13日、広島文教女子大学内で教員養成と教育学に関する研究会が開かれ、「教員養成における教育史教育」と題して発表しました。この研究会は、小さい内輪の研究会です。今回の参加者は、私以外、教育史ではない若手の教育学者でした。その中で、教育史教育が教員養成にどうかかわることができるのかについて発表しました。もともと、2015年の教育史学会大会シンポジウム「教育史研究と教師の教養形成」について報告してくれと頼まれていたのですが、前後の状況や教育哲学会の動向も含めて考えたいな、「こう考えた」ではなくて実際に行った実践とあわせてまとめたいなと思い、下のような構成でまとめました。
教員養成における教育史教育
はじめに
1.教員養成における教育哲学の「役立ち」の模索
2.教育史学会大会シンポジウムにおける教育史教育の問題
(1)現実の教育問題や学生に応じた教育史教育の模索―1970年代
(2)教員養成を超えた教育史教育の可能性―1993年
(3)教職教養の形成役割に対する再注目―2015年
(4)教育史教育論に残された課題
3.教員養成における教育史教育の試み
(1)原理・理論系科目における問題史教育の実践
(2)問題史的通史教育の模索
おわりに
こんな構成です。教育哲学会の議論も、教育史学会の議論もきわめて多様で、ひとつのテーマに収まるものではないのですが、教員養成における教育史教育に注目してまとめることに意義はあると思ってまとめました。議論は多様な問題意識・事実認識で行われてきていたため、かなり乱暴にまとめることになってしまいました。しかし、教員養成における教育史教育の問題があまりに問題にならない現状に対して、私は強く危機感を感じており、批判覚悟で誰かがまとめないといけないと思って、思い切ってやりました。
作成中および発表後の質疑応答を通して、大なり小なり発言の取りこぼしや議論の単純化をしてしまうことに迷いを感じました。しかしそういった迷いは、今後の研究課題として残すことにしました。まとめられるものではないというあきらめは思考停止にすぎないですし、当事者たちの反論・訂正・補足や、新たな研究を引き出すことができれば意味はあるんじゃないか…と思っています。1970年代以来の議論をまとめてみて強く思いましたが、未展開な論点があまりに多く残されており、それらを放置して議論が止むのがもっともまずいことだと思っています。無視されなければいいな…。
教育史教育、または、少なくとも教育史教材は教員養成にはなくてはならないものだと思っています。そこにもっと関心が集まって議論が深まってほしいと思います。
来年3月くらいに活字化できるようにがんばります。