今日(20013/10/13)のNHKスペシャル中国激動 「さまよえる 人民のこころ」(http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/1013/index.html)は大変興味深かった。
今、中国では宗教にすがる人が、急増しているという。
最近まで現代の中国では、共産主義思想の下で宗教は否定されてきた。
チベット仏教はじめ、多くのキリスト教や仏教の多くは弾圧されたと聞く。
少しでも政府に批判的なことを言うと、徹底して弾圧されていると指摘されている。
チベット仏教への弾圧は、マスコミで報道されているし、法輪功への中国政府の意見(http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm)を見てもその取り締まり姿勢は明らかであるが、我々には法輪功が本当にオームのようなカルト集団か判断できない。(本当のカルト集団なら、徹底した取り締まりも理解できるが、納得できる証拠報道が無い。)
カトリック教会と中国政府は今も対立しているが、中国国内にもカトリック信者が多くいる。
マルクスレーニン主義は、唯物論であり、唯神論の宗教とは水と油だ。
「宗教はアヘン」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-07-16/20100715faq09_01_0.html)とまでいっていて、中国共産党にとっては、排斥すべきものなのだ。
しかし、経済の発展により、中国では拝金主義が一般化し、心の問題が軽視されてきた。
共産主義や資本主義といった経済理論や哲学には、心が持つ欲望に対するブレーキ装置が無いため、お金を儲けたいというあくなき欲望や、自分さえよければよいという利己主義的考えに対し、制御ができないのだ。
利己主義の背景には、市場原理の導入がある。
市場原理の目的はより高い富を生むこと、即ち成果をあげることであり、そのための手法として市場価値の比較が原則であり、結果としてあらゆるものには比較=競争(原理)が伴い、同時にその比較競争に打ち勝つための考え方として、安くしたり付加価値をあげるため、効率至上主義が生まれる。
競争原理が徹底されるほど、成果を求めら、成果を挙げるために効率を追い求めて激しい競争となり、その結果、他人はライバルとなり、他人のことはかまわず自分の成績さえ上げれば良いという利己主義的傾向になるのは必然である。
即ち、市場原理の最高価値は、競争に打ち勝ち最高の成果を挙げることであり、生産活動や販売活動においては、必然的に成果至上主義を生み、同時にそれは、効率至上主義を生み、他人のことはどうでもいいという利己主義的精神風土を醸成する。
その結果、市場原理=競争原理を強力に推し進めることで、成果のみが問われ、成果は生産額や利益で代表され、それら儲けや生産・販売の成果、は計量できる金額として表示される。
即ち、富=成果・利益の結晶はお金であり、それは中国伝統の富の象徴としてのお金を尊ぶ考えにも合致する。同時に、富=お金を最高価値とする考えには、お金で何でも出来るという考え=拝金主義も、常に含まれるのである。(中国の伝統行事では、いたるところでシンボルとしてのお金や富としての物が登場する。)
このように、市場原理を徹底的に推し進めると、競争原理が強く働き、利己主義や拝金主義的傾向が強くなる。
利己主義や、拝金主義は、個人の価値観の問題であり、同時に心の持ち方でもあり、直接的な政治経済の問題ではない。
そのため、心の持ち方が大いに関係する、拝金主義・利己主義も絡む道徳問題が社会問題化しても、政治経済を扱う共産党の力だけでは手に負えないのだ。(共産党が市場原理を認め、強く推進する限り利己主義や拝金主義的傾向は、否定することができない。)
しかし、拝金主義や利己主義的考え方が広まった結果、人間関係で他人のことを思いやることができない、冷たい社会になり、人間関係はギスギスし、親族でさえ信頼や尊敬できない社会になり、そうしたことが人々に大きなストレスとなり、心の悩みを抱えるようになり、社会問題化し、その鬱積した精神的不安・不満が、何かのきっかけで暴動に発展した場合、大きな政治問題になりかねない。
又、このような個人の精神的問題を利用して、宗教団体が信者を増やし大きな勢力になった場合は、反乱の可能性もあり、歴史上、中国はそのような経験をしているので、政府としても治安上放置できない問題なのだ。
そのため中国政府は、宗教の力を借りて悩める人民の心や、道徳問題を解決しようと考えたのだろう。
番組では、この問題に取り組む2つの宗教にスポットを当てて、中国の地方政府の政治姿勢を含め、その実態を報道していた。
(地方政府の政治姿勢は、当然のことながら共産党中央の意向または指示を受けてのことと考えられる。)
一つは、儒教であり、もう一つはキリスト教である。
いずれも信者を急増させているという。
儒教に関しては、中央政府公認で、学校教育にも取り入れられているという。
もう一つのキリスト教は、信仰の自由の問題で欧米からのチェックが厳しいキリスト教の活動を監視しつつ、黙認の形で、対応しようというように見える。
キリスト教は、プロテスタントとカトリックがあり、プロテスタントの家庭教会は地方政府黙認の形のようであり、カトリックについては、一地方政府がカトリック教会の活動を支援している例を紹介していた。
私が思うのは、カトリック教会は、ローマ法王庁の関係もあり、外国勢力の介入ということで承認できないが、試験的に開放して様子を見ることで、欧米との関係も対立を解消できるので損は無いと考えたのではないかと思っている。
プロテスタントは、アメリカの宗教団体が係わることが多く、積極的に布教活動するので、実際はかなり政府のスパイを潜入させて監視を続け、変な動きがあれば強く取り締まる可能性があるのではないかと想像する。
儒教もキリスト教カトリックも、歴史的には、体制内宗教であり、時の政権の保護を受けていた時期が多い。
従って、中国も国王や皇帝を共産党に置き換えれば、昔に近い構図になる。
そういうことを考えると儒教もキリスト教も、その権力者が宗教の保護者としての権威を利用できるという利点もある。
特に儒教に関しては、基本は、親に孝、君に忠、そして愛国なので、君を実質的に中国共産党またはシンボルの毛沢東に置き換えれば、そのまま共産党政治に利用できる。
更に、この二つの宗教に共通している点は、心の問題、で自分だけがよければよい、お金さえ稼げばよいという考えから発生した、道徳的問題や人間関係の荒さを、他人への思いやりや他者を愛することで、根本的に解消できる可能性があることだ。
今の中国の儒教で強調されていることは、日本では当たり前のことで、常識化している。
日本は伝統的な儒教国のせいもあるが、日本の儒教は中国や韓国と違うところがある。
即ち、日本では道徳として儒教が取り入れられているが、中国や韓国では宗教として扱われ、孔子廟があるのだ。(日本にも孔子廟はあるが、基本的には論語を学び実践することが中心で、一般には信仰の対象としては広まらなかった。)
そのルーツは、江戸時代に、戦国時代の殺伐とした野蛮な文化を改めるために、幕府が儒教(特に朱子学)を取り入れ、武士の教養として学ばせ実践させたことが大きい。
これで日本が未開から文明の世界に仲間入りしたのである。(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)
このことが、現在の日本文化に及ぼした影響は、非常に大きい。
それに1982年に出版された「気配りのすすめ」鈴木健二著の影響で、伝統的な「気配り」の精神の見直しもされ、より一層細やかに相手のことを考えサービスするということにつながっているようだ。
それに気配りは、伝統文化の茶道や礼法の基本でもあるし、その他マナー関係本の普及や、論語ブームもあり、気配りや、論語の考え方は、近年すべての日本人に深く浸透している。
「おもてなし」をオリンピック誘致やビジネスに利用できるのも、このような背景抜きにしては、考えられない。、
ところで、共産党政権の中国が、宗教を解禁し政治的に利用し始めたのは、2000年以後との説明があったような気がする。
いずれにせよ、宗教の積極利用は、近年に違いないだろう。
そのきっかけとして、中国政府や共産党は、サミュエル・ハンチントン氏の「文明の衝突」の分析を参考にしたのではないかと、根拠は無いが勝手に想像している。
この本は、1998年に出版されたために、現在の2013年時点では多少国際関係の予測の外れているところがあるかもしれないが、多くの現代の国際政治情勢や国際紛争の事例について、的確な分析がなされている。
この本の内容は、宗教や文化や民族と文明圏や国家といった問題がテーマなので、中国という国と共産党のイデオロギーと宗教と社会の動きといった関係の将来について、かなり参考になるところがあったのではないだろうか。
この本では、宗教が文明圏の大きな構成要素になるということも指摘されている。
しかも、現実的には人為的に線引きされた国家より、文明圏の影響のほうが強く、そのために引き裂かれた不安定な状態の国家が多数存在するという。
例えば、ギリシャは、ヨーロッパのように見えるが、宗教がキリスト教東方教会(ギリシャ正教)でロシアやスラブ圏と親和性が強く同じ東方教会のロシアとも関係が良好というが、ギリシャはEUに入っている。
因みに西欧(西ヨーロッパ)とは、カトリックとカトリックから分かれたプロテスタントの国々が中心の集団といい、自由や民主主義を基本にした西洋文化を持つ国々である。
この本では、儒教文化圏=中華文化圏(シンガポールも含まれるほか、東南アジアの華人経済ネットワークは、その国の経済を左右する力を持っている。)についても注目しているが、中国の国際政治戦略の基底部分を構成しているのかもしれない。
中国が宗教政策の変更で、国内政治や民心を安定させ、儒教文化圏の核となる国になり、国力を増し、国際政治でさらに影響力を増すのか注目したい。
参考
日本が、未開の国から儒教を基本とした文明国になったのは、江戸時代からと考えられている。
「日本の未開から文明へ 天草の乱と綱吉」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)
今、中国では宗教にすがる人が、急増しているという。
最近まで現代の中国では、共産主義思想の下で宗教は否定されてきた。
チベット仏教はじめ、多くのキリスト教や仏教の多くは弾圧されたと聞く。
少しでも政府に批判的なことを言うと、徹底して弾圧されていると指摘されている。
チベット仏教への弾圧は、マスコミで報道されているし、法輪功への中国政府の意見(http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm)を見てもその取り締まり姿勢は明らかであるが、我々には法輪功が本当にオームのようなカルト集団か判断できない。(本当のカルト集団なら、徹底した取り締まりも理解できるが、納得できる証拠報道が無い。)
カトリック教会と中国政府は今も対立しているが、中国国内にもカトリック信者が多くいる。
マルクスレーニン主義は、唯物論であり、唯神論の宗教とは水と油だ。
「宗教はアヘン」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-07-16/20100715faq09_01_0.html)とまでいっていて、中国共産党にとっては、排斥すべきものなのだ。
しかし、経済の発展により、中国では拝金主義が一般化し、心の問題が軽視されてきた。
共産主義や資本主義といった経済理論や哲学には、心が持つ欲望に対するブレーキ装置が無いため、お金を儲けたいというあくなき欲望や、自分さえよければよいという利己主義的考えに対し、制御ができないのだ。
利己主義の背景には、市場原理の導入がある。
市場原理の目的はより高い富を生むこと、即ち成果をあげることであり、そのための手法として市場価値の比較が原則であり、結果としてあらゆるものには比較=競争(原理)が伴い、同時にその比較競争に打ち勝つための考え方として、安くしたり付加価値をあげるため、効率至上主義が生まれる。
競争原理が徹底されるほど、成果を求めら、成果を挙げるために効率を追い求めて激しい競争となり、その結果、他人はライバルとなり、他人のことはかまわず自分の成績さえ上げれば良いという利己主義的傾向になるのは必然である。
即ち、市場原理の最高価値は、競争に打ち勝ち最高の成果を挙げることであり、生産活動や販売活動においては、必然的に成果至上主義を生み、同時にそれは、効率至上主義を生み、他人のことはどうでもいいという利己主義的精神風土を醸成する。
その結果、市場原理=競争原理を強力に推し進めることで、成果のみが問われ、成果は生産額や利益で代表され、それら儲けや生産・販売の成果、は計量できる金額として表示される。
即ち、富=成果・利益の結晶はお金であり、それは中国伝統の富の象徴としてのお金を尊ぶ考えにも合致する。同時に、富=お金を最高価値とする考えには、お金で何でも出来るという考え=拝金主義も、常に含まれるのである。(中国の伝統行事では、いたるところでシンボルとしてのお金や富としての物が登場する。)
このように、市場原理を徹底的に推し進めると、競争原理が強く働き、利己主義や拝金主義的傾向が強くなる。
利己主義や、拝金主義は、個人の価値観の問題であり、同時に心の持ち方でもあり、直接的な政治経済の問題ではない。
そのため、心の持ち方が大いに関係する、拝金主義・利己主義も絡む道徳問題が社会問題化しても、政治経済を扱う共産党の力だけでは手に負えないのだ。(共産党が市場原理を認め、強く推進する限り利己主義や拝金主義的傾向は、否定することができない。)
しかし、拝金主義や利己主義的考え方が広まった結果、人間関係で他人のことを思いやることができない、冷たい社会になり、人間関係はギスギスし、親族でさえ信頼や尊敬できない社会になり、そうしたことが人々に大きなストレスとなり、心の悩みを抱えるようになり、社会問題化し、その鬱積した精神的不安・不満が、何かのきっかけで暴動に発展した場合、大きな政治問題になりかねない。
又、このような個人の精神的問題を利用して、宗教団体が信者を増やし大きな勢力になった場合は、反乱の可能性もあり、歴史上、中国はそのような経験をしているので、政府としても治安上放置できない問題なのだ。
そのため中国政府は、宗教の力を借りて悩める人民の心や、道徳問題を解決しようと考えたのだろう。
番組では、この問題に取り組む2つの宗教にスポットを当てて、中国の地方政府の政治姿勢を含め、その実態を報道していた。
(地方政府の政治姿勢は、当然のことながら共産党中央の意向または指示を受けてのことと考えられる。)
一つは、儒教であり、もう一つはキリスト教である。
いずれも信者を急増させているという。
儒教に関しては、中央政府公認で、学校教育にも取り入れられているという。
もう一つのキリスト教は、信仰の自由の問題で欧米からのチェックが厳しいキリスト教の活動を監視しつつ、黙認の形で、対応しようというように見える。
キリスト教は、プロテスタントとカトリックがあり、プロテスタントの家庭教会は地方政府黙認の形のようであり、カトリックについては、一地方政府がカトリック教会の活動を支援している例を紹介していた。
私が思うのは、カトリック教会は、ローマ法王庁の関係もあり、外国勢力の介入ということで承認できないが、試験的に開放して様子を見ることで、欧米との関係も対立を解消できるので損は無いと考えたのではないかと思っている。
プロテスタントは、アメリカの宗教団体が係わることが多く、積極的に布教活動するので、実際はかなり政府のスパイを潜入させて監視を続け、変な動きがあれば強く取り締まる可能性があるのではないかと想像する。
儒教もキリスト教カトリックも、歴史的には、体制内宗教であり、時の政権の保護を受けていた時期が多い。
従って、中国も国王や皇帝を共産党に置き換えれば、昔に近い構図になる。
そういうことを考えると儒教もキリスト教も、その権力者が宗教の保護者としての権威を利用できるという利点もある。
特に儒教に関しては、基本は、親に孝、君に忠、そして愛国なので、君を実質的に中国共産党またはシンボルの毛沢東に置き換えれば、そのまま共産党政治に利用できる。
更に、この二つの宗教に共通している点は、心の問題、で自分だけがよければよい、お金さえ稼げばよいという考えから発生した、道徳的問題や人間関係の荒さを、他人への思いやりや他者を愛することで、根本的に解消できる可能性があることだ。
今の中国の儒教で強調されていることは、日本では当たり前のことで、常識化している。
日本は伝統的な儒教国のせいもあるが、日本の儒教は中国や韓国と違うところがある。
即ち、日本では道徳として儒教が取り入れられているが、中国や韓国では宗教として扱われ、孔子廟があるのだ。(日本にも孔子廟はあるが、基本的には論語を学び実践することが中心で、一般には信仰の対象としては広まらなかった。)
そのルーツは、江戸時代に、戦国時代の殺伐とした野蛮な文化を改めるために、幕府が儒教(特に朱子学)を取り入れ、武士の教養として学ばせ実践させたことが大きい。
これで日本が未開から文明の世界に仲間入りしたのである。(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)
このことが、現在の日本文化に及ぼした影響は、非常に大きい。
それに1982年に出版された「気配りのすすめ」鈴木健二著の影響で、伝統的な「気配り」の精神の見直しもされ、より一層細やかに相手のことを考えサービスするということにつながっているようだ。
それに気配りは、伝統文化の茶道や礼法の基本でもあるし、その他マナー関係本の普及や、論語ブームもあり、気配りや、論語の考え方は、近年すべての日本人に深く浸透している。
「おもてなし」をオリンピック誘致やビジネスに利用できるのも、このような背景抜きにしては、考えられない。、
ところで、共産党政権の中国が、宗教を解禁し政治的に利用し始めたのは、2000年以後との説明があったような気がする。
いずれにせよ、宗教の積極利用は、近年に違いないだろう。
そのきっかけとして、中国政府や共産党は、サミュエル・ハンチントン氏の「文明の衝突」の分析を参考にしたのではないかと、根拠は無いが勝手に想像している。
この本は、1998年に出版されたために、現在の2013年時点では多少国際関係の予測の外れているところがあるかもしれないが、多くの現代の国際政治情勢や国際紛争の事例について、的確な分析がなされている。
この本の内容は、宗教や文化や民族と文明圏や国家といった問題がテーマなので、中国という国と共産党のイデオロギーと宗教と社会の動きといった関係の将来について、かなり参考になるところがあったのではないだろうか。
この本では、宗教が文明圏の大きな構成要素になるということも指摘されている。
しかも、現実的には人為的に線引きされた国家より、文明圏の影響のほうが強く、そのために引き裂かれた不安定な状態の国家が多数存在するという。
例えば、ギリシャは、ヨーロッパのように見えるが、宗教がキリスト教東方教会(ギリシャ正教)でロシアやスラブ圏と親和性が強く同じ東方教会のロシアとも関係が良好というが、ギリシャはEUに入っている。
因みに西欧(西ヨーロッパ)とは、カトリックとカトリックから分かれたプロテスタントの国々が中心の集団といい、自由や民主主義を基本にした西洋文化を持つ国々である。
この本では、儒教文化圏=中華文化圏(シンガポールも含まれるほか、東南アジアの華人経済ネットワークは、その国の経済を左右する力を持っている。)についても注目しているが、中国の国際政治戦略の基底部分を構成しているのかもしれない。
中国が宗教政策の変更で、国内政治や民心を安定させ、儒教文化圏の核となる国になり、国力を増し、国際政治でさらに影響力を増すのか注目したい。
参考
日本が、未開の国から儒教を基本とした文明国になったのは、江戸時代からと考えられている。
「日本の未開から文明へ 天草の乱と綱吉」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)
天気:晴―mm 26.8 18.8℃ 46% 3.6m西
昨日は午後から、奈良に行った。
芸術祭「はんならぁと2013」の郡山城下町を見に行ってから、ギャラリーOUT of PLACEで開催されている「中島麦 星々の悲しみ」を見に行く予定で、時間があれば他のギャラリーも見に行こうと思っていた。
しかし、昼食が遅くなり、家を出たのは、2時近かった。
近鉄大和郡山には、電車では初めて行ったように思う。
車では、友人の車に乗って、友人知人の家やアトリエを訪問したような記憶がある。
駅から会場までは、パソコンの地図をカメラに収めてあるので、それを頼りに開催されている場所に行く予定だった。
だが、カメラでの接写がうまく行ってなくて、地図を読めなかった。
電車の中でそれを知り、後悔したがとにかく大和郡山まで行くことにした。
幸い、駅に「HANARART2013」のチラシが置いてあった。
それを頼りに、なんとなく不安な気持ちで見知らぬ場所に足を踏みいれた。
始めは商店街から歩いた
大体「はんならぁと2013」の郡山城下町の展示のポイントが見えてきた、テンポよく各会場や、表の展示物を見た。
旧川本亭やその地域を見たときに感じることがあったが、それは別ブログで取り上げる。
回っているうちに5時近くなり、結局堺町ゾーンには行けなかった。
再び近鉄電車に乗り込み、奈良まで移動した。
ギャラリーOUT of PLACEは、初めて行くギャラリーで、カメラに撮ったはずの地図は撮影に失敗して使えない。
頭の中にある地図だけが頼りだ。
近鉄奈良駅周辺でよく知っているのは、新薬師寺・春日大社・興福寺。東大寺周辺と奈良町周辺だけだ。
それ以外のところは、歩いたことが無い。
頭の中にあるうろ覚えの地図を頼りに、やすらぎの道を南に歩き三条通に出た。
それから、三条通を西にJR奈良駅方面に向かい、天皇陵を過ぎて2本目ぐらいの、大通りを北へ向かい地下に近鉄線の通っている道を東に向かい、天皇陵に行く前の道を南に進んだ。。
丁度近鉄奈良駅から天皇陵の横の道まで「の」の字状に歩いた。
道を歩いているとギャラリーの看板が出ているのを見つけた。
その路地の奥のほうに「ギャラリーOUT of PLACE」はあった。
作家の中島さんも居られた。
他の人に、作品説明されているのを横で聞いていた。
今までの作品のスタイルとは、全く違う流しの手法を使った作品だ。
色の組み合わせは、印象的だった。
その作品を見ながら、傾向が少し似た作風の、中島學さんの作品を思い出した。
昨日はパーティーだったので人が徐々に増えだした。
作家とギャラリーの方を除き、全員意知らない人ばかりだったのと、手狭になりだしたのでで退席した。
近鉄奈良駅前の商店街のファストフードで、休憩をとり、熱いコーヒーを飲みながら、東北アジアの古代史と鉄関係の本を読みながら、古代中国(戦国・秦・漢)や、古代部族が攻防を繰り広げた東北アジア・朝鮮(当時朝鮮はなく高句麗が存在?)に思いをはせた。
8時ごろ電車に乗り家に向かった。
参考
古代中国の戦国期から漢代の朝鮮を含む諸部族の一部
東胡(とうこ)<烏丸(うがん)鮮卑(せんぴ)> 粛慎(しゅくしん)高句麗・夫余(ふよ:百済とも同じ神話を持ち、公孫度と同盟) 挹婁(ゆうろう) 靺鞨(まつかつ)・韃靼(だったん=タタール) 女真(じょしん=満州)
昨日は午後から、奈良に行った。
芸術祭「はんならぁと2013」の郡山城下町を見に行ってから、ギャラリーOUT of PLACEで開催されている「中島麦 星々の悲しみ」を見に行く予定で、時間があれば他のギャラリーも見に行こうと思っていた。
しかし、昼食が遅くなり、家を出たのは、2時近かった。
近鉄大和郡山には、電車では初めて行ったように思う。
車では、友人の車に乗って、友人知人の家やアトリエを訪問したような記憶がある。
駅から会場までは、パソコンの地図をカメラに収めてあるので、それを頼りに開催されている場所に行く予定だった。
だが、カメラでの接写がうまく行ってなくて、地図を読めなかった。
電車の中でそれを知り、後悔したがとにかく大和郡山まで行くことにした。
幸い、駅に「HANARART2013」のチラシが置いてあった。
それを頼りに、なんとなく不安な気持ちで見知らぬ場所に足を踏みいれた。
始めは商店街から歩いた
大体「はんならぁと2013」の郡山城下町の展示のポイントが見えてきた、テンポよく各会場や、表の展示物を見た。
旧川本亭やその地域を見たときに感じることがあったが、それは別ブログで取り上げる。
回っているうちに5時近くなり、結局堺町ゾーンには行けなかった。
再び近鉄電車に乗り込み、奈良まで移動した。
ギャラリーOUT of PLACEは、初めて行くギャラリーで、カメラに撮ったはずの地図は撮影に失敗して使えない。
頭の中にある地図だけが頼りだ。
近鉄奈良駅周辺でよく知っているのは、新薬師寺・春日大社・興福寺。東大寺周辺と奈良町周辺だけだ。
それ以外のところは、歩いたことが無い。
頭の中にあるうろ覚えの地図を頼りに、やすらぎの道を南に歩き三条通に出た。
それから、三条通を西にJR奈良駅方面に向かい、天皇陵を過ぎて2本目ぐらいの、大通りを北へ向かい地下に近鉄線の通っている道を東に向かい、天皇陵に行く前の道を南に進んだ。。
丁度近鉄奈良駅から天皇陵の横の道まで「の」の字状に歩いた。
道を歩いているとギャラリーの看板が出ているのを見つけた。
その路地の奥のほうに「ギャラリーOUT of PLACE」はあった。
作家の中島さんも居られた。
他の人に、作品説明されているのを横で聞いていた。
今までの作品のスタイルとは、全く違う流しの手法を使った作品だ。
色の組み合わせは、印象的だった。
その作品を見ながら、傾向が少し似た作風の、中島學さんの作品を思い出した。
昨日はパーティーだったので人が徐々に増えだした。
作家とギャラリーの方を除き、全員意知らない人ばかりだったのと、手狭になりだしたのでで退席した。
近鉄奈良駅前の商店街のファストフードで、休憩をとり、熱いコーヒーを飲みながら、東北アジアの古代史と鉄関係の本を読みながら、古代中国(戦国・秦・漢)や、古代部族が攻防を繰り広げた東北アジア・朝鮮(当時朝鮮はなく高句麗が存在?)に思いをはせた。
8時ごろ電車に乗り家に向かった。
参考
古代中国の戦国期から漢代の朝鮮を含む諸部族の一部
東胡(とうこ)<烏丸(うがん)鮮卑(せんぴ)> 粛慎(しゅくしん)高句麗・夫余(ふよ:百済とも同じ神話を持ち、公孫度と同盟) 挹婁(ゆうろう) 靺鞨(まつかつ)・韃靼(だったん=タタール) 女真(じょしん=満州)
天気:晴―mm 31.3 24.7℃ 65% 4.2m南西
今朝はやっと秋らしい感じになってきた。
昨日も、朝から蒸し暑く、結局2日続けての夏日になった。
夏日に近い29度以上で見ると、10月6日から昨日まで29度以上の日が続いていた。
東京では、観測史上最も遅い夏日だったという。
とにかく、今年の異常気象は目立っている。
繰言になるが、温暖化の影響で、この傾向が今後も続き激しくなる可能性もあることを覚悟しなければなるまい。
一昨日京都に出かけ食事や買物のルーチンのローテーションが崩れた影響もあり、食事作りや買物に時間をとられた。
更に、午前中裏表のある人達について様々な人物を思い出しながら書いた。
個人が特定されないように配慮するのに苦労した。
裏表のある人や組織とは、昨日書いた意外にまだまだ沢山出会っている。
女性のことは書いてないが、女性のほうがかなり多いのかもしれない。
例えば、皆で会っては話しするときは、非常に仲の良い女性二人組みだが、ばらばらのときは、お互い相手のことを、本気でののしっているという話も聞いた。
また、私と会っているときは友好的で、私の意見と同調しているが、別のところでは、私をけなし敵と言い、ばか者扱いし、根拠の無い話をでっち上げていることを知った。
その後本人に出会ったときに、雑談の中で、具体的な話をしたところ、意味の通らない弁解していた。
又、あるグループは、彼らの発行していたミニコミ誌で、でっち上げた内容を記載し、私の評判を落とそうとした。(そのミニコミ誌の資料はある。)
この件に関し、彼らと会ったときに、その問題を抗議したら、彼らとすれば組織的に別のところを盛り上げるために、私のところをけなして別のところを有利にしようとしたと言い、そのために私のところはどうなってもいいのだと言った。
その時、自分達の政治信条や運動や主義主張のためなら、友情を無視し、事実を捻じ曲げる一群の人たちが居ることを知った。
(それ以後も、政治はすべてに優先する。すべてが戦いだ。という話を複数の人から聞かされた。ただ、現在は方向転換しているのかもしれない。私は、初めからそんな組織に興味は無いので、詳しいことは知らないが。)
その時に彼らにはその問題について抗議したので、参考事例として事実は言うが、古い過去の問題を蒸し返し彼らを非難する積りはない。(先述のように現在は方向転換している可能性が強い。当時は同じ傾向の別のグループの人から、具体美術はアメリカの手先や、と戦後の6-70年代までの硬直化した左翼の論理を真剣に言う人もいたが、その人たちは具体美術の実態や内容を知らずにプロパガンダを信じていた。)
そうした人たちとも、今も付き合いはあるが、それ以降、そういうことを前提にした付き合いとなっている。
この話は、情報機関のはなしとは、別の話だ。
(初めてこのブログを読んだ人は、情報機関の文字を見て妄想と思うかもしれませんが、事実で、過去にこのブログに何度かその経緯を書いています。)
又、つまらぬ方向に脱線した。
長いブログを書き終えたが、昼食の準備は何も無く、仕方なく6食分の食材の切分からはじめ、ご飯も無かったので同時に炊飯し、一食ずつラッピングし冷凍した。
とりあえずご飯と温野菜丼を完成させ、遅い昼食を食べた。
夕方になって、西天満に自転車で出かけ、画廊を回った。
天満橋に寄り、スーパーにも食材を買いに寄ったので、帰宅したのは9時ごろだった。
当然夕食の段取り等に影響し慌しい一日となった。
多分影響は今日にも及んでいる。?
今朝はやっと秋らしい感じになってきた。
昨日も、朝から蒸し暑く、結局2日続けての夏日になった。
夏日に近い29度以上で見ると、10月6日から昨日まで29度以上の日が続いていた。
東京では、観測史上最も遅い夏日だったという。
とにかく、今年の異常気象は目立っている。
繰言になるが、温暖化の影響で、この傾向が今後も続き激しくなる可能性もあることを覚悟しなければなるまい。
一昨日京都に出かけ食事や買物のルーチンのローテーションが崩れた影響もあり、食事作りや買物に時間をとられた。
更に、午前中裏表のある人達について様々な人物を思い出しながら書いた。
個人が特定されないように配慮するのに苦労した。
裏表のある人や組織とは、昨日書いた意外にまだまだ沢山出会っている。
女性のことは書いてないが、女性のほうがかなり多いのかもしれない。
例えば、皆で会っては話しするときは、非常に仲の良い女性二人組みだが、ばらばらのときは、お互い相手のことを、本気でののしっているという話も聞いた。
また、私と会っているときは友好的で、私の意見と同調しているが、別のところでは、私をけなし敵と言い、ばか者扱いし、根拠の無い話をでっち上げていることを知った。
その後本人に出会ったときに、雑談の中で、具体的な話をしたところ、意味の通らない弁解していた。
又、あるグループは、彼らの発行していたミニコミ誌で、でっち上げた内容を記載し、私の評判を落とそうとした。(そのミニコミ誌の資料はある。)
この件に関し、彼らと会ったときに、その問題を抗議したら、彼らとすれば組織的に別のところを盛り上げるために、私のところをけなして別のところを有利にしようとしたと言い、そのために私のところはどうなってもいいのだと言った。
その時、自分達の政治信条や運動や主義主張のためなら、友情を無視し、事実を捻じ曲げる一群の人たちが居ることを知った。
(それ以後も、政治はすべてに優先する。すべてが戦いだ。という話を複数の人から聞かされた。ただ、現在は方向転換しているのかもしれない。私は、初めからそんな組織に興味は無いので、詳しいことは知らないが。)
その時に彼らにはその問題について抗議したので、参考事例として事実は言うが、古い過去の問題を蒸し返し彼らを非難する積りはない。(先述のように現在は方向転換している可能性が強い。当時は同じ傾向の別のグループの人から、具体美術はアメリカの手先や、と戦後の6-70年代までの硬直化した左翼の論理を真剣に言う人もいたが、その人たちは具体美術の実態や内容を知らずにプロパガンダを信じていた。)
そうした人たちとも、今も付き合いはあるが、それ以降、そういうことを前提にした付き合いとなっている。
この話は、情報機関のはなしとは、別の話だ。
(初めてこのブログを読んだ人は、情報機関の文字を見て妄想と思うかもしれませんが、事実で、過去にこのブログに何度かその経緯を書いています。)
又、つまらぬ方向に脱線した。
長いブログを書き終えたが、昼食の準備は何も無く、仕方なく6食分の食材の切分からはじめ、ご飯も無かったので同時に炊飯し、一食ずつラッピングし冷凍した。
とりあえずご飯と温野菜丼を完成させ、遅い昼食を食べた。
夕方になって、西天満に自転車で出かけ、画廊を回った。
天満橋に寄り、スーパーにも食材を買いに寄ったので、帰宅したのは9時ごろだった。
当然夕食の段取り等に影響し慌しい一日となった。
多分影響は今日にも及んでいる。?
o福岡市の整形外科医院が全焼し、高齢の入院患者(動けない人が多かった。)を中心に10名死亡。
:今後、高齢者施設の安全対策や基準の見直しを迫られるだろう。
o残暑続く 各地で30度超え
o世帯間の所得格差拡大し過去最高。ますます格差社会になる。1世帯の平均所得404万7千円で、前年より、40万4千円で9・1%の減収。
:インフレ誘導で物価が上がり、勤労者の賃金がそれに見合って上昇しなかったり、更に格差が拡大すれば、やがて自公政権は厳しい国民の審判を受けるだろう。
今後の所得の向上や、格差の拡大が無い様しっかりと敏感に見守って行きたい。
:今後、高齢者施設の安全対策や基準の見直しを迫られるだろう。
o残暑続く 各地で30度超え
o世帯間の所得格差拡大し過去最高。ますます格差社会になる。1世帯の平均所得404万7千円で、前年より、40万4千円で9・1%の減収。
:インフレ誘導で物価が上がり、勤労者の賃金がそれに見合って上昇しなかったり、更に格差が拡大すれば、やがて自公政権は厳しい国民の審判を受けるだろう。
今後の所得の向上や、格差の拡大が無い様しっかりと敏感に見守って行きたい。
天気:晴―mm 31.9 22.8℃ 71% 2.0m西
昨日も夏日になった。
午後から、初めて行く古川橋のルミエールホールで行われている、PADアートフェアーに行った。(http://pad-art.net/pad_artfair.html)
芦屋画廊とウーニー・ポンポン・カウカウ(詳細は上記HP参照)と奈良のギャラリーCLASSの3ギャラリーの創立記念を兼ねての展覧会で、出品者の人数は、ウーニー・ポンポン・カウカウの作家が多かった。
会場では、ギャラリークラスのオーナー兼作家の中本 具幸がおられたので、いろいろ話した。
3つのギャラリーで行ったことのあるのは、ギャラリーCLASSだけだでが、出品作家で知っている人は、堀尾さん始め数人だった。
作品の傾向もレベルもまちまちだった。
変化に富んだ展覧会だった。
その後、京都に行った。
ギャラリーはねうさぎの展覧会を見に行くためだ。
時間節約のため、三条京阪から蹴上まで地下鉄で行った。
その後、ギャラリーすずき・アートスペース虹・モーニング・はねうさぎ・KUNST ARZT・
ギャラリー16・JARFO、と回り、三条京阪に着いたのは7時前で、足は疲れていた。
各ギャラリーの展覧会は、それぞれいい作品が展示されていて、ほとんどのギャラリーでギャラリーの方と作品について対話した。
あるギャラリーでは、作品の描かれている謎の多い内容についての興味ある話をしたりして、楽しい画廊まわりが出来た。
疲れて8時ごろに帰宅すると、夕飯の支度に(温野菜丼等を作っていなかったため。)追われ、夕食は予想よりかなり遅くなった。
今朝(10/11)も、昨日の疲れがなんとなく残っていた。
昨日も夏日になった。
午後から、初めて行く古川橋のルミエールホールで行われている、PADアートフェアーに行った。(http://pad-art.net/pad_artfair.html)
芦屋画廊とウーニー・ポンポン・カウカウ(詳細は上記HP参照)と奈良のギャラリーCLASSの3ギャラリーの創立記念を兼ねての展覧会で、出品者の人数は、ウーニー・ポンポン・カウカウの作家が多かった。
会場では、ギャラリークラスのオーナー兼作家の中本 具幸がおられたので、いろいろ話した。
3つのギャラリーで行ったことのあるのは、ギャラリーCLASSだけだでが、出品作家で知っている人は、堀尾さん始め数人だった。
作品の傾向もレベルもまちまちだった。
変化に富んだ展覧会だった。
その後、京都に行った。
ギャラリーはねうさぎの展覧会を見に行くためだ。
時間節約のため、三条京阪から蹴上まで地下鉄で行った。
その後、ギャラリーすずき・アートスペース虹・モーニング・はねうさぎ・KUNST ARZT・
ギャラリー16・JARFO、と回り、三条京阪に着いたのは7時前で、足は疲れていた。
各ギャラリーの展覧会は、それぞれいい作品が展示されていて、ほとんどのギャラリーでギャラリーの方と作品について対話した。
あるギャラリーでは、作品の描かれている謎の多い内容についての興味ある話をしたりして、楽しい画廊まわりが出来た。
疲れて8時ごろに帰宅すると、夕飯の支度に(温野菜丼等を作っていなかったため。)追われ、夕食は予想よりかなり遅くなった。
今朝(10/11)も、昨日の疲れがなんとなく残っていた。
今まで、豹変する男たちを何人も見てきた。
以下に記載しているのは、ほんの一例である。
表と裏の違いのある人は、一定の割合でいると思っている。
気の小さい人や(匿名で暴れる)、人をおだてることの上手な人や、調子のよい人や、有名人や社会的地位のある人の友達である事を自慢する人やエリート意識の強い人達の中にも、豹変する人をたまに見かける。
簡単に見分けられるのは、店員に対し横柄な態度をとる人や、クレーマーの一部は、豹変しやすい傾向があるかもしれないと思っている。
例えば、世間的に優しくて面倒見がよく立派な人と思っていた人A氏について、B氏から、ある時A氏から催し物への参加を誘われ、それを断ると、A氏が豹変し脅しに近い態度や言葉で、催し物に参加せよと迫られたことを聞かされされた。
そのことを、A氏に近い関係者に告げると、誰一人信用しなかった。
B氏も社会的に活躍している人であり、B氏はそれ以降A氏との関係を断った。(誤解無きように付け加えますが、男女関係では100%ありません)
その時、何度か繰り返された脅し?の詳細を聴いたが、具体的な話の背景は、全て私も知っている実在の物で、状況や展開も詳細で、私はB氏の話を信じた。
B氏にはそうした話をして得られるものは何もないが、周辺の人に、そのことを伝えたかったといった。
B氏はそうした話を拡散していないようだし、現在も活発に活躍しておられるようだ。
昔よく利用していた健康施設があり、そこでは、同じ利用者で顔なじみの人が何人もいた。
ある日、下の受付の前を通ると、男性がカウンター越しに「いつも言うてるやろう!わからんのか!」と声を上げていた。
やくざかなと思いつつ横顔を見ると、顔見知りの人であった。
その人は、私に対してはいつもニコニコして、「今日は早いですね」とかやさしく言葉をかけてくる。
世間話もその人とよくした。
その人が、事務の人に対し、非常に横柄なやくざと間違うような物腰で接しているのを、始めて見た。
彼は、多くの人に優しく接していてるが、よく観察すると特定の人たちとは特に親しく接していて、どうやらその人たちだけで、何かグループのように動いているように見えたし、その人たちが中心になって飲会とかしていて、人脈を広げているようだった。
その中に、施設職員も積極的に参加させようとし、一部職員は彼らメンバーとかなり懇意になっている感じであった。
彼らの職業は、よく知らない。
受付で長時間話していた人は、普通の陽気で愛想のいいおっちゃんかと思ったら、まさかやくざと係わりは無いと思うが、全く違った一面を持っている人だと気付いた。
それから彼とは、距離を置いて接するようになった。
アルバイトや非正規社員の多い施設では、たとえ大手が運営していても、管理や社員教育が行き届いていない場合が多く、客との個人的な関係が出来上がり、そこに反社会的なグループが付け込んで、私的な関係を利用してネットワークを構築し、情報を得たり、便宜を図ってもらったり、影響力を行使したりする可能性も考えられる。
現に地元で顔見知りの若者が、偽名で係員としてアルバイトしていた事もあり驚いたこともあった。(そこに特定の関係者グループ<組織及び友人関係>が存在したのかもしれない。その後のことは、顔見知りの若者も、その関係者達もがいなくなったので知らない。)
昔ギャラリーをやっていたときに、ギャラリーをはじめたという人B氏が来て、その後よく来るようになり、急速に接近してきた。
非常に親しく話をするようになり、いろんなことをきいてきたし、飲みにも行った。
彼のギャラリーに来てくれというので、行くとかなり金をつぎ込んだ内装の、立派なギャラリーだった。
あるとき、彼は、『親しくなると、「おい・おまえ、]とか、{・・せえよ!・・せんかい!」というため口で話する癖があるので今からそうしたい』という。
思わぬ申し出に一瞬考えたが、これは人を服従させるためのトリックだと気付き、「私は、あなたに、<・・・せんかい。>と命令される筋合いは無い」とすぐに断った。
タメグチで「おい」とか「お前」と呼ばれているうちに、上下関係を作る戦略と思った。
B氏は、私の画廊で様々なことを語った。
彼が国の元官庁に勤めていたことも彼から聞いた。
私はいろいろな兆候から、彼に疑問を持ったので、あるとき彼から聞き出した勤務先の人事担当に過去に在籍したかどうか尋ねた。
勤務先の担当者は、「詳しいことは守秘義務があるので言えないが、在籍したのは事実ですが、何かあったのですか」と聞かれた。
逆に逆に円満退社ですかというと、答えられないと口ごもり、明らかにはっきりした返事ではなかった。
その後B氏は、彼のギャラリーの受付の中年女性と結婚した。
彼の画廊にたまに行って、その中年の受付女性とも、たまに話もした。
結婚後も彼女は受付をしていたが、みるみるおとなしくなった。
その後、彼女は画廊に出なくなり、病気で亡くなったという。
又あるときは、B氏が来て、お盆の期間中特別展をするので絵を貸してくれといってきた。
そのときに、お盆の時期に画廊を開く人はいないし、何か異様なものを感じた。
彼に貸したのは、彼がたって希望した確か、8枚組みのシルクスクリーンの版画セット?で、渋々取引条件を厳密に決めて貸した。
途中、お盆休みに心配なので彼の画廊に何度か行った。
特別展終了後、作品はすべて返してもらった。
その後、その画廊はなくなり、しばらくして別の場所で復活したという話は風の便りで聞いたが、その後は知らない。
B氏も、ため口で話したいという申し出を見る限り、豹変するタイプと思っている。
昔ある懇意にしていた人が、その人の主催パーティーの時に、彼の仕事に関係する中年女性(残留孤児?)に怒鳴りつけ、奴隷のごとく命令口調で指示しあごで使っているのを見た。
その女性は、謝りながらおどおどしていた。
そのとき私に接している顔も広く温厚なやさしく人望のある紳士と違い、これほど裏表のある人だと始めて知り、衝撃を受けた。
あの態度、言い方を見る限り、彼女は完全に彼の支配下にあると感じた。(奥さんではありません、多分男女関係は全く考えられない別の関係)
20年前によく知る友人を病院に見舞いに行ったときに目にしたのは、検診に来た看護師に「おい、あれやっけよ!」「これもせんかい!」と、お世話になっている看護士に対しての、普段彼の口から聴いたこともない怒鳴る感じの、荒い命令口調だったのである。
そういう命令をしながら、私に向かっては、ニコニコし丁寧な言葉と友達どおしのタメ口を交えて和やかに話す。
そのとき、彼の複雑な内面を知った。
ギャラリー廃業後、私が契約社員で勤めた会社の新社長は、オーナー社長ご指名の社内昇格の新任で、始めは丁寧な言葉遣いで社員にも話しかけていた。
それがしばらくすると、命令口調に変わり、全員に「出来けへんねやったら、やめてもうてかまへん、やめるのは自由や」と言い出した。
同時に各人の業務計画の進捗具合を、厳しくチェックし、社内を回り細かなことまで、長々と叱責し無理難題を言うようになった。
彼の叱責の最後の口癖は「いややったら、辞めてもいいんやで」である。
社内は一気に凍りつき、ピリピリした雰囲気に変わった。
辞める人はいなかった。
成績の悪いパートは数人解雇された。
新入の私には、徹底した工場の美化と管理を求められ、何十年と使っているコテコテに汚れ、ガムテープがびっしりと張られているコンベアの清掃や壁の塗り替えも指示され「お前は工場や設備が汚れてんのも気付かんのか!何のため君を雇うたか分かってんのか!」と怒鳴られ「X日までにピカピカの工場にせい!」と大声で激しく叱責された。
残業し、休日出勤して処理したが、それでもさらにその仕上がりにクレームをつけられ、すべてのコンベアの塗装をはがし塗り替えるため夏休み返上で処理した。
(その会社は下請けで、複数の企業から受注していたが、受注先の印象をよくするため極端な工場美化を考えたと思われる。)
私は契約社員のため、休日出勤や残業手当やボーナスや金一封もなしだった。
その会社では、私としてはそれなりの様々な成果を挙げ貢献したと思っている。
新任の社長は、初めから、トライアル雇用期間中に、私からある程度の経験や技術を吸収し、トライアル雇用等の補助金を受け取り、その後規制期間が過ぎれば使い捨てる積りだと気付いた。(その後社労士関係の会社に入り、雇用関係関連の会社への補助金が多くの種類出ていて、抜け目の無い会社はそれを巧みに法律の趣旨とは違う形で悪用していたことに気付いた。)
失業時会社都合の退職(契約期限終了)と聞かされていたが、自己都合になっていて、職安で抗議したが認められなかった。
この会社は、いわゆるブラック企業の一つだ。
余談だが、御堂筋にある社労士関連の会社の近くで、私が夕方仕事帰りで会社に帰る途中、普通のサラリーマン姿の元の会社の社長が、一人で受注先の会社に入っていくのを見つけた。
彼は会社では専制君主でも、受注先では協力会社の社長の一人に過ぎない。
その会社に居るときには、私にとって社長は大きなモンスターだったが、そのときに見た受注先に入る彼の姿は、小さな下請けの営業マンの姿に見えた。
今考えても、彼の経営手法には、腹が立つ。
以上いろいろな人が豹変する例を思い出し述べた。
プライバシーもあるので、詳細は言えないが、一見やさしそうな人でも、豹変する可能性は強い。
男の場合は、普段から冗談で暴力をふるう仕草をしている人たちは、何かきっかけがあると本気で暴力をふるう可能性が強いと思っている。
相手によって話す態度を変えている人も要注意であると思っている。
反社会的勢力と係わり合いのある人たちは、状況が変化すれば態度が一変すると考えておいて良いだろう。彼らは暴力で人間関係を支配しているのだから。
彼らは意図的に騙そうとして演技をしながら近寄ってくる。
狙いは、素直な人や社会経験の少ない人や、おだてに乗りやすい人たちだ。
人間関係・男女関連・心理・文学(このブログは左記リンクのカテゴリー別「人間・男女関連・文学」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
以下に記載しているのは、ほんの一例である。
表と裏の違いのある人は、一定の割合でいると思っている。
気の小さい人や(匿名で暴れる)、人をおだてることの上手な人や、調子のよい人や、有名人や社会的地位のある人の友達である事を自慢する人やエリート意識の強い人達の中にも、豹変する人をたまに見かける。
簡単に見分けられるのは、店員に対し横柄な態度をとる人や、クレーマーの一部は、豹変しやすい傾向があるかもしれないと思っている。
例えば、世間的に優しくて面倒見がよく立派な人と思っていた人A氏について、B氏から、ある時A氏から催し物への参加を誘われ、それを断ると、A氏が豹変し脅しに近い態度や言葉で、催し物に参加せよと迫られたことを聞かされされた。
そのことを、A氏に近い関係者に告げると、誰一人信用しなかった。
B氏も社会的に活躍している人であり、B氏はそれ以降A氏との関係を断った。(誤解無きように付け加えますが、男女関係では100%ありません)
その時、何度か繰り返された脅し?の詳細を聴いたが、具体的な話の背景は、全て私も知っている実在の物で、状況や展開も詳細で、私はB氏の話を信じた。
B氏にはそうした話をして得られるものは何もないが、周辺の人に、そのことを伝えたかったといった。
B氏はそうした話を拡散していないようだし、現在も活発に活躍しておられるようだ。
昔よく利用していた健康施設があり、そこでは、同じ利用者で顔なじみの人が何人もいた。
ある日、下の受付の前を通ると、男性がカウンター越しに「いつも言うてるやろう!わからんのか!」と声を上げていた。
やくざかなと思いつつ横顔を見ると、顔見知りの人であった。
その人は、私に対してはいつもニコニコして、「今日は早いですね」とかやさしく言葉をかけてくる。
世間話もその人とよくした。
その人が、事務の人に対し、非常に横柄なやくざと間違うような物腰で接しているのを、始めて見た。
彼は、多くの人に優しく接していてるが、よく観察すると特定の人たちとは特に親しく接していて、どうやらその人たちだけで、何かグループのように動いているように見えたし、その人たちが中心になって飲会とかしていて、人脈を広げているようだった。
その中に、施設職員も積極的に参加させようとし、一部職員は彼らメンバーとかなり懇意になっている感じであった。
彼らの職業は、よく知らない。
受付で長時間話していた人は、普通の陽気で愛想のいいおっちゃんかと思ったら、まさかやくざと係わりは無いと思うが、全く違った一面を持っている人だと気付いた。
それから彼とは、距離を置いて接するようになった。
アルバイトや非正規社員の多い施設では、たとえ大手が運営していても、管理や社員教育が行き届いていない場合が多く、客との個人的な関係が出来上がり、そこに反社会的なグループが付け込んで、私的な関係を利用してネットワークを構築し、情報を得たり、便宜を図ってもらったり、影響力を行使したりする可能性も考えられる。
現に地元で顔見知りの若者が、偽名で係員としてアルバイトしていた事もあり驚いたこともあった。(そこに特定の関係者グループ<組織及び友人関係>が存在したのかもしれない。その後のことは、顔見知りの若者も、その関係者達もがいなくなったので知らない。)
昔ギャラリーをやっていたときに、ギャラリーをはじめたという人B氏が来て、その後よく来るようになり、急速に接近してきた。
非常に親しく話をするようになり、いろんなことをきいてきたし、飲みにも行った。
彼のギャラリーに来てくれというので、行くとかなり金をつぎ込んだ内装の、立派なギャラリーだった。
あるとき、彼は、『親しくなると、「おい・おまえ、]とか、{・・せえよ!・・せんかい!」というため口で話する癖があるので今からそうしたい』という。
思わぬ申し出に一瞬考えたが、これは人を服従させるためのトリックだと気付き、「私は、あなたに、<・・・せんかい。>と命令される筋合いは無い」とすぐに断った。
タメグチで「おい」とか「お前」と呼ばれているうちに、上下関係を作る戦略と思った。
B氏は、私の画廊で様々なことを語った。
彼が国の元官庁に勤めていたことも彼から聞いた。
私はいろいろな兆候から、彼に疑問を持ったので、あるとき彼から聞き出した勤務先の人事担当に過去に在籍したかどうか尋ねた。
勤務先の担当者は、「詳しいことは守秘義務があるので言えないが、在籍したのは事実ですが、何かあったのですか」と聞かれた。
逆に逆に円満退社ですかというと、答えられないと口ごもり、明らかにはっきりした返事ではなかった。
その後B氏は、彼のギャラリーの受付の中年女性と結婚した。
彼の画廊にたまに行って、その中年の受付女性とも、たまに話もした。
結婚後も彼女は受付をしていたが、みるみるおとなしくなった。
その後、彼女は画廊に出なくなり、病気で亡くなったという。
又あるときは、B氏が来て、お盆の期間中特別展をするので絵を貸してくれといってきた。
そのときに、お盆の時期に画廊を開く人はいないし、何か異様なものを感じた。
彼に貸したのは、彼がたって希望した確か、8枚組みのシルクスクリーンの版画セット?で、渋々取引条件を厳密に決めて貸した。
途中、お盆休みに心配なので彼の画廊に何度か行った。
特別展終了後、作品はすべて返してもらった。
その後、その画廊はなくなり、しばらくして別の場所で復活したという話は風の便りで聞いたが、その後は知らない。
B氏も、ため口で話したいという申し出を見る限り、豹変するタイプと思っている。
昔ある懇意にしていた人が、その人の主催パーティーの時に、彼の仕事に関係する中年女性(残留孤児?)に怒鳴りつけ、奴隷のごとく命令口調で指示しあごで使っているのを見た。
その女性は、謝りながらおどおどしていた。
そのとき私に接している顔も広く温厚なやさしく人望のある紳士と違い、これほど裏表のある人だと始めて知り、衝撃を受けた。
あの態度、言い方を見る限り、彼女は完全に彼の支配下にあると感じた。(奥さんではありません、多分男女関係は全く考えられない別の関係)
20年前によく知る友人を病院に見舞いに行ったときに目にしたのは、検診に来た看護師に「おい、あれやっけよ!」「これもせんかい!」と、お世話になっている看護士に対しての、普段彼の口から聴いたこともない怒鳴る感じの、荒い命令口調だったのである。
そういう命令をしながら、私に向かっては、ニコニコし丁寧な言葉と友達どおしのタメ口を交えて和やかに話す。
そのとき、彼の複雑な内面を知った。
ギャラリー廃業後、私が契約社員で勤めた会社の新社長は、オーナー社長ご指名の社内昇格の新任で、始めは丁寧な言葉遣いで社員にも話しかけていた。
それがしばらくすると、命令口調に変わり、全員に「出来けへんねやったら、やめてもうてかまへん、やめるのは自由や」と言い出した。
同時に各人の業務計画の進捗具合を、厳しくチェックし、社内を回り細かなことまで、長々と叱責し無理難題を言うようになった。
彼の叱責の最後の口癖は「いややったら、辞めてもいいんやで」である。
社内は一気に凍りつき、ピリピリした雰囲気に変わった。
辞める人はいなかった。
成績の悪いパートは数人解雇された。
新入の私には、徹底した工場の美化と管理を求められ、何十年と使っているコテコテに汚れ、ガムテープがびっしりと張られているコンベアの清掃や壁の塗り替えも指示され「お前は工場や設備が汚れてんのも気付かんのか!何のため君を雇うたか分かってんのか!」と怒鳴られ「X日までにピカピカの工場にせい!」と大声で激しく叱責された。
残業し、休日出勤して処理したが、それでもさらにその仕上がりにクレームをつけられ、すべてのコンベアの塗装をはがし塗り替えるため夏休み返上で処理した。
(その会社は下請けで、複数の企業から受注していたが、受注先の印象をよくするため極端な工場美化を考えたと思われる。)
私は契約社員のため、休日出勤や残業手当やボーナスや金一封もなしだった。
その会社では、私としてはそれなりの様々な成果を挙げ貢献したと思っている。
新任の社長は、初めから、トライアル雇用期間中に、私からある程度の経験や技術を吸収し、トライアル雇用等の補助金を受け取り、その後規制期間が過ぎれば使い捨てる積りだと気付いた。(その後社労士関係の会社に入り、雇用関係関連の会社への補助金が多くの種類出ていて、抜け目の無い会社はそれを巧みに法律の趣旨とは違う形で悪用していたことに気付いた。)
失業時会社都合の退職(契約期限終了)と聞かされていたが、自己都合になっていて、職安で抗議したが認められなかった。
この会社は、いわゆるブラック企業の一つだ。
余談だが、御堂筋にある社労士関連の会社の近くで、私が夕方仕事帰りで会社に帰る途中、普通のサラリーマン姿の元の会社の社長が、一人で受注先の会社に入っていくのを見つけた。
彼は会社では専制君主でも、受注先では協力会社の社長の一人に過ぎない。
その会社に居るときには、私にとって社長は大きなモンスターだったが、そのときに見た受注先に入る彼の姿は、小さな下請けの営業マンの姿に見えた。
今考えても、彼の経営手法には、腹が立つ。
以上いろいろな人が豹変する例を思い出し述べた。
プライバシーもあるので、詳細は言えないが、一見やさしそうな人でも、豹変する可能性は強い。
男の場合は、普段から冗談で暴力をふるう仕草をしている人たちは、何かきっかけがあると本気で暴力をふるう可能性が強いと思っている。
相手によって話す態度を変えている人も要注意であると思っている。
反社会的勢力と係わり合いのある人たちは、状況が変化すれば態度が一変すると考えておいて良いだろう。彼らは暴力で人間関係を支配しているのだから。
彼らは意図的に騙そうとして演技をしながら近寄ってくる。
狙いは、素直な人や社会経験の少ない人や、おだてに乗りやすい人たちだ。
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天気:雨/晴―29mm 29.3 24.1℃ 67% 3.1m南西 (12.5mm/10分間)
昨日は、朝から昼にかけて、日本海側を台風24号が通り抜けていった。
そのため朝から昼にかけて、一時的に大阪でも激しい雨が降り風も強まった。
午後には青空になった。
しかし、気温はたかいままであった。
新潟県糸魚川市では35.1度の猛暑日を記録し、10月では全国で始めて。
午前中FBを見ていて、何度もフリーズを繰り返すし、「仮想メモリの容量が少なすぎます」という警告が出た。
先月?にも同じ警告が出たので、警告の案内に従い、仮想メモリの容量を増やす処置をして、動作が改善された。
しかし今回同じことが起きたので、思い切って大胆に仮想容量を増量した。
その結果、仮想メモリの容量とPCの動作速度の関係も理解でき、自分にとって使いやすい仮想容量のサイズを決めた。
仮想メモリの容量を大きくしたため、メモリの出し入れにかかる時間が増え、心持処理速度が遅くなったが、フリーズはなくなった。
昼の間に、そのことに関してのブログを書いた。
昼食の準備や、食材の切分もしていなかったので、6食分の食材も切り分けてからの昼食作りになったので、昼食は少し遅くなった。
夕方から、ジムに行った。
一昨日出来なかった、筋トレを行った。
寝る前になって、昨日記やニュースメモを作っていないことに気付き、大急ぎで書いた。
昨日は、朝から昼にかけて、日本海側を台風24号が通り抜けていった。
そのため朝から昼にかけて、一時的に大阪でも激しい雨が降り風も強まった。
午後には青空になった。
しかし、気温はたかいままであった。
新潟県糸魚川市では35.1度の猛暑日を記録し、10月では全国で始めて。
午前中FBを見ていて、何度もフリーズを繰り返すし、「仮想メモリの容量が少なすぎます」という警告が出た。
先月?にも同じ警告が出たので、警告の案内に従い、仮想メモリの容量を増やす処置をして、動作が改善された。
しかし今回同じことが起きたので、思い切って大胆に仮想容量を増量した。
その結果、仮想メモリの容量とPCの動作速度の関係も理解でき、自分にとって使いやすい仮想容量のサイズを決めた。
仮想メモリの容量を大きくしたため、メモリの出し入れにかかる時間が増え、心持処理速度が遅くなったが、フリーズはなくなった。
昼の間に、そのことに関してのブログを書いた。
昼食の準備や、食材の切分もしていなかったので、6食分の食材も切り分けてからの昼食作りになったので、昼食は少し遅くなった。
夕方から、ジムに行った。
一昨日出来なかった、筋トレを行った。
寝る前になって、昨日記やニュースメモを作っていないことに気付き、大急ぎで書いた。
o福島第一原発又も汚染水漏れ
:JR北海道も第一原発も、ヒューマンエラーだ。背景に組織全体の疲弊があるのは明らか。支援組織を立ち上げ、サポートに入りながら、人物金をつぎ込みつつ、抜本的なシステム化とカイゼン作戦が必要だ。小手先の対症療法では事態を悪化させる。
oストーカーによる女子高生刺殺事件
:警察対応に問題あるのでは。警察からの警告電話で、ストーカーの留守電に警察へ電話せよの伝言はは良かったのだろうか。(私の記憶違いかもしれないが、以前の事件でもあったような気がしたのだが。)
o10月で猛暑日 異常気象続く
oOECDの成人の国際学力調査で、読解力と、数的思考力では日本が世界一
:JR北海道も第一原発も、ヒューマンエラーだ。背景に組織全体の疲弊があるのは明らか。支援組織を立ち上げ、サポートに入りながら、人物金をつぎ込みつつ、抜本的なシステム化とカイゼン作戦が必要だ。小手先の対症療法では事態を悪化させる。
oストーカーによる女子高生刺殺事件
:警察対応に問題あるのでは。警察からの警告電話で、ストーカーの留守電に警察へ電話せよの伝言はは良かったのだろうか。(私の記憶違いかもしれないが、以前の事件でもあったような気がしたのだが。)
o10月で猛暑日 異常気象続く
oOECDの成人の国際学力調査で、読解力と、数的思考力では日本が世界一
天気:晴―mm 29.1 23.0℃ 64% 2.4m東南東
昨日はブログ類を書く以外は、ジムに行ったこと以外日常生活に変化はなかった。
(カフェでの読書の記載は、内容等の感想で触れることもあるが、行くという行為は、ほぼ日常化しているので、原則省略します。)
猛烈な残暑が未だ続いている。(大阪も真夏日寸前
ジムでは、初めから時速9kmで30分間約4.5km弱走った。
30分間通して走ったのは久しぶりである。
今後スピードをどれだけ上げることが出来るか、自分への挑戦だ。
一昨年の夏前に、ほぼ時速10kmで30分間走れるとことまでほぼ達成できていた。
そのときから水泳その他の運動や、行事で本格的トレーニングをしなかったので、筋力体力を落としてしまった。
現時点から、筋力、体力が落ちたことを認めて再出発し、ランニングに関しては時速10kmで、1時間走れる体力とスピードを目標にしたい。
今後昨日記は、日常の変化も無いのに行間をダラダラ埋める作業にならないようにしたい。
従って、これといった行事も無く、感じることもない日は、数行で終える予定。
昨日はブログ類を書く以外は、ジムに行ったこと以外日常生活に変化はなかった。
(カフェでの読書の記載は、内容等の感想で触れることもあるが、行くという行為は、ほぼ日常化しているので、原則省略します。)
猛烈な残暑が未だ続いている。(大阪も真夏日寸前
ジムでは、初めから時速9kmで30分間約4.5km弱走った。
30分間通して走ったのは久しぶりである。
今後スピードをどれだけ上げることが出来るか、自分への挑戦だ。
一昨年の夏前に、ほぼ時速10kmで30分間走れるとことまでほぼ達成できていた。
そのときから水泳その他の運動や、行事で本格的トレーニングをしなかったので、筋力体力を落としてしまった。
現時点から、筋力、体力が落ちたことを認めて再出発し、ランニングに関しては時速10kmで、1時間走れる体力とスピードを目標にしたい。
今後昨日記は、日常の変化も無いのに行間をダラダラ埋める作業にならないようにしたい。
従って、これといった行事も無く、感じることもない日は、数行で終える予定。
最近FBを見ていると、フリーズに近い状態が起きるようになり、再び「仮想メモリが不足しています」という警告が出た。
以前に同じことが起きたときには、ポップの指示に従って増量し、調子が良くなった。
今回は警告表示だけだった。
前回処理した手順は、忘れた。
仕方なく、仮想メモリで検索すると、前回と同じ仮想メモリの増量の方法が見つかった。
それに従い、スタートボタンからマイコンピュータを右クリックし、リストの一番下のプロパティーをクリックして、システムのプロパティを表示し、その中の詳細設定のタブをクリックした。
仮想メモリはこのPCではパフォーマンスに含まれていて、その設定ボタンをクリックした。
その中の、詳細設定のタブをクリックすると、仮想メモリの項目があったので変更ボタンをクリックした。
すると、仮想メモリの設定画面が表示され、ページングファイルのサイズ設定画面になっていた。
仮想メモリーはページングファイル単位で管理されているという。
Cドライブの設定は既定のままにして、Dドライブに仮想メモリを増やすことにした。ドライブのDをクリックして、カスタムサイズをクリックし
初期サイズを1000MB 最大サイズを2000MB
に設定した。
その前に、始めは2000-4000にして再起動させた。
すると画面の切り替わりがかなり遅くなった。
仮想メモリを大きくすると、メモリのデータを探す時間が必要なことに気付いた。
当然仮想メモリを大きくすると、動作=演算するたびにメモリに入れたデータを探す数が増加する分、データの出し入れに時間がかかり演算動作が結果的に遅くなるのだ。
それでとりあえずDドライブの仮想メモリを初期1000-最大2000MBに小さく設定して再起動すると、大幅に動きが改善されたが、仮想メモリ増量前より動きは少し遅くなった。
しかし、今までFBの写真の多いページを閲覧すると、見るページ数が多くなるにつれ、動きが鈍くなり、フリーズしていたが、そうしたことは、仮想メモリのDドライブの増量で、フリーズ無くスイスイ動くようになった。
以前に同じことが起きたときには、ポップの指示に従って増量し、調子が良くなった。
今回は警告表示だけだった。
前回処理した手順は、忘れた。
仕方なく、仮想メモリで検索すると、前回と同じ仮想メモリの増量の方法が見つかった。
それに従い、スタートボタンからマイコンピュータを右クリックし、リストの一番下のプロパティーをクリックして、システムのプロパティを表示し、その中の詳細設定のタブをクリックした。
仮想メモリはこのPCではパフォーマンスに含まれていて、その設定ボタンをクリックした。
その中の、詳細設定のタブをクリックすると、仮想メモリの項目があったので変更ボタンをクリックした。
すると、仮想メモリの設定画面が表示され、ページングファイルのサイズ設定画面になっていた。
仮想メモリーはページングファイル単位で管理されているという。
Cドライブの設定は既定のままにして、Dドライブに仮想メモリを増やすことにした。ドライブのDをクリックして、カスタムサイズをクリックし
初期サイズを1000MB 最大サイズを2000MB
に設定した。
その前に、始めは2000-4000にして再起動させた。
すると画面の切り替わりがかなり遅くなった。
仮想メモリを大きくすると、メモリのデータを探す時間が必要なことに気付いた。
当然仮想メモリを大きくすると、動作=演算するたびにメモリに入れたデータを探す数が増加する分、データの出し入れに時間がかかり演算動作が結果的に遅くなるのだ。
それでとりあえずDドライブの仮想メモリを初期1000-最大2000MBに小さく設定して再起動すると、大幅に動きが改善されたが、仮想メモリ増量前より動きは少し遅くなった。
しかし、今までFBの写真の多いページを閲覧すると、見るページ数が多くなるにつれ、動きが鈍くなり、フリーズしていたが、そうしたことは、仮想メモリのDドライブの増量で、フリーズ無くスイスイ動くようになった。
oみずほ暴力団融資問題で、説明が変化、前頭取承知。
:経営責任が問われるのでは
o台風24号対馬沖から北東に進む
o楽天田中連勝記録24連勝
:経営責任が問われるのでは
o台風24号対馬沖から北東に進む
o楽天田中連勝記録24連勝
若いときから、お詫びの方法として、土下座があるというのは知っていた。
今まで、仕事上で大きな失敗を犯して謝ったことはあるが、明確な記憶ではないが、土下座をして謝ったことはあったかもしれない。
確か、30代後半の頃、輸入品の不良が原因で、顧客の怒りが激しく、技術の代表責任者として営業と同行してお詫びに行ったときに、自ら進んで土下座に近い形のお詫びをして、怒りを静めてもらったことがあったような記憶がある。(30年近く前のことなので、思い違いがあるかもしれない。)
今日のNHKのクローズアップ現代の土下座のテーマで、先方や上司や客から土下座を要求することがあると聞いて驚いた。
更に、土下座をSNSで公開するものも多いと聞いて更に驚いた。
そういえば、先日土下座を強要して警察に逮捕された女のことが、ニュースバラエティーで話題になっていて、弁護士の解説によると、刑法で強要罪は脅迫罪より罪が重いという。
多分、これで土下座の乱用にある程度歯止めがかかる恐れがあるかもしれないと思う。
最近は、TVを意識して、ニュースになるような謝罪会見では、過剰な謝罪要求をする傾向が強い。
そのようなTVの映像に刺激されて、市民や企業の間でもそうしたことが、一般化しているのではないだろうか。
企業の謝罪会見での土下座は、コンサルタントに入知恵された芝居のような臭い感じがすることが多い。
土下座は、本来謝罪すべき本人が、最高の謝罪形式としての謝罪表現するものであり、他人から強要されるものではないだろう。
ましてやその姿を撮影し、ネットで公開するなんてもってのほかではないかと思う。
土下座の強要やネット上の土下座姿の公開は、一種のリンチではないかと思う。
土下座を強要したり、ネットで相手の土下座姿を公開する人たちは、日本人の常識の範囲を超え居るように思うし、現実に先述のように刑事事件として、強要罪で逮捕者も出ている。
更に、土下座姿のネット上での公開は、名誉毀損にも抵触するのではないだろうか。
その場合警察に告訴も可能かもしれない。(名誉毀損は、犯罪として刑事罰の対象となる。)
もし土下座を強要する上司が居るような、パワハラが常態化している会社は、辞める機会を狙って転職先を見つけてから辞めたほうがいいだろう。
特別の正当な理由も無く、感情的に支配するために土下座を強要して喜ぶたぐいの人たちとは、関係を絶ったほうが良いだろう。
世の中には一定の割合で、理性的な話が出来ないクレーマーが居る。
しっかりした根拠と論理があって非難や批判をする人と、根拠や論理も無い感情的なクレーマーや、相手を困らすための枝葉末節のことを取り上げる揚げ足取りとは、明確に区別すべきだし、全く違うものだ。
しっかりした根拠と論理があって非難や批判をする人とは、問題点の改善策や対応策も提案できる人が多いので、意見を取り入れて問題解決を図りやすい。
単なるクレーマーや揚げ足取りには、毅然と対応すべきだし、場合により業務妨害や強要脅迫として、警察に相談することも可能ではないだろうか。
反社会的勢力と思われる場合は、弱みをみせて妥協すると、相手の思う壺になり支配されるようになるので、すぐに警察に相談すべきであろう。
政治・経済・社会・文化(このブログは左記リンクのカテゴリー別「政治・経済・社会・文化」ホルダーに収納しています。)
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今まで、仕事上で大きな失敗を犯して謝ったことはあるが、明確な記憶ではないが、土下座をして謝ったことはあったかもしれない。
確か、30代後半の頃、輸入品の不良が原因で、顧客の怒りが激しく、技術の代表責任者として営業と同行してお詫びに行ったときに、自ら進んで土下座に近い形のお詫びをして、怒りを静めてもらったことがあったような記憶がある。(30年近く前のことなので、思い違いがあるかもしれない。)
今日のNHKのクローズアップ現代の土下座のテーマで、先方や上司や客から土下座を要求することがあると聞いて驚いた。
更に、土下座をSNSで公開するものも多いと聞いて更に驚いた。
そういえば、先日土下座を強要して警察に逮捕された女のことが、ニュースバラエティーで話題になっていて、弁護士の解説によると、刑法で強要罪は脅迫罪より罪が重いという。
多分、これで土下座の乱用にある程度歯止めがかかる恐れがあるかもしれないと思う。
最近は、TVを意識して、ニュースになるような謝罪会見では、過剰な謝罪要求をする傾向が強い。
そのようなTVの映像に刺激されて、市民や企業の間でもそうしたことが、一般化しているのではないだろうか。
企業の謝罪会見での土下座は、コンサルタントに入知恵された芝居のような臭い感じがすることが多い。
土下座は、本来謝罪すべき本人が、最高の謝罪形式としての謝罪表現するものであり、他人から強要されるものではないだろう。
ましてやその姿を撮影し、ネットで公開するなんてもってのほかではないかと思う。
土下座の強要やネット上の土下座姿の公開は、一種のリンチではないかと思う。
土下座を強要したり、ネットで相手の土下座姿を公開する人たちは、日本人の常識の範囲を超え居るように思うし、現実に先述のように刑事事件として、強要罪で逮捕者も出ている。
更に、土下座姿のネット上での公開は、名誉毀損にも抵触するのではないだろうか。
その場合警察に告訴も可能かもしれない。(名誉毀損は、犯罪として刑事罰の対象となる。)
もし土下座を強要する上司が居るような、パワハラが常態化している会社は、辞める機会を狙って転職先を見つけてから辞めたほうがいいだろう。
特別の正当な理由も無く、感情的に支配するために土下座を強要して喜ぶたぐいの人たちとは、関係を絶ったほうが良いだろう。
世の中には一定の割合で、理性的な話が出来ないクレーマーが居る。
しっかりした根拠と論理があって非難や批判をする人と、根拠や論理も無い感情的なクレーマーや、相手を困らすための枝葉末節のことを取り上げる揚げ足取りとは、明確に区別すべきだし、全く違うものだ。
しっかりした根拠と論理があって非難や批判をする人とは、問題点の改善策や対応策も提案できる人が多いので、意見を取り入れて問題解決を図りやすい。
単なるクレーマーや揚げ足取りには、毅然と対応すべきだし、場合により業務妨害や強要脅迫として、警察に相談することも可能ではないだろうか。
反社会的勢力と思われる場合は、弱みをみせて妥協すると、相手の思う壺になり支配されるようになるので、すぐに警察に相談すべきであろう。
政治・経済・社会・文化(このブログは左記リンクのカテゴリー別「政治・経済・社会・文化」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
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