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マリリン・モンロー 瞳の中の秘密/Love, Marilyn

2013-10-06 22:35:42 | 劇場&試写★6以上

 

 

 

 2012年、没後50年の年に初公開された

マリリン・モンロー直筆の日記をひもといたドキュメンタリー映画


「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」など数々のヒット作品に出演

"永遠のセックスシンボル"として世界的な人気を集めながらも、1962年に36歳の若さで突然この世を去ったマリリン。

本作は、世界的ベストセラー「マリリン・モンロー魂のかけら−残された自筆メモ・詩・手紙」を基に、

様々な俳優たちがリーディングして、映像と共に綴っている。

 

マリリンと、ユマ・サーマンがもう何十年も前からわたしの2大ミューズであるわたしにとって

ユマがマリリンのことを語る(たとえセリフでも)のは凄く楽しみにしていた

 マリリン風のユマ←

(こんな風になりきって語るわけじゃないけど)

 

マリリン・モンローの映画を観た事のない人は、

マリリンっていうと、マドンナがマネしたような、どぎついメイクで

お色気だけアピールしたオトコ好きする金髪女。ってイメージに思ってる人も少なくない。

だけど、このブログでずっと前から言ってるけど、

マリリンって本当は孤独で、人一倍さみしがりや。

そして純真な可愛さのある、学歴はなくとも頭が良く、愛くるしい女性。

 

 

ただマリリンの半生を綴った映画よりも話題性を持たせたのか、

数々の男女のキャストが順不同、人によって回数も様々で、マリリンのセリフで話す。

男の俳優たちは、マリリンに関わった男に代わったセリフで語る。

ユマ・サーマン、リンジー・ローハン、マリサ・トメイ、エヴァン・レイチェルウッド、

エレン・バースティン、グレン・クローズ、ホープ・デイヴィス、エリザベス・バンクス、

エイドリアン・ブロディ、ポール・ジアマッティ、ベン・フォスター、ヴィオラ・デイヴィス、

ジャック・ヒューストン、ジェニファー・イーリー、スティーヴン・ラング、リリ・テイラー、

オリヴァー・プラット、ジャネット・マクティア、デヴィッド・ストラザーン、Fマーレイ・エイブラハム。

 

 

7/10(70点)

 

 

これなら、彼ら目当てでも少しでもマリリンに興味持って観る人が増えるかな?

 

マリリンのファンだったら、よく知ってる写真や周知のことは多かったけど、

映像としては初めてみるものもあったりしてファンとしては満足。

マリリンのことをユマが語るのを見ると、なんだか胸があつくなって

うるうる泣けてきちゃった

 

わたしのお気に入りで部屋の壁に飾っている、

NYのセントラルステーション駅のホームでとったモノクロの写真や

 

これもファンには周知だけど昔お金のないころ撮った話題のヌードの話、

写真集でもなんども目にしたショットや、過去にもDVD特典でついてたのでみていたけど

FOXでの復帰作品として撮っていたが完成せずに終わった「女房は生きていた」などの撮影エピソード、

もう亡くなってしまったけど、ビリー・ワイルダー監督やジャック・レモンなどの

共演者のインタビューや裏話なども含まれる。

 

橋についての話がすごく印象的だった。

橋から飛び降りようとしても、ブルックリンブリッジとか

美しい橋はだめだわ、醜い橋があればと思ったけど

どこもいいところがあって、醜い橋なんてないわ。 って。

 

 

リーディング(朗読)は、やっぱり俳優だから皆うまいけど、

特に感情に訴えたリーディングだったのが

「X-Men」でエンジェルのベン・フォスター。と、

超、メリル・ストリープの若い頃にそっくりな

ジェニファー・イーリー(毎回言ってるけど)。

この二人、やっぱりうまいからなのか、語るのは多く、何度も出て来た。

 

これ、担当する場所とか決めず、

皆に一通りリーディングしてもらって、カットして繋げたのかな?

 エンドロールでちょっと撮りシーンでてたけど、同じセリフ言ってる人もいた。

それにしてもポール・ジアマッティとか、エイドリアン・ブロディとか選ばれたのは何故?

ってくらい、マリリンと関わりなさそーな、(ファンでもとくになさそうな)人たちも

いるのはなんで選ばれたか最後まで疑問だったけど。

 

 

エヴァンレイチェルウッドがボーイッシュに

なんか楽しそうに語ってるのが気になったな。

あと、マリリン大好きリンジーはそっくりに真似たメイクで。

だけど語ったシーンは2テイクのみ。(タバコは吸ってないけど)

 

 

マリリンがNYのブルックリンが好きで、住みたかったと言ってたのは

初めて知ったな。わたしと一緒でなんか運命感じた 笑

 

 

 

マリリンのこと、興味少しでもあるひとには、

全く知らなかった人にも、知るきっかけになったらいいな

 

 

マリリン・モンロー

1926/6/1-1962/8/5

私生児として生まれ、生活の苦しさと彼女が7歳の時に母親が精神病院に入院したことから、 里子に出されたり養育施設に預けられたりする恵まれない子供時代を送った。 16歳の時に高校時代の先輩ジェームズ・ドアティと結婚。航空機工場に働きに出るが、カメラマンにモデルとしてスカウトされ、ブルネットの髪をブロンドに染めて売れっ子ピンナップ・ガールとして数々の雑誌の表紙を飾った。 俳優として成功する夢を実現するため46年にドアティと離婚。 47年に20世紀FOX社からの誘いを受け、 『嵐の園』(48)や『Dangerous Years』(48)などに端役として出演したが、観客に注目されることもなくスタジオからは契約の更新を断られてしまう。 女優への夢を捨てきれないモンローは、売春まがいのことやヌード写真のモデルなどをして生活費を稼ぎながら マイケル・チェーホフやナターシャ・ライテスについて演技を学び、トルストイやミルトンなどの本を読み漁って教養を深めていった。 50年には彼女のエージェント、ジョニー・ハイドの尽力によって『アスファルト・ジャングル』と『イヴの総て』の二本のA級作品に端役として出演。 マスコミの注目を集めてフォックスと再契約を交わしたモンローは『Love Nest』(51)や『Clash By Night』(52)などのBムービーや、 ハワード・ホークス監督のコメディ『モンキー・ビジネス』(52)に出演して知名度を上げていった。 52年の『ノックは無用』では初の主役に抜擢され、精神に障害をきたすベビーシッター役を熱演。 『ナイアガラ』(53)での男たちを惑わせる妖艶な悪女役は、ナイアガラの滝をバックに披露したセクシーなモンロー・ウォークと共に大きな話題を呼んだ。 同年、無名時代のヌード写真がプレイボーイ誌の創刊号に掲載されたことでモンローの名は一躍有名になり、新たなセックス・シンボルとしての地位を獲得。 同年には全米配給業者が選ぶトップ女優にも選出され、ジェーン・ラッセル共演のミュージカル『紳士は金髪がお好き』(53)、ローレン・バコールとベティ・グレイブル共演したコメディ『百万長者と結婚する方法』(53)ではミュージカル・スターとしても、 コメディエンヌとしても通用することを披露した。 54年にはニューヨーク・ヤンキースのジョー・デマジオと再婚したが、彼女の奔放な性格が災いして結婚生活は9ヶ月で破局を迎えてしまう。 ロバート・ミッチャム共演のウェスタン『帰らざる河』(54)や、ビリー・ワイルダー監督のコメディ『七年目の浮気』(55)などのヒット作に恵まれながらも、 グラマー女優でなく演技派女優としての成功を望むモンローは、ハリウッドを離れてニューヨークのアクターズスタジオに入学。 リー・ストラスバーグから本格的な演技テクニックを学んでハリウッドに戻ったモンローは、 友人の写真家ミルトン・グリーンと共に「マリリン・モンロー・プロダクション」を設立。 1年ぶりの主演作『バス停留所』(56)での演技はアクターズ・スタジオでの演技修行の甲斐あって批評家から絶賛され、 56年にはピューリッツアー賞受賞作家のアーサー・ミラーと3度目の結婚を果たした。 イギリスで撮影された『王子と踊子』(57)は共演のローレンス・オリビエとウマが合わず、 精神的な不安から睡眠薬や精神安定剤などのドラッグやアルコールの摂取量が多くなり、撮影現場での遅刻や早退が以前にも増してひどくなっていった。 ワイルダー監督と再び組んだコメディ『お熱いのがお好き』はコミカルな内容とは反対に、モンローの遅刻癖と情緒不安定によって撮影現場の雰囲気は険悪を極めたが、 映画はモンロー出演作の中では最大のヒットを記録。 私生活ではミラーの非米活動委員会への召喚や、 子宮外妊娠による流産などの悲劇に見舞われたことから睡眠薬の飲みすぎで死にかけたこともあり、 60年のミュージカル『恋をしましょう』は映画よりも共演者のイヴ・モンタンとのロマンスが話題となってしまう。 ミラーがモンローのために執筆した『荒馬と女』(61)では憧れの「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲイブルとの共演を果たしたが、 睡眠薬と酒に溺れたモンローは61年に精神病院で治療を受け、62年にはミラーと正式に離婚。 復帰第一作となった『Someting Got to Give』はモンローの度重なる遅刻によって撮影が遅れ、 無断でジョン・F・ケネディ大統領の誕生パーティに参加したこともスタジオ上層部の反感を買って、撮影開始2週間後に解雇される。 モンローの代役を見つけることが出来ないスタジオは彼女の再起用を決めたが、8月5日の早朝、モンローは自宅で全裸の遺体となって発見。 睡眠薬の飲みすぎが原因だと言われているが、自殺説、事故説だけでなく、ケネディ一家やマフィア、 政府が彼女の死に関わったという陰謀説までモンローの死因には様々な憶測が飛び交っている。葬儀はジョー・ディマジオが執り行った。

 

 

 

  公式サイト

Love,MARILYN         2012年    アメリカ=フランス     108min

10月5日より、公開中~

 

 

 

 

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