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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:フィリピンパブ嬢の社会学

2024-06-12 | 映画


実話が元になってるそうで、多分原作の本は面白い気がするけど、映画は…
主人公の大学院生があまりにぼーっとしてて世間知らずで考えが浅くて
中学生の自由研究レベルの調査力で、一体どんな卒論ができるのか心配になるし、
心が自由で偏見がないのはいいけど、無知や鈍さも悪では、と思ってしまう。
ラストへの流れも、いや普通に考えてそれでいいんじゃない?と思うことに大騒ぎして不自然だし、
なんだかなぁ(^_^;)
(テレビを持ってないので知らなかったけど主人公はお笑いの人?)

お話は、
フィリピンパブを大学の研究対象にしていた日本の大学院生・中島翔太(前田航基)は、パブで偶然出会ったフィリピン人女性のミカ(一宮レイゼル)に詰め寄られ、お付き合いを始めることになります。しかし、彼女は偽装結婚をしていることが後になって判明します。 月給6万円、ゴキブリ部屋に監視付、休みは月に2回だけといった彼女の過酷な生活環境を目のあたりにする翔太。一方、強く逞しいミカは現状にめげることなく働き続け、故郷・フィリピンで暮らす両親の元に翔太を連れていきます。いつしか彼女を大切に想う気持ちが強まっていく翔太は、ミカに懇願されてヤクザの元に乗り込むことに―(公式サイトより)

なんか主人公の男子にあまり悩みや迷いを感じられないのがどうにも落ち着かなかったかな。
彼女を好きになっていく気持ちの動きとかあまりわかんないし
その後の展開でも、言われてやってることなのか、自分の気持ちはどうなのか
主体性がわかりにくい男子なのよね。
自分の将来への不安、彼女への気持ちの不安、人からぶつけられる偏見や差別への怒りや不安、
研究への情熱や思い、などなど全然描かれてなくてただ呑気なだけの男子に見えちゃう。
たまに、あ、優しいやんって思うところもあるしラストはきれいにまとまってたけど
彼女のキャラはわかりやすく書かれてるけど主人公の気持ちがもっとわかりたかった。

そういえば昔、結婚してた時に元夫の父(元義父)が、フィリピンパブはええぞ、
男の天国やぞと言って、元夫の弟と笑い合ってたのを思い出した・・・うーむ。

映画:帰ってきたあぶない刑事

2024-06-06 | 映画


もうひと月も体調不良が続いてて、映画もあまり見られず禁断症状が出てきたので、
頭を使わず心を動かされずどこも疲れずテレビを流し見るように見られる映画はないかと思ったら、
まさにこれがうってつけであった!笑
映画でこんなに雑なやつ久しぶりに見たわー。
テレビがないので最近のテレビドラマのレベルがわからないけど、
この映画がテレビドラマレベルなら、まあやっぱりテレビはいらんなと思うレベル。

わたしは世代的にノスタルジーも楽しく味わったからいいんだけど、
これ若い子が見ても面白いんだろうか?

粗にして雑な脚本、満載のツッコミどころ、主人公二人のキャラは
昔から既に完成されてるからいいんだけど(二人よく頑張ってる)、
一途なだけで考えなしの行動しかしないヒロインの造形や背景も雑と言う以前に何もない感じ。
無理矢理な設定、最初から最後までわかりやすすぎる悪事、どこにも全くない伏線。

特に残念なのが悪役。タネも仕掛けも陰謀と呼べるものもなく
ただの悪い奴、政治家や警察上層部とのパイプが凄くて手出しできないという設定だけど大物感ゼロ。
後ろで手を組んで歩いてくるのがもう、貫禄が出ずひょこひょこ、なよなよで笑っちゃった。
そしてずーっと俯きながら上目がちに睨んですごんでるつもりの演技がワンパターンなだけで
異常さも冷酷さも感じられない。
なにはともあれ、脚本があほらしすぎて脱力しかない。

でもね、わたしはこの日は心身ともに疲れていて、そういうのを求めてたので、
まーったく頭を使わずハラハラもドキドキもせず、年をとった主役二人を微笑ましく見て、
なんか少し疲れが取れた気がする。笑
とはいえ、今年これよりダメな映画はない気はしてます。(褒めてるのか貶してるのか?

映画:水俣曼荼羅

2024-06-02 | 映画
「苦海浄土」で水俣の問題に触れ、興味を持ってはいたけど
6時間以上のドキュメンタリーには尻込みして、上映している時には見ることができなかった。
でも本を読み終わった今なら見れる!と思ってDVDを買いました。
一緒に読書会で読んだ友達二人と一緒に、うちで上映会をした。
うちにはテレビはないんだけど、プロジェクターとスクリーンはあるのである。
(ちなみに色々調べてみたけどごく親しい身内や友達と自宅など非営利な集まりで
DVDを見ることは著作権上問題にはならないようでした)
さすがに6時間半は見れなくて、3時間くらいで一旦お開きにしたけど
そのあとひとりで残りも見ました。

原監督のオーディオコメンタリー付きでみたけど、監督よくおしゃべりされる。笑
3枚組の、1、2は映画の内容より撮り方作り方に関しての話が多かったけど、
3では水俣の人により寄り添っていて、時に登場人物につられて泣いちゃうシーンがある。
患者さんの恋愛の話を聞いてる時や、酔った支援者の人が感覚障害で
男女のことも感じなくなったと直接的な言葉を使って嘆いたために排除されたところ。
支援者の中でそんなことも起こるんですねと言いながら、もらい泣きする監督はいい人だなぁ。
しかし被害者も支援者も一枚岩ではないし、人間って難しいよなぁと思った。

天皇が訪ねてきた時に、患者のリーダーの一人が、天皇陛下にはオーラがある、
先祖に連なるものに触れた気がしたというようなことを言うシーンでは、
これはちょっとまた大きな問題を含む考え方だなぁと原監督が言ってて、ふむふむ、そうよね。
難しいところです。

あと、3には石牟礼道子さんも少し出てくる。
怒りと許しについての石牟礼さんのインタビューのシーンはすごく考え込んでしまった。
許さないことで苦しいのは何より自分自身なのだ、
「どうしても許せんということが人間の世界にあってよいものじゃろうか?
人を憎めば苦しかろう、そしたら許せば苦しゅうなかごんなるよ、と」
煩悩をどうすればいいかと。
石牟礼さん自身はもちろん水俣病の人々に窒素を許せ、巨悪を許せ、国を許せとは言いません。
誰よりも患者たちに寄り添って患者たちの声を紡ぎ直し、またその運動に関わり
「怨」の幟を作った人ですから。
でも、許すとラクになるというのもまた否定できないと。
運動を続けることに対しての深い問題提起だと監督は言う。
でも許すのはきちんとした謝罪の後でいいとやっぱりわたしは思う。
反省も謝罪も補償もしようとしない相手を許すのはいいことなのかどうか。
許して忘れてしまえば自分は楽になれるのか、そしてそれでいいのかどうか…

これね、わたしがあまり人や物事に怒れないのも本当にそれで、楽な方を選んでるのよね。
怒るエネルギーを捻り出すことから逃げてる。
許せないまま、怒るのもやめて逃げてるのよねぇ。
許せるのなら、許すということが逃げになってもいいとは思うけど、
許せないことを責めるのもいけないよね。

原監督インタビューより、
相手を怒らせるというテクニックについて
「単純に怖いし、撮っていて萎縮しますから。だから、テクニックとして相手を怒らせて撮ることはしたくないけど、それでもね、怒っている人を撮るときってあるんですよ。劇映画にくらべて3倍おもしろくなければ、ドキュメンタリーは観てもらえないと、わたしはね、経験上、思っているんですよ。だから、強い場面や激しい場面が、どうしても、ドキュメンタリーには必要だと思ってきた。」

監督は人間の感情を撮ってきたわけですしと言われて
「だけど、今回の映画では、微妙にその「強さ」という言葉の意味がね、何というか‥‥激しく怒る、激しく泣くってことじゃなく、静かで、ちっちゃくて、かすかなんだけど、「強い感情」を描くことが、やっと、できたのかなあ‥‥と思うんです。」

映画:それでもわたしは生きていく

2024-05-29 | 映画


「アデル、ブルーは熱い色」を思い出す青いポスターに思い切り短い髪のレア・セドゥ。
いやぁ、肌がねぇ、顔も体も光り輝くような肌が本当にきれいで、目が離せなかった。
モデルさんのようなスリムな体型ではないんだけど、
肉感的というののほんの少し手前くらいの体の存在感が
リアルな生身の女をばんばんと見せつけていた。
Tシャツとパンツというのがもっさりして似合わない豊満さというか、豊かな体だけど、
プリントのワンピースを着るとハッと目を引きます。そんな感じの女優よね。

お話は、ヒロインは、夫を亡くしたあと通訳の仕事をしながら8歳の娘を育てている。
施設にいる父は認知症になり娘のこともわからなくなっていくので
教養のある教師だった父を愛していた彼女にはそれがつらい。
そんな日々の中、再開した旧友と恋に落ち付き合うようになるけど…
という話だけど特に大きなことが起こるわけでもない、家族ムービー的な地味な話で
淡々と季節が変わるんだけどとてもいいです。
2022年に見た「ベルイマン島にて」や大好きな「未来よこんにちは」の監督。さもありなん。

介護と恋愛の話、みたいに書かれてるのを見たけどそういうかっちりしたテーマでもなく、
それらも含めて、いいことも悪いことも、嬉しいことも悲しいこともある
ひとりの人の人生をわりと散漫に描いてる(褒めてる)映画だと思います。
これぞフランス映画だなぁと思うし、こういうフランス映画好きです。

でも文化的な違いなのか、
ママのベッドに目を覚ました娘が潜り込んだらママの向こうに彼もいるというシーン、
ベッドにいるママの恋人に小さい子どもがにっこりするシーンにはポジティブというか、
少しびっくりしました。昭和の言葉で言うと大変に発展的で、フランスはまだ遠いなーと。笑
しかも彼氏は既婚者なのにそれでも子供にオープンでいいのかとそこも驚いた(^_^;)、
すぐに自分のモラルと感覚をチューニングし直しました。
大丈夫、わたしはまだフランス人です(?)

映像も自然でリアルな美しさがあって、エリック・ロメールを引き合いに出されてるけど
それもよくわかります。日差し、風に揺れる木漏れ日、公園の緑。35mmフィルム。


>「ロメールとのもう1つのつながりは、ミアもまた、人生のリアルで記録的な側面を好むということ。劇中でクレマンがサンドラに自分の仕事を説明するけど、これもロメールの映画にありそうなシーンだ。物語の中に突然、小さなドキュメンタリー的な瞬間が現れる。そして彼女の映画では登場人物たちの旅路には省略もトリックもない。道を一歩ずつ進んでいく、現実というものに対する忠誠心もロメール的に思える。」
(クレマン役のメルヴィル・プポー)


>「一方、言葉はよりベルイマン的だね。ロメールよりも心理的で、より苦悩が深い。」
(パパ役のパスカル・グレゴリー)


映画:風よ あらしよ

2024-05-24 | 映画


前に伊藤野枝の評伝のかなり独特で熱くて濃い本「村に火をつけ、白痴になれ」を読んで以来、
わたしの中の伊藤野枝は異常にプリミティブな生き物だったので、
最初はこの吉高由里子の野枝に違和感だらけだったのだけど(声が子供っぽいのよねぇ)
途中くらいからすっかり馴染んでしまった。
いやそれ以上に良かったです。吉高由里子がいいのかキャスティングの妙なのかわかんないけど。

これって元はテレビドラマだったのかな?そんな雰囲気はあったけど、十分面白く見ました。
彼女の夫やパートナーたちとのドロドロ?恋愛ドラマのあたりは映画の方がわかりやすいけど
(恩師であり最初に暮らした夫、辻潤はここではずいぶんわかりやすいモラハラダメ男に描かれてる)
大杉栄と一緒になって子供をどんどん産みながら書きまくった日々は上記の本の方がよくわかるかな。
映画は貧乏と言いながら家も着物もすっきりしすぎてる気はしたけど
見てて面白いので気にならなかった。

この映画を見た前夜に読んでいた本が、林真理子が浅丘ルリ子のことを書いた本「RURIKO」で、
満州で4歳のルリ子に魅了された甘粕正彦が最初の方に少し出てきていました。
関東大震災の直後、流言飛語が飛び交い、朝鮮人が暴動したとか毒を流したとかのデマで
自警団が人々をいちいち捕まえて朝鮮人認定しては殴り殺すということをしていた時に、
甘粕は朝鮮人を先導しているのは活動家たちだと決めつけ
大杉栄と伊藤野枝と一緒にいた大杉の甥の6歳児まで虐殺したのですが、
「RURIKO」もそこに触れてあって、でもその後満州でそれなりの大物になったことが書かれていて
久しぶりに甘粕にムカムカしていたところだったのに
映画でまたそのシーンを改めて見て、より生々しく感じ、ムカムカ再燃。
この事件に関してはどの本でいつ読んでもムカムカする。軍国主義の鬼畜め。
甘粕は敗戦後すぐに青酸カリで自殺をしたそうだけど、
自分の過ちや悪を全く反省もせずに悲劇のヒーローとして死んだのだろうと思うと
それもまた許せないことの一つです。
ずーっと生きてちゃんと裁かれ、不名誉の中で自分の愚かさ醜さに向き合って欲しかった。
(これは安倍晋三元首相にも同じことを思います。暗殺などされずに生きて
自分の差別主義や傲慢さや経済政策の失敗に直面して反省して生きて欲しかった)

あと、吉高由里子の野枝の着物の着方が好きだわ。
木綿の着物を普段着というより日常着、作業着という感じに無造作にモコモコと着てて、
半幅帯を雑に締めてる感じが良かった。
でもその木綿の着物がいつもきれいに洗ってある清潔な雰囲気で、生地も案外良さそうで、
超貧乏だった事実とは違うだろうけど、なんともいい雰囲気。
わたしもこんな感じに着物を着てみたいなぁ。

映画:メイド・イン・バングラデシュ/燃え上がる女性記者たち

2024-05-19 | 映画


会社に搾取されている女性が労働組合を作ろうと奔走する話ですが、
男たちが腐ってるし組織も役所も腐ってて、つらい気持ちになりながらも
絶対挫けない女性の強さに感銘を受けます。
自分にはない強さだなぁと思うと、自分が恥ずかしくもなる。

この映画の中の状況は経済的に労使問題的に人権的にとにかく悲惨なんだけど、
歯向かっていきなり殺されたりする世界観ではないので、疲れすぎずに見られました。
でも、社会も、役所も家庭も、何もかもが彼女らの敵か、
妨害をする敵でなくても批判的で非協力的だったり、事なかれ主義で非協力的だったり、
同じ労働者であっても臆病だったり諦めていたりで、味方がとても少ない中、
ヒロインの諦めなさが、ただただ眩しい。
思うところはたくさんあって、この一見優しい夫はこの後理解を深めてくれるのかとか、
おそらくまだ大人というには若すぎる従姉妹の子のこれからはとか、
そもそもヒロインはこのあとどうなるのかとか、
どんよりした気分になってもしかたないくらい問題はあるのに、
同時に希望を感じてしまうのは外野のの観客としてのお気楽な傲慢さなのか。
わたしよりずっと大変なこのヒロインに勝手に少し元気をもらってもいいですかね…

ずっと前に、ルワンダのジェノサイド時にレイプで生まれた子供と母親の写真展があって、
とても美しい写真ながらすごい衝撃を受けてたんだけど、
その写真集に坂本龍一が「こんなヘビーな本なのに、不思議に心がゆったりした。
きっと子供たちの目が、めちゃくちゃ美しくて、それに救われたんだと思う」って書いてたのを、
安全なところから勝手に救われてんじゃないよ!と腹が立ったのを思い出してしまうのです。
他人の不幸や悲劇の消費、ですよねぇ、それ。
それ以来、離れた安全な世界から勝手に癒されたり救われたり希望を感じたりすることの
傲慢さを忘れないようにしようと思ってるんだけど、
この映画はやっぱり元気をもらっていい作品かなとも思う。
あと予告編でも見られますが、貧しくても女性たちの纏う服の色が鮮やかでとてもきれい。
映画の中身に関係ないけど、わたしももっとカラフルな吹き雨が着たくなりました。

このあと今度はドキュメンタリーの「燃え上がる女性記者たち」という映画を見たけど
こちらも素晴らしい素晴らしいドキュメンタリーだった。
インドの最下層カーストの女性だけで運営される新聞社が、
IT化でスマホを導入し配信し始めた頃からの5年ほどの記録。

環境に負けない、状況に立ち向かう女性たちだけど、
理解のない夫に給料を奪われて殴られる女性記者もいれば、
家事をまずやるべきだと苦情を言う夫(でもここでは多分ものすごく特別優しいくらいの人)に
はっきりキッパリ強くいい返す記者もいる。
この映画はIT化で大きく世界に発信できるようになった転機を描いているけど、
この新聞社の最初の、そもそもの立ち上げの時の記録もあれば見たいものだなぁと思う。
きっとここに描かれてないもっとたくさんのすさまじい苦労があっただろう。
カーストの話で、ある老人が言う「階層というものは自分に言わせると二つだけだ、獣か人間か」という言葉や
勇気はどこから来ると聞かれて「自分の心よ、それしかない」と答える女性記者の言葉が心に残りました。
あと宗教原理主義者はどんな宗教でも怖い。
(ヒンドゥー原理主義者を操る政党が選挙で大勝する様子が描かれていた)

この日本の映画は続けてみると、あとでなんとなく話が混じってしまうけど
それでもいいからどちらも見てほしい映画です。

映画:ニューヨーク・オールド・アパートメント

2024-05-14 | 映画


日本版の予告見て、差別と貧しさの中でも頑張って生きていく移民の
家族愛や青春や恋を描いたハートウォーミング系の映画と思ったけど全然違うやん!
と思って今アメリカ版?トレーラーを見たら、
もっとこの映画のエッセンスのわかる編集になってて、
いつもながらに日本の広告宣伝って…(^_^;)
日本版はそもそもの雰囲気というあトーンが違って別の映画みたいな編集です。
一筋の愛って、この映画に出てくるのはそんなふんわりしたものじゃないのにな。
この映画に近いのはこっちの方でした↓


タイトルだって、なんかいい感じのレトロな古いアパートを想像するじゃないですか?
そこで芽生える初恋は美しいアメリカ人女性への憧れで…って話では、全然なかった!
そんな甘さのない状況の、家族の話なのにね。
たとえば、途中で傷んで虫の湧いた肉の出てくるシーンがあるんです。
そこで母親が突然倒れて意識不明になっちゃうんだけど、
それを介抱しながら子供たちが言うのが
「生肉を積んだ船に隠れてアメリカにきたんだ」みたいなことで
移民の過酷さを垣間見せてたりします。
ちなみに原題は「The Saint Of The Inpossible」不可能の聖人、
これは映画の中で出てくる、双子が毎日祈るセント・リタのことですね。
主題歌もこれ。

そういうかなり悲惨な状況に、やはり悲惨な子が関わって、
ラストもその悲惨さは変わらないというかむしろよりつらい感じなのに、
主役の双子兄弟がなんか良くて絶望的な気分にはなりません。
絶対引き裂かれない双子って安心感が全然違うなー。
これ一人っ子や年が離れて状況の違う兄弟だと,こんな安心感はないだろうな。

この双子は実際の双子らしいけど、なんか若い時のキムタクのような魅力がある。
そしてお母さん役の女優さん、今ググって知った!ええ!
この人「悲しみのミルク」の主役のあの女の子なの!!!
15年くらいで、きれいなのは変わりないけど、すっかり肝っ玉かあさんに…
そして、若く繊細で儚かったあの声も、今やペルーのお母さんの声で全然わからなかった。

映画:パストライブス

2024-05-02 | 映画


この映画、平日のシネコンのレイトショーで見たんだけど、なんと完全に一人で貸切だった!初めてかも!
しかし、うーん…
お話は、幼なじみで大好き同士の二人が、一方が外国へ移住することで遠く離れてしまい
その後SNSで繋がるけど実際に会うことはなく別々の人生に。
その二人にやっと会う機会が訪れて・・・というもの。

シンプルな話ながらわたしの周りの見た人見た人がみな熱く褒めるし
有名人のコメントも驚きと感動の気持ちがこもってるし、
この映画の良さがわからないのはわたしの目が曇ってるのか心が鈍ってるのか…?
予告編見たときから微妙だなと思いつつも本編をじっくり見たらきっと熱く褒めたくなるはず!
と期待して見たけど、やっぱりそうでもなかったのでした。
いや、嫌いではないです。丁寧に作られた良い映画だと思う。
でもわたしには特に何も訴えてこなかった。好みの問題ですかね?
運命や縁があるのにすれ違う二人、という話は古来、「人魚姫」などから去年の「別れる決心」まで
それはたくさんあるけど、わたし大体好きなんですよ、でも今回は乗れなかったのよね。

男女の恋愛ではないけど「ソウルメイト」で描かれたほどの魂レベルの繋がりを、
この映画の二人には感じられなかったからかもしれない。
子供時代や若い頃のエピソードや伏線がもう少し欲しかった。
ヘソンの人物造形が薄いのと、ふたりの特別なエピソードがあまりなくて、
二人だけの小さい秘密とか特別な共通の思い出とか共通の夢とか何かあるとよかったのに
普通に公園で遊んだくらいだったからなぁ。
ヒロインは勝ち気で前向きで元気な素敵な女性だけど、思いやりとか優しさをあまり感じないし、
へソンがそばにいるときだけは好きになるけど、離れてるとすっかり忘れて恋愛して結婚したりで、
個人的好みとしては運命とかイニョンとか言うには「一途」が足りない気が。笑

映画見すぎて、すぐ映画的にリアル以上を求めてしまうけど、まあ普通はそういうものよね、と思うと、
その普通さこそがリアルで、こういう思い出への共感を呼ぶのかもしれません。
そういう平凡なひとたちの話を丁寧に描く感じの映画が好きなはずなんだけど、
ここではなぜかわたしには裏目に出ました。

ただ、アーサーはよかったな。「ファーストカウ」のクッキー役だった俳優さんだけど、
世界で一番優しい顔のロビン・ウィリアムズを継ぐのは彼かもしれない。

ヒロインの夫役のこのアーサーだけが迷いのある人物で、彼は妻の心の行方が少し不安で、
でも受け入れるべきと思いつつ、密かに小さな苦悩の種を抱えてる。
今書きながらわかった。わたしは人の弱さや迷いを見たいのだなと思います。
二人の心にやましさや弱さ、迷いを感じなかったせいかもしれません。
ヒロインが心の中だけでも少し迷いや揺れがあると面白かったかなぁ。
あるいは弱さや迷いを吹き飛ばすような情熱を。
あるいは前述の「ソウルメイト」のような、別の次元の結びつきを。

前世や輪廻という概念が、欧米人にはエキゾチックで新鮮で、興味深く見られたのだろう、
という評も見たけど、確かにそうかもね。東洋的神秘がちょっとロマンチックだったのかも。
というには淡い二人の関係は、悪くない感じで爽やかだったけど。

輪廻してもまた何度でも巡り会うというような話でいつも思い出すのは萩尾望都の短編「酔夢」。
黒曜石の瞳の少女がいつも夢に見る青年。
何度も生まれ変わっては出会い惹かれ合うのだけど恋が叶う前にいつもどちらかが死んでしまい、
またそれを何度生まれ変わっても繰り返し続けるというような話でした。
あらすじだけではわからないなぁ。なんとも美しく悲しいお話なんだけど、
少女だったわたしは黒曜石とはどんな石だろうと想像したものです。
そしてはるか長い年月を叶わないまま焦がれて、それを繰り返し生きる恋の切なさ、
いつも始まりさえせずに終わってしまう永遠に序章だけのロマンス、
それでも相手を思い続けながら何度でも生まれ変わり出会うその時間の長さ思いの深さに
圧倒されたものでした。
もちろん「睡夢」はあまりに非日常な話で、現実的な「パストライブス」とは比較できないけど
黒曜石の少女を思い出すと、「パストライブス」はなんとも薄く軽いものに思えちゃうのよね。

映画:プリシラ

2024-04-28 | 映画


プレスリーの伝記映画はバズ・ラーマンが監督したのを数年前に見たけど
エンド・ロールのノリノリキラキラ具合がさすがバズ・ラーマン!さすがプレスリー!と思った。
この監督とプレスリーという題材が合ってて、楽しく作っただろうなと思った。

一方この「プリシラ」も題材がプレスリー夫婦なので、
部屋や生活は派手で彩度の高いどぎつさもあって、
ソフィア・コッポラの世界ではあっても、ソフトなふんわりさ満載ではない。
プレスリーという存在がソフィア・コッポラとぴったりって感じには決してならないのよね。
でも映画に常に漂う孤独感は、子どものように小さく華奢なヒロインのよるべなさに拍車をかけて、
その彼女を主人公にした映画となると、やはりソフィア・コッポラの本領発揮である。

その反面、プレスリーという人物に関しては前半、既にスターの彼が素敵なのはわかるけど
後半になると、どこがいいのかさっぱりわからない男になってくる。
スターの孤独ってよく映画になるしかわいそうにも思うけど
プリシラ視点で見ると要はモラハラDV男でしかない。
(今の価値観で見るからそう見えるだけかな?)
説明的なことは言わず言葉を飲み込んで黙ってることが多いプリシラの孤独は
見ている側にはなんだか染み入るように想像できるけど
プレスリーにはそういうのがない。彼の内面はあまり描かれてないというか
なんか実体のない、心のない脇役のように見える。
彼がなんでプリシラに惹かれたのかも、結局よくわかんなかったな。
若くてかわいくて無垢で従順な子供だったから?

ソフィア・コッポラならではの色彩世界で、
ファッションは見ててすごく楽しいしプリシラ役の女優さんは超かわいいけど
とにかく、とにかく、小さいんです。
今ググったら155センチ。わたしくらいだ。笑
そしてプレスリー役のジェイコブ・エロルディは196センチ!でかっ!
実際のプレスリーは182センチで十分大きいけど、実際のプリシラは163センチだから、
この映画の中のふたりの大きさの差はリアルではないですね。
(実際は19センチ差で映画ではなんと41センチ差!)
この実際よりはるかに大きな身長差がプリシラを余計小さく頼りなく見せるのは
ソフィア・コッポラの計算のうちだったのかな。
その小さなプリシラが大きな家の中でひとりぼっちで小さな白い犬を抱いて
やることもなくぽつんとソファに座っているシーンが印象的だった。

この映画を見た数日後にたまたま読んだ吉本ばななの小説に
とても小さい女性と長身でがっしりした男性の出会いの短編があって、
そこには具体的な数字はないけど、とにかくその小ささに男性が恋してしまうのです。
(短編集「ミトンとふびん」の中の「SINSIN AND THE MOUSE」)
子供の頃に彼の孤独を救ってくれた、絵本の中の小ネズミを思い出して
小さい生き物への憧憬や愛情が溢れて、小ネズミのような小さい女性に恋してしまう。
バーのスツールに腰掛けると、彼は大きくてはみ出し、彼女は小さくて足がぶらぶらと浮くふたり。
その短編を読んでいる時に「プリシラ」を思い出したのでした。
映画一本の中にはたくさんの要素があるし、ソフィア・コッポラのことや
プレスリーのちょっと歪な家庭環境や家族関係など語りたいことは他にもあるのに
この映画でわたしが最後まで覚えてるのはこの二人の不思議な身長差のことだろうな。

あ、あと音楽の使い方もいちいちソフィア・コッポラ風味がかかっててオシャレでした。

映画:あまろっく

2024-04-27 | 映画


この映画の前に「レディ加賀」というご当地映画を見たけど、
尼崎と比べたらかわいそうだなぁとしみじみ思った。
土地柄は置いとくとしても、映画のでき自体ずいぶん違うし俳優のレベルも違う。
「あまろっく」の江口のりこ素晴らしい、あの不機嫌、あの無愛想、あの感じ悪さ、
どれもあまりにリアルで最高。
中条あやみも想像してた健気で優しくかわいいだけの役なんかではなく、
かなり図太く負けないキャラを、あのかわいさそのままで演じててそれが案外良い。
鶴瓶はもう何に出ても強烈に鶴瓶だし、ベタな話だけど俳優たちが映画をだいぶ良くしてます。
脚本は後半ヒロインが、進むかとどまるか悩むとこらへんでは突っ込みたいところが増えてくるけど、
ラストで許した。そうよね、そういう解決があったね。いい男やん。うん。

物語は、いい加減な父親のようになりたくないと真面目に勉強し、真面目に仕事してきたのに
真面目すぎて融通がきかず協調性がなくリストラにあって実家に戻ってくる主人公。
相変わらずな父親に笑顔で迎えられ、やる気もなくダラダラ過ごしていると
65歳の父が20歳の女子と再婚すると言いだし、3人の生活が始まる。
自分より19歳下の義理の母親は家族団欒に憧れていて
母として仲良く楽しい家族を作ろうとするのだけど・・・という話。

結婚した相手の家族を、家族になったから仲良く!と強制するようなことが、わたしは
ほとんどアレルギー的に大嫌いなので、本来こういう映画には相容れないはずなんだけど、
江口のりこの素晴らしい不機嫌演技が色々和らげてくれた気がする。
鶴瓶のちゃらんぽらん演技と、中条あやみのかわいさもあいまって。

あと、年の差婚について、昔の映画で「ハロルドとモード」というのがあって、
19歳の男の子と79歳の女性の話なんだけどそれにずっと納得がいかなかったのよね。
19歳の子が、豊かで自由で聡明な大人の79歳に恋に落ちるのはわかるけど、
79歳がお子ちゃまを相手にする理由がわからん、とずっと思ってたので、
この映画で還暦すぎたおっさんが二十歳と結婚とか、うへー!
そりゃ中条あやみはかわいいけど、若くてかわいいからって何それ?って気持ちで見始めたのに、
見てる内にわりとどうでも良くなってしまった。笑
まともに人生経験積んできた大人が、10代20代の子供を好きになったりするなんて
理解できないはずだったのに、経験も知識も深みもなくても、優しさとかわいさ(人柄のね)と
一途さがあれば、好きになることもあるかもねぇと、かなりやさしい気持ちで思うことになった。
人の魅力の物差しは多様だからな、と。
なんか、そういう大らかないいかげんさと優しさがある映画でした。

そういえば江口のりこの子供時代の子が、江口のりこによく似てて笑った。いい子役がいたなぁ。
尼崎の風景もよかったです。コテコテでもわざとらしくもない自然な尼崎だった。
そして30代くらいまでのわたしは、ベタでくだらない凡庸な映画だと思って
さほど褒めなかったかもしれねいけど、こういう良さもわかるくらい年をとっていてよかった。

映画:オッペンハイマー

2024-04-22 | 映画


最近見た「DUNE」も音が効果的で迫力があって怖かったけど
「オッペンハイマー」も音!音が怖い!怖いですが、それこそが映画体験なので
音のいい映画館で、こわっ!と思いながら見るのがいいと思う。

映画は、良心と信条や愛国心とかの葛藤を描いてるんかな?と思って見たら、
倫理的な葛藤はあるにはあるけど、それ以上に男たちの政治を描いだ映画だった。
そういう映画が好きな人にはたまらないだろうなぁ。
俳優たちはとても豪華ね。男性陣も豪華な実力派オスカー俳優だらけな感じだけど、
女優ではフローレンス・ピューが凄い印象残してて、
「DUNE」にも出てたし、今まさに脂が乗ってる女優さんですね。

原子爆弾を作ったチームのリーダーがオッペンハイマー。
見る前は、コミュニケーションの苦手なタイプの内向的な天才を予想してたけど全然違った。
人に対して結構失礼で、相手の気持ちを思いやると言うようなことがあまりない。
空気を読まない男ですね。
でもだからこそ、何かをぐいぐい推進したい時には有能で、
優秀なチームを作り、原子爆弾開発のための街を丸ごと作って(酒場もある!)
原爆開発を進め、そしてとうとう完成させます。
それまでにプライベートでは恋愛や結婚などがあり、
偏った天才というのは何か魅力があってモテるのよねぇと改めて思う。
(個人的にも偏った天才に非常に弱いわたし…笑)
そこまでが前半の話。

後半は、原爆が落とされ戦争は終わり、その後原爆による被害の深刻さに対して
良心の呵責に悩み苦しむ日々・・・という話ではなく、
(もちろん良心の問題もあるけど、それは他の人生のさまざまな苦悩の中の一つって感じ)
戦後、ちょっとしたことで人の恨みをかって赤狩りの標的にされてしまい
それを明らかにするための聴聞会で悪意ある取り調べを受けることになる話と、
オッペンハイマーを追い詰めたその人物の権力への執着と敗北に至る裁判の話とかです。

登場人物が多くて、映画の中で誰々がどうしたとかいう会話が出るたびに、
誰だっけ?聞き覚えあるけど、誰だっけ???と思ってたし、
みんなこの映画を難しいと言うけど、原爆開発の話と、その後の政治的な話を分けて考えると
ざっくりとはわかると思う。分けて考えると言ってもそれぞれの話は無関係ではないけど。
クリストファー・ノーランの映画の中ではすごくわかりやすい方だと思います。

複雑な話などで人物造形も多面的に描かれているものでも、わたしは頭の中でなんとなく
人を「いいもん」と「わるもん」(あるいは赤組白組?)にぼんやりと分類しながら
人間関係と物語を整理する癖があるんだけど、
(単純な分類ができないものがあっても俯瞰するとどっちになるかと考えるし、
あるいはこの場面に限ってはどっちになるか暫定的にでもとりあえず分類してしまう)
この映画の中では、主人公のオッペンハイマーも
後半では主人公なみに重要な役のロバート・ダウニー・Jrも、中々分類できませんでしたね。
類型化をとことん避けて、じっくりと描かれているということでしょうか。

そういえばアインシュタインが少し出てくるけど、ここでははトム・コンティが演じてて、
アインシュタインと藤田嗣治は、どんなに似てない俳優が演じても
ちゃんと似るしよくわかる人物のツートップだなぁと改めて思った。

オッペンハイマーという人物の複雑さ、その真面目さも冷たさ傲慢さも、彼なりの倫理も
とても興味深く、むしろ好感を持つ部分も多いのだけど(偏った天才に弱いからね笑)
彼が自分の行状だったかを非難された時に「才能が補ってくれるさ」みたいに言うところで
最近読んだ「オープンシティ」という本に同じようなやりとりがあったのを思い出した。
ナチスを支援した詩人のポール・クローデルのことを
「時間がポール・クローデルを赦すだろう、優れた筆に免じて赦すだろう」と述べた人のくだり。
著者はその考えに対しては嫌な気持ちを持っている。
才能は罪を消してしまうのだろうか?そうだとしたらそれはどれくらいの才能でどこまでの罪だろうか?
ポール・クローデルとは逆に、反ナチスとして原爆を開発したオッペンハイマーの
罪のことを、わたしもまた考えました。

映画:ブルックリンでオペラを

2024-04-16 | 映画


すごく良い映画なのにタイトルのせいで見逃す人がいるかもしれないので、
ここは日本の駄邦題問題から話さねばならん!
駄邦題史のトップを争うと思ってる「50歳の恋愛白書」(良い映画なのに、
原題「ピッパ・リーの個人的生活」がなぜこうなる?)の監督と聞いては
見ないわけにいかなかったこの映画。今回の原題は「She came to me」で
映画を見るとピッタリのタイトルなのでこれをいい邦題にいじって欲しかったけど、
なぜウディ・アレン映画の安物みたいな邦題にするかね…

さて映画だけど、前半の主役のようにも見えるアン・ハサウェイが
プロデューサーとキャスティングにも入ってるんだけど、良い結果になってると思う。
アン・ハサウェイの人形のような美しさと隙のないファッションは見て楽しく、
彼女の潔癖症と掃除好きのエピソードなど、彼女のどこかストイックなキャラクターを
ちょっと戯画化してわかりやすく描いている。
そのストイックな彼女がクライアントにキレて?ユダヤのお菓子?の話をするシーンは
彼女の別の面、正直な面を表してて圧巻。
ただこの前半に、アン・ハサウェイのキャラクターは描かれてるけど、
この夫婦の関係や過去をもうちょっと描いてくれないと、
お互いを今どれくらいどう思ってるのか、いまいち測れないまま話が進んで
後半の流れが見てる側には少しギクシャクしてしまった。でもそれもそれでいいのかな?

そして夫役のピーター・ディンクレイジもとてもいい。
いつも自信満々の役が多く、こんなに自信のない男の役は珍しいとどこかに書かれてたけど
自信がないというか、むしろ「自分」がない感じで、流されやすく優柔不断で
自分で何も決められないダメ男、だけど才能はある、という役にこれまたピッタリ。
こういう特別に才能のあるダメ男って、よっぽど魅力的じゃないといけなくて
同じ監督の「マギーズプラン」のイーサン・ホークもそういう役でそういう俳優だったけど
ピーター・ディンクレイジの不機嫌な顔も戸惑ったようなパニック顔も
全部魅力的だったわ〜。まあ、わたしは不器用で偏った天才に特別弱いんだけどね。

そして、前半では脇役のようだったマリサ・トメイ(好き!1990年代の「いとこのビニー」
「オンリーユー」「忘れられない人」とかの時代からずーっと気になって好きな女優さん!)、
予告編見た時には彼女と気がつかなかったくらい労働者風に登場するんだけど、
最後まで見ると彼女以外考えられないくらいピッタリのキャスティングだと思いました。
庶民的でガサツで思い込み激しくアダっぽいけど純で途方もなく優しい、そういう役。

美人精神科医とスランプのオペラ作曲家夫婦と、その息子(前夫との子か)と恋人。恋人の家族、
そして不意に現れる恋愛依存症のマリサ・トメイという登場人物で話は進んでいきます。
若い恋人たちのラブラブ具合ってあてにならないけど、この子たちは聡明な子で
それでもお互いと今の気持ちを信じてやっていこうと考えてるのが好感。
若い世代の話もいいし、恋人家族の側のムカつく奴にはリアリティがある。いるなぁこういう人。

映画としては軽いラブコメみたいな作りではあるけど中々凝ってて、
スクリーンサイズが途中で変わるのですよ。あれ?スクリーン狭くなった?広くなった?って、
後でググると4x3とビスタを組み合わせてあるそうで、なるほどと唸りました。
これも面白い効果になってます。(船の中は狭いので狭い画角になってるとか)

後味も良いし、駄邦題に騙されずに見てほしいなー。
オペラ作曲家の映画なので、音楽も大事、主題歌はブルース・スプリングスティーン。

あとこの監督はなんとアーサー・ミラーの娘でダニエル・デイ・ルイスの妻です。

映画:美と殺戮のすべて

2024-04-11 | 映画


ナン・ゴールディンは昔わたしが写真を始めた頃に重要な作家として知ったけど、
→女性写真家について
重要さはわかったものの特に関心を持たなかった写真家。
彼女の撮るような生々しい写真が特に好みではないということと、
何より自分には遠い世界だったので。
破滅する自由を持った人たちの、ひりひりするような人生。
野放図な自由から生まれるイマジネーション、創造の爆発、過剰、破滅。

でも、そのゴールディンがその後,薬害被害の問題について
こんな活動をしていたことは知らなかった。
中毒性のある薬を安全だと偽って、医師へのキックバックなどいろんな手を使い
大々的に売り出した巨大企業のファミリーを告発し、
様々な美術館に寄付を辞退させたり名前を消すことを要求する活動の話と、
ナン・ゴールディンの家族や姉の話など個人的な過去も語られて、
大変厚みのあるドキュメンタリーになってます。
ドキュメンタリーのわりには長いので3本目に見るにはちょっとヘビーだったけど見て良かった。
特に冒頭の美術館でのデモの様子は、それ自体が素晴らしいアートになっていた。美しかった。

そしてこれを見たすぐあとにネットでこういうニュースを見かけて
またナン・ゴールディンのことを思い出したのでした。

「美術手帖」記事より→飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻とスポンサーの川崎重工に抗議。国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」記者内覧で

国立西洋美術館にて。飯山由貴氏アクション

SNSで、アーティストは政治的なことを言うなという声も聞くけど
生きていて、政治的でないことなんか何もない。
声を上げて戦う人を心底尊敬します。

映画:コール・ジェーン

2024-04-10 | 映画


違法中絶の話で良い映画はいくつかあると思うけど、思い起こせば一本も見てない。
切実すぎてつらくて見たくなかったんですよね。
実際見ようとすると震えたり気分が悪くなったりして倒れそうになったこともあって、
女性の性的被害や婦人科系の問題の描写に耐えられないことが多い…
でもこれは実話を元にしたもので、全体に明るさのあるトーンなので見られました。
後味も良いです。

『コール・ジェーン』は、女性の選択の権利としての人工妊娠中絶を描いた実話を基にした映画だ。 本作に登場する「ジェーン」は実在した団体で、人工妊娠中絶が違法だった1960年代後半から70年代初頭にかけて、推定12,000人の中絶を手助けしたと言われている。しかし、1973年アメリカ連邦最高裁が合法判決を下した「ロー対ウェイド事件」※から50年、今、米国では、再び違法とする動きが活発化し、論争が激化している。女性たちが自ら権利を勝ち取った実話を映画化した本作は、映画祭で注目を集め大きな話題となった、今、観るべき社会派エンタテインメント作品である。
(公式サイトのイントロダクションより)

確かに今、日本だけでなく世の中の多くの国で右傾化、保守化が進み
中絶に反対する動きも出てきていて、
それへのカウンターとして「ジェーン」が再び注目されてきたというのはとても理解できる。
人にはいろんな事情があって、どうしても産めない人も多いだろうに、
女性の体と人生にだけ責任を押し付けるのは間違っているだろうに、
安全な中絶ができないために命を落としたり不幸になったりした女性はどんなに多いだろう。
この映画の中で中絶を選ぶのも、自分が死ぬかもしれないのに中絶を認められない主人公をはじめとして
レイプされた未成年や極貧の中(おそらく夫の強要で)8人目の妊娠をしてしまった女性、
全財産数十ドルたらずというような女性たちです。
2度とそんな時代に逆戻りしてはいけないと思うので、
こういう難しくないエンターテイメント映画として見られる作品ができたのはいいことです。

映画ですが
シカゴの弁護士の妻ジョイは、夫とはラブラブだし娘は少し反抗期?だけど幸せな主婦。
昼間から隣家の友達とカクテルを飲みながらポーチでおしゃべり、という
優雅で余裕のある生活を送っていたある日、
第二子の妊娠で心臓病が悪化し、中絶しないと命に関わる可能性があると診断される。
中絶が違法だった時代、病院からは拒否され、夫もどうしようどうしようと言うばかりで
病院の決定に従うしかない雰囲気の中、なんとか中絶して生きる道を探るジョイ。
そんな時「ジェーンに電話を(コール・ジェーン)」という張り紙を見て…というお話ですが
「ジェーン」ろ手伝う医師がなんとなく不思議な人物で、
何もできない上に保守的で保身に走るだろう夫とは心が離れて、この医師と通じ合っていくのか?
と、最初思ったんだけど、そういう話では全然なかった。笑
ずっと、この夫がいつ嫌なやつになるかと待ち構えてたんだけど、案外いい人だったみたい。
そしてヒロインの行動はやや直情的で考えなしな気もするけど、まあ結果オーライか。

「ジェーン」の活動を通して、主人公が変わり成長していく物語でもあり、
気楽な奥様で関心は娘のことや家のことだけだったジョイが、人助けをするうちに、
だんだん社会の格差や人種差別にも意識的になって責任感や使命感を持つようになるのも
よくある展開ながら安心して見られます。

「ジェーン」を引っ張って活動する女性シガニー・ウィーバーを褒めてる人も多かったけど、
わたしは元々シガニー・ウィーバーが好きで、違和感なかったな。こういう役にぴったり。

映画:ベルファスト(だけど映画の話ではない)

2024-04-05 | 映画


評判のいい映画だけど、ただ個人的にはこういう映画には乗れないんです…
愛する故郷があって、愛する家族があって、それへの愛情と郷愁に溢れすぎているところが、
そのどちらもわたしにとっては支配的な敵で、わたしを殺しにかかる化け物でしかなかったので、
労働者が貴族の郷愁を見ているような冷ややかな気持ちになってしまうのですね。
郷愁というのは幸せな人間の特権だと。

あんなにきれいで愛情深く聡明に描かれている母親も、頑迷で保守的な人物にしか見えなくて、
それはホントに自分の個人的なルサンチマンでしかないと自覚はしてるんだけど、どうしようもない。
一度とことん支配され抑圧されると、長い時間が経っても中々立ち直れないものですね。
自分は死ぬまで家族や故郷というものを嫌な気持ちでしか思い出せなくて、
暖かく思い出せる家族や故郷への愛情や郷愁というのは、
自分以外の人に許された贅沢品なのだろうと思ったままずっと生きていくのかもしれません。
この映画自体は多分、誰にでもお勧めできる名作だと思うし、実際わたしも誰にでも薦めますけどね。

自分の故郷を離れたデラシネということでは、
たとえば在日の人の持つデラシネ感はわたしとしても共有できると思うのですが、
祖国を出た時点のモラルで時間の止まってる在日デラシネ一世のとんでもない男尊女卑に支配されて
半世紀も自分の人生を持てなかった身としては、
そんなトラウマのない人(男性や2世3世?)が、
まぶたの中の故郷を美しく切なく思えるのが羨ましいです。
望郷という感情を、そういう差別的支配的な男たちに奪われてしまったわたしは、
無自覚ってお気楽でお得だなぁと思ってしまう。
(そういう意味でわたしはFacebookなどSNS上で在日男性が社会について熱く議論するのにも
冷ややかな気持ちがいつもあります。その時女性はどこにいたの?どこにいる?
あなたたち虐げられてるマイノリティの話の中にさえ出てこない女性は、
その虐げられてる人たちにさらに虐げられてきたのよね、と思って…)

だからこういう映画に素直に共感して泣ける人を幸せでいいなと羨ましく思うし、
そこにデラシネとしてなんらかの感慨をもつ在日男性にも、
呑気で無自覚でいいですねぇという黒い気持ちがどこかに湧いてくる。

わたしにとって自分の属性の中で一番傷つけられ続けたのが女ということだからでしょう。
在日であるより何より女であることで傷つけられ損ねられたものが多すぎる。
だから在日男性の民族差別への嘆きを聞いても、
被害者として振る舞いながら、一方で女性を踏みつけていられるなんていい身分よねと思ってしまう。

あー、全然映画の話になってないですね・・・。
映画はケネス・ブラナー監督の故郷であるベルファストが舞台で彼の自伝的作品のようです。
ベルファストで生まれ育ったバディ(ジュード・ヒル)は家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごす9歳の少年。たくさんの笑顔と愛に包まれる日常は彼にとって完璧な世界だった。しかし、1969年8月15日、バディの穏やかな世界は突然の暴動により悪夢へと変わってしまう。プロテスタントの暴徒が、街のカトリック住民への攻撃を始めたのだ。住民すべてが顔なじみで、まるで一つの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断されていく。暴力と隣り合わせの日々のなか、バディと家族たちは故郷を離れるか否かの決断に迫られる――。(公式サイト)