今日は着物の衣替えをする。
その前に 部屋の花を活けかえる。
いくつかに活けてあった花を集めて
今度はひとつにまとめた。
衣替えも
以前はお部屋中に着物をつるしていたけれど
この頃は
ささっと
うまくやっています。
→感染症の時代になって
着物でお出かけすることも少なくなりました。
「保存中」です。 まだ。
今日は着物の衣替えをする。
その前に 部屋の花を活けかえる。
いくつかに活けてあった花を集めて
今度はひとつにまとめた。
衣替えも
以前はお部屋中に着物をつるしていたけれど
この頃は
ささっと
うまくやっています。
→感染症の時代になって
着物でお出かけすることも少なくなりました。
「保存中」です。 まだ。
自宅の庭や
職場近くの山の草花を
活けてみる。
通り過ぎてしまうと
見えてこない季節の色が
ゆっくりと歩けば
今年も巡っていることが わかる。
木々の枝
木々の葉の色は
まるで人のジンセイのように
いったり 来たりを繰り返して
巡っていく。
彼岸花は
なんだか仏教めいていて
あの世というものを連想してしまうが
「コリウス」とか言われると
宗教色も薄れてしまう。
いつのまにか すうっと茎が伸びて
花が咲き
そのあとから葉が出てくるから
やっぱり不思議。
いくるかの部屋に
芒を活けて
やがて秋の月。
季節が 巡る。
山の色も
深くなる。
→ シゴト用の携帯がガラからスマホになりました。
スマホって 本当にすごいですね。
ずいぶんと長く
わたしはこの職場にいるが
自然に恵まれたこの環境の中で
出会った木々や草花も多い。
「橘」もそうで ある。
ちいさな緑の実をつけた橘は
山の斜面にずうっとあって
その実は小さく
そして葉の数は多いから
近くに行かないと
実をつけていることに気が付かない。
柑橘の実は
その葉何枚に 実がひとつと
計算ができるらしい。
たくさんの葉がないと
たくさんの実もならない。
写真は たくさんの葉を落としたあと。
そうしないと
橘の実は見えては こない。
今日は
オレンジ色の鶏頭と合わせて
おおきな籠に飾ってみた。
この籠
職人さんが編んだものだろうに
ちょっとひん曲がってないか。
→ 活けている間も橘は香りたかく
よいものです。
でも きれいなものには鋭い棘がありますからご注意を。
山村御流のお花のお稽古は
八月はお休みです。
そこでお家でセルフお稽古をしています。
この日は
外に出るのが面倒な気がして
自宅の庭の薔薇を活けてみました。
山村御流のお花は
手前にぐーんっと枝がのびて
後ろのお花は低く挿すように思います。
今朝
雨があがっている間に
職場の斜面や山の見回りに行ったおり
椿の実を見つけてうれしくなり
枝をいただいてきました。
戸川雅尊さんの唐津焼き〆の花器に
鶏頭と合わせて
活けてみました。
→ 手前に伸びる びよ~ん感が
なかなかうまく撮れません。
6月から始めた
山村御流のお花のお稽古は
電車を乗り継ぎ
坂道をのぼって
先生のお宅に2回 伺った。
8月は夏のお休みなので
自宅でエアお稽古をすることにした。
ご本を読んで
「こんな感じ」をつかんで
活けてみたりする。
そうしてわたしは気がついたのだが
お花って
枝を選んだり 葉をおとしたり
主たるものに使わない花や枝がでるものなんだ。
それならば
そちらのお花を受けとめる花器はないかな
と思ったら
むかし 母が陶芸を趣味にしていた頃の作品が
庭の物置にあることを思い出した。
しかし で ある。
30年も前のその頃は
わたしがガーデニングを始めた時でもあり
市販の植木鉢に物足りなさを感じて
母の作品の器にコンクリート釘で穴をあけ
植木鉢にしていたんだ わたし。
あら~ って感じですね。
でも 大丈夫。
この中にコップとか
「オトシ」になるものを仕込めば
花器として使うことができます。
→ とっておくものだな。
夏の終わりは・・・
今年はたくさん花をつけてくれた
蓮の花托を
瀬沼健太郎さんのガラス花器に挿してみる。
蜂の巣のような花托。
この中に種が入っていて
今年は種から芽と根を出させて
土に植える方法も覚えることができた。
蓮を植えた甕は
玄関の前にあって
犬の散歩などで通る人も
この蓮に目を停めて下さった。
できればワンちゃんのおしっこは勘弁してほしいところだが。
また 次の夏だ。
→ ワンちゃんの飼い主さんは
この私道の拙宅前にやってくることが わかる。
たいていワンちゃん仲間と歩いているので
遠くの話し声が
だんだん だんだん
近づいてくるからだ。
ワンちゃんは えらい!
オットが若宮陶器 で硝子の花瓶を買ってきてくれた。
さっそく 蓮の葉をいれてみる。
足元には
夏の水辺のお約束 蟹を置いてみた。
蓮の葉は
いったん鋏をいれて切ってしまうと
水揚げが難しい。
切った茎に華道用霧吹きで水を注入すると
幾分ちがうように思うが
ここまで大きな葉では
夕方には内側に巻きが入ってきてしまう。
しかし 蓮の葉は
この世の在り様を現わしている。
芽をだし
葉を広げ
花を咲かせて
また枯れていくさまは
この世 そのものだ。
1ヶ月も新しい投稿をしていなかった・・・
・・・とは・・・
そんなことは
わかってはいたが
「ブログ」って
ちょっとメンドウかなって
思い始めていて
今年になってInstagramを始めてみたら
それは とても
手軽 なことだった。
一眼デジタルで撮った写真を
Snap Bridge でスマホに転送して
画像のリサイズもなしに
その場でInstagramは発信できる。
さらに これは危険も孕んではいるが
同じような嗜好性 志向性を持つ人の
Instagramも示されてくるので
これも また 楽しいのだった。
一方では また
職場のブログなども更新するが
こちらにおいては「動画」発信の時代になった。
スマホをジンバルに装着して撮影して
VNというアプリを用いて
編集をして ホームページの載せる作業が
とても新鮮であり
楽しい。
別にこのような作業を命じられているわけではないのだが
「情報の発信」は
利用者の信頼を得るためには必要だと
今年度の計画にものせた。
そんなわけで
自分の気がむいたらブログも更新するし
Instagramも飽きるまでは
やっていくんだろうな。
そんなわたしですが
よろしければ
お付き合いください。
こんなブログも書いています。
→ スマホからこのブログにも投稿できるのですが、このサイズで画像が表示されるのかな・・・
※画像の蓮は自宅の庭で咲いています。
水の季節だ。
蓮の花は
その葉もたいへんに美しいものだ。
庭の蓮。
朝が愉しみになる。
カサブランカもしずくに包まれて。
→ 京都にいかなくても
ここだけちょっと京都のお寺です。
水の季節が
巡ってきた。
庭の甕の
蓮の葉が
風にそよぐ。
5月に死んでしまった
碧い羽根の色を持つ
コザクラインコの「まさお」
その身体と心は空に飛んでいったが
思い出は この石に刻んだ。
おもしろい枝の紫陽花を
瀬沼健太郎さんの花器に 挿してみる。
しかし
ふと 思う。
このまま出かけて
地震がきて
この花器が倒れたらどうなるか と。
遅い昼に食べた
納豆を混ぜた小鉢に 取り替える。
だって
あのまま倒れたら
箪笥の中の着物が 水浸しだ。
→ 紫陽花はこちらもに
JAグループ バケツ稲づくり。
ことしは個人でひっそり育てています。
この日は いよいよ田植えです。
稲の苗をそっと抜いて
何本かまとめて 田植えをします。
お米の収穫が目的なのではなく
お庭の借景としての稲を育てます。
だれが?
妹が です!
なんでも秋になって
稲穂にぶる下がっている雀が
とてもかわいいと言って
自分の庭に その光景を作るらしい。
わたしは もういい加減疲れてしまって
本来ならば こんなに密集させてはいけませんが
エイ!っと田植えをしてしまった。
これは せっかくなので
自分のお庭用。
オットの朝食。
昨日は逗子の家の畑で 芋ほり。
横浜の家の玄関には 里芋。
→ 水が光る季節が やってきた。
土曜のわたしにキセキがおきた。
2週連続で土曜日+日曜日にシゴトを休むことができた。
1年4回 春夏秋冬に合わせていくのが
昨年 店主の野口さんが急に亡くなり
いったいどうなっていくのだろうと思っていたが
奥様が週末にお店を開けていて
これまでと変わらず
ほしいものがいっぱいのお店である。
店内は撮影ができないのだが
竹の花入れを写真に撮らせてしいとお願いしたら
OKをいただいて
周りの店内も写し込んでみました。
花入れ 見つけられますか?
歩道をまたいでの駐車スペースに
うまく停める自信がなくって
(帰りは反対方向だし)
たいてい原チャリで行く。
だから原チャリの時には
積載できるだけのものしか買えないが
もうすでに お気に入りの大物の鉢がストックしてあるから大丈夫。
それでも
わたしのHONDA ズーマーには
こんなに積める。
まずはベトナムの鉢。
といっても排水のあなはないから
鉢カバーなどに使える。
お部屋のインテリアにも よいね。
ハンギングにして植物を育てるバスケットとバケツ。
わたしは色とりどりの花は
ハンギングにはしない。
緑 一本。
多分 銅?の 蟹。
去年は真鍮製の蟹を買ってきたが
今年は 銅。
お花を活けた時の足元に 置く。
いつもは玄関のインテリア。
そして これ。
印度の鉢。
アーユルベーダ(でしたっけ)
額に油をたらすヤツ。
あの形の 鉢。
「フリル」は嫌いなワタシであるが
鉢のフチのフリル状には ちょっと目をつぶるだけのものがある。
→ こちらは分店とでもいうべき INTER PARTSの鎌倉十二所にあるweekend shop。
INTER PARTSはお店の建物とkitchen等すべてのデザインもいいのです。
散水のためのホースもホースをかける場所も もちろん!
「プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ」
ちょうど子どもを出産して入院をしていた時に
窓から見える街路樹がプラタナスだった。
まさに夜も緑なるプラタナスを目の当りにすることができて
この句を思い出したことだった。
時は 今。
2日間の連休の たった1日を過ごした家である。
庭の緑が
古い家の中を
夜もみどりなる色に染めていく。
歪んだ硝子が
みどりの色を屈折させる。
日本の人は
少しの欠けや
微妙なひびに
心を動かしてきた。
真っ正直に 人に何かを伝えたりは しない。
屈折 湾曲 比喩に隠喩
慮る
自分の気持ちを曇り硝子にして
表現する。
このごろ
日本の気候が
湿度から 乾燥に変わってきた。
湿度がほしいとなると嵐の夜が訪れる。
障子より 金属のシャッター
小間より リビング
あ~
短い休日の深呼吸だ。
こどもも帰ってくることができたし
おいしいワインも
半分飲んじゃった。
それでは
みどりの色の休日を どうぞ。
風
そよぐ 葉
足元に見つける 赤
れもんの花
大収穫
筋をとって 持ち帰りたい らしい
水しごと
相談
ってなわけないか
コスモス
こんな小春日和のおだやかな日には
あってもいい相談があるんじゃないかと思ったが
なかった
よい休日で あった。
連休直前は
公私に渡り台所のシゴトが続いたので
憲法記念日は
台所シゴトはいたしません宣言を した。
朝になったら逗子へ行って
ワインを飲んで 昼寝をすると決め
前の晩は早くにベッドにはいって
清野恵理子さんの本を読んだ。
清野恵理子さんの文章は誠実で美しく
1日のおしまいにその文章に触れると
少しは清くなって眠れそうな気がする。
ところがその晩の夢は
仕事中のわたしに突然お願いごとをする人が
やってくる内容だった。
「リアル」である。
この人も
そんな夢をみるのだろうか・・・
まぁ いい。
SUZUKIYAでワインもチーズもなにもかも買ってきた。
飲もう。
お腹が満たされたら
スナップエンドウの収穫。
3500円の高級ワインは
酔いごこちも いい。
そして
数か月ぶりの家族再構築で ある。
よい休日で あった。
→午前11時すぎのSUZUKIYAは まるで年末のような混雑なのであった。
アウトドアで1日を過ごそうとする人とみた。
わたしたち家族も また。
土曜日の夜。
夕食を食べて
1週間のキンチョウが解けて
気が付いた。
ワタシって
カラダのどこかしらが 痛い。
股関節や
数年前に脊柱管狭窄症になってからは
それに伴うビリビリは
強弱はあるものの注意している。
最近は 足が細くなったなと思ったら
それは膝関節が大きくなってしまい
比較して足が細く見えているだけだった。
肩こりは慢性的
ガスター10は手放せない。
あまりにも
どこかしらが痛くて
痛みに鈍くなっているだけなのだった。
写真は瀬沼健太郎作 の花器である。
今 sumica栖にて
瀬沼健太郎硝子展が開催されている。
瀬沼さんはzoom の向こうにいて
聴きたいと思えば
やり取りができることも ある。
ワタシが尋ねたわけではないが
この花器は食器としても使えるか
尋ねた人がいた。
そうしたら
「自分は花器として作ったから
できればそうしてもらえたら」
とのことだった。
この花器のふちのあたりは
ローマンガラスをイメージして作ったのだそうだ。
ワタシは古代ローマにも行ったことがないし
ローマ人(びと)にも会ったことが ない。
しいてあげると
アベヒロシ さんをイメージできるくらい。
でも 言われてみると
ふちのあたりが
古代ローマって 感じがしてきた。
活けたのは
勤務先の山の斜面に自生している浦島草。
苞の部分が 浦島太郎。
長く垂れているのが 釣り糸だ。
ローマ人(びと)の趣味に合うといいのだが。
ローマといえば
ローマって水道が発達していたのではないか。
それならば
たっぷりと水を張って
旅する人がやってきたときに
暑さをしのぎ
うるおいで旅の疲れが癒されるように
水をイメージできるようにしてみよう。
たっぷりと。
→ 花と過ごすことは すき。
人は もう ちょっと ニガテです。