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日曜の 逗子の家の 庭。
写真なんて撮っていないで 耕して 蒔く。
お日様は 庭にも 畑にも ミミズにも 鳥にも そしてニンゲンにも
等しく春の日差しを 注ぐ。
花も 草も 水も 土も 冬の寒さに耐えられるよう身体の奥にしまっておいた力に
日ざしの温かさを与えて 自由にカタチを変えて いる。
花は咲いて 草は緑を深くし 水は緩んで
土にも 春。
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日曜の 逗子の家の 庭。
写真なんて撮っていないで 耕して 蒔く。
お日様は 庭にも 畑にも ミミズにも 鳥にも そしてニンゲンにも
等しく春の日差しを 注ぐ。
花も 草も 水も 土も 冬の寒さに耐えられるよう身体の奥にしまっておいた力に
日ざしの温かさを与えて 自由にカタチを変えて いる。
花は咲いて 草は緑を深くし 水は緩んで
土にも 春。
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年度末と新年度の準備が重なる通常業務。
さらに今年は震災への対応も。
昨日1日お休みをとれたので 今日は仕事へ。
前向きに考えれば (少しは)静かな事務所で コピー機独占で仕事ができるのだから
はかどります!
お昼は これ。 ブタメン! 駄菓子屋で売っているカップ麺です。
夕方6時にオットに迎えにきてもらって 帰宅。 今夜遅くには東京から長女も帰宅。
震災後 初めて家族4人が揃います。
3月も20日になって ようやく訪れた 日曜日。
いつもなら見逃してしまうような 部屋の隅や 椅子の下 こぼれ落ちた椿の花
視線の合った猫 家族の歯ブラシ・・・・・ そんな光景をとても愛しく感じます。
先日 【den】 で見つけた 花瓶。
今年は椿がたくさん咲いて それに似合う花瓶を探していました。
ちょっと鉱物が混ざっている感じが 気に入りました。
口の形も びーっ とした感じ (要するに横長の楕円ですが)
しかし それを写真に撮ろうとすると 難しいですね。
お日様の下で撮るか いっそのこと水に漬けて撮るか いや土に還して撮るか
などなど 考えてはみましたが 水も土も用意するには 私の気力がありません。
「黒っぽく撮りたい時は」 どうするのかしら。
いつもは「P」のダイヤル専門の私ですが 「A」にして プラスにグリグリしてみたり
いやいやこれはマイナスだ なんて いくつかカメラをいじっていて こんな写真になりました。
先日の四十九日のお返しに 実家の母にも同じ工房で作られた
もっと大きな花瓶を。
これも とてもよいものでした。
私は こちらの何だか原始的な形も 好き。
博物館に行くと 神様に食べ物やお酒を捧げた「瓶」に似た漢字の器が
たくさんあります(青銅器みたいなヤツですが)
きっと 昔も 毎日を無事に過ごすということが奇跡のように大変で
自然の災害 何度にもわたる飢饉 広がる疫病 を鎮めようと
神さまに捧げものをしたのでしょう。
ところが そこから何千年の時を経ても 人間は人間でしかなく自然の前では無力です。
これから いったいどうなるのか 想像もつきませんが
この「瓶」という歴史に学ぶのならば
人間は 続く。
謙虚に 感謝をして お願いをして 小さく生きれば
人間は 続く。
そう 思います。
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先日 ある方からいただいた 音楽のCD.
入院療養中のこの方のために演奏された チェロ。
私もこの演奏者のチェロを聴いたことがあるけれどプロではないその音色は
小さい頃から訓練されたマシーンではなく ただ気持ちを届けたいという心にすべてが集約されている。
そして この方は自分の好きな曲 弾きたい曲だけを弾くものだから
そのことが又 求心力を持って 聴く人の胸に届く。
サブタイトルのように「心をこめて」 弾かれたチェロは
本当に いつもの音色とは違っていて 演奏者の相手の回復を願う気持ちが
調べにのって届いてくる。
そうか 人間の誰かを想う気持ちは 本当に力になって 届くんだ。
ずっと聴いていたいな。