先日挫折を味わっておりました「教育原理Ⅱ」ですが、本日授業がありました。戦略的にいろいろ対策を練っていきましたところ、対策が「あたった」(完璧とはいきませんでしたが)、手応えが少なからずあった、という感じです。
何より、授業が終わった後、ある学生が「今日は100%できた!」と言って帰って行ったのが、とても印象的でした。(できた=がんばった=寝なかった、という意味のようです)
何をしたのかというと、今日意識的にした「授業のしかけ」は以下のような感じです。
○授業の雰囲気づくり
いつも以上に明るく振る舞いました。授業の雰囲気は学習意欲に直結しますので、「やるぞ!」という気持ちを引き出しやすくするように。
「難しい…」「またわからないんだろうな、いやだなぁ…」という暗い気分を吹き払うように。言葉も前向きに、テンポ良く。
一昔前の自分なら、自分の暗い気分を引きずって、明るくなりきれなかったでしょう。昔それで失敗したことも思い出しました。教育環境を整えるのは教師の役目。教師も人的環境の一つであり、それも重要な教育環境。自分がそんな風に学生に教えていることとも、整合性をとる必要がありました。失敗の教育経験と自分の教えている内容とが、私を前向きにさせてくれました。
○「やるしかない」という意識づけ
単位のこと、せっかく履修したこと、学生だけでなく教師も努力すること、選択科目なので内容レベルはこれ以上下げられないこと、「わかる」ためには予習して既存の知識を増やすしかないこと、ちょうど内容の方向性が変化する切り替わりの時期であること、「わかる」上で必要であるとともに努力する具体的な課題を示したこと、その課題を評価に直結したこと、などなどを学生に語りかけました。
課題というのは、授業で取り上げている人々のうち2人を選んで自由に調べてくることです。予習(または復習)として、既存知識を増やして授業理解の基盤とすることをねらっていますが、調べているうちに興味をもつようになることも期待しています。授業理解に必須なのは、既存の知識経験と興味関心ですので。
また、「この授業に対する満足度は低いかもしれないが、少なくとも、自分はこの授業でがんばった!と最後に言えるようにしていこう」ということも強調しました。
このあたりで、学生の雰囲気が少し変わった感じがしました。「やってやろう」という気分が芽生えたように思われました。幸い、うちの学生たちは、素直で根は真面目でやるときはやるので、私の力というより、学生たちが良かったのだと思います。そういう燃え始める学生が何人か出てくると、その周りも少しずつ燃え始めます。そんな相乗効果(延焼効果?)もあったのかも。
○学生の様子に応じた授業テンポの調節
上述のようなことをしたのが良かったのか、今日は学生の「息づかい」を感じやすくなっていました。ちょっと飽きてきたかな、ちょっとおもしろがっているな、という感じが、今日はいつもより感じられました。
たまたま今日の授業内容(明治期における幼稚園の受容)が、私の得意とする分野(明治教育史)に近いことも幸いしたのでしょう。私自身がまとめていておもしろかった内容(湯川嘉津美氏の日本幼稚園受容史研究)を中心に構成していたのもあるでしょう。授業内容を自分の中でよく消化していたので、学生の様子に柔軟に対応しやすかったのだと思います。
教師自身の授業内容の理解度が授業の良さを左右する、という授業の原則を、今日は改めて実感しました。
○資料の徹底的な絞り込み
今日はこれまでの作り方とは違う教材を提供しました。資料を徹底的に絞り込み、余分なものは含まない、そして授業の流れに沿って資料を配列する、そういう作り方です。これは、「教育原理Ⅱ」以外の授業ではいつもやっている教材の作り方ですので、むしろ今日の教材づくりの方がいつも通りなのですがね。
授業もスムーズに進められました。これまでの「教育原理Ⅱ」の教材の作り方がまずかったのだな、と改めて反省です。
今思い出せるのはこんなところでしょうか。
今求められている教師とは、「学生を燃えさせ、熱くさせる教師」である。マンガによる教師像の研究(山田浩之氏)で、そんな感じのことが明らかにされていたことを思い出しました。
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