S先生主催の日本東洋教育史研究会に出席するため、広島に行っておりました。
さて、前回の記事に青隼さんから「教育会は、現在の教育委員会の前身のようなものか?」と質問がありました。教育会研究を専門としている私としてはしっかり答えたいですし、同じく教育会研究をしている研究者もたまにこのブログを見ており、私の答えにツッコミを入れたくなるかもしれませんので、独立記事を設けます。
さて、戦前の教育会は、現在の教育委員会の前身でしょうか? 今回の質問だけでなく、以前私もそういう風に理解している人に会ったことがあります。教育会研究者としては、答えなくてはならない問いでしょう。なお、教育会とは、明治10年代以降、都道府県郡市町村を結成単位とし、各地の教育行政官・教員・名望家などを構成員として、各地における教育の普及・改良のために教育諮問・答申や教員研修、教育研究・教材開発などを担った私立教育団体です。明治23(1890)年には、全国に700余団体の教育会が結成され、会員10万人に達したといわれています。
私は、教育会と教育委員会とは似ているが、性質上異なるものであり、歴史上の直接の連続関係はない、と答えたいと思います。教育委員会は、「地方教育行政行政の組織及び運営に関する法律」に規定された各地方公共団体ごとに設けられた教育行政機関であり、管轄区域内の学校の設置・廃止や教職員人事・研修などのさまざまな担当しています。教育会は、たびたび法制化の希望はありましたが、結局、直接対象となる法的規定はとくに設けられていない私立団体です。教育会は、都道府県・郡区町村といった行政区域ごとに結成されることが多く、活動区域はたしかに教育委員会に似ています。しかし、教育委員会は教育行政機関であり、教育会は私立団体かつ特別な法的規定はありません(明治前中期ごろの公立教育諮問会議としての教育会、いわゆる「学事会議」は例外)。
現在教委が担っているさまざまな役割は、戦前においては各自治体がそれぞれ役割分担して担っており(都道府県知事・郡区町村長・学務課・視学・学務委員など)、教育会が担当していたわけではありません。ただし、本来なら各自治体が行うはずの教育行政事業について、教育会が代わりに担当することはありました(たとえば、教育諮問答申、教員研修・養成、社会教育事業、教育調査など)。ですので、教育会の役割は、地方教育行政の補完であっても地方教育行政そのものではありません。そのため、教育会と教育委員会との歴史的連続を主張するのは、無理ではないかと思います。
ただ、教育委員会の目的は、法律によれば、教育の機会均等、教育水準の維持向上、地域の実情に応じた教育の振興です。教育会の目的は、各教育会ごとに微妙に異なりますが、基本的には教育の普及・改良であり、現在の教委が掲げている目的と意味合いは似ています。また、ほとんどの地方教育行政関係者が教育会の運営にかかわっており、現在なら教育委員に選出されるような地方の有識者・教育者も教育会に入会し、活動していたことが多く、人的構成からあまり区別がつきにくいのも確かです。さらに、教育会の実質的組織は、教員人事にかかわっていた教育行政官や有力校長を中心に構成されていましたので、教員人事などに影響力を持っていたのではないかと、ささやかれることもあります。教育会と教育委員会とは、ある意味似ている、とは言えるかもしれません。
今の人々が教育会とは何かと興味をもっても、現在のものにイメージして例えるものがなくて、理解しにくいのは確かです。戦後、教育会は総力戦体制に積極的に協力していたことから糾弾され、その結果ほとんどの教育会が解体され、その財産(教育会館など)を教職員組合が引き継ぎました。戦後引き続き存続し、実質的な活動を行いえた教育会は、信濃教育会・山口県教育会など数えるほどしかありません。教育会と教職員組合とでは、歴史も目的も組織・活動内実もまったく違います。戦後、多くの地域では教育会が解体されたままで代替する組織も現れないまま、戦前の教育会が担っていた役割は失われてしまったのではないでしょうか(今も失ったままのところも?)。そのため、現在の人々が例えるものが見当たらないのだと思います。
なお、資料はまだ目にしていませんが、戦後、教育行政官がしばしば教育会がなくなったことを嘆いていたという話をよく聞きます。教育会は、教育行政に密着していたために問題も多かったようですが、戦前の教育行政を補完するなくてはならない存在であったと思います。教育会は当時においてもさまざまな矛盾・問題を抱えていたため、そのまま今に適用するわけにはいきませんが、今でも各地域で教育を組織しようとするときに学べることはあるのではないかと思います。教育会研究は、各地域の教育の実際を支えていくために、行政から現場までひっくるめて組織化・実践するあり方を考えるときに一考する価値ある、重要な方法だと思います。それは、自分たちが実際住んでいる地域で、かつて自らの先祖や先達たちが実際に経験し、実践してきた事実から学ぶことなのですから。
さて、前回の記事に青隼さんから「教育会は、現在の教育委員会の前身のようなものか?」と質問がありました。教育会研究を専門としている私としてはしっかり答えたいですし、同じく教育会研究をしている研究者もたまにこのブログを見ており、私の答えにツッコミを入れたくなるかもしれませんので、独立記事を設けます。
さて、戦前の教育会は、現在の教育委員会の前身でしょうか? 今回の質問だけでなく、以前私もそういう風に理解している人に会ったことがあります。教育会研究者としては、答えなくてはならない問いでしょう。なお、教育会とは、明治10年代以降、都道府県郡市町村を結成単位とし、各地の教育行政官・教員・名望家などを構成員として、各地における教育の普及・改良のために教育諮問・答申や教員研修、教育研究・教材開発などを担った私立教育団体です。明治23(1890)年には、全国に700余団体の教育会が結成され、会員10万人に達したといわれています。
私は、教育会と教育委員会とは似ているが、性質上異なるものであり、歴史上の直接の連続関係はない、と答えたいと思います。教育委員会は、「地方教育行政行政の組織及び運営に関する法律」に規定された各地方公共団体ごとに設けられた教育行政機関であり、管轄区域内の学校の設置・廃止や教職員人事・研修などのさまざまな担当しています。教育会は、たびたび法制化の希望はありましたが、結局、直接対象となる法的規定はとくに設けられていない私立団体です。教育会は、都道府県・郡区町村といった行政区域ごとに結成されることが多く、活動区域はたしかに教育委員会に似ています。しかし、教育委員会は教育行政機関であり、教育会は私立団体かつ特別な法的規定はありません(明治前中期ごろの公立教育諮問会議としての教育会、いわゆる「学事会議」は例外)。
現在教委が担っているさまざまな役割は、戦前においては各自治体がそれぞれ役割分担して担っており(都道府県知事・郡区町村長・学務課・視学・学務委員など)、教育会が担当していたわけではありません。ただし、本来なら各自治体が行うはずの教育行政事業について、教育会が代わりに担当することはありました(たとえば、教育諮問答申、教員研修・養成、社会教育事業、教育調査など)。ですので、教育会の役割は、地方教育行政の補完であっても地方教育行政そのものではありません。そのため、教育会と教育委員会との歴史的連続を主張するのは、無理ではないかと思います。
ただ、教育委員会の目的は、法律によれば、教育の機会均等、教育水準の維持向上、地域の実情に応じた教育の振興です。教育会の目的は、各教育会ごとに微妙に異なりますが、基本的には教育の普及・改良であり、現在の教委が掲げている目的と意味合いは似ています。また、ほとんどの地方教育行政関係者が教育会の運営にかかわっており、現在なら教育委員に選出されるような地方の有識者・教育者も教育会に入会し、活動していたことが多く、人的構成からあまり区別がつきにくいのも確かです。さらに、教育会の実質的組織は、教員人事にかかわっていた教育行政官や有力校長を中心に構成されていましたので、教員人事などに影響力を持っていたのではないかと、ささやかれることもあります。教育会と教育委員会とは、ある意味似ている、とは言えるかもしれません。
今の人々が教育会とは何かと興味をもっても、現在のものにイメージして例えるものがなくて、理解しにくいのは確かです。戦後、教育会は総力戦体制に積極的に協力していたことから糾弾され、その結果ほとんどの教育会が解体され、その財産(教育会館など)を教職員組合が引き継ぎました。戦後引き続き存続し、実質的な活動を行いえた教育会は、信濃教育会・山口県教育会など数えるほどしかありません。教育会と教職員組合とでは、歴史も目的も組織・活動内実もまったく違います。戦後、多くの地域では教育会が解体されたままで代替する組織も現れないまま、戦前の教育会が担っていた役割は失われてしまったのではないでしょうか(今も失ったままのところも?)。そのため、現在の人々が例えるものが見当たらないのだと思います。
なお、資料はまだ目にしていませんが、戦後、教育行政官がしばしば教育会がなくなったことを嘆いていたという話をよく聞きます。教育会は、教育行政に密着していたために問題も多かったようですが、戦前の教育行政を補完するなくてはならない存在であったと思います。教育会は当時においてもさまざまな矛盾・問題を抱えていたため、そのまま今に適用するわけにはいきませんが、今でも各地域で教育を組織しようとするときに学べることはあるのではないかと思います。教育会研究は、各地域の教育の実際を支えていくために、行政から現場までひっくるめて組織化・実践するあり方を考えるときに一考する価値ある、重要な方法だと思います。それは、自分たちが実際住んでいる地域で、かつて自らの先祖や先達たちが実際に経験し、実践してきた事実から学ぶことなのですから。