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教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

日本において「教育」はどう使われてきたか

2007年05月27日 17時34分32秒 | Weblog
 また何を始めたのか…と思われそうですが。
 昨日今日と中途半端に休んでしまいました。中途半端というのは、何もしていないようで、なにげに勉強のような研究のようなこと(これも中途半端だ)をしていたので。何をしていたかというと、「教育とは何か」というテーマで、日本における「教育」という言葉の使われ方を調べておりました。「そもそもの意味」や日本に入ってくる前のeducationの意味には、(もちろん調べる過程でチェックしていますが)あまり興味がありません。今我々が使っている「教育」という言葉は何を意味してきたのか、さらには今何を意味するのか、そして将来何を意味するようになるのか。こういったことを知りたいのです。「日本において『教育』という言葉はどう使われてきたか」という問題に、歴史研究の手法で答えた論文がいまいち見つからないので、ちょっと不満気味。この問題は、素朴で単純、かつ大きくてつかみ所のない問題だとは私も思います。ただ、これに答えられなくてどうして日本で日本人相手に教育学(の一部)を教えられようか、…と気負ってみたり。
 今日の勉強でピンときたのは、孟子の一説と、幕末・明治初期にeducationの訳語として定着したということと、箕作麟祥訳『教導説』(明治6年)が明治11年に『教育説』と改題改訳されたというところ。しばらくは参考文献・脚註をたどってもう少し調べてみようと思います。教育原理系の教科書をチェックするのもいいかな。いくつか紀要・雑誌論文もチェックしたので、手に入れて読んでみようと思います。とくに広田照幸『教育言説の歴史社会学』の該当部分(「教育的」の論文)は、明日にでも読み返してまとめてみたい。
 日本における「教育」の語源や定着に関する論文について、おすすめの論文があれば是非教えてください。

<今日のところの参考文献>
・寺弘昭「歴史のなかの教育」天野郁夫編『教育への問い―現代教育学入門』東京大学出版会、1997年、247~278頁。
・中内敏夫『教育思想史』岩波テキストブック、岩波書店、1998年。
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