教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教員・保育者養成についてまとまらないメモ

2015年12月08日 19時47分18秒 | 教育研究メモ

 ごぶさたしております。授業・授業準備や会議出席、学生指導であっという間に日が過ぎる毎日を過ごしております。

 そんな中、書きたい論文があり、いろいろ時間繰りをして時間を確保して書きまくっております。先ほど、ようやく一番重い論文を最後まで書ききりました。出来にはあんまり満足していませんが、あとは微調整程度にして、いったんこれで筆をおこうと思います。他にもしないといけないことが山積みなので。

 さて、今度の13日に同世代の研究者が内輪で集まって、広島文教女子大で教育学と教員養成に関する研究会を開きます。上の論文は、ここで発表するためのもの。「教員養成における教育史教育」と題して発表します。隣接領域の教育哲学会の動向をきっかけに、教育史学会シンポジウムの教育史教育論議を整理しながら、今後、教員養成における教育史教育について何を考えなければならないかと明らかにします。また、思弁的にならないように、自分の教育史教育の実践例も提供します。
 なお、私の発表のほかに、後輩たちが教育におけるエビデンス(根拠・明証性)問題について発表してくれます。正直言うと、恥ずかしながら今までこの議論の聞き方がわからなかったのですが、今回、教育史教育・研究の有用性を模索する中で、なんとなく聞き方がわかってきました。こういう機会を提供してくれた先輩・後輩に感謝です。

 以下、まとまらない頭で、もしゃもしゃ考えていること。

 エビデンスは内部(現場や政策形成の場)から評価したり捉えなおすことは難しい。様々な教育問題に対して「確からしい」答えを提供する教育政策・実践について、それらをしっかり評価・捉え直しをするには、多様な意味連関や文脈の中でその機能・帰結を評価できる教育学が必要である。そのうち、歴史的視点から評価するのが教育史研究であり、そのような歴史的視点を養うのが教育史教育ではないか。教育哲学も、教育社会学も、比較教育学も同様のことが言えそうだ。
 教師には、教育研究(実践だけでなく政策・制度・思想・方法の研究も含む)する際に、教育問題を評価・分析するために多様な情報を収集・選択・評価・構成する力が必要である。教員養成における教育史教育は、教育史教材を通してそのような力を養い、教師候補者たちに教育問題を評価・捉え直す教育学的立場を形成することができるのではないか。教育問題への向き合い方を教えるのが、教育学教育であり、教育史教育ではないか。そこで具体的に育てられていくものは、批判的思考力とか、問題解決力とか言われるものなのかもしれない。
 研究会の事前学習を通して、こんなことを妄想しています。飛躍のある話なので、論文・発表には反映させていませんが、今後の課題を考える時のアイディアになりそうです。

 今、本学初等教育学科幼児教育コースの2年生の研究的態度を「保育者論」と「幼児教育学演習Ⅱ」で徹底的に鍛え、同3・4年生中の白石ゼミ生の研究的態度も卒論指導の中で鍛えているところです。私は「研究する教師・保育者」を育てたいと思って育てていますが、私の実践は上のような捉え方もできるのかもしれません。

 とかなんとか。

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