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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:こちらあみ子

2024-02-15 | 映画


数年前のある年のわたしにとって一番衝撃だった小説がこの原作。
→「こちらあみ子」
その映画化の評判は良くて、一体あの小説をどう映画にしたのかずっと気になってたけど、
なるほどなるほど!
予告編見ただけでも画面の作り方とかすごく良いし映画としての完成度は高く、
安心して最後まで夢中で見られます。あみ子役の子すごいし、他の俳優もみんなすごく良い。
広島の風景も言葉もみんなとてもとても良い。
小説は、あちこちで起こり続ける不協和音の居心地の悪さや得体の知れない不穏な空気を感じたし、
あみ子を裁きもしないけど寄り添いもしないフラットな書き方だったと思うけど、
それに比べると映画の方はあみ子への視線がだいぶ優しい気がします。なんというか、寄り添っている。

自分が自分でいるだけで大事な人も関係も傷つけて破壊してしまいながら、
そのことが全くわからないあみ子の存在に、小説では残酷さよりむしろ切なさを感じたけど、
映画の公式サイトはあみ子の引き起こす色々を「ちょっと風変わりな彼女の純粋な行動」と
オブラートに包んだ書き方をしていて、わかりあえない切なさではなく優しさでくるんである。
映画自体は小説の世界をこんなにうまく映画にできてすごいと絶賛したいけど
結局最後にこの優しい優しい主題歌(上の予告編に出てきます)、
あみ子の気持ちを定型の子の感じる最大公約数的な寂しさや孤独に
あてはめてしまいそうなのがわたしは気になりました。
あみ子に孤独がないとは言わないけど、あったとしてもそれはわたしが想像できるものとはだいぶ違うと思うし、
寄り添うことも多分できないものなのに、ラストに甘い優しい歌をふんわり持ってきて
あみ子に寄り添えている幻想を抱かせてしまう。そういうところだけは微妙に気になった。

とりあえずもう一度原作を読み直してみなくては・・・
というわけで「こちらあみ子」の映画を見たあと帰宅後ワイン少々をはさんで、
お風呂で小説の「こちらあみ子」を何年かぶりに一気読み。のぼせた。
でもあらためて映画がかなり忠実に作られてるのはわかった。

ラストの歌の歌詞、あみ子の亡くなってる(と思われる)実の母親が見守っているという視点から
作られたというのは驚いたしなるほどそういう感じはよくわかったけど、
それでもわたしはこのふんわりした優しさがどうも好きじゃないなぁ。
音楽を作った人の感傷や関係をそこに込めないでと思うのはわたしが小説を好きすぎたからか。
(インタビューを読んだらなんだかハートウォーミングな話をしてた気がする)
それ以外は素晴らしくうまく映画化できてるんだけどね。

主人公のあみ子はなんらかの障害があって人の気持ちが理解できない。
あみ子の心はとてつもなく自由で純粋で、
その自由な魂を褒めもせず貶しもせず淡々と描いたのが原作でした。
あみ子は純粋無垢だけど、その無垢さで人を傷つけ関係や場を壊して行く存在で、
誰も悪くないのに壊れて行く世界の絶望を感じさせます。
あみ子のことは理解できないし、あみ子にも周りが理解できない。
でもそれはあみ子が悪いのではなく、わかりあえなくてもお互い存在を受け入れて
一緒に生きていくのだということを、
「コミュニケーションできる、理解できる、寄り添える」幻想でまとめるのは、
間違いかごまかしのように、わたしは思うんだけどね。

とはいえ、なにしろあみ子の役の子の演技も存在感もすごいです。
小説で読んだあみ子がそのまま現れたようにしっくりきてびっくりした。
この小説を好きな人は安心して見ていい映画です。

映画:パーフェクトデイズ

2024-02-14 | 映画


この映画の上映が始まる少し前に、読んでいた新聞の一面丸々使った
大きくてスタイリッシュな広告が出てて、
ヴィム・ヴェンダース監督の映画が、
日本を舞台にしているとはいえこんなに大きな堂々と出てるのは不思議だなぁと思いつつ、
見た人たちが絶賛しているので期待をして見に行き、そして期待以上にいい映画で感激した。

最近のヴェンダースのドキュメンタリーはピンとこないものもあるけど
「ベルリン・天使の詩」や「パリ・テキサス」はすっごい好きな映画だし、
あまり有名じゃないけど「ミリオンダラーホテル」はDVD持ってるくらい好きなのです。

悲しいかな映画慣れ?しすぎて、ああこれはジャームッシュの「パターソン」だなぁとか、
「ベルリン天使の詩」以来のいつものヴェンダースだなぁとか思ってしまうのですが、
(昔書いた映画「パターソン」の感想を読んでたら、あまりに「パーフェクトデイズ」の感想でびっくりした。
このまま固有名詞だけ変えて「パーフェクトデイズ」の感想に使えそうなくらい。
パーフェクトデイズを小津映画を引き合いに出す人が多いけどわたしはあんまりそれ思わないのよね。
むしろ何はともあれ「パターソン」でしょ。と思う。)そこから心を平らかにして静かに味わうことが大事だなぁ、などと邪念を払いながら見ました。
とてもいい映画で、自分がずっと焦がれていた生活がここにあるよなぁと思いながら
主人公と同じ側にいる人間の気分になって見ました。

お話は、公園のトイレ清掃の仕事を淡々と、でも丁寧に真面目にやる初老の男性が主人公。
朝は通りの掃除の箒の音で起き、植木に水をやり決まった手順で仕事に行く。
通勤の車ではカセットテープの音楽を聴き、仕事の帰りにはいつもの店で1杯だけ飲み
夜は古本の文庫本を読んで寝る規則正しい毎日を繰り返す中に起こるいろいろ。
聴く曲も読む本もこの役に対してセンスがよすぎると思ったけど、
途中でどうやら随分裕福な家の出の人物らしいということで納得しました。
本は、フォークナー幸田文ハイスミスという流れが、海外、日本、ミステリーと割と何でも読むし
それがいいものばかりというセンスで、ここも目指したいところです。

で、主人公の役所 広司の演技がめっちゃ褒められてるし、すごくいいと思うけど
やっぱりちょっとカッコ良すぎるかなとは思う。役(中身)もかっこいいけど本人(容姿)もかっこいい。
すらりと背が高く、波打つグレイの豊かな髪、毎日整えられる髭。
質素で地味ながら清潔感のある服。素足にサンダルでママチャリ乗っててもリラックスしたかっこよさがある。
これ、同じ中身の人物だとしても、たとえば小さくて禿げてて太ってるおじさんが演じたら
別の映画になっちゃいますよね。
たとえば温水洋一が主人公を演じるバージョンを脳内再生してみたけど
ヴェンダースの美意識で整えられた世界とは少し違う。
いや、でもその方が本当はここで描かれている平凡な日常の美しさにはふさわしいかもしれない。
まあそれだと、ここまでは評価されなかったかもね…

主人公の過去は描かれなくて謎のままだし、特に何が起こるということもない。
でもわたしが若かったら、この主人公(役所広司)を人生の最優目的形に置いただろうな。
寝て起きて働いて休む。
毎日同じように生きるけど、毎日ささやかに違うことが起こり違うことを見つける日々。
それが人生で何が悪いと思うし憧れる。

日常を淡々と描いて日常の中の小さな幸せや小さな美に気づかせてくれる、という映画は時々ありますが、
役所広司がやはり上手いし(まあちょっとカッコ良すぎるけどね)、全く退屈させないし、
この映画を見た後にはみんな晴々とした顔になると思います。
生活も仕事も、特にきれいな背景ではないところもカメラマジックできれいに撮られていて
ヴェンダースらしい映像も良いし、カセットテープで聴く音楽も素晴らしい。
音楽はこのリンクで各曲のさわりが聴けます→「ヴェンダースが音楽を教えてくれた」
(あと、このレビューはとてもいいです。色々と腑に落ちました)

こまかいところでは、写真を撮るシーンのカメラ、写真をずっと撮ってる年配の友達が
自分も持ってた、いいカメラだったといってたんだけど、
フィルムを現像に出す写真屋の店主がなんと翻訳家の柴田元幸さん!と後で聞いてびっくり!!!
映画を見る数日前に、柴田先生の朗読会に行って一番前でじっくり見て聞いたところだったのに
全く気がつかなかったとは不覚!笑

あと、スナックのママさんがやたら声の透人だなぁと思ってたら石川さゆりさんで
映画の中で歌を聞かせてもらえたのはサービス心があるなぁとうれしくなった。

などなど、誰にでもおすすめできるいい映画なんだけど、
この映画の発端になった渋谷トイレプロジェクトは、きれいでおしゃれなトイレを作る一方
行き場のないホームレスを追い出している渋谷再開発関連の事業だという話を見かけました。
この映画が、弱者を排除してできる「きれいな街」を目指すプロデューサーによって
作られたものならとても残念なことで、
いい映画だからといって耳を塞いではいけないことだと思うので、
すごく褒めたけど一応ここにそのことも書いておきます。
映画も街も、そりゃ美しい方がいい。でも美しい方がいいからという価値観が
東京のあのトイレプロジェクトの弱者排除と通底していると思うと残念、
かといってこの映画を見るなとはわたしは言えなくて、
映画を見た上でこういうことも知って考る機会になってほしいです。

あのお金のかかった大きな広告や、不思議におしゃれなトイレが少し謎だったけど、
そういうプロジェクトできれいなトイレを作る一方で、ホームレスを追い出したり
その人たちの荷物を勝手に移動させたりしたり公園での炊き出しができないようにしたり
してたんだと思うと、なんともねぇ・・・
監督は日本贔屓の外国人で、日本のいいところばかり見えるのかもしれないませんが、
ここに描かれる「美しい日本」が弱者排除の上に成り立っているのだとしたら、
この映画は矛盾を含む皮肉な作品になってしまいますね。
主人公は出自はどうあれ、今は排除される側に近い人として描かれてるのにね・・・

映画:ファースト・カウ

2024-02-11 | 映画


2024年の映画初めはこれ。
「現代アメリカ映画の最重要作家と評され、最も高い評価を受ける監督のひとりであるケリー・ライカート。
映画ファンの間で確かな人気を誇りながらも、
これまで紹介される機会が限られていたライカート監督作品がついに、日本の劇場で初公開される!
長編7作目となる『ファースト・カウ』は、世界の映画祭でお披露目されるやいなや、たちまち絶賛の声が上がり157部門にノミネート、27部門を受賞。
さらに映画人からの評価も高く、ポン・ジュノ、ジム・ジャームッシュ、トッド・ヘインズ、濱口竜介ら、名だたる監督たちが口を揃えて本作を称賛している。」

とサイトにあり、ポン・ジュノや濱口竜介が賞賛してるなら見るしかない!と思ったけど
時間が合わず見られなかった年末に、配信されてる同監督の前作を先に見ました。
「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016年)は3人の女性の話のオムニバス映画。
これもかなり地味でゆっくりと話が進む滋味に溢れた映画で、これでこの監督の
映画のタイプや時間の流れ方、人間関係の描き方や間、というものについては少し予習できたと思うけど、
その前作も、この「ファースト・カウ」もどちらもかなりゆったりした映画です。
「スローシネマ」と呼ばれるスタイルのようで、こういう作風の監督も時々いますね。
というか、今年に入って見た映画、スローシネマ率高い・・・笑

物語は
甘いドーナツが人生を左右するー!
アメリカン・ドリームを夢見る男たちの友情物語

物語の舞台は1820年代、西部開拓時代のオレゴン。
アメリカン・ドリームを求めて未開の地にやってきた料理人のクッキーと、中国人移民のキング・ルー。
共に成功を夢みる二人は自然と意気投合し、やがてある大胆な計画を思いつく。
それはこの地に初めてやってきた「富の象徴」である、たった一頭の牛からミルクを盗み、ドーナツで一攫千金を狙うという、甘い甘いビジネスだったーー!

と公式サイトにあって、あら今回はほのぼのコメディタッチなのかな?と思わせますが全然違った!
いや、まあそういうことではあるけど、この紹介文に滲み出る雰囲気とは全然違う映画です。
映画の紹介文も、ホントいろいろ割り引いて読まなくちゃだなぁ。

冒頭で、え?普通それ見つけて素手で掘る?と思ったのと、ラストの抑制の利き方と、
あと牛のかわいさが印象に残るけど、俳優もいいし、冒頭の川のシーンからもうずっと映像が素晴らしすぎ。
2024年のよい一本目になりました。

ほとんど女性が出てこない映画だけど、
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(見てないけど)でディカプリオの妻を演じた
リリー・グラッドストーンも少し出ています。
「ファーストカウ」では演技がいいとか悪いとかいうほどは出てないんだけど、
この女優さんは年末に見た同じ監督の前作にも出ていて、
そちらの演技は素晴らしかった。これからどんな役を演じるのか楽しみですね。

主役の二人もとてもいいです。
中国人キング・ルーのチャラい感じ。軽くて小狡い胡散臭さがあって、余裕があるふうに見せているけど
実は崖っぷちで、なんでも知ってるような顔をしながら実はテキトウ。
料理人クッキーの方が孤独で頼りなく見えるけど、優しく朴訥な中に堅実さがあって
一人でも生きていけそうなのはクッキーの方だと思う。
紹介文では意気投合したと書かれてるけど、そういうわけじゃない。
ただ、頼る相手がいない同志、協力して生きているうちに段々と絆ができていた感じです。
キング・ルーは最後まで自分の夢のためには人を裏切りそうな男に見えるけど…
の先は書けませんが、わたしはクッキーがいい人でいい人で
彼に悪いことが起こりませんようにとハラハラしながら見てました。

この映画の好きなところを3つ挙げると、ドーナツ、牛、そして森、かな。
彼らが盗んだミルクで作って売るお菓子(ドーナツ?)は
油で揚げてるのでドーナツ的なものだろうけど、結構外側がカリッとして堅そうで
ドーナツとかりんとうの間くらいの感じかな。
揚げたそれに、シナモンをすりつぶしたものをかけて売るところで、ああ、美味しそう!
しかし小さなお菓子ひとつずつ売る商売の小ささも、可笑しいような切ないような。

そしてわたしはロバ好きですが、牛の尊さは昔から注目してて、本当に牛かわいい。
牛のかわいさといえば、韓国映画の→「牛の鈴音」が最高だったな。

あと、最初にクッキーが出てくる森の中のシーンから
少しひやっとした森の匂いが感じられるような映像にうっとりしました。
クッキーが森の中で食べられる草やキノコを選んでいるシーンとてもよかった。
ただ食いしん坊のわたしとしては、お菓子だけでなく
クッキーが質素な素材でおいしいものを作る様子とかも見てみたかったな。
この映画に必要ないとわかってるけど。笑

「鳥なら巣 蜘蛛なら糸 人間なら友情」というウィリアム・ブレイクの引用句で始まるけど、
とてもゆっくり映画だし、静かな映画で分かりにくい印象もあるかもしれないけど
この単純なことが描きたかったのだろうな。
使われる音楽もシンプルなものが多かったです。

これ見てところどころ寝落ちしたという感想も聞いたけど、まあ、これは寝ても仕方ないかな…
良い映画というのは良いなぁと思いながらも眠くなるものが多いですしねぇ。
誰だったか文豪が最高の景色を見ながらこんなに感動しても飽きる、
どんなに美しいものも飽きる、と書いてたのを思い出します。笑

映画:キャロル・キング ホーム・アゲイン

2024-02-10 | 映画


キャロル・キングのセントラルパーク無料ライブの記録映画ですが、
ああこれ見たらなんか優しい良い人になった気がする。してる、今。笑

キャロル・キングはすごいファンというわけではなかったけど、
こうやってスクリーンで集中して見て聴くと何度も泣きそうになりました。
文化も文明もこの辺り(ライブは1973年、インターネットもなく
音楽はライブかテープかレコードで聴いていた頃)で止まっててもよかったんじゃないか?
という気持ちにちょっとだけなったけど、
帰宅後すぐに「OK Google、キャロル・キングかけて」と言いながら
iPhoneでインスタにこの映画を見たことをアップする程度には文明に依存しているのだった…

映画は最初の方でキャロル・キングが成功するまでのことをざっと振り返り、
71年の「つづれおり/Tapestry」の大ヒットまで、ほとんどライブをしてなかったと述べている。
スタジオがすごくすごく好きなの、と言ってて、人前に出ることに興味がなかったみたい。
でも大スターになって、故郷に恩返しをしたいと企画されたのがこの無料凱旋コンサート。
16ミリフィルムで撮られたものを、初めて公開されたようです。

コンサートは前半は「つづれおり/Tapestry」の曲で始まるけど声も言葉も歌もすごくあたたかい。
暴風雨の直後ということで、ふんわり曇った空にも合う声だなぁ。
今改めて聴くと、なんててらいなくストレートで優しい言葉とメロディなのだろう。
コンサートの後半は翌月発売予定だった「ファンタジー/Fantasy」からの曲を
11人の金管バンドと共に盛り上げる。

そういえば昔めちゃくちゃ好きだったアメリカドラマ「ギルモアガールズ」のテーマ曲が
キャロル・キングだったのも思い出して、すごくしみじみした。
若いシングルマザーと娘の話だけど、二人の家が暖かくて夢のようで、
家庭がつらかったわたしは本当に羨ましく、大好きだったドラマなのです。

あと、キャロル・キングの顔も好きだなぁと飽きずに見ていました。
こういう顔好きだなぁ、男ならジャン・ポール・ベルモンドに少し似ている、
ちょっとユーモアのある表情で、いつも笑顔に見える顔。

映画:イニシェリン島の精霊

2024-02-09 | 映画


島の風景が素晴らしいな。(架空の島だそうです)
そしてロバ好きなので、ロバのジェニーがかわいくてたまら〜ん!
ロバ飼いたい気持ちがまたムクムクとわく、ロバ映画でした、
いや、ロバが出ていなくてもすごい映画です。
それもそのはず→「スリービルボード」の脚本、監督なのね。

1923年アイルランドの小さな孤島。
ある日突然、親友だった相手に絶交されて、どうしても理解できないし納得できない男。
なんとか元通りになりたいとあれこれするけど、全て裏目に出て、
とうとう今度話しかけたら自分の指を切って送りつけてやるとまで言われる。
そして…という話。

最初は絶交される方の「いい人」に同情してたけど、とにかく自分のことしか考えない鈍感で
独りよがりな行動が物事や関係を拗らせていくのを見ているうちにすっかりうんざりしてしまう。
「凡庸で退屈だけどいい人」とうより、あまりに凡庸で退屈すぎて何もないせいで
「いい人」という唯一の特性しか見えなかったのでは。
そもそも彼が「いい人」だったのも、たまたま環境が良くて
家族や友達が自分が上機嫌でいられるよう守ってくれてたからで、
実際は「いい人」でさえなかった気がする。

この「いい人」、パブでの言い合いでは、モーツァルトも知らないけど
優しさということは知ってるというようなことを言って
優しさで名を残した人はいないと言い返されてたけど、
優しさとモーツァルト(知性、あるいは文化)は別に矛盾せず両立できるのに
対立させて優しさの方が大事だと言い張るのも変だし、
そもそも自分が「優しさ」の側の人間だと思ってるのもずうずうしい。
そこでまた、おれの妹は優しいぞと言うけど、でも優しいのは妹であってお前じゃないよ、と
心の中でつっこんでしまった。笑
善良ないい人がダメなんじゃなく、愚鈍で身勝手なのがダメよねぇ。
ロバのことも何度も警告されてたのに人の話を聞かず自分の愚かな考えと思い込みだけで動いた
自分の自業自得なのに逆ギレするし、全然「いい人」じゃないわ。
そもそもこれだけはっきり拒絶されたら普通は引くと思うし、
優しいいい人は自分を拒絶する相手に自分の気持ちを無理やり押し付けたりしないでしょう。
その後の彼を見ているると、鈍感すぎるのって本当に怖いなぁと思う。
でも、相手が自分を好きに決まってると安心して、甘えたり依存したりすることは
近い相手に対してありがちなことなので気をつけたいものです。

とはいえ「いい人」の愚鈍さ丸出しのセリフには何度も笑わされてしまったし、
エキセントリックな物語だけど変なユーモアはずっとあって、だいぶ好き。
たとえば、絶交された主人公の妹から、なぜもう兄と話さないのかと聞かれて
絶交した方は「退屈だからだ」と答えたら、妹が「そんなの昔からでしょ」と真面目にいうところ。
真面目な顔で演技されてるので、笑えます。

一方、絶交した側の、その理由は結局最後まで見ていてもあまり釈然としません。
つまらないやつともう関わりたくないというのはわかるけど、同じ人間と昨日まで仲良くしてたので、
その突然さに驚かされ、頭が疑問符でいっぱいになった。
突然起こる拒絶、そして何を言われても揺るがない激烈な怒りのような拒絶はどこからきてるの?
元々無口で我慢してたけど限界がきたってことなのかなぁ?堪忍袋の尾が切れたってこと?
音楽や文学に興味があり知的情操的好奇心や向上心がある人には
それの全くない人は退屈だというのはわかる。しかしそれにしても突然すぎるし激しすぎるよね?

主人公二人より聡明な妹のことが一番気になってたけど、
それについてはネタバレになるので書きません。
でも小さな孤島で、本を読む人が一人もいないような環境で
知的な向上心のある彼女は誰とも話が通じなくて孤独だったろうなと思う。
その逆も孤独だろうし、人は自分のいる場所をよく見極めて選んだ方がいいね。

そして誰よりバリー・コーガンは相変わらず不穏でちょっと不気味なイノセンスがあって、
なんか気持ち悪いけどやっぱり良い俳優だな〜

あと、二人の関係を当時紛争のあったイギリスとアイルランドの関係に対応させるレビューも読んで
なるほどなぁと思ったし、そういうふうに取れるように作られたのかもなと思った。
わたしは単に人と人の話として見たけど、
諍いの原因は色々でも、こじれる時は国も人も同じなのだろうし、
確かに歴史の暗喩もあるかもしれません。

物語のことばかり書いたけど、
パプのシーン、それぞれの家の中、島の景色、ロバ、何をとっても素晴らしい映画でした。
二人の家も違いも面白いし、アイルランドの田舎のパブの雰囲気も
荒涼とした美しさの風景も全部良かった。

映画:ブレッドウィナー

2024-02-07 | 映画


2020年の映画だけどタリバーンの男たちへの怒りで頭パンパンに膨れながら見たのを思い出す。
原理主義者に押さえつけられるイスラム教徒の女たちの映画をいくつか思い出して、
息苦しい。このラストに希望はあるのか。ああ息苦しい。
でもすごく良い映画です。
アニメーションとして素晴らしく美しい。
小学生くらいの女の子と見に来てる母親らしき女性がいたけどとても正しい見方と思う。
わたしにも小さな子どもがいたら一緒に見ていろいろ話したいです。

最近アフガニスタンの女性たちの書いた短編集「わたしのペンは鳥の翼」を読んで改めてこの映画のことを思い出したのでした。
わたしは今、毎日、イスラエルによるパレスチナ人虐殺に憤ってるし、
イスラム教徒への偏見にも怒っているけど、
同時にタリバーンのような暴力的抑圧的な、マッチョ男性以外誰も幸せになれない
イスラム原理主義の人たちや政権にも憤慨してる、もうずっとずっと。
日本は先進国中ではまだまだ問題が多く道半ばとはいえ、女性に対する差別は
わたしの若い頃と比べると驚くほどマシになってきてはいる。
でもイスラム世界の女性たちがいまだにこんな状況なのを見ると
アベンジャーズの悪役サノスみたいな人が人類の半分を消すときに男性を全部消してくれれば
世界はずいぶん良くなるのにとミサンドリーなことを考えてしまう。

この映画を見た数日後にパラサイトの話を人として、
格差の問題は日本でも韓国でもかなり身近だし映画にもなってるけど、
最低限の人権もない女性たちの問題の方に自分はより関心が行くのだなぁ。
一人で外を歩くだけで罪に問われ殴られる社会。自由も人権もない。
アニメは美しかったけど、この脚本を実写でも見てみたいものです。
実写で見ると、打ちのめされそうと友達が言ってたけど、いっそ打ちのめされたいのは、
多分自分にとってまだ遠い現実を少しでも身近に感じるべきだと思うからかな。

11歳のパヴァーナは、アフガニスタンの戦争で荒廃したカブールにある小さなアパートの1つの部屋で、教師だった父、作家の母、姉と幼い弟と暮らしています。タリバンの支配下に生きるパヴァーナは、父が語る物語を聞きながら成長し、市場で人々に手紙を読み書きして生計を立てる父を手伝っています。 ある日、父親がタリバンに逮捕され、パヴァーナの人生は一変します。タリバンは、男性を伴わずに女性が家を出ることを禁じているため、家族はお金を稼ぐことも、食料を買いに行くことさえできません。 一家の稼ぎ手として家族を支えるために、パヴァーナは髪を切り“少年”になります。そして危険をかえりみず、パヴァーナは父を救いだす方法を探そうと決意するのですが…。(公式サイト)

映画:ビーチ・バム 真面目に不真面目

2024-02-04 | 映画


2021年の春ごろかな、緊急事態宣言の合間にひと月ぶりくらいで映画館で見たのがこれ。
ラリって与太ってる人がふらふらしてるだけの映画ではありますが、
なんかいろいろ思い出しちゃう映画でした。もっと無頼に近かった自分やその時一緒に居た人を。

そして、自分も丈夫な胃腸があればあんな風にデタラメに酔っ払ったまま過ごせたのだろうかと考える。
ヨレヨレの服一枚でどこでも誰にでも同じようにヘラヘラ上機嫌で
過去も未来も考えなず行き当たりばったりな。
マシュー・マコノヒーがその酔っ払いの役なのですが、徹頭徹尾イイカゲンで下品なダメ男です。

成長しない。反省しない。期待しない。
渚の酔いどれ詩人(ビーチ・バム)ムーンドッグの終わりなき狂騒の日々。
ムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)は、かつて天才と讃えられた詩人。しかし今は、謎の大富豪である妻ミニー(アイラ・フィッシャー)の果てしない財力に頼り、アメリカ最南端の“楽園”フロリダ州キーウエスト島で悪友ランジェリー(スヌープ・ドッグ)らとつるみ、どんちゃん騒ぎの毎日を送っている。浜辺でうたた寝し、酒場を飲み歩き、ハウスボートでチルアウトし、時たま思い出したようにタイプライターに詩をうつ…。そんな放蕩生活を自由気ままに漂流していたが、ある事件をきっかけに、ムーンドッグは一文無しのホームレスに陥ってしまうーー。
人生、山あり谷あり。ふと振り返れば、取り返しのつかないこと、もう決して元には戻らない、失われてしまったものばかり。そんな「クロースアップで見れば悲劇」に満ちた世界に、ムーンドッグはルーズな抵抗を試みる。不運には酩酊と爆笑を。不幸には目を伏せたくなるほど下品で、とろけるほどロマンティックなポエムを。
「俺のために世界がある」とうそぶくムーンドッグの、気持ちいいもの、好きなものだけを追い求める超テキトーでポジティブな生き様は、束の間、光を放つ。その光は無類に美しく、思いがけない感動で観客の心を優しくときほぐし、忘れえぬ至福の感情もたらす。映画史上最高にハッピーな、永遠に終わらない夏休み(サマー・ブレイク)が始まる!(公式サイト)


金原ひとみ「圧倒的野蛮と圧倒的繊細の同居。ムーンドッグの生き様は、物を持ちすぎた現代人に解放と無力を教えるだろう。」
浅田彰「自己規制(自粛)と相互監視を逃れ、しかも「自由という名の野蛮」を振りかざして「死に至る悦楽」へと暴走することがない。軽やかに快楽の波に乗りながら、他者とともにあくまでも明るく生き続ける。これはそんな真の自由人の姿を描く美しい映画――パンデミックと自粛で窒息しそうな私たちの社会に吹き込む一陣の涼風だ。」

と、おバカ映画っぽいのに賢い人たちがコメントを書いてるのは、
自粛の嵐と同調圧力的なものへの抵抗だろうか。

映画では主人公は徹頭徹尾イイカゲンな男だけど、元々はすごい才能のある詩人で、
その辺は話ができすぎてるかな。
才能もないただのダメ男を主人公にした方が、より厳しい抵抗になるけど、まあ詩人は仕方ない。
どんな世の中でも、猫と詩人は許すしかないのだろう。
頚椎症で肩をよく動かして柔らかくした方が良いわたしは、もっとしょっちゅう酔っ払って、
両手を上げてフラフラ踊ってるべきなんじゃないかと思いました。
でもやっぱり胃弱だからムーンドッグになるのは難しいな。

映画:窓際のトットちゃん

2024-01-27 | 映画


トットちゃんの本は中学生くらいの時に話題になったかな。その頃通っていた女子校のクラスメイトに、
生まれて一度も本を一冊読み切ったことがないという人がいて
(勉強には問題ないくらい読み書き読解できるけど単に読書に興味がない人)、
ある友達がこれなら読めるかもと貸したのが「窓ぎわのトットちゃん」だった。
たしか彼女は読み切ったはず。その後彼女は少しは本を読む人になっただろうか…

さて、映画はこの絵柄のキャラクターが小さい子でもおじさんでもアイシャドウと
プルプルリップを塗ってるように見えて気持ち悪いという声を聞いてて、わたしもややそれは感じ、
なんでこんなにペカペカした顔にするのだろう?と不思議だし、
最後まで絵柄を好きになることはなかったけど、映画自体は素直に楽しめました。
何度かグッと来て泣けた。
今でも人と違ったり型から外れてたりすると叱られたりと疎外されがちなのに
軍国主義の時代には、自由な心の子供がのびのびと生きるのは大変だったろうと思うし
それを守った大人たちはなんて偉かったのだろうと思います。

ただ、なんかモヤモヤと切なく感じるところはあって、
愛と余裕(お金)と教養(文化)があり、戦争反対暴力反対なお家に育ち
特別に手厚く見守られつつ教育を受けられる恵まれた環境の優しい子たちをいじめるのが、
貧しく文化資本に乏しい家の、喧嘩上等戦争イケイケみたいな子たち、という感じの図式はちょっと切なかった。
経済力や文化資本などの階層の違いって、自分ではどうしようもない子供の間で見せられると切ないものです。
ともえ学園の子達は罪のない素晴らしい子達だけど、
いじめっ子たちも環境が違えばそっち側にいられたかもしれないよねと思うと、
あのシーンは何かもう少し気持ちの通じあう余地を見せて欲しかったかな。

あと、わたしがじわっと涙が出そうになったシーンで、映画館の同じ列から
ずここここーと低いイビキが…おじさん、寝るなら静かに寝てくれ。
自分のイビキで目が覚めて安眠できない呪いをかけておきました(^_^;)

映画:オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト

2024-01-20 | 映画


「オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト(all dirt roads taste of salt)」って、
何かわかりやすい邦題つけてあげて欲しいけど、これは「A24の知られざる映画たち」という特集の一本。
A24という映画の制作や配給をしているスタジオの会社が、
日本で一般上映はされてない佳作を集めて上映する特集の中の1本なんです。
だからほぼここだけの上映で、1本1本にちゃんとした広告や予告編を作る予算も付けてなくて、
いうなれば並行輸入の品物を、日本でのパッケージをかぶせずにそのまま並べて売ってる感じ。
A24の映画といってなんのことかわかる人、あるいはそもそもA24の映画が好きな人以外には
全然見てもらおうという気のないそのままのタイトルです。

→「ムーンライト」のバリー・ジェンキンスがプロデューサーで、監督は詩人で写真家のレイブン・ジャクソン、
と聞いて感じた通りの映画だった。とにかく、97分の尺が150分くらいに感じるすごいゆっくりさです。
先日見た大概ゆっくりした映画「ファーストカウ」よりはるかにゆっくり。笑
ものすごーくゆっくり長回しだらけなのに、説明的なシーンは全くなくて、
どんなに長回しでじっくり映しても物語は全く進まないし、セリフも極端に少なく
途中で時系列は前後するし、うっすらとした物語すらも掴みにくい映画で、
まさにこれは映像詩というものだと思う。
そういうことを考え考え見てたら、あああれだ!色調も詩情のタイプも違うけど、
これは→テレンス・マリックだ!と途中で気づいた。起承転結も因果応報もない。
フィルム撮影のようで雨や水のシーンのしっとり湿度の高い密度の濃い情緒が美しい映像詩。
でもテレンス・マリックのようなスタイリッシュさやスノッブさはなく、もっとプリミティブな感性。
水の中の泥を掬っては流すシーンを始め、水がすごく印象的に撮られています。
きらきらと、ねっとりと、ぬるりと、あるいはさらりとした水の表現。

サイトには「ミシシッピで暮らすある女性の生涯を美しい映像で描き切った感動的な大河ドラマ」
書かれてるけど「ミシシッピ」と「美しい映像」以外は大嘘です。
生涯でも大河でもドラマでもなく、ある女性の人生のいくつかのシーンを超丁寧に超ゆっくりたっぷりと
美しく見せる映像詩、と言えばいいかな。

主人公のマッケンジーという少女が父親と釣りをするシーンで始まりますが、
これが何かの伏線になっているということも、何かの物語に続くということもなく
ただただ少女の手元を延々見せる。
母親が?娘を産むシーン、マッケンジーが娘を産むシーン、それらは前後して現れるので混乱するけど
まあどっちでもいいのかも。ただ飽きるほどゆっくり流れる美しい映像に身を任せたらいいのだろう。

手持ちで揺れるカメラのシーンと、被写体にすごく近づいて顔や足をトリミングしたような画面が多くて
想像の余地が多いというか、ほぼ全部が想像の余地、という映画ですね。

映画:灼熱の魂

2023-12-26 | 映画


映画好きの友達も、知り合いも、知らない人もみんながすごい褒め方をしていたこの映画。
監督のドゥニ・ヴィルヌーブは「メッセージ」や「DUNE/デューン 砂の惑星」を撮った人で
どっちの映画も大好きなのだけど、「灼熱の魂」はチラッと予告を見て思って、
レバノン内戦に関する悲惨な人生の話か、これは疲れそうだなとぐずぐず見ないで逃げていた。
でもある予定のない休みの日の雨の朝、えいっと見ました。
最近、年をとってどんどん億劫なことが増えて映画を見るのも少し決心がいるのは困ったことだな。
そしてそれの感想を1、2年後に書くこののろさも、困ったものです。。。

この日は2本見て1本目はセンチメンタルでロマンチックなロードムービー「プアン」。
それはそれでいいところのある映画だったので、いい気持ちで「灼熱の魂」を見出したけど
冒頭の男の子が髪を刈られるシーンの、その子の踵の黒いマークと強い眼差しで
もうすっかりセンチメンタルな映画のことを忘れてぐううっと引き込まれました。
(このシーンの大事さはあとで再びわかる。)

公証人の事務所で、亡くなった母の遺言を聞かされる男女の双子が主人公。
母親は子供たちにも心を開いていないような謎めいた女性だったが、
存在を知らなかった兄と父あての手紙を残していて双子は母の故郷に向かうが・・・という話。

レバノンではない架空の場所がお話の舞台だけど、
原作の戯曲作者はレバノン生まれで、8歳の時にレバノン内戦から逃れて亡命生活になった人で
誰が見てもレバノンのことかと思うけど、それでも架空の場所とする意図のついては
政治についての映画だけど政治色を出したくないようなことを監督が言ってて、
この監督の他の映画を見ても確かに具体的な場所や時代の要素から離れようとする感じがあるので
多分「普遍」を求めるようなそういうところもこの監督の特色なんだろうな。
問題提起はするけど、現実へのストレートなメッセージ映画にはしたくないわけですね。

母親役のルブナ・アザバルは「モロッコ、彼女たちの朝」の主演女優さんで時々見かけます。
娘役の女優さんは、ルーニー・マーラに似てる。

基本的に映画に関してわたしはネタバレ全然平気派、むしろ歓迎派、
話が分かった上でハラハラせずに落ち着いて味わいたい派なんだけど
この映画だけは知らないで見てよかったと思うので、ここにも書かないように気をつけます。

映画を見終わった後に、
ルワンダのジェノサイド後の母娘の写真の写真展を見たこと思い出した。
これ以上言うとネタバレになるから言えないけど、
なんともなんとも重く難しい愛よ。過酷な人生よ。

ただあまりに衝撃的でどぎつい話なのでそこまでやらなくても、という気持ちはあった、映画として。
ドラマチックにしすぎると「普遍」が消えてしまうではないかと。
でも原作がある話だとわかって、それを、抑えた表現を使いながら絶妙なバランスに仕上げる手腕はすごい。
母の過去のシーンと、それを追う娘のシーンが交互にあるのだけどどちらも素晴らしく、
とにかく静かなシーンも不穏なシーンもショッキングなシーンも
全部コントロールされていて振り幅は広いのに一つの世界ができあがっている。
物語のしかけに気を取られがちだけど、それ以外もズバらしい映画でした。

そして、またわたしのミサンドリーも炸裂した。
映画見て落ち着いてわかるのは結局、男ってほんましょうもないですねということですかね。
民族紛争や宗教紛争見るたびに、これは結局ホモソーシャルな世界はあかんということだなと思う。
力、権力、暴力。
女にも怒りはあるけど大体ここまでは暴力的ではない。(そりゃ例外もあるでしょうが

殺すのも犯すのも圧倒的に男たちだもんね。

「灼熱の魂」のワンシーンで女ばかり集まってるところに主人公の女性が入っていくんだけど、
最初は和やかだったのに最後は厭われて非難されるところでも、
女しかいないと悲しくはあっても身の危険を感じるレベルは男がいる時と全く違う。
男が一人でもいると緊張感が違うし、男がいると実際すぐに暴力が生まれて人が死ぬんだよねぇ。

殺されるのもそりゃ嫌だけど、当たり前のように殺し犯し殴る側の
男という生き物でなくてよかったという気持ちは常にある。
映画見てるとやってる側はたいして悪いことしてるとも思ってないことが多いし、
なんなら面白がって女子どもも殺す。
暴力の連鎖というけど、連鎖させてるのは男ばっかり。

安治川トンネルと「泥の河」

2023-12-23 | 映画


シネ・ヌーヴォで映画「キャバレー日記」を見た(前日のブログ)帰り、
行きは地下鉄に乗ったけど帰りはJRにして少し歩くことにした。
ちょっと遠いし雨もぱらぱら降ってたけど商店街の屋根があるし散歩がてらぶらぶらと。
知らない商店街、歩くの好きですね。

賑やかな商店街は楽しいけどあんまりなくて、さびれたシャッター街の方が多い、日本。
でもさびれたシャッター街も初めての街なら面白い。なんでも初めてって面白いからね。
たまに開いてる店を楽しく眺めながらどんどん歩くと、商店街の終わりで川にぶつかりました。
Googleマップを見ると、鉄橋が川の上を走ってる横に人間の通る道があるように見えたけど
そこにあったのは、なんと川の下を通るトンネルでした。

安治川トンネル?と書いてある。なにこれ面白い。川の下なんて初めて。
ググったら日本で川の下を通っている歩行者トンネルはここだけのようです。そうなの?

昔は車も通るトンネルで、今は人と自転車が通る川の下のトンネルになってて、
自転車も乗れる大きなエレベーターがついてる。6畳?もっとある?自転車が何台も乗れる。
でもわたしはまずは階段を降りてみた。結構深くまでぐるぐるぐるぐると降ります。地下だなぁ。

トンネルから出るときは、長い上り階段はしんどいのでエレベーターに乗りました。

その話をTwitterでしたら友達がそれは「泥の河」の舞台だと教えてくれて
泥の河がどんな話かだけは知ってたけど本も読んでないし映画も見てなかったので
帰宅後すぐに配信で見たら、なんと本当にすごい名作だった!いい映画!
見てきたばかりの「キャバレー日記」との振り幅が大きすぎるわ。笑

原作は宮本輝で、昭和31年の大阪が舞台。映画自体は1981年(昭和56年)の作品。
宮本輝は素晴らしい小説を書くのに、少し前に芥川賞の選考で
台湾生まれの作家・温又柔(おん・ゆうじゅう)さんの作品に対して
>「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。なるほど、そういう問題も起こるのであろうという程度で、他人事を延々と読まされて退屈だった」(「文藝春秋」2017年9月号より)
なんてことを言ってて、とてもがっかりしたことを覚えている。
自分とは違う世界のさまざまな人生やその喜びや悲しみを対岸の火事と言い放っては
文学なんて成立しないんじゃない?
そもそも世界のできごとを、自分に無関係なものと思うのは傲慢なことで、
全てに関わることはできないけど、世界は全部自分に繋がっているということを
忘れてはいけないのでは?と思うけどね。

とはいえ、この映画を見る限り宮本輝の原作もきっと素晴らしいのだろうな。
まあそういうことはよくある。
素晴らしい創作をする人が無邪気に差別をするというようなこと。

さて、監督は小栗康平ですが、これが処女作だったの?それはすごいな。
小栗監督は「FOUJITA」のときにトークを聴きに行ったことがあります。(→ブログ)
予想外に、とても魅了されました。すごく賢い人だなぁ。
寡作の監督ですが、まだまだ作ってほしいものです。

「泥の河」のお話は(Wikipediaより)
昭和31年の大阪。河口近くの小さな食堂の子の信雄は父の晋平、母の貞子と暮らしている。ある日、信雄は喜一という少年に出会う。喜一は食堂の対岸に停泊する宿舟の子で、信雄と同じ9歳、姉の銀子は11歳で、二人とも学校には行っていない。母親は生活のため舟で客を取っているという噂があるが、信雄には理解できない。

絵に描いたような戦後の子供、信雄が主人公だけど、信雄の父親役の田村高廣がいいねぇ。
常に目がキラキラしてるのよね。戦争の傷もあり過去の女の傷もあり、
生き残って帰ってきたのにこれでいいのかという思い。
そして子供と楽しく遊んでやるときも、うつろな表情をするときも、いつも瞳はキラッとしてる。
こんな目をしてたら、藤田朋子演じる母親が惚れているのもわかるわ。
信雄の友達、船の子きっちゃんの母親役の加賀まりこがまたハマり役ですね。
加賀まりこの若い頃はもう可愛すぎて見るたびにびっくりするんだけど
そういう時期はもう過ぎて、少し疲れてくたびれて少しだらしなくなって
それでもまだ美しく色気のある、若くはない女の役に、
この加賀まりこほどぴったりな女優はないのでは?
いや、この時代の女優さんには、そういう役のできる人は他にも案外いたかもしれないな。

そして冒頭のシーンの、川の景色がすごく美しい。
いわゆるきれいな場所ではなく、川の両側にはバラックが立ち並んでいたり
小さい町工場があったり材木がうかんでいたりするような、
貧しい人たちの住んでいる地区なのだろうけど、それでもなんだかとても美しい映像です。

そして確かに安治川が舞台のようだけど、映画の撮影は、名古屋市の中川運河で行われたそうです。
でもやっぱり大阪の安治川に見えるな。笑

この昭和の感じをわたしは少しじかに知ってると思う。
10歳くらいまで映画に出てくるような感じの長屋に住んでいて、
映画に出てくる感じの子供たちと路地を走り回って遊んでいた。
きっちゃんのような子が隣に住んでいた。
映画が昭和31年の話で、わたしは40年生まれだから、
昭和30年代の残り香は小学校に入ることにはなくなったかもしれないけど
記憶の奥に少し思い出すのよね。

映画:キャバレー日記

2023-12-21 | 映画
わたしの周りの変態な人たちの中でも、最も着実にコツコツと我が道を歩む友達(褒めてる)が、
西九条の映画館シネ・ヌーヴォのクラウドファンディングで、
名画発掘シリーズ リクエスト特集第三弾(好きな映画を上映できる!)というのに参加して、
選んだ映画が上映されるということで、その映画のチケットを1枚いただきました。
これ、なんだか面白い企画で、一人映画祭のもっともミニマムな形と考えると、
なんかいろんな遊びの可能性が浮かぶよね。

でもプログラム見るとヌーヴォっぽいセレクトになっててそれなりにまとまりがあります。
チケットをもらったので見に行くけど、
これが今年わたしが映画館で見る最後の1本になるのはどうかな…という映画だった…
「キャバレー日記」1982年の日活ロマンポルノ!

久しぶりに映画館で見る古い邦画、久しぶりに行くシネ・ヌーヴォが日活ロマンポルノ…笑
根岸吉太郎監督、荒井晴彦脚本。
(荒井晴彦といえば最近話題になった映画「福田村事件」(友達が出てる)の脚本もしてますね)
コメディタッチの軽いお色気映画かと思ったら、結構ちゃんとポルノだった…笑
「軍隊式管理のキャバレーの日常を哀感たっぷりに描いた」と解説されてるけど
主人公の伊藤克信がなんか不思議な人物造形で、見えてるところにしか人格がないような
マンガチックというか、よくわからないキャラクターを不思議な演技で演じてて面白かった。
冒頭の風鈴売りのおじさんと画面を横切る主人公のシーンとかすごく良くて、
いいシーンも多かったけど、後半はいろいろ驚いてそれどころじゃなかった。
なにより、昭和のキャバレーってこんなとこだったの!?という驚き!
店は昭和のクラブやラウンジの雰囲気で小さいテーブルに向き合う小さなソファという席が
特に仕切りもなく並んでて、
客はそれぞれの席で飲みながら、店の女の子を脱がせたりさわったりしながら
手や口や本番で接客してもらう仕組みなんだけど、席には仕切りがないから乱行パーティみたい。
そして店の男性たちはマイクの掛け声や音楽でディスコみたいに場全体を盛り上げる。
行ったことないけど、映画や本で知るわたしのイメージでは、
キャバレーって踊り子とかがいるとこと思ってて仕切りもなく本番するのはびっくりしたので
ググって見たけど、やっぱりいわゆるキャバレーは舞台があって踊れる場所で
この映画で見たキャバレーはピンクキャバレーという種類のようでした。
のちのピンサロというのになるみたい。ピンサロが何かもよくわかってないけど
なんとなく納得はした。
というようなこともあり、また内容的にも今日的ポリコレや風営法問題などからも
あまりあれこれ語ることは差し控えますが(笑)
当時の風俗を知る映画として、自分では見ないような映画を見られたのはよかったです。

映画:ドライブ・マイ・カー

2023-12-16 | 映画


映画「恋人たち」はすごくよかったのに普段書いてるもののあまりのネトウヨさにぎょっとした橋口亮輔と、
「寝ても覚めても」「ハッピーアワー」そしてこの「ドライブマイカー」の濱口龍介、
いつもどっちがどっちだったかわかんなくなる。
「ドライブマイカー」見る前に、えっと、どっちだっけ?とまた悩んだ。
濱口監督ですね、ごめんなさい・・・

原作の村上春樹「女のいない男たち」は文庫本がうちになぜか3冊あり、
読んだことを忘れてまた買うということを2度もしたらしい。
ちなみに村上春樹は嫌いじゃないです。
でてる本を全部読むほど好きでもないけど若い頃はだいぶ好きだった。

映画を見る前にとその「女のいない男たち」を再読したんだけど、
5年ほど前に読んだ時はわりと素通りするような感じで読んで、
特に大きな読後感もなかった気がするのに、今どの話を読んでも、すごく染み込んでわかる…
今回は読んでても何かいちいち自分に言われてるような気がしてたんたけど、
映画を見ると作中のチェーホフの戯曲の中身まで、またいちいち自分に言われてることのように感じました。
この5年でいろいろあったのねわたし・・・
いやぁ、思うこと考えることが多くて、いくつになっても人生は悩み多きものですな。

映画は素晴らしいです。こういう映画が好きだ!としみじみ思った。

ただ、しみじみ好きではあるけど、例えば「ROMA」をみた時のような、
すごい傑作を見た!という興奮がわたしにはなくて、
周りの人はその興奮を持って褒めてるのが、なんか羨ましい。
そんなふうに感動できなかったのは原作を先に読んでたのが理由の一つかもしれない。
映画は原作からはいくつか改変があって、2つ3つの短編が組み合わさってるのに
それがどれも原作を損なってない。さすが濱口監督。
キャスティングも、特に顔の整っているわけではないはずの性格俳優の主人公を
西島秀俊という美しい男が演じてるけど、これも全然悪くないというか、いやとても良い。

そんなふうに褒めるところしかないのに、すでに原作を味わっていたので、
その世界が再現されてることへの驚きより先に、まずすんなりと映画に入り込めてしまったのが、
うわーっという感動が起こらなかった原因かも?
すでに知っていることをなぞったモノを見ているような感じだったので。
なのに全く退屈もせずダレもせずに3時間近く見入ってしまえたのが、本当にすごいんだけども。

と、あんまり褒めてるように聞こえないかもしれないけど、この映画すごく好きなんですよ。
ただ、これだけの傑作を見たのに自分の中に興奮がないことが自分で不思議で、
あれこれ考えてしまうのです。

話の展開が面白くて感じないのではなく、淡々としてるのにまったく退屈するシーンがなく見てしまうというすごさ。
長いけどもう一回見たいくらいです。

>舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛する妻の音(おと)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。
喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。(公式サイトより)

映画:ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう

2023-12-15 | 映画


ジョージアの映画はたくさん見たわけじゃないけど、今まで見たものはハズレがないので
150分の長さに負けずに見に行ってしまう。そしてやっぱりジョージア映画だなぁと満足する。
本当にしみじみと全てのシーンが良い。

すごくテンポがゆっくりで、物語に関係ない通りすがりの人を延々映したり、
小さい人や車が動くだけの遠景の風景を長々と映したり、
そりゃ150分かかるわ!というのんびり具合だけど、
ほとんど動かない上に話に関係ないシーンを長々と挟まれても、
色と構図と光とタイミングと意味のちゃんとした裏支えがあると
映画としてカラフルになって深みが出ますね。

お話は荒唐無稽というかちょっとヘンテコで、舞台はジョージアの古都クタイシ。
とある男女が偶然に2度すれ違ったことで好意を持ち。初めて会う約束をしたのに
その夜に呪いにかかって容姿が変わってしまい約束の場所に行ってもお互い相手がわからず
待ちぼうけで出会えず、お互いに気づかないままちかくにいて・・・という話。
でもミステリーでもサスペンスでもファンタジーでもない、なんだかとぼけた味わいの話です。
呪いとか、木が話しかけたりとか、ファンタジー?寓話の世界?と思ってもどうも違うし、
容姿が変わった二人も最初こそ驚いてショックを受けるものの
なんか淡々とその容姿で日常を生きていくし、全体的にオフビートなユーモアがある。

あと、野良犬たちもいい味だった。野良犬の多い街なのかな?
映画作る人たちも出てきて、その人たちが重要な役割を果たすんだけど
不思議な設定の中で、その辺の人たちは割とリアルで面白い。
全体的には牧歌的な人生讃歌のように見えるゆったりした映画なのに
途中何箇所かで唐突に入るナレーションが、現代の世界の惨状への苦しみであったり
回収されない伏線がいくつもあったりして、
(あるインタビューで監督はそういう点はいくらでも説明できます、と言いつつ
結局そこでも何も説明してなかった。笑)
映画の世界に整合性を求める人にはもやもやする映画かもしれない。
予告編にある足元だけを映したシーンも、すごく印象的だけど
主人公たちの顔が映されないと、微妙なフラストレーションがたまりもする。
でもわたしはすごく好きでした。
全部、なんとなくとぼけた味わいと思って、ぼんやり受け入れればいい。

そしてあまりによかったのでパンフレットって2年に一度くらいしか買わないのに、これは買ってしまった。
映画に出てくるハチャプリというジョージアの丸くて薄いのレシピもついてて、
前に「デリシュー」ってフランス映画でデリシュというすごい美味しいもののレシピがサイトにあったんだけど
ハチャプリの方が簡単そうで、作ってみたい。
フォッカチャっぽいパンだけどヨーグルトをたくさん使うのよね。美味しそうです!
映画の中でこのハチャプリをラップやビニール袋でなく布に包んで持ち歩くのも、すごく好き。

映画:アダミアニ 祈りの谷

2023-12-11 | 映画


ジョージア映画で、ジョージアのイスラム系少数民族の物語と思って見に行ったらドキュメンタリーで
しかも日本とオランダの合作だった。でもこれが、本当にめーっちゃ良かった。
ポスターはシリアスで陰鬱なイメージに見えるけど予告編でわかる通り映画自体はとても美しく映像も明るいです。
美しい庭、美しい山、清潔でかわいくて暖かくて居心地のいいゲストハウスを営む女性たち、
悲しい過去、団結と分断、そして切ない希望も描かれている。

ジョージアには良い映画も多く、今年の初めに見た「ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう」も
大好きな映画ですが、このドキュメンタリーに描かれるのはジョージアの中でも特殊な環境の人々です。
当たり前だけどジョージアにもいろんな面があるのだな。
映画の舞台のパンキシ渓谷には19世紀にチェチェンから移住したキストと呼ばれる
イスラム教徒の人々が7千人くらい住んでいたけど
1999年にロシアからの大規模攻撃が始まったチェチェン紛争で
多くの難民や過激派がパンキシ渓谷に流れ込み、地域は一時無法地帯化したそうです。

以下公式サイトより
ジョージア政府は治安維持ができず、無法地帯と化した谷には独立派勢力を支援するアラブからのムジャヒディンや、麻薬や武器密売を請け負うマフィアまでが潜伏した。ロシアはジョージア政府がテロリストを匿っていると激しく糾弾。 2001年にアメリカで9.11が発生すると、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの潜伏先の一つと疑われた。 米露両国から名指しで非難を受けたことでパンキシ渓谷には「テロリストの巣窟」というイメージが定着した。
この混乱は、キストの暮らしやイスラム信仰に強い影響を与え、シリア内戦では200名を超える若者たちがテロ組織に参加したとされる。


映画はこのパンキシ渓谷出身で、結婚後チェチェンに移ったもののチェチェン紛争時に難民になり
離婚後に、ここに戻って娘とゲストハウスを始めたレイラを中心に描かれます。
息子も二人いたけど、どちらもシリアに戦いに行って亡くなっています。
一人娘はまだ学生で、渓谷では珍しいジョージア正教徒(レイラの2度目の夫がジョージア人だったようです)。
でも母との宗教の違いについて問題はなさそうで、考え深く聡明で優しい子に育ち、母の仕事をよく手伝っている。

このゲストハウスがとても素敵なのです。丁寧に作られた温かい庭、すぐそばには大自然。
背後の山を眺めるたびに、こんな美しい谷を誰が捨てることができるだろう、とレイラは言います。
またレイラや他の女性たちのプリントのワンピースと、ヒジャブの巻き方がすごくよくて真似したい。
出てくる女性たちが特に若くもスラリとしてるわけでもファッショナブルでもないんだけど
みんなとてもおしゃれでなんか全体に人も空気もとてもふわりと優しい。

レイラは他のゲストハウスを営んでいる複数の女性たちと組合のようなものを作り、
地域の祭りを成功させて観光業を盛り上げたい、この谷の悪い印象を払拭したいと努力します。
女性だけの団体なんだけど、女性たちの世界は優しく心地よく安心できる上に、彼女らはとても強い。
でも、そんな柔軟な優しさと強さを持つレイラにも乗り越えられない悲しみがあって
村のキストの青年がテロリスト疑いでジョージア警察に射殺されたときに
彼女は同じく息子を失った母親として、すごく動揺してしまうのです。
国の中に分断がうまれ、仲間内のグループの中でも分断が生まれ、状況がどんどん複雑になっていき、
彼女は分断を止める側にはなれず、乗り越えることもできず、悲しい決断をするのでした。

レイラも素敵だけど、ほぼ唯一の男性登場人物のアボがまたすごくいい。惚れるわ。
口下手で寡黙、明るく賑やかな女性たちに誕生日を祝われると、照れて困ってしまう姿がいい。
レイラの従兄弟で、戦士として戦った過去を持ち、今は自然体験ガイドの仕事をしながら、
自分はこれでいいのかと苦悩することもあるけど、レイラとはまた違う強さと優しさがあるのよね。
暇があれば黙々と鍛えている姿も、頼もしいというより微笑ましい。いい男だなぁ。
アボと旅行者を立ち上げるポーランド人のバルバラの明るさもいいです。
本当に出てくる人みんな強い。すごい。強くないと生きていけないからか。

この映画の中で従兄弟のアボ以外に男性が出てくるシーンはごく僅かだけど
イスラム教徒のレイラがジョージア正教の教会に行ってそこの入り口にいるた男たちに
俺たちの神は殺すべからずと説いているぞと言われ、
私たちの宗教も殺してはいけないと説いています、守らない人がいるけど、と答えるシーン。
彼女が柔軟な心で訴えても、復讐はどうだ、お前たちは復讐するだろ、と責めるように言う男たち。
いやいや、自分たちはどうなのよ!と詰め寄りたくなるわたし。。。

そしてアボが空港で意味なく拘束されるシーンからも、
イスラム系マイノリティへの日常的差別が想像できて
イスラエルもこんな風にパレスチナの人を差別し奪い押し退け傷つけ続けてきて、さらに今は
テロリストを疑って罪のない人まで攻撃しまくっていることを思い出さずにはいられない。

基本的に登場するのはほぼ女性で、悲しみはあっても暴力の気配がないせいか
暖かく優しい雰囲気の場面が多いんだけど、
しかし実際の世界は男たちで回っているから、全くひどい有様である。
そもそもいつもまるで復讐と暴力に支配されているように見えるのは宗教に関係なく男たちでしょう。
男たちよ、信仰をやめろとは言わないけど、復讐ということを一旦忘れませんか、と強く思う。

とはいえ映画のトーンは重苦しくはなくて、苦悩しながら希望を忘れないしなやかで強い女たちの日々が救いだ。

公式サイト掲載のコメントに
「たとえ明日、世界が週末を迎えようとも、今日、私はリンゴの木を植える」という言葉を思い出すと、
絵本作家でジョージア映画祭を主宰しているはらだたけひでさんが書いてて、
まさにそれを体現しているのがレイラだなと思った。

随分前に見た映画ですが、素晴らしいジョージア映画2本の感想を書いていました。
ここにもジョージア内での紛争が描かれていて、今見るともっとよくわかるかもと思う。
もう一度見たい映画です。
→映画「みかんの丘」
→映画「とうもろこしの島」
→この二つの映画についてのニューズウィークの記事