散歩者goo 

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昨日記131013日(ジム ランニング時速9km27分4km ブログ)

2013年10月14日 16時45分46秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴―mm 26.0  16.5℃ 47% 2.1m北北東 

昨日は、ジムに行った。
実は、以前から「大阪ウオーク2013」に当日参加するつもりであった。
とにかく試しに30kmコースに参加しようと思っていた。
ところが、図書館から借りていた図書の返却日だったので、貸し出し延長手続きが必要だった。
延長手続きは家から電話でしても9時以降の受付で、「大阪ウオーク2013」の出発は8時半で受付は7時半なのでとても間に合わないので、諦めた。

そこで昨日記を書きながら、読んでいる本のことを少し書いていたら、以前読んだ司馬遼太郎の小説「疾風韃靼録」のときに調べた、韃靼や女真族=満州そして、その前の靺鞨(まつかつ)や高句麗といった民族を思い出し、改めて今借りている本に出てくる古代民族を調べていると、面白くなって午後1時半近くまでネットで調べて、昼食が遅くなった。

実は、「大阪ウオーク」がだめになったので、予定変更して水垣・岡本ご夫妻から案内をいただいていた「のせでんアートライン」に行く予定であったが、それにも間に合わなくなってしまった。
実は今日も、朝の間に「あまちゃん」総集編を途中まで見て遅くなったので、今からすべての家事やブログ書きや会計処理を置いて、能勢に出かけようと思っていたが、家事がいろいろ残っていて処理しないとたちまち食事に影響するし、いまもこのブログを書いていて、会計処理は先送りで、仕事が溜まる一方なので、まとめて区切りをつけたい。(2013/10/14/ 16時)

夕方になってカフェで読書した後ジムに行った。
時速9kmで27分4km走った。
夜11時ごろからNHKスペシャルで見た中国の宗教ブームの実態についての感想的メモを残す積りで書き始めたら、力が入り、3700字前後の長文となった。
お陰で寝たのは2時過ぎだった。
さらに今日は、その文章を読み直し、先ほどまで修正追加を加えていて、今日の作業にまで影響した。
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重要ニュースなし:ニュースメモ131013日

2013年10月14日 10時08分32秒 | 読書・考察・思索録
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中国が宗教を利用し始めた?(追)

2013年10月14日 01時13分12秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
今日(20013/10/13)のNHKスペシャル中国激動 「さまよえる 人民のこころ」(http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/1013/index.html)は大変興味深かった。

今、中国では宗教にすがる人が、急増しているという。
最近まで現代の中国では、共産主義思想の下で宗教は否定されてきた。
チベット仏教はじめ、多くのキリスト教や仏教の多くは弾圧されたと聞く。
少しでも政府に批判的なことを言うと、徹底して弾圧されていると指摘されている。
チベット仏教への弾圧は、マスコミで報道されているし、法輪功への中国政府の意見(http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm)を見てもその取り締まり姿勢は明らかであるが、我々には法輪功が本当にオームのようなカルト集団か判断できない。(本当のカルト集団なら、徹底した取り締まりも理解できるが、納得できる証拠報道が無い。)
カトリック教会と中国政府は今も対立しているが、中国国内にもカトリック信者が多くいる。

マルクスレーニン主義は、唯物論であり、唯神論の宗教とは水と油だ。
「宗教はアヘン」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-07-16/20100715faq09_01_0.html)とまでいっていて、中国共産党にとっては、排斥すべきものなのだ。

しかし、経済の発展により、中国では拝金主義が一般化し、心の問題が軽視されてきた。
共産主義や資本主義といった経済理論や哲学には、心が持つ欲望に対するブレーキ装置が無いため、お金を儲けたいというあくなき欲望や、自分さえよければよいという利己主義的考えに対し、制御ができないのだ。
利己主義の背景には、市場原理の導入がある。

市場原理の目的はより高い富を生むこと、即ち成果をあげることであり、そのための手法として市場価値の比較が原則であり、結果としてあらゆるものには比較=競争(原理)が伴い、同時にその比較競争に打ち勝つための考え方として、安くしたり付加価値をあげるため、効率至上主義が生まれる。

競争原理が徹底されるほど、成果を求めら、成果を挙げるために効率を追い求めて激しい競争となり、その結果、他人はライバルとなり、他人のことはかまわず自分の成績さえ上げれば良いという利己主義的傾向になるのは必然である。
即ち、市場原理の最高価値は、競争に打ち勝ち最高の成果を挙げることであり、生産活動や販売活動においては、必然的に成果至上主義を生み、同時にそれは、効率至上主義を生み、他人のことはどうでもいいという利己主義的精神風土を醸成する。

その結果、市場原理=競争原理を強力に推し進めることで、成果のみが問われ、成果は生産額や利益で代表され、それら儲けや生産・販売の成果、は計量できる金額として表示される。
即ち、富=成果・利益の結晶はお金であり、それは中国伝統の富の象徴としてのお金を尊ぶ考えにも合致する。同時に、富=お金を最高価値とする考えには、お金で何でも出来るという考え=拝金主義も、常に含まれるのである。(中国の伝統行事では、いたるところでシンボルとしてのお金や富としての物が登場する。)
このように、市場原理を徹底的に推し進めると、競争原理が強く働き、利己主義や拝金主義的傾向が強くなる。

利己主義や、拝金主義は、個人の価値観の問題であり、同時に心の持ち方でもあり、直接的な政治経済の問題ではない。
そのため、心の持ち方が大いに関係する、拝金主義・利己主義も絡む道徳問題が社会問題化しても、政治経済を扱う共産党の力だけでは手に負えないのだ。(共産党が市場原理を認め、強く推進する限り利己主義や拝金主義的傾向は、否定することができない。)
しかし、拝金主義や利己主義的考え方が広まった結果、人間関係で他人のことを思いやることができない、冷たい社会になり、人間関係はギスギスし、親族でさえ信頼や尊敬できない社会になり、そうしたことが人々に大きなストレスとなり、心の悩みを抱えるようになり、社会問題化し、その鬱積した精神的不安・不満が、何かのきっかけで暴動に発展した場合、大きな政治問題になりかねない。
又、このような個人の精神的問題を利用して、宗教団体が信者を増やし大きな勢力になった場合は、反乱の可能性もあり、歴史上、中国はそのような経験をしているので、政府としても治安上放置できない問題なのだ。

そのため中国政府は、宗教の力を借りて悩める人民の心や、道徳問題を解決しようと考えたのだろう。
番組では、この問題に取り組む2つの宗教にスポットを当てて、中国の地方政府の政治姿勢を含め、その実態を報道していた。
(地方政府の政治姿勢は、当然のことながら共産党中央の意向または指示を受けてのことと考えられる。)


一つは、儒教であり、もう一つはキリスト教である。
いずれも信者を急増させているという。
儒教に関しては、中央政府公認で、学校教育にも取り入れられているという。
もう一つのキリスト教は、信仰の自由の問題で欧米からのチェックが厳しいキリスト教の活動を監視しつつ、黙認の形で、対応しようというように見える。

キリスト教は、プロテスタントとカトリックがあり、プロテスタントの家庭教会は地方政府黙認の形のようであり、カトリックについては、一地方政府がカトリック教会の活動を支援している例を紹介していた。
私が思うのは、カトリック教会は、ローマ法王庁の関係もあり、外国勢力の介入ということで承認できないが、試験的に開放して様子を見ることで、欧米との関係も対立を解消できるので損は無いと考えたのではないかと思っている。
プロテスタントは、アメリカの宗教団体が係わることが多く、積極的に布教活動するので、実際はかなり政府のスパイを潜入させて監視を続け、変な動きがあれば強く取り締まる可能性があるのではないかと想像する。

儒教もキリスト教カトリックも、歴史的には、体制内宗教であり、時の政権の保護を受けていた時期が多い。
従って、中国も国王や皇帝を共産党に置き換えれば、昔に近い構図になる。
そういうことを考えると儒教もキリスト教も、その権力者が宗教の保護者としての権威を利用できるという利点もある。
特に儒教に関しては、基本は、親に孝、君に忠、そして愛国なので、君を実質的に中国共産党またはシンボルの毛沢東に置き換えれば、そのまま共産党政治に利用できる。

更に、この二つの宗教に共通している点は、心の問題、で自分だけがよければよい、お金さえ稼げばよいという考えから発生した、道徳的問題や人間関係の荒さを、他人への思いやりや他者を愛することで、根本的に解消できる可能性があることだ。


今の中国の儒教で強調されていることは、日本では当たり前のことで、常識化している。
日本は伝統的な儒教国のせいもあるが、日本の儒教は中国や韓国と違うところがある。
即ち、日本では道徳として儒教が取り入れられているが、中国や韓国では宗教として扱われ、孔子廟があるのだ。(日本にも孔子廟はあるが、基本的には論語を学び実践することが中心で、一般には信仰の対象としては広まらなかった。)

そのルーツは、江戸時代に、戦国時代の殺伐とした野蛮な文化を改めるために、幕府が儒教(特に朱子学)を取り入れ、武士の教養として学ばせ実践させたことが大きい。
これで日本が未開から文明の世界に仲間入りしたのである。(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)
このことが、現在の日本文化に及ぼした影響は、非常に大きい。

それに1982年に出版された「気配りのすすめ」鈴木健二著の影響で、伝統的な「気配り」の精神の見直しもされ、より一層細やかに相手のことを考えサービスするということにつながっているようだ。
それに気配りは、伝統文化の茶道や礼法の基本でもあるし、その他マナー関係本の普及や、論語ブームもあり、気配りや、論語の考え方は、近年すべての日本人に深く浸透している。
「おもてなし」をオリンピック誘致やビジネスに利用できるのも、このような背景抜きにしては、考えられない。、


ところで、共産党政権の中国が、宗教を解禁し政治的に利用し始めたのは、2000年以後との説明があったような気がする。
いずれにせよ、宗教の積極利用は、近年に違いないだろう。
そのきっかけとして、中国政府や共産党は、サミュエル・ハンチントン氏の「文明の衝突」の分析を参考にしたのではないかと、根拠は無いが勝手に想像している。

この本は、1998年に出版されたために、現在の2013年時点では多少国際関係の予測の外れているところがあるかもしれないが、多くの現代の国際政治情勢や国際紛争の事例について、的確な分析がなされている。
この本の内容は、宗教や文化や民族と文明圏や国家といった問題がテーマなので、中国という国と共産党のイデオロギーと宗教と社会の動きといった関係の将来について、かなり参考になるところがあったのではないだろうか。
この本では、宗教が文明圏の大きな構成要素になるということも指摘されている。
しかも、現実的には人為的に線引きされた国家より、文明圏の影響のほうが強く、そのために引き裂かれた不安定な状態の国家が多数存在するという。
例えば、ギリシャは、ヨーロッパのように見えるが、宗教がキリスト教東方教会(ギリシャ正教)でロシアやスラブ圏と親和性が強く同じ東方教会のロシアとも関係が良好というが、ギリシャはEUに入っている。
因みに西欧(西ヨーロッパ)とは、カトリックとカトリックから分かれたプロテスタントの国々が中心の集団といい、自由や民主主義を基本にした西洋文化を持つ国々である。
この本では、儒教文化圏=中華文化圏(シンガポールも含まれるほか、東南アジアの華人経済ネットワークは、その国の経済を左右する力を持っている。)についても注目しているが、中国の国際政治戦略の基底部分を構成しているのかもしれない。
中国が宗教政策の変更で、国内政治や民心を安定させ、儒教文化圏の核となる国になり、国力を増し、国際政治でさらに影響力を増すのか注目したい。


参考
日本が、未開の国から儒教を基本とした文明国になったのは、江戸時代からと考えられている。
「日本の未開から文明へ 天草の乱と綱吉」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)







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