風邪薬 + ユンケル510円。
よく効きます。
昨日は2,3回 鍬をふるったらめまいがしましたが
今日は かなり回復。
柿の木の苗木。
実家の柿は もう一生食べられない。
ならば 植える。次郎柿。
色とりどりの花壇は 卒業したので
こんな感じが 好き。
石で出来た流し。
実家からもってきました。
1日の作業が終われば
「たんぽぽ」
風邪薬 + ユンケル510円。
よく効きます。
昨日は2,3回 鍬をふるったらめまいがしましたが
今日は かなり回復。
柿の木の苗木。
実家の柿は もう一生食べられない。
ならば 植える。次郎柿。
色とりどりの花壇は 卒業したので
こんな感じが 好き。
石で出来た流し。
実家からもってきました。
1日の作業が終われば
「たんぽぽ」
子どもの成人式は来年1月。
母親や祖母に 半ば説得され 本人もその気になって
成人式は着物。
美容院と写真家の予約OK.
着物は本人の叔母にあたる私の思うとから借りましょう。
で こんな組み合わせに決定。
やれやれ。
十数人をごぼう抜きにして真打ちに登り
世襲ではない自分をどこかの血筋にするために
とんでもない次女をツマにした小朝が離婚した 朝。
テレビで見たのだが 小朝が言うには
朝 自分はツマより早く起きる。
2階のツマに向かって「おーい」と呼びかけると
何度目かに「ふぁーい・・・」と返事が聞こえてくる。
そうすると 自分にもシアワセな1日が始まるのだと思える・・・
のだそうだ。
私には わかる。
きっと そうなのだ。
小朝には 登りつめていく自分のスイッチを
切ってくれる「装置」が必要だったのだ。
それが 今回のツマ。
そんな 朝。
ここまで50年をすごした家をきれいに出て行く人は私の親くらい。
工場の中も もぬけの殻。床にはチリひとつもない。
さて 小朝。
沈黙は金メダル。
ここが私たちが住んでいた場所です。
解体をして 次のビルが建ち
新しい店や人々が忙しく出入りをすることでしょう。
私は家族が楽しく暮し子どもが笑い
父親がお好み焼きを焼いて商売をしていた場所を知っている。
でも いまはその場所で何があったか知らず
新しい家族が当たり前に暮している。
そういうものなのです。
歴史というのは 負も正も
嘘も本当も 強も弱も 明も暗も 新も腐も・・・
なにもかもなければ存在していなければ「次」がうまれない。
柿の実も 自分の運命を知ってか
いつもより早く色をつけた。
オットが幹から伐採。
それが いい。
小さいころ蒔いた琵琶も巨木になっていたけれど
しっかり種を保存。
芽をだしています。
この家の暮らしに「鍵」
この建具はいつか「温室」にしたい。
煤だらけの板に書かれた文字は
50数年前の父の筆跡。
交通法規を工場の屋根裏に壁に書いていた。
これが私たち「家族」が生まれた場所。
この板は 私たちの「証拠」だ。
ひとつは 自宅の庭
次が逗子の庭
新たに両親の新居の庭
週末は このみっつの庭のお世話をしています。
このブログでは逗子の庭の写真を。
今日は 午前中に自宅の庭のお手入れ。
午後は逗子。
蟷螂さんがお出迎え。
昨夜 上大岡の実家から材木を運び入れておいたので
さっそく水周りの整理整頓。
そうそう 上の写真。
整理整頓する前はこんな感じだったんですよ。
使われなくなっていた井戸を改修したのが梅雨の前。
いまようやく トクサやハラン シュカイドウなど
水辺の草花を植えることができました。
井戸には井戸の神様がいらっしゃるので
いつもきれいにしておかなければなりません。
この土手は笹が生える ただの土地の境界の土手でした。
今はようやくここまで。
半日陰に映える植栽です。
いかにも わざとらしい切り株。
土留めに切り株 使ってみました。
生きるべきか 死ぬべきか
考えあぐねている柚子 1本。
上大岡から移植した植物多数。
庭を作ろうとするときに必要なのが
バックヤード。
ここがマンションのベランダと違うところです。
ここは堆肥を作る場所。
土の下には 野菜や残菜が埋められています。
(機械で乾燥させてからさらに仕上げをしています)
「粗朶(そだ)」置き場。
これから作るかもしれないエンドウなどの
つる性植物には粗朶が必要です。
笹を刈って葉をおとして乾燥させておきます。
休日のお楽しみですが
この庭作りの考え方は 仕事場でも変わらない。
土留めをするまでには 掘って掘って
たくさんの根っこやつるを取り除く。
ポット苗などかってきて スコップでチョコット掘って
植えたつもりにはならない。
便利は「復讐」します。
コツコツと。