この業種には 必ずある
あの 秋の 行事。
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仕事中 なので 携帯カメラ。
デカイ 南京豆。
(携帯カメラのシャッター音って 消せないんですかぁ)
南京豆の起立に ご協力くださった皆さん
ありがとう 。
逗子の商店街の老舗
珠屋のピーチロール。
桃缶の底力を 感じる一品。
土曜日の今日は 「自由時間」が取れそうな予感がしていたが
それは やっぱり 「予感」。
せめて・・・ と 夕方にオットと 珠屋で おやつの時間。
古い話し を します。
『旅の重さ』という映画がありました。
若い女の子が訳あって四国のお遍路に出ます。
たしかタカハシヨウコ という女優さんでした。
旅の途中で倒れて なぜか介抱する「おじさん」が
タカハシエツシ。
不器用そうに桃缶を開け 箸で この女の子に食べさせるシーン。
私も高校生の時に観たので 記憶という名の勘違いかもしれない。
夏の真っ盛りに 冷やしてもいない桃缶が
冷やしていないからこそ ヒトの体温のように感じられて
それ以来 桃缶は 特別な食べ物になりました。
そして ソウジュクだった私は (多分)
食べること 食べる行為は 栄養や 生命の維持 というだけではない
なにか「キンダン」の行為のひとつなのだと 感じてしまったのでした。
この意味がわかるヒトは 人生の意味も わかると 信じます。
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コレステロール が 好きだ。
玉子の黄身 チーズ 南京豆
鱈子 イクラ ・・・・・・・
子持ち鰈 も 好き。
冬も終わりという頃には 生の鱈子が店先に並び
これを蕗と炊き合わせにする。
コレステロールを蓄えて 春を迎える喜び。
ところが コレステロールが好きなセイではないのだろうが
文章にも ネチっこい。
たとえば あくまでも たとえば。
ただの例文 として。 あくまでも。
あなたが 教育施設か福祉施設に勤めているとして。
そこに通う子どもがコレラに感染した
場合。
「○○小学校 あるいは ○○保育園から コレラの子どもが確認された」
という文章。
私は 違う と 思う。
学校や保育園からコレラは 出ない。
出ない。
どこかでコレラに感染した子どもが いつものように
それを知らずに 学校や保育園に
マジメに通ってきただけだ。
そして その子どもたちが 集まって 「集団感染」。
この時点で 子どもから子どもへ病気が移っていく。
それでも 学校や保育園から コレラは
「出ない」 「出ては いない」
このビミョウな ポジションの違い
コレステロールが好きなヒトだけが
わかる。
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