Something-New

710は私の好きな数字。
西海岸をDATSUN710で走った記憶・・・
その道は今も続いている。

「晦(つごもり)」

2008-10-31 | 無題

夕方 地下鉄と徒歩で父の家に行った。

最初は 夕焼けをきれいに感じて歩いていたのだが

そのうち空気が「晦」に感じて・・・・・

なんとなく 何かの最後という 空気だったのだ。

それで急いで坂をのぼり 父の顔を見ると

なんだ・・・  穏やかな表情。

よかった。

 

昨日から アンペック坐薬にチェンジ。

麻薬系の薬の使い始めは 眠ってしまう。

 

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なんだぁ

2008-10-31 | やれやれ・・・

 

「知る」というのは

(知ってしまうというのは)

つならない ことも あるのだな。

私は ずっと気になって いた。

ケンタロウはいつも帽子をかぶっていて

ヒゲだの ちょっと毛深い手の甲だのから想像して

髪の毛 は 薄い と思っていた。

なんだぁ 

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恩寵

2008-10-28 | 無題

 

朝 職場の畑で 日光浴をしていた

蟷螂

 

 

なんだか やさしい よき 友だちが

やってきたようで

うれしくなって パソコン仕事に お付き合い。

むりやり。

 

恩寵 で ある。

 

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感謝

2008-10-28 | 無題

 

今日の 父 の 手。

昨日より 体圧分散マットから エアマットに。

毎日の訪問看護により点滴をひとつする。

抜針は家族がするので バンソコ担当 本日は 母。

バッテン貼り。体の粘膜にいたるまで黄疸症状なので

皮膚も荒れて 痒みと痛み。(手は黄疸が見えないように撮っています)

でも 手は でかい。

 

私は感謝して いる。

自宅での療養ができるのは 

大病院の新進気鋭のDr.でもなく まして大教授でもない

一度も肝臓癌末期の患者を見たこともない 街のDr. の存在。

この人の 「誠実」 に 私たちは救われている。

ある日は 父の苦痛を軽減することができず 悩んでおり

ある日は モルヒネが効きすぎだと 母に言われ

この人が 私たちのためにこれほど悩む必要はないのに

診ていてくれる。

もっとも 大病院のDr.は TOYOTAの工場とおんなじで

1台でも多くの車を作るために ベルトコンベアーに乗っている。

癌末期の患者は いらない部品であるから

街の工場に返さなければ ならない。

だから 癌末期の患者など 見たこともないはずだ。

 

私たちは 街の医者の 「誠実」 に

救われて いる。

 

 

 

 

 

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2008-10-27 | 無題

手。

手というものは不思議なもので 

その人の気持ちが 手の置き場所に   なる。

気をつけ。敬礼。腕組・・・・

ほら 気持ちが手の形になるでしょ。

デートで初めて手をつないだ時の瑞々しい気持ち・・・

思い出せますか?

それでは 祈りの手の形は

何なのでしょう。

 

 

父と私には 今 なんとしてもとめたいネジが ある。

 

 

うーん・・・ 

うまくいきそうで  何度も はずれちゃう。

 

 

こういう手の時間から 私が学ぶことは

「辛抱」。

 

 

辛抱  辛抱・・・

ようやく うまく とまりました。

 

でも もう こんな時間は 二度と  ない。

 

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2008-10-26 | R’s Kitchen

ONE

 

 

TWO

 

 

THREE

 

いろいろありますが とりあえず

朝ごはん。

 

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沈黙

2008-10-26 | R’s Kitchen

 

 

今 希望すること

「沈黙」

 

 

逗子の畑からの収穫

しし唐 と じゃがいも

ちょっと よい塩で いためただけ。

これが おいしいんだな。

 

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無題

2008-10-26 | 無題

 

昨夜は吐き気のため 眠れず。

デュロテップパッチ半日早く倍量にする。

担当してくれる訪問看護師への信頼は父も母も厚く

たとえば それは こんなシーン。

父が起きていても眠っていても看護師はじっと 父の顔をのぞきこむ。

そして眉に付けねのしわを見つけて

「・・・気に入らないなぁ この しわ・・・

 きっと お父さん 何か苦痛があるのね

 それが取り除いてあげられなくて くやしいなぁ」 とつぶやく。

それだけで 母は充分に癒される。

さらに タオルをレンジで暖め ビニール袋にいれて

腹部に当て さらに手を添えて 父の顔をのぞきこむ。

不思議なことに 眉のしわが 見えなくなる。

 

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生きて います。

2008-10-25 | 無題

 

1日の終わりの食事を 私たちは父のそばで 食べる。

その日を (比較的)好調に過ごせた時も

強い痛みと吐き気に悩まされた時も

「最期」をどこで迎えるか決断しなければならない状況の時も

 

 

私たちは 父のそばで 食卓を 囲む。

今日は 妹夫婦も 一緒だというので

久しぶりの手巻き寿司だ。

医者が言う 父の命の期限は 7日前 だった。

そして昨日は 訪問診療をしてくれる医者が

自宅での医療の 痛みの軽減には 限界があると言った。

ちょっと身体を動かすと 吐き気に襲われる父が

本日の食卓を見たいと 身体を起こす。

お父さんのおかげで 今日も私たちは食卓を囲んでいます。

そして 私はお父さんが元気な時も 病の時も

最期を迎える時も  牛蒡を洗い 飯に酢をふり

食器を選ぶ。

そのことを 幸せだと 感じることが できる。

 

 

それにしても 手巻きに焼き鳥をまくとは

この娘 なんとかしてくださーい!

 

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見上げる 空

2008-10-25 | 無題
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ニンゲンが あれやこれやと 悩んだり
だれの得や損が 自分のそれより多いだの少ないだの言っていたり
メンツや ゼイニク を よけいに腹に蓄えている間に

空は 高く  空気は 澄んで
作物は 実る。

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皇帝ダリヤ

2008-10-25 | Say it with Flowers
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オットが会社に造っている 私的な花壇。
に 咲きそうな
皇帝ダリヤ という ヤツ。

背丈3メートル。
茎の付け根は こんな 感じ。

なんだか 悪いことをしてうつされた病気みたいな・・・
印象なんだけど・・・・

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2008-10-23 | 無題

 

 

今年最後の 米茄子。

朝の日を受けて。

季節が 変わる。

 

雨の降り出した夜

父の顔も 季節が変わって いた。

 

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役割

2008-10-20 | 無題

 

人には 役割というものが ある。

父の病を通していく人もの医者を 見た。

20数年も通院していながら B型 C形肝炎が 癌化するのを

見逃した医者が いる。

70を過ぎた父の あの悪魔のような顔面をした癌を

取り除いた医者が いる。

一度も父に触れず 患部に視線を移すことなく

「チッ」と舌打ちした医者が いる。

専門外で 肝臓癌末期の患者を診たことも無いが

お付き合いすることになった医者が いる。

 

 

今にして思うが どの医者も 自分の役割を

果たして      いる。

役割とは そういうものだ。

父や私たち家族にすれば「最低」なのだが

その病院の中では 役割を果たしているのだろう。

たとえば 「いるだけ」 が立派仕事になる役割があることが

この頃  わかる。

だから こういう人に 仕事を求めるのは 間違いだ。

「いるだけ」 が 他の人には果たせない 役割なのだから。

 

ところで 1日に申請した「介護保険」が決定した。

通常 決定には1ヶ月かかるといわれるが

この役人には 「やれば できるじゃん!」と言いたい。

 

本日の父。

お粥 + 崎陽軒の月餅。

明日は これが 食べたいというものがあり

明日になれば忘れていまうのだが

自分で「明日」の希望 を 食べ物に託している。

今夜は この家に引っ越してきた 1周年にあたる

11月11日に お寿司をとって 家族で食べる約束を した。

すごいなぁ おとうさん。

 

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これこれ!

2008-10-20 | 無題

これこれ!
父の元気のミナモト 
この かたつむり 
古い かたつむりをスタンドにしてみました。


<



これなら 薬の副作用で 特に蛍光灯の光を嫌がる父も
落ち着くというもの。
「ムード」あるし 元気が出そうじゃん 
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どんな時も

2008-10-19 | 無題

 

人は それを不真面目とか不謹慎

冷たい・・・というかもしれないが

私には どんな時も 幸せ と思える瞬間がある。

 

 

たぶん 人(他人)と私とは

幸せというものが違うに過ぎないのだが。

たとえば あなたは どんな時が幸せなんだろう。

イヤな上司がミスをした時 なんていうのは

私もかなり好きですよ きっと。

でも「私の幸せ」というのは

どんな状況 様々な状況のもとにあっても

「これでいいのだ」と思える瞬間のことです。

今 この日 この時

物事はこれでよい 成就している と思う時

私は幸せです。

 

昨日の父は 痛みの中 吐き気を訴え

さすった背中の骨に余命の短さを知ったが

私の作った料理を皆が食べ 

料理の途中で交わす会話や笑い声。

この一瞬 一瞬に幸せを感じた。

これで よい。 これしかない。 後悔がない。

野菜を切り 魚の鱗をとり 肉をこね 

いくつかの火を同時に扱い 料理を作ることと

父の病状が隣にあることは 不自然のようでいて

本当は自然のことのように 思う。

 

今日は落ち葉が カラカラと道をころがっていく。

新しい 靴 買いました。

 

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