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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:ドライブ・アウェイ・ドールズ

2024-12-14 | 映画


ダメ映画の悪口をよく言うわたしですが、ダメ映画とおバカ映画は別物で、
わたしがおバカ映画という時はその映画を褒めている時です。
おバカ映画というのは悪趣味や過剰さ、馬鹿馬鹿しさ下らなさに笑ったり呆れたり
時に疲れたりしながら、そのちょっとタガの外れた自由と、道を外れた知性に憧れと共に浸れる、
そういう映画。
これはまさにそういう愛すべきおバカ映画でした。めっちゃ下品だけど大好き。

レズビアンの友達同士が変なことに巻き込まれるんだけど、それがまた馬鹿馬鹿しすぎて笑える。
家父長的家族第一主義の共和党保守議員をマット・デイモンがちらっとやってるのは、
よくこんな馬鹿な役引き受けたなぁと、また笑った。
出てくる女性がほぼ全員レズビアンで、女子サッカーチーム全員レズビアンだし、
そこに何の葛藤も屈託もなく、その前に差別もなく、ごく当たり前にレズビアンで
どなたかがレビューで「息をするようにれずビアンである」と書かれていたけどその自然さに、
そんな映画見たことあったかなぁ?と思う。
主役の女性2人が超魅力的で好みで、お堅いレズビアンの子のしかめっつらもいいけど
自由奔放で破天荒な主人公が生き生きと魅力的すぎてわたしも恋してしまう。
マーガレット・クアリー、なんとアンディ・マクダウェルの娘だそうです。
確かに似ているところがあるけど、マーガレット・クアリーの方がずっと好きだわ。
この彼女の元カノ役の凶暴な警官スーキーは「ブックスマート」の主役の子ですね。
この子もいいわー。
彼女らを彩る脇役の男優たちの顔もまたみんないい味で、彼らの笑えるお馬鹿さ加減には
コーエン兄弟の映画の独特の間とユーモアがある。

監督はコーエン兄弟の弟の方、イーサン・コーエンで、これがソロでは初監督作品。
初単独監督でここまでハチャメチャである意味雑な映画を撮るのもすごいな。
ちなみに兄のジョエル・コーエンのソロ監督作品は「マクベス」
え、あの美しいスタイリッシュな黒白の画面と、フランソワ・マクドーマンドがすごかったあれ!?
かたや、超かっこよく撮ったシェイクスピア、かたやお下品下ネタ満載のはちゃめちゃコメディ、
コーエン兄弟のこういうバランス?も好きだなぁ。

友達同士の二人の女性が、おばあさんの家?に行くのに車の配送がてら行くことになるんだけど
手違いでとあるケースが入った車に乗って出かけることになり、
それを取り戻したい男たちに追われ…という話で、下ネタがほとんどという映画なので、
このケースに入ってるものも、その事情も馬鹿馬鹿しくお下品です。笑

そして映画の尺が84分、えらいわー。この軽さにはちょうどいいコンパクトさです。
主役2人ガス気になっちゃって、もっと彼女らの心情や過去など見たかった気もしたけど、
どこまでも明るくふざけた映画にするにはこれくらいがいいのかも。

名作古典映画「お熱いのがお好き」のオマージュだというレビューを見て
なるほどと思ったけど全然気づかずに見ちゃったので、それを確かめるためにもう一度見たい。

『ドライブアウェイ・ドールズ』コーエン夫妻1分解説動画

映画:ロボット・ドリームズ

2024-12-13 | 映画


この絵柄でハートウォーミング系なお話なのに、
映画をよく見てる辛口の人たちからの評判もすごくいい。
平日なのにかなりお客さんが多くて驚いた。お子さん連れもいらっしゃったけど、
セリフのない映画なので小さいお子さんも楽しく見られると思う。
「きみの色」と同じくらい優しい世界でピュアな気持ちになります。
誰にでも勧められるけど、個人的にはちょっと違うかなぁという気持ちがあって、
単にわたしの心が汚れてるだけか?と思ってたけど、すこしはっきりした。

まず、ドッグがいい人(犬)だけど迂闊で鈍感なところが嫌だったんだなと気づいた。
ドッグにとってロボットは替えのきくペットのような存在であって、
自分と対等な個人としての友情や愛情ではない感じがしたところも。
わたしが最愛の猫を亡くしたら、寂しくてまた次の子をもらうと思うけど、
最愛の人をなくしても、すぐ寂しさに負けて次の人を選んだりできない。
ドッグは寂しさに弱いだけで友情や愛情を育む対等な相手を求めてたわけじゃないんだなぁと思う。
人間でも寂しさだけで繋がってるような関係ってあって、わたしはそれは好きじゃないのよね。

また「社会に不満を持っているキャラクターがいないみたいな感想を書いてる人がいました」
と言う意見を聞いて、確かに人間の出てくる普通の映画では当たり前のようにある
背景とか社会とかはほぼ描かれていません。主人公たちの過去も未来も全く未知。
ファンタジーと思えば現実の世界との関わりが描かれていないのは構わないんだけど、
ここに描かれているのは本当に限定された主人公とロボットとアライグマの
ひとつの友情(愛情)関係だけで、それ以外の要素はほとんどないように思えます。
純粋とも言えるけど、余分なもののない純粋な話、というところが
わたしが乗り切れなかった部分かな。
映画や写真に対しては、どう扱っていいかどう考えていいかわからないような
「余分なもの」がある方が面白い派としては、これではどうも厚みが足りない。
厚みや陰影がなくても純度の高い愛情や友情を描くことには大成功してるし、
そういう点で素晴らしいと絶賛されるのはよくわかるんだけど、
それでもわたしは、何か少しいらないものや、きれいでないものが欲しいのよね。
100分の映画にしてはその辺の純粋さに、わたしは慣れることができなかった。
多分、映画ではなく原作の短編コミックを読んだら、かなり好きなのではと思います。
あるいは60分程度の短編映画なら。
といいつつ、単純なハッピーエンドではないちょっと切ないラストは泣きましたけどね。

音楽や、時代のディテールはすごくよくできています。
80年代のニューヨークのようですが、その時代のアメリカンカルチャーのあれやこれや。
その時代を知ってる人ならみんな前のめりになるだろうな〜(わたしもなった)

お話は(公式サイトより):
大都会ニューヨーク。ひとりぼっちのドッグは、孤独感に押しつぶされそうになっていた。
そんな物憂げな夜、ドッグはふと目にしたテレビCMに心を動かされる。
数日後、ドッグの元に届けられた大きな箱―― それは友達ロボットだった。
セントラルパーク、エンパイアステートビル、クイーンズボロ橋……
ニューヨークの名所を巡りながら、深い友情を育んでいくドッグとロボット。
ふたりの世界はリズミカルに色づき、輝きを増していく。
しかし、夏の終わり、海水浴を楽しんだ帰りにロボットが錆びて動けなくなり、
ビーチも翌夏まで閉鎖されてしまう。
離れ離れになったドッグとロボットは、再会を心待ちにしながら、それぞれの時を過ごす。
やがてまた巡りくる夏。ふたりを待ち受ける結末とは―― 。

映画:パリの小さなオーケストラ

2024-12-04 | 映画


パリ・・・じゃないよねぇこれ。邦題のこのタイトル以外はとてもいい映画でした。

1990年代の後半、パリの郊外?の移民の多い町からパリの富裕層の通う音楽学校に編入した
アルジェリア系の双子姉妹。一人は指揮者を目指しているけど
裕福でない地方出身でしかも女の子だということで、
金持ち息子たちに馬鹿にされ妨害され練習もなかなか捗らず、
でも大指揮者(チェリビダッケ!)と出会って指導を受けられるようになり、
そして自分のオケを持とうと地元とパリの賛同してくれる学生たちで練習を始める…
と言うような話で、事実を元にした映画なんだけど、
この主人公はパリジェンヌではないし、オケもパリのオケではない。
それでも「パリの」と邦題につける良心のなさとセンスのなさがとても嫌。
「92歳のパリジェンヌ」という安楽死問題を描いた映画があったけど
これもどこがパリジェンヌやねん!と思ったし、パリとかニューヨークとか
かすっただけでタイトルにするのはもうやめてほしいな。

とはいえ映画は良かった。
主人公の双子がとてもかわいくて少女(17歳)らしいときと、
とても大人びてしっかりした30歳くらいに見える時があって、どちらも良い。
二人の家庭の暖かさも、ほんとにホッとさせられます。姉妹の絆、パパの愛、
小さな家の中で工夫しながら音楽への愛を育んだのね〜。
パパとチェリビダッケが話すシーンで、
6つか8つの言語を習得したけどアラビア語だけ挫折したというチェリビダッケに
パパが発音の仕方を教えるんだけど、リラックスしたユーモアがあって良いシーン。
娘たちが音楽好きになったのは、このパパの影響だけど、
移民でフランスに来てからレコードを買って聴くようになった中、
大好きなスターが(誰だっけ、ホロヴィッツとかロストロポーヴィッチとかだったかな)
3人も揃うコンサートのチケットを頑張って初めて買って、それは一生の宝になったと語るところもいい。
その話をあの大指揮者チェリビダッケに話せたこともまた、パパの宝のひとつだろうな。

お話は、事実をもとにしているということで、
パリ近郊の音楽院でヴィオラを学んできたザイアは、パリ市内の名門音楽院に最終学年で編入が認められ、指揮者になりたいという夢を持つ。だが、女性で指揮者を目指すのはとても困難な上、クラスには指揮者を目指すエリートのランベールがいる。超高級楽器を持つ名家の生徒たちに囲まれアウェーの中、ランベールの仲間たちには田舎者とやじられ、指揮の練習の授業では指揮台に立っても、真面目に演奏してもらえず、練習にならない。しかし、特別授業に来た世界的指揮者に気に入られ、指導を受けることができるようになり、道がわずかに拓き始める-。
本作は現在も精力的に活躍の場を広げているディヴェルティメント・オーケストラを立ち上げた一人の少女と仲間たちの物語。指揮者を目指すアルジェリア系のザイア・ジウアニが、パリの音楽院への編入をきっかけに、巨匠セルジュ・チェリビダッケに指導を受け、時に厳しく時に温かく対話を重ね、音楽を学ぶ。そして、貧富の格差なく誰もが楽しめるように、パリ市内の上流家庭出身の生徒たちと移民の多いパリ近郊の地元の友人をまとめ、垣根を超えたオーケストラを結成した。この実話を映画化したのは『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』の監督マリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール。主要キャスト以外の配役は現役音楽家を抜擢。数々の美しい有名クラシック音楽が、実際に演奏しながら撮影され、ライブ感溢れ心躍る感動作が完成した。
(公式サイトより)

映画:岩見重太郎 決戦天橋立 

2024-11-23 | 映画
今年の(いうまでもなく映画館での)映画の100本目は、
なんと宝塚映画祭での70年前の映画でした。(アラ還でアラカン嵐寛寿郎を見るわたし)

実はテアトル梅田に行くつもりで100本目は「ゴンドラ」を見るつもりだったのが、
先日見た「侍タイムトリッパー」を思い出したせいで、
出かける瞬間に宝塚映画祭行こ!と気が変わってこうなった。
「侍タイムトリッパー」で時代劇愛に胸打たれたので、時代劇が見たくなったのでした。

1954年の映画なので、なんと70年前です。
ということはこの映画に出ている人は子供以外多分ほぼみんな亡くなってるのよね。
出演者で名前を知っているのは、嵐寛寿郎と大河内傳次郎、扇千景、くらいかな。
そして主人公のヒーロー岩見重太郎という人物のことも、わたしは知らなかったけど
70年前の日本では、わりと常識としてみんな知ってる人だったのか、
映画の中で岩見重太郎と聞くと誰でもへへーっ!ってひれ伏すスーパーヒーロー伝説の剣豪みたい。
お話は
村の生贄にされかけた娘を猿?ヒヒ?に化けた山賊から救ったり、
女役者の旅芸人一座を救ったり、タイプの違う豪傑2人と知り合って仲良くなったり、
岩見重太郎を親の仇として追う男装の女剣士姉妹を(これは親が悪者だったので逆恨みだけど)
なんとか説得しようとしてみたり、
岩見重太郎の留守に父が殺され、その仇をうとうとした弟が返り討ちにあったあと
その仇をやっと見つけて天橋立へ。
ところがその仇とグルの藩主が500人の助太刀を出す卑怯さに負けずに、
岩見重太郎と豪傑二人は、ばっさばっさと悪者をやっつけ、ついに敵討ちを果たすのだった。

だいぶ盛りだくさんで登場人物も入り乱れる話だけど、難しくはないです。
でもこの「決戦天橋立」の殺陣はどっちかというと歌舞伎の型に近いような感じで
「侍タイムトリッパー」の殺陣愛とは別の種類のものでした。もっと様式美的な。
そして宝塚歌劇団が協力してる女役者たちの劇団が歌い踊るところは宝塚ならではで
マニア垂涎?なのかわかりませんが、なかなか他所では見れないものと思います。
フィルム上映なのでフィルムの状態によって見にくいところや、
セリフも聞きにくかったりするもの、今となってはやっぱり楽しいし、
この頃の人はこういう映画を見て天橋立のような名所を楽しんだのだろうな。

映画祭なので待ち時間にロビーのカフェでホットケーキを食べたり、
テラスで本を読んだりして、一日入り浸りました。


そして映画館の人に挨拶したり同じ映画をたまたまみていた友達に
新世界東映のチラシをもらったり(いつもこれを配ってる新世界東映ファンの人なのです)

自分にとってホームの映画館があるのはいいな〜

もう一本見たのは時代劇コメディのこれ。
同じ敵討ちでもこっちはなんともふらふら〜ふらふら〜と流される男たち。笑

映画:マザーレス・ブルックリン

2024-11-18 | 映画


実はこの映画を見たのは3、4年前。いい映画だったのに上映回数もすぐに減って
朝の9:20から1回だけになってしまったのを、どうにも気になって早起きして見に行ったのだった。
そしてとてもいいと思ったのに、ここに感想は書きかけたまま忘れてて
それを今わざわざ書こうと思うのは、やっぱり好きな映画なのだろう。

映画の感想は見て数日内に書くこともあれば、数年後に書くこともある。
何か書きたいことがあってすぐ書くのとは別に
後で思い出して何か忘れがたいものがあったり、
もっと時間が経って全て忘れてしまうのが惜しいと思ったりすると
1年、2年、5年後に何か書くこともある。
これもその一本ですね。

エドワード・ノートンって、上手いしいい俳優だけど、
才気走ったところがどこかイラッとさせる俳優だったのに、今回は参りました。
脚本監督主演!できるなー。
テンポもバランスも良く、いい塩梅の謎解き、抑制の効いた優しいロマンチックさもあり。
主人公の設定が、すごく効いてるし、エドワード・ノートンにこんなにきゅんとさせられるとは。
ブルース・ウィリスや、ウィレム・デフォーなど、俳優も豪華で、
どうもかなり楽しく演じてらっしゃる感じがしました。

1950年代のニューヨーク。障害を抱える孤独な私立探偵のライオネル・エスログ(エドワード・ノートン)は、恩人であり唯一の友でもあるフランク・ミナ(ブルース・ウィリス)が殺害されると、意を決して事件の真相を追い始める。僅かな手掛かりと並外れた執念だけを武器に、固く閉ざされた秘密を解明していくライオネル。その深い闇の奥にあったのは、街全体の運命を左右しかねない危険な真実だった。


SNSで仲良くしているニューヨーク在住の友達がいて、
シンバルの素晴らしいコレクションを持っているんだけど
ジョーという友達のドラマーがこの映画に出ていて彼のシンバルを使っていると聞いた。
ウィントン・マルサリスがこの映画に関係していて、ジョーを推薦したということみたい。
遠い繋がりでも、何か自分の友達が繋がってたりすると一気に親近感も増しますね。
もう一度見ることがあったら、ドラマーを探したい。

映画:国境ナイトクルージング

2024-11-17 | 映画


予告編を観て、これは良さそうと思った映画の当たり率が今年は多くてうれしい。
これもそんな一本。是枝監督も「本当に大好きな作品」と言ってる。

中国と北朝鮮との国境沿いの、朝鮮族の村に結婚式に参加するために来た上海の男、
そこでガイドをしている女、女の友だちで、親戚の飲食店で働く男、この3人の若者の5日間の話。

公式サイトのあらすじは
母からのプレッシャーに心を壊したエリート社員。オリンピック出場を断念した元フィギュアスケーター。勉強が苦手で故郷を飛び出した料理人。挫折をひた隠し、閉塞感の中で縮こまる3人が、中国と北朝鮮の国境の街、延吉に流れ着いた。磁石のように引き寄せられ、数日間を気ままに過ごす彼ら。深入りせずに、この瞬間をひたすら楽しむ、それが暗黙のルールだ。過去も未来も忘れ、極寒の延吉をクルーズするうちに、凍りついていた孤独がほどけていった。
なんですけど、これじゃ全然この映画がわからないと思う。間違ってはいないけど、
こんな風にハキハキと言い切るような説明からは遠い感じの映画なのにね。
監督は「衝動と奔放さから生まれた」映画だと言ってて、ほんとそう。
若くてどうしていいかわからない自分のエネルギー(正も負も)や
言葉にならない澱んだ気持ちや、不安な未来や、そういうものが、
衝動と奔放さを纏ったらこの映画になったんだなぁと思う。

朝鮮族の村である延吉が舞台なんだけど、ここを舞台にしながらも、
この村に暮らす朝鮮族の若者のマイノリティとしての心情などを描く映画ではなく、
現地の人間と都会の人間、内陸の中国人と周縁の朝鮮族との対比を描くのでもなく、
民族や文化の違いやズレや憧れや分断されたルーツへ想いなどでもなかった。
舞台は特殊だけど若者たちは属性も悩みも個人的で、属性ではない個別の若者たちの
どこか普遍的なことを、この監督は書きたかったのかな。
そして、映画の中で男女のふれあいもあるのだけど、恋愛映画の感じがしないのもよかった。
恋の切なさが前面に出る映画ではないけど、
これはもうフルーツ・チャンの「メイド・イン・ホンコン(香港製造)」以来の、
もうたまらない叙情のある映画だった。
あっちは夏、これは冬だけど、どちらも同じ濃厚な程の刹那の切なさがある。
氷を齧る音、熊女の話、雪の中の熊、指名手配の若者、分厚い辞書、長白山(白頭山)、
フィギュアスケート、シャワーカーテン越しの肌のふれあい、うー、たまらん〜
雪景色はどこまでも寒く冷たく美しく、若者たちはそれぞれの鬱屈を持ちながら優しい。

この主役の3人がみんな良くて、特に女の子は「サンザシの樹の下で」で泣かされ、
中国版の「ソウルメイト」でメロメロにさせられたチョウ・ドンユィではないか!
この子大好き。超好き。名前の漢字「周冬雨」も素敵。冬の雨。いいなー。

朝鮮族のことは、映画などでたまに見るくらいでよく知らないのだけど、
その結婚式のシーンや ガイドが中国の人に説明するシーンなどはなるほどなぁと思いました。
若い子はもう朝鮮語はわからないけど、
結婚式ではみなさん朝鮮の服をきて朝鮮の歌で踊られるのは在日のわたしも見慣れた景色で。

あと雪山の熊はちょっと「悪は存在しない」の鹿を思い出しました。
鹿とか熊って、森の中でこんなふうに合うと、何かの神様に見えるんだろうな。
神聖な生き物の感じがする。

映画:WALK UP

2024-11-16 | 映画


モヤモヤしてしまうのに見てしまうホン・サンス監督。
どの登場人物も共感も感情移入もできず好感もたいして持てないのはいつもと同じだけど、
今回はさほどモヤモヤはなく、(キム・ミニが出てないからか?
キム・ミニは好きだけどホン・サンス映画に出てくる彼女には何故かもれなくモヤモヤする)
ごく普通に面白く見られました。
舞台になる小さなアパートの建物やインテリア、食事の後のテーブルやテラスがとても好きだし、
どのシーンも大変キマっていて絵になる。こんなアパートの大家さんになりたい。
あらすじは…特にないというか、基本どの映画も人々が会話してるだけだしね。笑

みんなちょっと嫌なところがあったする人たちが、
なんかあんまり内容のない社交辞令みたいな会話を微妙な間ですごく繰り返すんですよね。
それが白々しいようなリアルなような全然リアルじゃないような不思議な感じ…笑

「監督の大ファンなんですよ」
「そうですか、ありがとう」
「本当にファンなんです…」
「ああ、どうも本当にありがとう…」
「ずっと前から全部見てます」
「そうですか、それはうれしいです」
「本当に全部見てるんですよ」
「そうですか、それは本当にありがとうございます」
みたいな会話を、話すことのない人たちが無理に会話してるような微妙な間で、
ずっと繰り返してる感じが、初めて見た時はリアリティが微妙にずれてる不穏さを感じたけど
慣れてくると平気になりました。こういう世界もあるのだろうと。(ないか)

映画監督のビョンスは、インテリア関係の仕事を志望する娘のジョンスと一緒に、インテリアデザイナーとして活躍する旧友ヘオクの所有するアパートを訪れる。そのアパートは1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエ、地下がヘオクの作業場になっている。3人は和やかに語り合い、ワインを酌み交わすが、仕事の連絡が入りビョンスはその場を離れる。ビョンスが戻ってくると、そこには娘のジョンスの姿はなく…。(公式サイトより)


映画:2度目のはなればなれ

2024-11-07 | 映画


タイトルとポスターで、夫婦モノのハートウォーミングメロドラマと思って、
他の映画との時間合わせで見たけど、途中からはむしろ退役軍人のノスタルジー映画かい、
とモヤモヤしながら見た。(原題は「大脱走」)
みんな戦争好きだからね、というセリフが途中で出てくるけど、戦争って殺し合いだし、
肯定的に美しいノスタルジーにされるのがどうも落ち着かないのよね。
でも後遺症に苦しむ人や戦争を後悔するシーンもあり、みんな無駄死にだ!と
戦没者たちのお墓で叫ぶシーンで、やっとわたしのモヤモヤが落ち着きました。
戦争は愚かだという点は映画であっても譲れないわ。

お話は
2014年夏。イギリスの老人ホームで寄り添いながら人生最期の日々を過ごす老夫婦
バーナード(マイケル・ケイン)とレネ(グレンダ・ジャクソン)のある行動が世界中の大ニュースとなった。
ひとりバーナードはフランスのノルマンディへ旅立つ。
彼が行方不明になったという警察のツイート(#The Great Escaper)をきっかけに、世界中で話題になったのだ。
ふたりが離れ離れになるのは、人生で2度目。
決して離れないと誓った男がどうしてもはなればなれにならなければならなかった理由とは…。
必ず戻ってくると信じる妻の真実の想いとは…。
(公式サイトより)
だいぶ下手なあらすじ説明ですね。笑

ノルマンディでは退役軍人の集まるお祭りをしていて、主人公はそれに参加しに行くのです。
でも彼の本当の目的はお祭りやノスタルジーではなく・・・・という話。
ノルマンディで彼を助けてくれて友達になるおじいさんの語る話がすごく大きな意味があって
二人が出会った時からのいくつかの小さい伏線が回収されます。
伏線の一つ一つは抑制が効いてるというかわりと小さくて見過ごしそうだし
その回収もやや弱いけど、思い起こすと悪くはない映画だったかな。
(介護士の若い女の子の物語ももう少しだけエピソードが欲しかった気はする)

マイケル・ケイン御大の最後の映画ということですが、
彼も妻役のグレンダ・ジャクソンも良かったです。
グレン・ジャクソンはこれが遺作で公開前に亡くなったとのことで
映画の中のもうすぐ亡くなりそうなお年寄りの演技は素晴らしかった。

マイケル・ケインのでている映画を子どもの頃いくつかテレビで見たけど、
印象に残ってるのは「アルフィー」だな。チャラくて誠意のないモテ男の話で
ラストは寂しいというか苦くて、子供だったのでとても興味深く見たのを覚えてる。
その後、ジュード・ローでリメイクされたのも見たけど、
それぞれの時代のこういう男をどちらもハマり役で演じてました。また見比べたいな。

あと映画の中でこの夫婦で入居してる施設の部屋が、本当に普通のお家のような
アットホームというか暖かい感じなのが素敵だった。

映画:五香宮の猫

2024-10-29 | 映画


想田さんの野良猫ドキュメンタリーなんだけど、どの野良猫より
うちのクロちゃんの方が警戒心強いぞ、と思うくらい人馴れしてる野良猫たち。笑

最近、猫のTNR活動(野良猫が繁殖しないように一旦捕まえて去勢、避妊手術をして放す。
目印に耳の先を少しカットするのでさくら猫と呼ばれる)に批判的な人の投稿を見たんだけど、
日本から野良猫がいなくなっていいのかと訴えるその投稿に、
そんなこと思ったこともなかったので少しびっくりしたのを思い出した。
野良猫、そんなに完全にいなくなっちゃうかな?
それに野良猫のいる景色は素敵だけど、生まれた猫がみんな健康で幸せに生きられる方がいいから、
野良犬をほとんど見なくなったように野良猫も見かけなくなってしまっても仕方ないかなと思う。
それは自然に反したことだと言われればそうだけど、
野良猫の繁殖を自然に任せていたらどんどん生まれてどんどん苦しんで死ぬだろうし、
人間は不自然なことをしないではもう生きていけないのだし。
(でもペットショップには相変わらず反対の立場です)
とはいえ、いろんな意見を聞いてまた考えが変わるかもしれません。
映画にはそのTNR活動も、猫好きの人も猫をあまり好きでない人も描かれています。
最後に追悼でたくさんの出演猫の写真が出ていて、
かわいがられてご飯ももらえてても野良猫の寿命はやっぱり短いんだなぁ。
でもみんながみんな家猫のように15年20年生きられなくても
ちゃんと大人になって老いるまで、まあまあ安全にひもじさもなく気ままに生きられたなら、
野良猫的にはそれでいいのかなとも思ったり(先に書いたことと矛盾しそうだけど)、
いろんなことを思うけど、とにかく猫はみんな素晴らしいな、と
たくさんの野良猫たちを堪能しました。

と、猫のことばかり書いたけど、これはここに移住してきた想田さんの日々や
地域との関わり、そこに住む人々もしっかり描かれていて、
肩の力は抜けてるように見えて実は奥行きのあるいいドキュメンタリー。
瀬戸内の風光明媚な港町・牛窓。古くから親しまれてきた鎮守の社・五香宮(ごこうぐう)には参拝者だけでなく、さまざまな人々が訪れる。近年は多くの野良猫たちが住み着いたことから“猫神社”とも呼ばれている。
2021年、映画作家の想田和弘とプロデューサーの柏木規与子は、27年間暮らしたニューヨークを離れ、『牡蠣工場』(15)や『港町』(18)を撮ったこの牛窓に移住した。新入りの住民である夫婦の生活は、瀬戸内の海のように穏やかに凪ぎ、時に大小の波が立つ。猫好きのふたりは、地域が抱える猫の糞尿被害やTNR活動、さらには超高齢化といった現実に住民として関わっていくことになる。
(公式サイトより)

映画:私は憎まない

2024-10-27 | 映画


ドキュメンタリー。
イスラエルの病院でイスラエル人も治療していたパレスチナ人医師が、
ガザの自宅にいた時にイスラエル軍の爆撃で娘を3人と姪を失う。
それでも憎しみは何も生まないというすごい人ですが(本も出してます)、
砲撃された時の電話や映像の取り乱しようにこちらの呼吸も浅くなった。
イスラエルが「イスラエル軍は子供は殺さない」と嘘八百言い張るのは呆れ返るし、
裁判でのイスラエルの嘘つき具合の責任逃れに軍も政治も司法も何もかもおかしいと
怒り心頭になるけど、本人はそれでも諦めず、謝罪を求め続ける。
そうして裁判を続け、裏切られ続けながらも、憎しみの連鎖にはすまいと努力する。

難民キャンプ育ちの彼はそこから抜け出すのは教育だと思い努力して医者になったけど、
娘を失ったあとまた、憎しみの解毒剤は教育だという、教育を信じる姿勢に打たれる。
ガザのマンデラと呼ばれるのもわかる。

大事な家族を殺したり傷つけたり壊した敵を許せるかという問題について思い出した話が二つ。
パリのでテロがあったときにギレルモ・デル・トロ監督が自身の父親が誘拐された時の話を
書いた連続ツイートが一つ目。

リンクが切れてたけど、ざざっと自分で訳した文は残ってたので以下:
約20年前、ギレルモ・デル・トロ監督のの父親が誘拐された時、
警察から犯人を見つけた場合に関する2つの提案があったそうです。
5千ドルで犯人を15分間自由に痛めつけるか、1万ドルで犯人を全員殺して証拠写真をあげるか、
どっちを選ぶかと。
監督はどちらも断りました。
その後多額の身代金を払い72日間もの拘束の後で父親は解放されたのですが、この時のことを
「憎しみも痛みも感じていたが、自分たちが暴力の連鎖の一部になることはできない」と言い、
「テロリストは憎しみを呼び起こそうとしている」
「暴力が暴力を生むようなこの時代に、私はこの時のことを思い出します。
そして人々の賢明さと強さを願って祈ります」と締めくくりました。

もう一つは、妻をテロで無くした夫と小さな子供の話でFacebook経由で見ました。
アントワンヌ・レリス
「金曜の夜、あなたたちは私にとってかけがえのない存在であり、人生の最愛の人である、私の息子の母親の命を奪ったが、あなたたちは私の憎しみを得ることはできない。あなたたちが誰なのかは知らないし、知りたくもないが、あなたちの魂が死んでいることはわかる。あなたたちが盲信的にその名の下に殺戮を行っている神が、人間をその姿に似せて作ったのだとしたら、私の妻の体の中の銃弾のひとつひとつが彼の心の傷となるだろう。
だから、私はあなたたちに憎しみという贈り物をしない。もっともあなたたちはそのことを望んだのだろうが、憎しみに対して怒りで応えることは、今のあなたたちを作り上げた無知に屈することを意味する。あなたたちは私が恐怖におののき、同じ街に住む人々に疑いの目を向け、安全のために自由を差し出すことを望んでいるのだろう。あなたたちの負けだ。何度やっても同じだ。
私は今朝、彼女に会った。ようやく、何日も幾夜も待った後に。彼女はその金曜の夜に家を出た時と同じように美しかった。12年以上も前に狂うように恋に落ちた時と同じように美しかった。もちろん、私は悲しみに打ちひしがれている。あなたたちのこの小さな勝利は認めるが、それも長くは続かない。彼女はこれからも毎日私たちと一緒にいるし、私たちはあなたたちが永遠に入ることのできない自由な魂の楽園で再会するだろう。
私と息子はたった二人になったが、それでも世界の全ての軍隊よりも強い。それに私はこれ以上、あなたたちに費やす時間はない。そろそろ昼寝から起きてくるメルヴィルのところに行かないといけない。彼はまだ17ヶ月で、これからいつものようにおやつを食べて、いつものように一緒に遊びに行く。この小さな男の子はこれからの一生の間、自らが幸せで自由でいることによって、あなたたちに立ち向かうだろう。なぜなら、そう、あなたたちは彼の憎しみを得ることもできないからだ。」
Post Original : Antoine Leiris, “Vous n’aurez pas ma haine”, 2015/11/16 21:18, https://www.facebook.com/antoine.leiris/posts/10154457849999947
Traduit en japonais par Dominick Chen

→あなたたちは私の憎しみを得ることはできない

どちらも報復を放棄する決意を持ったとても勇気のある人たち。
許すということは被害者にだけ大きな負担を強いるけど、大体の人は許せないのが普通と思う。
でも許せなくていいんです、憎悪が消えないのも当然だし仕方ない、
その上でやっぱり報復、復讐の暴力に走ってはいけないと思う。だって、
暴力と復讐の連鎖を断ち切るのがどんなに難しくても、それなくして平和はないし
新しい被害を生んでは永遠に殺し合いは終わらないもんねぇ。
それに比べて「やられたらやりかえすのが男だ(あるいは「誇り高き〜〜人」だ)」なんていう考えは
本当に本当に幼稚で愚かで恥ずかしいことだ。

映画:双子のユーとミー

2024-10-21 | 映画


双子の少女の話だけど、一人二役の主人公がかわいい。だいぶかわいい。めちゃかわいい。笑
ポスター見ると高校生くらいに見えるしスタイルめっちゃいいけど、
設定はまだ10代初めの思春期の入り口くらいの子ども。まだおぼこい感じ。
前半の超仲良しの二人の毎日がとにかく瑞々しくて初々しくてかわいいんだけど
(制服がめっちゃかわいい。垢抜けすぎない感じが絶妙に良い)後半は少し冗長なところもあるかな。
でも少し前の時代のアジアが、田舎の風景もバンコクの庶民的な家の中も、
全部ノスタルジックでとても良かったです。
監督、脚本は双子の女性。他にもたくさんの双子のインタビューなどして撮ったらしいけど
この双子役の子は1人で演じているのでした。

1999年のタイ、双子の仲良しユーとミーは性格も得意なことも違うので
こっそり入れ替わったりしながら、毎日ずっと一緒で楽しく過ごしていた。
試験や食べ放題の店をスリルと共に入れ替わるシーンがあって、
こういうのは子供時代に読んだ「キャンディ・キャンディ」のいがらしゆみこ先生の漫画で
読んだことがある気がするのです。やっぱり入れ替わって試験を受けてた。笑
そして、そこに1人の素敵な男子が絡んで仲良し関係が変わっていく・・・って
こういうのは双子ものの定番なのかな。
映画の中でもマークというイケメンで優しく誠実な男の子が出てきて
一人が恋をしたと言い、もう一人も実は彼を好きになってしまい・・・
とはいえ、10代初めのかわいい恋だし、
それまでの何もかも一緒で秘密もなく一心同体の双子関係をずっと続ける方が間違ってて
それぞれが一人の人間として別々の夢や人生を持つべきだから、
これは通過儀礼みたいなものですね。

草むらで黒いわんこが跳ねるシーン、田舎の半屋外の楽器教室と、そこにいた子猫、
蓮の湖?をボートで行くシーン、河原で流星を待つシーン、おばあちゃんのお店・・・
なんともいいシーンがいっぱいだった。
それと、田舎で、双子に恋する小学生男子がいるんだけど、
この子がもう、小学生男子特有のの可愛いおばかさ満載でいい味でした!

でもなんでこの映画PG12なんだろ?キスシーン???

映画:僕らの世界が交わるまで

2024-10-16 | 映画


母x息子モノはいろいろ身につまされるから見ない、と勧めてくれた友達に言ったものの、
予告編がわりと良いので見てしまったら、全然身につまされなかった。笑

嫌な母親としょーもない息子でどちらにも全く共感も同情もできず、
見ててただイタいし恥ずかしかったおかげで、
息子を育てた母として自分に引きつけてみることもなく、身につまされることもなかった。
でも別の意味で中々モヤモヤはしました。

気持ちがすれ違うというのは、それぞれの思いやりや愛情や善意が
うまく届かないことで起こると思うんだけど、この2人はそもそも人の気持ちが全然わからない上に、
相手に対する関心も敬意も尊重も思いやりもないので、すれ違うという以前の問題。
最後までチャラいおバカなままで心も脳みそも成長しないバカ息子も、
勝手に理想の息子を夢見てよその子供の人生にやたら干渉しようとする母親も、
どっちも家族どころかそもそも関わりあいになりたくないー。

でも映画としては、まあ面白かった。ハートウォーミングに流れない感じは好き。
バカ息子はホントに最後まで中身空っぽのバカ息子にしか見えないし、
ジュリアン・ムーアの他人に鈍感な、何だか心のない人間のような演技もさすがだった。
お互い自立した人間同士のように理解し合う関係を持ちたいのに
ちょっとしたところで子供への支配欲や、愛情を要求する嫌な親の本音が漏れて、
いやぁ、彼女はこういう嫌な役をするのが本当にうまいなぁ。

お父さんの存在感のなさもちょっと面白かったです。

公式サイトのあらすじは、なんのことかさっぱりわからないあらすじ。
DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営する母・エヴリンと、ネットのライブ配信で人気の高校生ジギー。社会奉仕に身を捧げる母親と、自分のフォロワーのことしか頭にないZ世代の息子は、いまやお互いのことが分かり合えない。しかし彼らの日常にちょっとした変化が訪れる。それは、各々ないものねだりの相手に惹かれ、空回りの迷走を続ける"親子そっくり"の姿だった……!

映画:きみの色

2024-10-15 | 映画


そもそもアニメをほぼ見ないし、ワカモノ映画もあまり見ないし、
邦画もさほど見ないの「見ない」の三乗を、
課題映画になったので仕方なく見たのだけど、なんというか心洗われてしまったわ。

この前見た「ブルーピリオド」もそうだったけど優しい人しかいない、
妬みや意地悪というものの存在しない世界。
すごくマイペースな主人公に、合わせるでもなく排除するでもなく
あるがままに受け入れてくれるルームメイトの子たち。
子供や孫の気持ちを結局は第一に考え応援してくれる家族や教師。
イマドキの若者はこんな優しい世界に住んでるのかぁ。。

最近、何十年かぶりに少女時代に好きだった「赤毛のアン」のシリーズを読み直してるんだけど、
この映画主役の子は高三だと思うけど、100年前の12歳のアンくらい素朴で純真でおぼこいです。
そばかすがあって三つ編みで独特なマイペースで素直で真面目で、
少しアンとイメージかぶる気がしました。
アンほど好奇心の塊だったり人懐こかったりはしないけど、負けないくらい素朴で善良。
絵柄もかわいいしとにかく全体にふんわりして、登場人物の悩みさえふんわりしてて、
疲れずに見られる映画でした。音楽も合ってる。(一応褒めてる)
あとヒロインが、美人ではない設定なのに実はめっちゃかわいいという、よくある嘘がなく
本当に、可愛いけど美人ではない、ぽっちゃりとした素朴な子なのもよかった。

「ルックバック」にピンと来なかった友達が、こちらには感動してたのは
創作や表現に取り憑かれた子たちの苦悩を描いた「ルックバック」に対して
こちらはバンドを組んで音楽をするけど、表現への欲求に突き動かされるのではなく
誰かと比べて勝ちたい、もっと上を目指したいという気持ちもなく
楽しいからやってるふわんとした感じで、
クリエイターやアーティストだけが持つキリキリした苦しさがないからでしょうか。
では、クリエイトの苦しさではなく青春の焦りでもなく、この映画は何を描いているのか。
ありのままで許される世界、優しさが優しさで帰ってくる世界、
ガツガツせずに楽しく優しくしていたらうまくいく世界、ある種のファンタジーですかね。
すっかり心洗われて優しい気持ちになるファンタジー(褒めてる)

お話は、
全寮制の女子校に通うトツ子は人の色が見えて、美しい色のキミに憧れている。
あるときキミのバイトする古本屋さんにいた男子高校生ルイと3人でバンドを組むことになり…

映画:アステロイド・シティ

2024-10-13 | 映画


後ろに座っていた年配女性3人組が見終わった後に、
なにこれ、さっぱりわからなかったわー、途中で出ようかと思ったわーなどと話していましたが、
これ宣伝が悪いよねぇ。
夢と愛と驚きの詰まった1950年代アメリカ!みたいなノスタルジーそそるコピー、
全然違うわけじゃないけど、
ウェス・アンダーソンの映画知らない人がその売り文句を信じて見に行ったら、
不幸な出会いになってしまうこともあるでしょう(^_^;)
ウェス・アンダーソンは眠くなるとかわからないとか言われるけど、
別に難しい映画じゃなくて、単に辻褄が合う物語を探そうとしなければいいだけかなと思う。
あの色、デザイン、センス、言葉、俳優、そして独特の間。それだけで完璧だよね。
でも昔はわたしもよくわからなかった。
とっ散らかった登場人物の織りなす世界に一つのわかりやすい物語や回収を求めてしまう
真面目だったからか。笑
作品としては前作のフレンチディスパッチの方が好きだけど、
いつもブレず裏切らないので楽しく見に行けるし、好きですね。
(かといってハートウォーミングなハッピー映画とは思わないし不穏さもあるんだけどね)

1年前の映画のせいか公式サイトが消えてる?ので、YouTubeのトレーラー動画についてたあらすじを
時は1955 年、アメリカ南西部に位置する 砂漠の街、アステロイド・シティ。
隕石が落下してできた巨大なクレーターが最大の観光名所であるこの街に、科学賞の栄誉に輝いた5 人の天才的な子供たちとその家族が招待される。子供たちに母親が亡くなったことを伝えられない父親、マリリン・モンローを彷彿とさせるグラマラスな映画スターのシングルマザー。
それぞれが様々な想いを抱えつつ授賞式は幕を開けるが、祭典の真最中にまさかの宇宙人到来!?この予想もしなかった大事件により人々は大混乱!街は封鎖され、軍は宇宙人の事実を隠蔽しようとし、子供たちは外部へ情報を伝えようと企てる。
果たしてアステロイド・シティと、閉じ込められた人々の運命の行方は──!?

SFかファミリードラマか恋愛ものかとか、そういうくくりではなく
とにかくウェス・アンダーソンの映画、というしかない監督。

映画:至福のレストラン 三つ星トロワグロ

2024-09-29 | 映画


4時間。9:50から14:15ですよ(途中15分休憩あり)、長い…しかもワイズマン監督。
いきなりなんの説明もなく始まり、そのまま説明ゼロで延々静かに長回しで撮るのは
前に見た、やはり3時間以上ある「ニューヨーク公共図書館」と同じだけど、
そっちは人々の活動などの語りが結構多くてわかりやすかったのに対し、
こちらはそういう部分がもっと少なくて、前情報や予備知識なしに見たら
最後の方まで誰が誰でどういう家族関係かもよくわからないと思う(^_^;)

観客はだいぶ年配の普段映画を見ない感じのご婦人2人組、3人組とかが多くて、
こんな大変な映画をなぜ?
楽しいレストラン映画なら「美食家ダリのレストラン」とかの方がいいですよ、と
心の中で思う。トロワグロのファンなのか??

ミシュラン三ツ星レストラン、トロワグロの舞台裏とか、四代にわたる家族の物語とかを
うっかり期待したけど(だってトロワグロの全貌に迫るとか、虜にする秘密とか書かれてたんだもん)
ワイズマン監督なので、そういう映画ではなかった。
なんだか取り留めない感じながら、いろんな要素がありました。
厨房の様子をじっくり撮る以外に、
牛、山羊、ワイン、チーズなどそれぞれの農家を訪ねるパートでは
自然の土壌についてや科学的理論がじっくり語られて、前に神戸であった
フランス人アーティストによるアートと自然派ワインのイベントで聞いた話を思い出しました。
自然派は繋がってるね。
昔見た「ノーマ、世界を変える料理」みたいな強い個性のとても新しい革新的な料理
(nomaも三ツ星)とは少し違う料理だけど、これくらいのレストランになるとどこも、
日々新しいことも古いこともどんどん更新していくのは同じやね。
わたしの台所でも毎日同じ小さな探求と実験は繰り返されてるけど、
別の次元の最先端の料理もたまには食べたいものだな。笑

この映画の後はいいフレンチを食べたくなるかと思ったら、全然そんな感じじゃなかった。
監督は料理そのものに興味があるわけじゃないんだろうな。
個別のシーンを丁寧に正確に淡々と映しながら監督の視線はどこかメタなのだと思う。
映画撮りながら「美味しそう〜」とか全然思ってなさそう。
わたしなら、美味しそうすぎて映画撮れないだろうな〜

そういえば、味見の時に使ったスプーンを、洗わずにそのまま使ってまた味見するのを見て
こんなすごい店でもそれするのか!とちょっとびっくりしたけど
別に嫌な気持ちにはならなかった。まあ、するよね。笑

あ、このフレデリック・ワイズマン監督ですが、この方、今94歳とか、そういうお年。
この映画撮ってた時は92歳くらいなのかな、なんにしろすごい。