それは慢性硬膜下血腫の原因が
顔面打撲である としたものなのだが
それであるのに 謝罪もなく
木の下にいたワタシがいけない とする相手の言い分を
言いたいままにさせておき
ただ1行を支えとしている自分を 清々しく 思う。
梅 とは そういう志の花を 指す。
梅とは よいものである。
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→ 仕事から帰るとほのかな梅の香り。あちらこちらに。