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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:フォールガイ

2024-09-18 | 映画


「フェラーリ」では、好みじゃない顔のアダム・ドライバーがおでこを広くして
オールバックのグレイヘアにしたら今までで一番渋くて良かったけど、
ここでもまた好きじゃない顔のライアン・ゴズリングが、もしゃもしゃヘアと髭でええ感じになってて、
多分彼の一番の魅力だろう瞳が強調されたイケメンでした。カッコよかったわ。
ライアン・ゴズリングの顔って、チャニング・テイタムやグレン・パウエルと同じ系統と思いませんか?
全体的に体格は良くてがっしりしてて少し面長で顔のパーツが中心に寄り気味の顔。
なんか、アメリカ人の白人って感じ。(ライアン・ゴズリングはカナダ人か)
そういうマッチョでがっしりして男臭いけど笑顔がチャーミングで歯が白い感じが
なんかあんまり好きになれないんだけど、この映画では好感。笑

アクション映画にロマンス(恋愛要素)で味付けしてあるのはよくあるし、
これもそういう映画と思ってたけど逆だった。
むしろロマンチック・ラブコメのお話をアクション要素で彩ってある、ように思った。
それで、ラブコメ好きなので、思いの外楽しめました。
(とはいえスタントマン映画なので、アクションしっかり楽しいです)
話は結構こんがらがっていくけど痛快なラブコメ・アクションです。
夏休みに見るのにいい映画と思う。

大ケガを負い、一線を退いていたスタントマン=コルト。
愛する元カノの初監督作で久々に現場復帰するが、主演が突如失踪してしまう!
行方不明のスターの謎を追ううちに、コルトは危険な陰謀に巻き込まれることに…
彼は己のスタントスキルで、この危機を突破できるのか!?(公式サイトより)

この説明では全くわからないけどかなり作り込まれたいい映画です。
映画作りに関する映画で、しかも裏方のスタントマンが主役の話なのでもちろん
映画愛も溢れてる。
過去の名作映画へのリスペクトもあちこちにあるし、わたしがもっと映画に詳しかったら
もっと色々な小ネタに気がついて面白かっただろうなと思うけど、
そういうことが全然わからない人が見ても面白いはずです。
わたしの好きなところは、主人公と相棒の会話で、
しょっちゅう過去の名作の名セリフで決めるところ。男の子っぽさもあってかわいいしいいな。

洋画は基本的に字幕で見るけど(特に英語だと少しは聞き取れるからね)、
今回は時間が合わなくて吹き替え版で見て、それも悪くなかったです。

フランスの過去の俳優ジャン・ポール・ベルモント的な俳優は
今ならこのゴズリングではという話を聞いたけど、
この映画だけ見ると確かにそういう気もする。
でもベルモントはなんといっても粋な感じのある俳優で
ライアン・ゴズリングはどこか垢抜けないと思ってるのでやっぱり違うかな。

映画:スープとイデオロギー

2024-09-05 | 映画


2022年の夏に見たんだけど複雑な気持ちで見たので感想を書いていなかった。
ドキュメンタリーは監督が前に出ないものが好きだけど
これはもろに監督の母親や家族、そして監督自身の人生を描く映画なので
エモーションやメッセージが強くて、それに疲れてしまう部分もありました。
でも今予告編を見直すと、引き込まれる自分がいます。いい映画だわ。

イントロダクション(公式サイトより)
ひとりの女性の生き様をとおして
国家の残酷さと運命に抗う愛の力を唯一無二の筆致で描き出す
年老いた母が、娘のヨンヒにはじめて打ち明けた壮絶な体験 —   
1948年、当時18歳の母は韓国現代史最大のタブーといわれる「済州4・3事件」の渦中にいた。
朝鮮総連の熱心な活動家だった両親は、「帰国事業」で3人の兄たちを北朝鮮へ送った。父が他界したあとも、“地上の楽園”にいるはずの息子たちに借金をしてまで仕送りを続ける母を、ヨンヒは心の中で責めてきた。心の奥底にしまっていた記憶を語った母は、アルツハイマー病を患う。消えゆく記憶を掬いとろうと、ヨンヒは母を済州島に連れていくことを決意する。それは、本当の母を知る旅のはじまりだった。


ストーリー(公式サイトより)
大阪・生野区生まれ、在日コリアンのオモニ(母)。
2009年にアボジ(父)が亡くなってからは大阪でずっと一人暮らしだ。
ある夏の日、朝から台所に立ったオモニは、高麗人参とたっぷりのニンニクを詰め込んだ丸鶏をじっくり煮込む。
それは、ヨンヒとの結婚の挨拶にやって来るカオルさんにふるまうためのスープだった。
新しい家族に伝えたレシピ。突然打ち明けた「済州4・3事件」の壮絶な悲劇。
アルツハイマーでしだいに記憶を失なっていく母を、ヨンヒは70年ぶりに春の済州島へ連れていくー


わたしの父は済州島の人ではなく事情は違ったかもしれないけど、
このオモニ(お母さん)とほぼ同じ世代でほぼ同じ頃に同じように日本に来て同じ頃に日本で亡くなった。
わたしは最後まで父を許せず好きになれなかったので、
それでとても複雑な気持ちでこの映画を見ることになりました。
このオモニの気持ちもわかるし、それがやっとわかったと泣く監督の気持ちもわかるけど、
わたしにはこの物語の他にもわたしの物語がまたあるもんなと思う。
子どもであっても自由を侵害し人権を踏み躙り、人の人生を支配するものが
人でも体制でも親でも許せないのは何を見ても多分一生変わらない。
かといって虐殺も許せないので、結局わたしは何も許せず世界全部が敵のようなものなのだな、
という孤独な気持ちにも少しなりました。

監督自身、ご両親の生き方にはずっも釈然としないものがあって、でも
オモニの人生を知りオモニを理解して初めて認めることができたのでしょう。
ただ、オモニの人生の悲惨な体験からの選択だったとはいえ
子どもたちを北に送って人生を変えてしまった(おそらく悲惨な方に)ことや、
自分の子供たちだけでなく帰還事業を推進することで多くの他の人々の人生も変えてしまったこと、
などはまた別の話で、それもまたなかったことにはできないなとも思います。

わたしは今はずいぶん自由になったし、自由の幸せを堪能しながら生きている。
そして自分が落ちついて満たされたらやっと(50歳を過ぎてやっと)
家族のしがらみが悪い面ばかりでもないのだろうなとも思えるようになりました。
それを支えに生きられる人もいてそういう人を否定できないなと思う。
だからこの映画もこのオモニの人生も思想も批判する意図は全くないのです。
映画では「親を赦す」ためには親の人生を知り、理解することが必要だったその道筋もよく描かれていて
わたしも含めこの物語に胸を打たれる人は大変多く、この映画は確かに必要な映画だと思っています。
わたしも含め個人個人の想いはもちろん個人個人が大事に持っていていいけど、
でもこういう大きな背景のある人生を見せる映画も、積極的に見ていくべきなんだろうな。

映画:ブルーピリオド

2024-09-02 | 映画


その昔美大に行きたくて表現することに焦がれて焦がれて焦がれて…だったわたしは
主人公の感じることを何もかも知ってる!という気持ちになりました。
とはいえ、そういう気持ちももう遥か遠く、子供や孫を見るような気持ちで見てしまう。
それは心穏やかではあるけど、同時にもう自分の人生に「これから」はないという諦めでもあるので
いいことなのかどうか?

お話は、友達と遊んだり要領よく勉強したりして手応えのない日々を過ごしていた主人公が
絵に出会い、表現することを知り、もっと絵を描きたいと願い、
芸大受験に向けて努力する1年半ほどの日々が描かれます。

個人的には、特に芸術に関して、芸大だけが芸術をするための道みたいなのはどうかと思うし、
東京芸大という最高峰の難関(エリートコース)を目指すことは
芸術自体とは関係ないことと思うけど、そういうことはひとまず忘れて素直に見ることにしました。
だって、この映画、大人も子供もみんないい人しかいない優しい世界なんだもの。
主人公が何よりまず素直で優しい。
よくある屈折や反抗が全然ないし、邪魔者も足を引っ張る存在もなく、
親や教師との対立や、悪い仲間による誘惑や、挫折によるヤケクソや
そういう定番のものが何もない。びっくりするほど、ない!
肩透かしのような、ほっとするような、むしろ新しいような。「いまどき」なのかな。
物語もまた、好きなことを見つけた子が努力し成長し夢を掴もうと歩む青春を
びっくりするほど超素直に描いている。

でも、なんだな、やっぱり素直って強いな、としみじみ思った。素直が一番だな。
そしてベタなところで泣かされたりもした(ケーキ食べるシーンとか、お母さんを描くシーンとか)。
とにかくなんとも後味のいい映画でした。
若い子の映画でこんなに素直に気持ちよく見られるのは、わたしには珍しい。
「ルック・バック」は心震えたけど、こちらはもっと素直に気持ちいい後味でした。

そしてアップに耐えるどころか、ずっとアップで見ていたい主人公やその先輩の女の子のお顔の
若くてきれいなこと!主人公は顔はきれいだけど、声は低くて男っぽい美声なのも良い。
この子、後で知ったんだけど俳優の千葉真一さんのお子さんなのね。
背が高く整った顔で声も良く、身体能力高く語学も堪能となるとこれからが楽しみ。
続きが出来たら絶対見そうです。
そういえば「溺れるナイフ」の菅田くんもだけど、わたし金髪の似合う男子に弱い気がする。笑

あと、エンドロールの音楽がおわった後の沈黙の後、紙に硬い鉛筆?や木炭?で描いてるような
カリカリいう音がしばらく続くのがとても良かったです。
あざとさのない素直な演出ながら、これはグッと余韻をひっぱりました。

映画:プチ・ニコラ

2024-09-01 | 映画


副題に「パリがくれた幸せ」とあるけど、これが確かに飾りではなく
内容もパリが舞台で合ってるんだけど、それでも要らんと思う。

これの少し前に見た「猫ととうさん」くらい疲れない映画(褒めてる)。
(「猫と父さん」は猫を飼ってる男性たちのドキュメンタリーで
どんなに疲れている時でもリラックスして見ることができる映画でした)

サンぺの描く「プチ・ニコラ」は若い頃に読んでかわいくてかわいくて大好きだったし
文庫本で持ってたと思うけどその本の感じも覚えてる。
若い頃は外国といえばとにかくパリに憧れてたオリーブ少女だったし、
その頃のパリってグラッペリのバイオリンとサンペの洒脱な絵を思い浮かべて、
今ではちょっとノスタルジックで甘い気分になる。
そのプチ・ニコラがアニメーションで動くだけでも楽しいのに、
同時にニコラの二人の作者の背景や友情も見られて大満足。
ニコラの声も、本当にイラストの通りのかわいい声で、たまらん。
小さい子供の声の外国語にすごく弱いです(日本語も可愛いけど)。

舞台は1950〜60年代、絵を描くジャン・ジャック・サンペと文を書くルネ・ゴシニは
二人で小さなニコラの物語を作り出す。
映画では、そのニコラがアニメーションとなって楽しい日々を繰り広げる一方、
作者二人の人生の苦しかった時期を垣間見せる。
サンぺは養父母に育てられたり、義父にDVを受けたりと幸せでない子供時代を過ごすし、
ルネ・ゴシニはユダヤ人でアルゼンチンからニューヨーク、そしてパリと移り住んだけど
戦争中はナチスによる暗い思い出がある。
でも二人の作ったニコラの人生は安心と愛情と笑いに包まれた暖かい世界で
それが世界中の人々だけでなく作者二人も癒していく、というようなお話。
20世紀のヨーロッパの話は、いつもどこかに必ずナチスの暗い影が出てきますね。
とはいえ、重い映画ではないので、安心してみてください。
(去年の映画だけど感想書くの遅すぎ)

映画:マリウポリの20日間

2024-08-29 | 映画


2022年2月からウクライナに侵攻したロシア軍が、東部の港湾都市マリウポリを包囲した。
そこでロシアの攻撃にさらされた街の映像ドキュメンタリーです。
ここに映っている出来事自体は、大体伝え聞いて知ってる、想像できる内容ではあるんだけど、
やはりこれがドキュメンタリーであるということにものすごく大きい意味があります。
マリウポリのウクライナの人々の不安や絶望、怒りや憔悴をひしひしと感じさせられました。

この映画は第96回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞したのだけど、そこで監督は
「私はこの壇上で、この映画が作られなければ良かった、などと言う最初の監督になるだろう。
このオスカー像を、ロシアがウクライナを攻撃しない、
私たちの街を占領しない姿と交換できれば、と願っています。」と語ったそうですが映画の中でも
こんな映画が作られないで済む世界の方がずっと良かったというようなことを呟いてる。
本当に…
民間人の住居だけでなく病院、特に産科病棟への攻撃には言葉もなく
一体どうしたらこんな酷いことができるのか理解できない。
この映像をフェイクだと言い張るロシアに対して憤るのと同時に、
この映像を報道しロシアを批判する西側の大国がその一方で
同様の戦争犯罪をし続けているイスラエルを支援していることにも腹が立つ。

そして、この映画を見るとウクライナの人々に寄り添って、戦争は悲惨だ、侵略されるのは怖い、
他国に攻められる前に自衛しなくてはと思うだろうけど、
あのね、
何より何より絶対忘れてはいけないのは、ロシアが攻撃を始める時に言ったプーチンのセリフです。
「これは自衛のための攻撃なのだ」
ロシアもイスラエルも「自衛」を口実に正義を主張して戦争を始めたし、かつての日本もそうでした。
侵略者どもはみな「自衛」だと言い張って人を殺し国を奪う。
この映画を見て、被害者であるウクライナに自国を重ねるだけでなく、
加害者であるロシアに自分を重ねる視点も忘れてはいけないと思う。


この映画の後のマリウポリだけど、その後5月にはロシアに全域制圧、占領されて
街の内部の様子はよくわからない状態のようです。
ロシア海軍学校の分校を建設しているという記事も見かけたし
すっかりロシアの支配下にあるのだろう。
戦争の終わりはまだ見えず、一体どういうことなのだと理解できない思いばかり…

映画:ルックバック

2024-08-28 | 映画


原作を前に読んでいたので話は知ってて、原作を読んだ時も結構印象的だったけど、
映画がまた評判が良い。
でもこれは原作を知らずに見た方がわたしは気持ちを揺り動かされてたかなと思う。
すごく原作通りだった下東松照明だけど、それだけ原作の完成度が高かったということね。

自分にはあまりに遠くなってしまった、何かにのめり込むという衝動。
内側から湧き出る表現したくてしたくてたまらない焦燥。
自分より巧い人を見た時の絶望と、それでも枯れない何か。
よく知っているのに遠くなりすぎて、子供や孫の物語のように見てしまう自分がなんだか切ない。
シンプルな話で尺が短く見やすいせいか、非常に観客カップル率の高い映画でした(^_^;)

お話は(公式サイトより):学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。
しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。
漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…。


創作に関してのモーツァルトとサリエリの関係を思い浮かべたところもあるけど
ここの二人はもっと素直で前向きでエネルギーがあるし
お互いを尊重して協働できるのは、優しさだけでなく相性の問題もあったかも。
創作に対するさまざまな気持ちを描枯れる以上に二人の友情も濃厚に描かれていて
二人が街へ出るシーンは涙が出た。
ラストもそう。悲劇だけどその悲劇も栄養になるだろう。
悲劇までもが栄養になってしまうことに引け目や罪悪感を感じるだろうけど
生きているというのはそういうことで、悲しいことも栄養になってしまうのだな。

ルックバックというのは振り返るという意味で、背中を見るという意味にはならないけど
映画を見ると映画の中で出てきたいくつかの背中のシーンをタイトルに重ね合わせるだろう。
そして、冒頭とラストに出てきた言葉で挟むと
「Don't look back in anger」というオアシスの曲のタイトルになるのは後で知った。
これは1995年の曲で、マンチェスターでのテロ被害者の追悼式典で合唱された曲として知られてるそう。
怒りを抱えたまま振り返らないで、というような意味で、
いつまでも振り返ってばかりでは行けないというニュアンスがあるのかな(歌詞は知りませんが)

映画:バービー

2024-08-23 | 映画


内容も広報もいろいろ話題になりましたが、グレタ・ガーウィグって、
「フランシス・ハ」「レディ・バード」の監督ですよ、と思うと特に映画自体に意外性はない。
「ストーリー・オブ・マイライフ 若草物語」の監督でもあるけど)
でも一作ごとにすごく学んで幅の広い監督になっていってるなあと感心する。

「フランシス・ハ!」「レディ・バード」と自意識過剰な拗らせ女子のイタさとかわいさを
愛と笑いを込めて描き、わたしを共感羞恥の渦の中に優しく投げ込んだ監督ですが、
「若草物語」では定番の古典ファミリードラマを、瑞々しく豊かな物語に描き直して感心させ、
この「バービー」では登場人物に変なファンタジーと変な現実を行き来させ、
「女の子」のパステルピンクのファンタジーの世界と現実世界を合わせ鏡のように描き
この何十年でずいぶん変わったバービー人形の役割も、それをめぐる世代間の価値観の変化も
あれもこれも包括しながら、やはりバービーの成長の物語になってて、
フェミニズム的なものを描いて、でもやっぱり愛だなーと思わせる。思った。

お話は:すべてが完璧で今日も明日も明後日も《夢》のような毎日が続くバービーランド! バービーとボーイフレンド? のケンが連日繰り広げるのはパーティー、ドライブ、サーフィン。
しかし、ある日突然バービーの身体に異変が! 原因を探るために人間の世界へ行く2人。しかし、そこはバービーランドとはすべて勝手が違う現実の世界、行く先々で大騒動を巻き起こすことに─?!
彼女たちにとって完璧とは程遠い人間の世界で知った驚きの〈世界の秘密〉とは? そして彼女が選んだ道とは─?
予想を裏切る驚きの展開と、誰もの明日を輝かせる魔法のようなメッセージが待っている─!(公式サイトより)

主演の二人、マーゴット・ロビーも、ライアン・ゴズリングも良かったです。
特に顔が苦手なライアンが、まさにその顔と雰囲気を存分に生かして
馬鹿っぽいケンの役をやったのが、すごくハマってた(褒めてる)。
脚本はグレタ・ガーウィグとノア・バームバッグ。
ノアはガーウィグのパートナーでわたしの超好きな映画「マリッジ・ストーリー」の監督。
すごいカップルだなぁ。

この映画について考えることはたくさんあるはずなんだけど、わたしはまず、
単にグレタ・ガーウィグの新作として見て、それ以上のことをどういえばいいかよくわかんないのよね。
監督の意図がどのくらいなのかはさておき、とりあえず普通に見て普通に楽しみました。
フェミニズム映画というほど尖った主張はなくて、映画ではごく穏当なことしか描かれてないし、
フェミニズムの主張としては別に新しいものはない。
声高にぎりぎりのメッセージを訴えている映画ではないですね。
わりと当たり前のことを言ってるだけだし、人を啓蒙しようというような意識は監督にはないと思う。
結構楽しみながらあの要素この要素と突っ込んで作っていったんじゃないかな。
良い俳優と良い技術、良いセンスで。
この映画が話題になって騒がれるということで、
あー世の中ってまだそんなもんなんだというのはわかったわ。
メッセージ的には特にセンセーショナルなところはない映画なんだけどなぁ。

(米国映画会社の公式がこの映画と別の映画「オッペンハイマー」の原爆を組み合わせて
茶化した画像にネットでいいね!をしていたことでも炎上しましたが
この映画を制作した側とは関係ないことと考えることにしてここでは触れません。)

グレタ・ガーウィグ監督への気持は、反発や嫉妬の分だけ興味と安心と共感があって
わたしにとってはなんとなく素通りできない監督だったけど
「バービー」で一気にメジャーになりましたね。これからも楽しみです。

映画:フェラーリ

2024-08-19 | 映画


アダム・ドライバーの顔って、目も鼻も口も大きくて長くて、なんか窮屈な感じがしてたけど
グレイヘアのオールバックでおでこが広く見えると急にバランス整って普通にイケメンで、
すごい渋いおじさんだった。ほんと渋い。
(サングラスはもうちょっとだけ小さい方が似合うかも?)
アダム・ドライバーで思い出すのは「パターソン」「マリッジ・ストーリー」
どっちも好きな映画で、アダム・ドライバーはいい役者だと思ってたけど
「フェラーリ」の彼は今までで一番かっこいいなぁ。
F1界の帝王と呼ばれた男、カリスマのある厳しく強い男。モテそう。笑
そういう貫禄が今までの彼には難しいのではと思ってたけど、ばっちり以上でした。

アダムドライバー(公式サイトより)


1957年、イタリアの「フェラーリ」創始者エンツォ・フェラーリは経営難にあたって
イタリア全土1000マイルを走るレース“ミッレミリア”で優勝することに賭けて奔走する。
レーサーを選び車を調整しながら世界中の富豪に車を売る日々だけど、
共に会社を作った妻ラウラとの関係は、子を亡くした悲しみでうまくいかなくなって破綻している。
会社の経理や財務の問題で彼女の協力が不可欠なのでなんとか折り合いをつけようとしているものの
彼には実は妻に秘密の別の家庭があり、そこにも息子が一人いて、
息子の母親に認知を迫られている問題も抱えているのだった。
会社のためには妻と別れるのも難しく、
また長年連れ添って一緒に働いてきた妻との駆け引きの最中には、
うっかり愛が再燃する一瞬もあれば殺したいほど憎み合う瞬間もあり・・・という話。

監督が「ヒート」のマイケル・マンなので、
車とレースとお金の男っぽい話かと思ってたらわりと結婚や家族や恋愛の話で、
映画全体としては少しとりとめない感じがしたかな。
妻役のペネロペ・クルスは悲しみと憎しみと愛の、情念の女を好演してて
イライラギスギスしながらも深い喪失感と悲哀。そして激しさのある
複雑な女性の役だけど、幸せだった頃の美しい彼女の回想シーンがもう少し欲しかったところ。
予告の中に一瞬あるけど、映画全体でもそれくらいしかなくて
美しく生き生きした笑顔の幸せな彼女の姿をもう少しておいた出した方が、
のちの暗く思い彼女との対比が鮮やかになったかと思うんだけどね。
とはいえ、愛が深い故に苦しむ、悲しくて、激しくて、そしていい女だなーとわたしは思った
最後の彼女の選択を、わたしは愛ゆえだと思ったけど
映画友達はあれは彼女の意地悪だよと言ってて見る人によって違うのね〜。

映画:スクラッパー

2024-08-03 | 映画


84分と短めの映画なので、物語が一つちゃんと入ってるというより、
長い物語のその途中の一部分を取り出して丁寧に描いている感じの映画でした。
映画はつい物語に目がいくし話の筋を追いかけてしまうけど、
さらりとしたディテールを繋いで見せていくような映画は好きです。
色のセンスがよくて画面が気持ちいし、何気ないシーンをうまく撮ってあると思う。

心を閉ざして人を信じない頑固な子どもと、大人になり切れずにきた言葉の足りない大人と、
二人の関係(どっちもまあ褒められるタイプではない笑)を優しく見守るような映画。

母娘二人暮らしだったのに母を亡くして一人になった少女が主人公。
なんとかうまく誤魔化し福祉の目を逃れて一人暮らしをしている。
盗みでお金を稼いだり、役所の人を騙したり、なかなかの悪ガキです。
誰にも助けられたくない、一人で生きられるのだと強い決意のある子で
この子がもう親友のアリ以外は誰も信じずとにかく頑なで、かわいげもない。
それじゃ誰にも好かれないし助けてもらえないよと思うけど
誰にも好かれたくなんかない!と思ってるんだろうな。
一方、父親の方はよくある話で、ごく若くして父親になって
自分自身がまだ子供のようなものでしかなくて、妻子への責任を果たせなかったダメ男。
今もダメなままで娘が盗みを働いても叱るどころか手伝う始末。
この父娘、ダメダメ父娘として揃ってワルになっていくんだろうなぁとも思うけど
そういう父親らしくない接し方が良かったのか少しずつ心が通い出す。
二人でちょっと遠出して、子供同士のように遊んだり踊ったりするシーンの
優しい時間ながらまだ違和感や不信感は残ってる感じの微妙さが良かった。

物語もシンプルだけど、登場人物もごく少なくて、主人公と父親以外は友達のアリくらいです。
誰も寄せ付けず一人で生きていこうとしてる主人公だけど
この近所のアリという名前の男の子だけは無二の親友で一日中一緒に遊んでいられる仲良し。
このアリがちょっとヘタレで、なんかいいです。
途中主人公と大喧嘩するシーンがあるんだけど、その喧嘩の後の二人がかわいかった。

映画:ニューヨーク公共図書館

2024-07-31 | 映画


長い。とみんな、まず言う。

美術館ドキュメンタリーは何本も見たけど、図書館ドキュメンタリーは初めてだし、
ドキュメンタリーってやや短めの尺が多いのにこれは200分超えという根性のいる映画だった。
かなり不思議な映画です。
この図書館の多岐にわたる活動をいろんな面から描くにしても、一件一件について
それぞれ内容にもかなり踏み込ませ長いわりに、
話者の肩書きや場面についての説明キャプションがなくて、
固有名詞のあまりない状態で見ることになります。
パンフの情報があれば理解できるけど無いと、ぼーっと見てたら半分も理解できそうにない…
それが狙いなのでしょうが、かなりじっくりと見ることを要求する映画だわ。
興味深い映画だけど、こういう作り方は観客に多くを要求しすぎなのでは?
普通のドキュメンタリーの作りで90分の尺で作って、
200分版はノーカット版として別に出す感じにした方が見る方も見やすいと思うけどなぁ。
90分でまとめても、これ結構ちゃんとこの図書館の全貌を俯瞰することはできると思うのです。
それぞれの話題の話の中身を延々聞かせるのではなく、エッセンスに刈り込んで、
取り組みの多様さにフォーカスさせて作ればいい。
それ以上にコミュニティの公共図書館の運営や問題を掘り下げたい人たちへの別物として
ノーカット版でしか伝わらないことはノーカット版200分でやればいいと思う。
その方が多くの人に届く気が、わたしはします。

映画を見てアメリカにも税金つぎ込んで作られてる歴史修正教科書が流通してるのを知って
ああ、何処も同じかと思ったりしました。
黒人文化保存センター?研究所?みたいなところの会合のシーンでしたが、
なんとかという会社(忘れた)の教科書が、
アフリカ系アメリカ人に関しては労働者として良き生活を求めてアメリカに来た、と
自由意志で来た移民労働者のように書く一方で、
ヨーロッパやオーストラリアからの移民に関しては重労働を課せられつらい使役に耐えた、
という同情的な書き方をしていることに怒っているシーンがあったのでした。
その教科書(9年生)はテキサスで採用されたようで、記述の間違いについて指摘しても、
問題になったら考えるみたいな姿勢で不誠実だと映画の中で言ってました。
映画には直接関係ない会話だったんだけど、日本でも起こっていることだったので気になった。
こういう歴史修正主義への批判のあと、でも我々には図書館がある、と続きました。
いつでもいつまでもここに来て集うことができる、みたいな言葉が続いてたと思う。
良心の拠り所としての図書館、黒人の、マイノリティの、コミュニティとしての図書館。
公共ということの果たせる役割に、どれだけいろんな可能性があるかじっくり描かれた映画でしたね。
珍しくパンフレット買いました。見るのは疲れたけど、公共を考える時には必ず見たい映画です。
アメリカには問題も多いけど、こういう良心が大きく深く健在なのは素晴らしいと思う。
1911年に建てられた図書館の建物も素敵です。

予告編にある言葉:
>図書館は本の置き場ではない。図書館は「人」なんです。

あと公式サイトにあった、映画公開記念パネルディスカッションの書き起こしもとてもいい内容です。
→ニューヨーク公共図書館と<図書館の未来>

この映画の翌年くらいに見た「パブリック 図書館の奇跡」というのも
アメリカの図書館を舞台にしたフィクションで、予想外に良かった。
こちらは物語がどんどん展開していくので楽しく気楽に見られるので
「ニューヨーク公共図書館」を見て良かった人はこちらも見てほしい。

映画:クロース(CLOSE)

2024-07-27 | 映画


この映画の直前に見た「ウーマントーキング」は主観的に撮らず叙事的な映画にしたと
監督が言ってた通り静かな引きの画面が多かったけど、
こちらは対照的にカメラが近いというか狭いというかアップが多くて揺れもある撮り方の映画だった。
とはいえアップのシーンも含めて全体にドキュメンタリー的な感じに自然に撮られていたし、
登場人物との間に距離感があって、特にドラマチックで主観的なカメラとは思わなかった。

画面が狭くてアップが多くてやたら揺れる映画といえば「エゴイスト」がそれで、
画面が狭苦しく、途中で酔ってしんどかったけど、この「Close」はそういう心配はなく、
主役の子供のアップはひたすらその美しい目に引き込まれていくらでも見ていられた。

公式サイトよりあらすじ:
花き農家の息子のレオと幼馴染のレミ。昼は花畑や田園を走り回り、夜は寄り添って寝そべる。24時間365日ともに時間を過ごしてきた2人は親友以上で兄弟のような関係だった。
13歳になる2人は同じ中学校に入学する。入学初日、ぴったりとくっついて座る2人をみたクラスメイトは「付き合ってるの?」と質問を投げかける。「親友だから当然だ」とむきになるレオ。その後もいじられるレオは、徐々にレミから距離を置くようになる。
ある朝、レミを避けるように一人で登校するレオ。毎日一緒に登下校をしていたにも関わらず、自分を置いて先に登校したことに傷つくレミ。二人はその場で大喧嘩に。その後、レミを気にかけるレオだったが、仲直りすることができず時間だけが過ぎていったある日、課外授業にレミの姿はなかった。心ここにあらずのレオは、授業の終わりに衝撃的な事実を告げられる。それは、レミとの突然の別れだった。
移ろいゆく季節のなか、自責の念にかられるレオは、誰にも打ち明けられない想いを抱えていた…。


最初の方は二人の少年のすごく仲良く戯れ合い遊ぶ姿が、これくらいの年齢特有の、
独特な無邪気さ、かわいさ、親密な幸せが溢れてて、その幸せの美しさにうっとりする。
close (距離や関係が近い)というタイトルだけど、intimate(親密な)という感じかな。
クラスメートに冷やかされるほどの仲の良さだからね。
レミがレオの顔を描くところとか、ちょっと怪しい感じがするほど親密だし、
二人だけのルールで想像遊びをするところは、二人だけの世界の充足が濃密でちょっとどきどきする。
二人の気落ちの中に性的なものがあるかないかははっきりとはわからないように描かれているけど
まあそれははっきりさせなくてもいいんだよね。
とにかく二人の近さが、その後の悲しさを際立たせます。

あまり説明しないし、登場人物の気持ちなども言葉にしないかわりに、
画面の美しさが言葉でないものを多くを語るタイプの映画です。
喪失とその後を描いた映画。素晴らしく哀しく美しい。お花畑のシーンのきれいさはずるい。

エンドロールのキャストの最後にdogというのがあって
(忘れちゃったけどジェームズとかそういう名前だったような(^_^;)、
あら、あの犬さんちゃんとキャストに入ってるのねとちょっと微笑ましかったな。

映画:ホールドオーバーズ

2024-07-25 | 映画


最初に男子校の寮で、学生たちが複数出てきても誰が主役かわからなくて、
馬鹿ボンのクソ差別主義者(顔はかわいい)の子が成長して変わっていく話かなと思ってたら、
主役は別の子だった。笑
でもこの子がとても良かった。尖ったナイフのようなところもある繊細が素晴らしい。
若い時のジョニー・デップやシャラメ君がやるとぴったりくるような
傷つきやすい孤独な問題児の役を、ばっちり好演してた。
周りの大人達はもちろん文句ない演技。
細かいエピソードもそれぞれよくできてて、
たくさんの小さなちょっと心に残るいいシーンをアルバムに綴って行くような描き方。
強烈な印象で心に残るというより、少しずつ心が温まっていくような優しいタッチです。

1970年冬、ボストン近郊にある全寮制のバートン校。
クリスマス休暇で生徒と教師のほぼ大半が家族と過ごすなか、生真面目で融通が利かず、生徒からも教師仲間からも嫌われている考古学の教師ハナム(ポール・ジアマッティ)は、家に帰れない生徒たちの“子守役”を任命される。
学校に残ったのは、勉強はできるが家族関係が複雑なアンガス・タリー(ドミニク・セッサ)。
食事を用意してくれるのは寮の料理長メアリー・ラム(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)。メアリーは一人息子のカーティスをベトナムで亡くしたばかり。息子と最後に過ごした学校で年を越そうとしている。
クリスマスの夜。「ボストンへ行きたい。スケートしたり、本物のツリーが見たい」と言い出すアンガス。はじめは反対していたハナム先生だが、メアリーに説得され「社会科見学」としてボストン行きを承諾する。
ボストン、考古博物館にて。「今の時代や自分を理解したいなら、過去から始めるべきだよ。歴史は過去を学ぶだけでなく、いまを説明すること」
アンガスはハナム先生の言葉を真剣に聞き入る。「とてもわかりやすい。授業でも怒鳴らずそう教えてよ」
古本市、ボーリング場、映画館……ボストンを楽しむふたり。しかし、実はアンガスがボストンに来たのには、ある目的があった。ハナム先生も二度と会うはずのなかった大学時代の同級生と偶然出会う。お互いに誰にも言っていない秘密が明かされていく……。
(公式サイトより)

息子を亡くした料理長の黒人女性が仕事のあとに一人テレビを見る姿に彼女の空虚が感じられるし、
ポール・ジアマッティの名演は、彼の体臭が感じられるほどだけど、
彼の不器用で運が悪い人生の理不尽を受け入れて生きる姿に世の中の不公平を思う。
一方世の中を舐めきったお金持ちの悪ガキもいて、どうにもならない不平等に
やりきれない気持ちにもなるけど、全体としてはものすごく暖かい映画なのです。
貧しさも不運も不平等も奪えないものを持っている人たちを肯定する映画だ。

食堂のクリスマスのシーンや、駐車場のケーキのシーンも良かったけど
クリスマスに招かれた家の子供たちが集められている地下の部屋で
ちょっとかわいい女の子といい感じになって視線を交わすシーンがよかったなぁ。
あの女の子、もっと出してほしかった。
70年代の話だけど、70年代に撮られた古い映画を見ているような気持ちになりました。
いつの時代も変わらないものを誠実に地味に描いているからだと思う。
こういう真っ直ぐで王道な暖かい映画を好きだという人は信頼できると思う。

監督は「アバウト・シュミット」「サイドウェイ」や「ネブラスカ」のアレクサンダー・ペイン。
映画に文句はないけど、配給的に、クリスマスシーズンに見たかったなーとは思う。
クリスマスシーズンに家族や恋人や一人で、見てほしいです。

映画:トノバン

2024-07-17 | 映画


めっちゃ良かった!
ドキュメンタリーなのに2時間くらいあるのは長いなぁと思ってたけど、見たらめっちゃ良かった。
自分の生きてきた時代と重なって流れる曲流れる曲ほのかに懐かしく、
最近見た音楽ドキュメンタリーの中で一番好きかもしれない。
映画50本見ても1回くらいしか買わないパンフレットを買ってしまったくらい。

どなたかのレビューで退屈したというようなのを見て覚悟して見に行ったのだけど、
自分がかすかにでも知っている音楽と時代ばかりだったせいか、すごく興味深く見ました。
わたしはあまり音楽を聴かない人間なのですが、
加藤和彦と安井かずみカップルの佇まいにはずっと憧れを持っていたし
もっと評価されてもいい人なのでは?と思っていました。
デビュー時からずっとダサいことを一度もしたことがないスマートの代名詞のような人でした。

90年代以降の言及が全然なくて、スーパー歌舞伎の音楽監督とかもやってたのに
新しい業績がないまま「死んじまっただ〜♪」という描き方に疑問を持ったという友達もいた。
確かに、彼の音楽人生の前半に集中してる映画ではあった。

そういえば本人の語りがほとんど出てこないんですよね。
写真はたくさん出てて、演奏シーンの記録映像などは結構たくさん見せてくれたけど
本人が自分のことや自分の人生を話すような語りの記録がほとんどなかった(ワンシーンだけ?)。
そしてプライベートに関してもあまり描かれていなかったですね。
最初の妻で一緒にサディスティック・ミカ・バンドをやったミカと別れた経緯も、
サラッと「帰ってこなかった」と誰かのインタビューでの一言くらいしかなかったし、
2度目の妻、安井かずみが亡くなった時や、その後の鬱の苦しみや
さらには彼の自殺のあたりのことも、彼の心情だけでなく事実でさえほとんど触れられなかったので、
これは一人の人としての彼や彼の人生を多面的に描こうとする映画ではなく、
彼の音楽活動に的を絞って時代との関わりも交えながら描いた記録なのでしょう。
加藤和彦個人の内面のことなどももっと知りたい気がしますが、
60年代〜80年代までの懐かしい音楽を聴いているだけでも楽しかったです。

あと、どうでもいいんだけど、若い頃の彼の映像を見るとヒョロリと痩せて背が高く
マイルドで優しい雰囲気でどことなくふわんと飄々としてる感じが
どことなく学生時代に京都でジャズをやってた息子に似ている気がして新たに親しみを感じました。

おまけ:1970-1987 加藤和彦CM集(改訂版)

映画:バティモン5

2024-06-15 | 映画


すごく良かった…
前作「レ・ミゼラブル」(小説とは直接関係ない現代の話)は小さな綻びから
どんどん分断が深く厳しくなっていきカタストロフィに至る話だったけど、今回の方が構図的にはシンプル。
権力者側に、間に立って事態を収集しようと右往左往する善意のある人物、みたいなのがいないから
権力者である市長 vs 排斥される移民たち、という単純な構図がわかりやすい。
保守反動強硬派レイシストの市長(本人はそう呼ばれてると言ってるだけで自覚がない奴)の
「正義」は誰が見ても独善的な失政に見えるし、
権力側の善き個人に感情移入しないでずむのでモヤモヤも少なく見ることができる。

でもモヤモヤが少ないからといって内容が薄いわけではなく、
冒頭の爆破シーンで息を呑んでからラストまで全部本当に巧い。
映像も脚本も素晴らしいのは予告編だけ見てもわかると思う。
人のカットの背景などとても美しいシーンも多いし、そして人物もそれぞれ上手く描かれてるなぁ。
正義を振りかざしそれぞれの人々の事情をかえり見ない白人市長に対して呆れや反発を持ちながら、
それでも打算と計略によりいつも市長の側にいる黒人の副市長。
移民の側にいながら市長のプロパガンダに利用され優遇されるのを受け入れるシリア移民父娘。
(キリスト教徒の白人なので。同じ移民でも扱いが違うのね・・・)
それぞれの立場でのとまどいなどは特に言葉では語らせてないのに要所要所で描いて見せる。

お話は、パリ郊外の荒れた地区で、老朽化し「10階建てのスラム」化した団地を一掃したい市長と、
満足できる条件なしには立ち退きたくない市民とのとの緊張が高まる中、
一つの火事をきっかけにこの建物は倒壊の恐れがあるということにして、市は全住民を即座に強制退去させる。
専門家の調査もなしに強行して予算も浮くしラッキーくらいに思ってる市長へ住民たちの怒りは燃え上がり…

「人を侮辱し続けるとどうなるか」と映画の中の青年は叫ぶけど、そりゃテロも起きるよね。
血の気が多くてすぐ暴力や極端な方法に走るマッチョな男にはうんざりだけど、
見ている人は彼に同情するだろうと思う。怒って当然だもん。
こういうことが市政のレベルではなく国のレベルで起こってるのがパレスチナだなと思う。
長年のイスラエルによる住民への嫌がらせはこの映画で描かれているよりさらに長く
意地が悪く巧妙でしかも理不尽だった…

映画の中では次期市長に立候補する移民側のヒロインの強さと優しさだけは希望だ。
主人公が女性であることで、微かに希望があるということでもあるかもしれない。
これからの世界は。

朝9時半から、しかも毎日はやってない、さらにもうすぐ終映になるという難しい上映だったけど
半休取って早起きして観て本当によかった!
最近ダメ映画で脳みそを休ませてたけど、やっぱり良い映画を見なくちゃねー。

ちなみに役者さんたち、この映画の副市長は同監督の前作「レ・ミゼラブル」で市長で、
そこで暴力的な警官だった人がこの映画では市長です。ややこしい。笑
ラストの終わり方の唐突さは前作と同じです。

映画:アバウトライフ 幸せの選択肢

2024-06-13 | 映画


気楽な感じの映画もたまに「ブルックリンでオペラを」みたいに良作だったりするので少し期待したけど、
まあなんというかどうも、とっ散らかった印象のただの気楽な映画でしたね。

これだけのキャストでありえない偶然の設定をどう料理するのか?と思ったけど、
そもそも別に料理してなかったし、久しぶりにからっぽな映画を見た気がします。
今年のマイワースト争いの「レディ⚪︎⚪︎」よりは俳優が豪華な分マシかなという程度。笑

お話は、結婚したくてたまらない女子と今のままでいい男子のカップルが、
それぞれの親同士交えた食事会を開くことに。
ところが親の夫婦二組、なんとそうと知らずにそれぞれの相手と不倫していて・・・

ニューヨーク、どんだけ狭いねん!と突っ込みたい。
知り合いの夫婦ならまだわかるけど、全く知らない夫婦とそれぞれ不倫とかないわ〜
説得力ゼロだし、スーザンサランドンのキャラはちょっとやりすぎだし
ダイアン・キートンはダイアン・キートンすぎる。笑
ラストはほんわかさせたいんだろうけど、わたしはなんとも後味悪かった。

そもそも結婚したくてたまらない女子が好きになれない。
良い結婚こそ人生最大の幸せ、みたいな価値観が、結局この映画全体にあるのよね。
ハッピーエンドも、全然ハッピーな気持ちになれないまま見終わりました。

でも短めの映画だし、体調不良が続いてたので家でじっと寝てるよりは気分転換になった・・・かな?