4月の怒濤の反動か、いまいち力が出てこない状態。来週以降、4月を超える毎日が6月まで続きます。この状態で来週に突入するとマズイので、がんばって回復中です。
さて、気分直しにマンガの話と、そこから脱線して教育の話を。
以前話したことのある、とよ田みのる『友達100人できるかな』(講談社、アフタヌーンKC)ですが、最近、最終刊の第5巻が出ました。この作品は、36才の小学校教師が宇宙人の侵略から地球を守るために小学3年生になって、1980年代を舞台に友達を100人つくる、というもの。あらすじだけを述べるとトンデモない話ですね(笑)。とよ田さんの作品らしく、毎話毎話、感動させてくれました。私には涙を流さずにいられた話はなかったです。5巻では、ついに友達100人を作って大団円(かなり強引でしたが笑)。終わって欲しくない、と思った作品は久しぶりでした。
この作品のテーマは、おそらく「愛」「友情とは何か」だと思います。相手を思いやり、相手のために尽くすこと、それが「愛」「友情」なんだと、まっすぐに伝えてくれました。
私の実践上の課題はたくさんありますが、最近の一つは「教育愛とは何か」です。私自身、「人を愛する」とか「愛される」とかいった感覚が今ひとつ実感ないので、昔はまったく興味関心のないテーマでした。しかし、実際に教壇に立つようになって、子どもたち(学生たち)との間に教育関係を結ぶには何が必要なのか、そして現に子どもたち(学生たち)に対して感じている自分の気持ちは何なのだろうか、と考えるようになりました。とよ田さんの作品は「たかが」マンガですが、人間関係における「愛」について、感覚的に感じるきっかけを私につくってくれました。
教育愛?そんなうさんくさい、そんなもん必要ない、と思った人は、教師・教育とは何か少し考えた方がいいと思います。「愛」という言葉が受け入れにくければ、「思いやり」でもいいでしょう。教育愛とは、教育関係における愛であり、異性愛とも、母性(父性)愛とも、宗教的愛とも違うものです(それぞれが重なり合うことはあるでしょう、たとえば教育愛と母性愛など)。教師が被教育者へ自主的・積極的にかかわろうとする気持ち。被教育者の幸福のために、能力を引き出し、引き上げようとする気持ち。先人と我々が積み上げてきた文化を伝え、我々の社会へと導こうとする気持ち。被教育者が愛を知り、他へ愛を抱くように導いていく教育方法。教師をして、様々な困難を乗り越えて教育へと向かわせる動力源、エネルギーの源。教師を教職に永く就かせ、教職の専門性を高める原動力。
教育は、教育対象に対する深い理解を基礎としながら、現在と将来との利益・幸福を目指して行う、人間と人間とのコミュニケーションです。相手を思いやらなければ、教育は成立しない。被教育者を思いやらなければ、教師は務まりません。知識や技術だけでは、権威だけでは、教師は務まりません。現在、保育者養成にかかわっているため、余計にこう思うのかもしれません。
教育原理教科書にあった「エロース」論だとか、ペスタロッチ-だとかを読みかじってきましたが、私にとっては、今のところシュプランガーの「教育愛」論が一番かちっと入ってきました。倉橋惣三の「育ての心」も、なるほどと思いました。まだまだうまく語れませんが、教師のあり方を語る概念として、間違いなく重要なものだと確信しています。