教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

道徳授業は難しい

2019年11月09日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 「道徳授業は難しい」
 その通り。難しいと思ってもらわなければ、考えもなしにやられてしまってはよくない。子ども達にとってむしろ害になる授業になってしまうことだってある。授業者は、大いに悩むべきだ。

 道徳授業が難しいのは、道徳授業が生き方を問う時間であり、授業者の人生が問われる時間だからである。道徳授業では、授業者がこれまでどれだけ真剣に生きてきたかが問われてしまう。「おまえはこれまで、自分の生き方から目を背けず、ちゃんと生きてきたのか」と、子ども達に、そして自分自身に問われてしまう。そんな風に詰め寄られたら、誰でも困るだろう。普通の人なら、答えにくいから、「それは…難しいですね…」とお茶を濁そうとするかもしれない。しかし、授業者はこの問いから逃げられない。
 道徳授業は確かに難しい。道徳授業で取り扱う価値には、友情、信頼、協力、礼儀、マナーなどがある。人は、当たり前のようにこれらの価値を基準にして生きているが、これらの価値にきちんと向き合って生きている人は少ない。当たり前のことを問い直すことは極めて難しいことだから、しかたないことである。しかし、道徳授業ではそれを問い直すから難しいのである。
 道徳的価値の問題について、自分なりの答えをもつことは簡単ではない。一生かかっても無理かもしれない。しかし、調べ続け、考え続け、言葉にしていくことはできる。よりよい人生について考え続けるならば、その点で子どもと大人(授業者)との間に違いはない。よりよい人生について考え続ける者同士が、よりよい人生について考える時間を共有するのが、道徳授業であると考えたらどうだろうか。ただし、授業者が子どもと同じレベルの思考で止まっていたら、とうてい授業を始められない。今何を主題にすべきか、どのように考えれば少しでも考えが進むのか、授業者がわかっていなければ意味のある授業にはならない。授業者は今の自分の到達点をさらして、授業をつくるのである。
 道徳授業の難しさを少しでも実感したならば、授業者は、子ども達よりも、少しでも一歩思考を先に進めるための努力をしてほしい。考え続けることに一生を捧げた古今東西の哲学者ですら答えを持つことは容易ではないのだから、普通の教師がすばらしい答えを持つことに焦る必要はない。しかし、これだけは言える。道徳授業をする教師は、自分の生き方から目を背けず、他から学ぶ姿勢を保ち、考え続けなければならない。
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