今日は雨の中、島根県浜田市に日帰り出張。実習の巡回指導のためです。学生を指導した後の帰り道、ごちゃごちゃモヤモヤ、いつまでもぼんやりしていたのではダメだ、と思いました。
急に、頑張れそうな感じがキタ!
大学に戻って仕事を終えた後、区民センターへ。軽く運動して、心身の疲れと暗い気持ちをぶっ飛ばしておきました。(`・ω・´)
写真は、昼休憩に立ち寄ったゆうひパーク浜田から浜田港付近です。
今日は雨の中、島根県浜田市に日帰り出張。実習の巡回指導のためです。学生を指導した後の帰り道、ごちゃごちゃモヤモヤ、いつまでもぼんやりしていたのではダメだ、と思いました。
急に、頑張れそうな感じがキタ!
大学に戻って仕事を終えた後、区民センターへ。軽く運動して、心身の疲れと暗い気持ちをぶっ飛ばしておきました。(`・ω・´)
写真は、昼休憩に立ち寄ったゆうひパーク浜田から浜田港付近です。
いいことも楽しいこともあって順調なのですが、心のコントロールがうまくいってない感じです。楽しかったり、気分が落ち込んだりしてます。そして、根本的な欠如感・不足感・孤独感。めんどくさい奴がきました。疲れがたまってるのかなあ。時間かけてでも、しっかり気分転換した方がいいのかも。
論文はあともう少しでできそうです。いつも同じなんですが、制限字数オーバー。削る作業したくないなあ。授業づくり・改善は、まだ本読みの段階。できそうな感触はあるので、大丈夫だと思いますが、気持ちは焦ります。来年度の未知の仕事も不安。
働けば働くほど、焦燥感と孤独感は深まっているような気がします。で、変なもがき方をして、周りを困惑させてしまう(この独白なんかまさにそう…)。20年くらい続いている、いつものループ。働くことでしかこの埋め方を知らないけれど、たぶんこのやり方は間違ってるんだろうな。
3月9日から12日まで、3泊4日で国立江田島青少年交流の家を拠点とした野外活動のため、引率でついて行ってました。野外活動は、初等教育学科2年生の必修科目です。登山や野外炊飯、星座観察、レクリエーション、キャンプファイアーなどを行いました。
例年は8月に別の場所で行われるのですが、例の災害のため3月に延期になり、場所も変更になりました。三寒四温の3月、運悪くちょうど寒い時期に当たってしまい、なかなか過酷な野外活動になりました。しかし、体調を極端に崩す学生がほとんどいなかったのは、正直言って驚きでした。学生たちの自己管理がしっかりしていたということでしょう。感心しきりです。
私はというと、この十年くらいまともに運動してこなかったツケがまわって、体調ギリギリの生活を過ごしておりました(^^;)。自分の体力のなさや高所恐怖症の症状に絶望しながら、久しぶりに自分の限界を超える体験をしました(笑)。次はしっかり体力づくりしてから行こう…!と固く誓いました。
限界を超える経験をしたのは学生も同じのようです。イヤなことは最初からやらない現代っ子の学生にとって、貴重な経験だと思います(私も含め笑)。限界を超えた経験は、今後の生活を変えます。困難な状況に直面したときに、「あのときに比べれば…!」「あのときは乗り越えられたんだ!」と踏ん張ることができるようになるのです。問題解決能力の育成に、間違いなく役に立つと思います。
たった4日でしたが、短い間にも学生たちは目覚ましく成長しました。仲間意識の高まりはもちろんですが、なにより指導者としての自覚や責任感が、実感のこもった形で芽生え始めていたように思います。到着当初、学生たちは子どもっぽい発言や行動をしていましたが、少しきっかけを与えただけで変化を始めました。毎晩の反省会や最後の閉村式での発言を聞く限り、言葉だけではなく、実感をこめて指導者としての自覚を口にしていたように感じました。彼女たちの振るまいをみていても、明らかに初日に出会ったそれとは違っていました。学生たちの成長を間近で目にすることができたのは、収穫でした。本当に大変でしたが、大きな意義のある活動だと思います。
みんな、よくがんばったね。
以下の写真は休憩時に撮ったものです。
一日目、到着時に宿舎から見える瀬戸内海
四日目、早朝登山(水晶山)にて山頂直前の急斜面
四日目、水晶山頂上より
二日目・三日目は、シャッターチャンスはいくらでもありましたが、疲労困憊状態で写真どころではありませんでした…(笑)
ただいま、論文執筆中。
日本教育協会(昭和24(1949)年結成)について研究しています。この団体は、明治以来の中央教育会の伝統を継承する団体で、今でも日本連合教育会と名前を変えて活動中です(昭和27(1952)年改称)。この研究については、以前にまとめたことがあったのですが(口頭発表業績一覧の20番)、新しく資料調査を進めたのでまとめなおしています。今のところ、以前きちんと調べきれなかった先行研究の整理が終わり、「はじめに」を書き上げました。何とかまとまりそうです。
早く論文を終わらせて、授業を作らなきゃと思っています。
この10日ほど論文公開と一緒に書いていた一言日記を移動。短文ですが、並べてみると意外に流れが見えてきますね(笑)。
2月14日(土) 先日から連夜飲み会です。今日は児童教育コース(小学校教員養成)三年生の結団式とのこと。教員採用試験に向けて結束力を高める会の様子。
2月15日(日) 連夜の飲み会は楽しく終わりました。しかし、なぜだかモヤモヤは晴れず、憂うつな日曜を過ごしています。孤独感。はあ、こいつばっかりはどうしようもない。いくら仕事をしても取り除けない。
2月16日(月) だいぶ落ち着きました。幼児教育コース3年生の大半は、今日から保育実習が始まり、聞くところによると緊張している様子。がんば。
4年生は、卒業式や就職前研修の合間を縫って、卒業旅行に行く人が多いようですね。気をつけてね。
2月17日(火) ようやく学会の頼まれ仕事をする時間ができました。
2月18日(水) 今日は会議づくしの一日でした。
2月19日(木) 今日は、大変な日ではなかったはずなのに大変な日になってしまいました。年度末ですね。
2月20日(金) 今日は実習巡回指導と会議でした。それから昨日からの大変な状況の続きも。疲れました。でも、悪いことばかりではありません。実習巡回ではとてもうれしいことがあったし、明日からはちゃんとした土日です!
2月21日(土) 最近、息抜きにドラマ「水滸伝」にハマっています。中国で制作された80話以上あるドラマですが、登場人物の話をめちゃくちゃ丁寧に掘り下げて作っており、とても面白い出来です。
なお、22・23日は先週から引き続く問題の経過観察と会議、そして学会小論文1本と鳥取県史ブックレットの再校を仕上げました。そして今日は保育実習の訪問とブックレット再校原稿関係の確認でした。
明日は実習訪問が飛び入りで1件。3月中締切の論文2本(小1・大1)のどっちかにも取りかかりたい。そろそろ来年度の授業準備も本格化させたい。
2月4日 2月に入って、少し落ち着きました。
2月5日 今日は、明日の実習指導の準備で終わってしまった。採点できず。
2月7日 ノートの評価に予想以上に時間がかかって、てこずっております。
2月8日 今日は休みました。明日・明後日が採点の山です。
最近は道徳教育論の勉強をし直しています。道徳といえば、昨年10月の中教審答申を踏まえて、学校教育法施行規則・学習指導要領改定案が公表され、3月5日までパブリックコメントが募集されていますね。
2月9日 ノート・レポート評価、すべて終了! 間に合った!
2月10日 本日は、拙著『保育者の専門性とは何か』(幼児教育の理論とその応用②、社会評論社、2013年2月10日発行)の初版発行1周年!
同書はamazonで売切れ、古書でまさかの値段高騰中。現在、な、なんと17,056円…!!(2015年2月10日現在) い、いちまん、ななせんえん…
2月11日 本日は卒業論文発表会のため出勤でした。新任者の務めと思って、朝から夕方まで質問しまくりでした。最後の一人が終わって「やりきった!」という気分になりました(笑)。ゼミ生も自分なりにがんばったようです。
これで、個人的には一段落つけたいですね。次は、シラバス、実習巡回、学科行事、来年度の授業準備、そして2月末から3月にかけての大小あわせて原稿3本。まだまだやることは尽きませんが。
さて、年末年始の休みもあと少し。大晦日と三が日は実家にいましたが、今広島に帰宅中です。写真は、母が玄関に飾り付けた作品群です。
休みが明ければ、センター試験やら、4年生の卒論発表会やら、3年生のゼミ成果発表会やら、単位認定のための課題採点やら、重たい行事が連なってやってきます。もちろん、後期の激烈な日常業務もありますので、今から憂うつです。倒れないように頑張ります。
この数年ずっとそうなのですが、目標とやるべきことを明確にして着実に進めていかなければ、とても生きていけません。現実逃避することが許された時代は遠い昔に去りました。
1月を乗り越えれば、きっと少しゆとりが生まれるはず。やりたいことがあるんですよ、今の私には。授業の思い切った改善をしたいのです。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年の目標を考えたとき、珍しく仕事以外の目標が先に思い浮かびました。今年の目標は、生活習慣を整えることです。早寝早起き、健康的な食事、適度な運動を心がけたいと思います。
…とはいえ、卒論×11、学会の頼まれ仕事×2、論文×1(2?)、新規授業の編成、授業改善、幼児教育コースの教育体制整備の仕上げ、学位論文の出版、鳥取県史資料編・ブックレット、教育会雑誌復刻、後月郡(井原市)教育会研究、などなど… 今思い出せる限りを書き出しても、今年中にしないといけないことがこんなにあります。考えて計画的にやっていかなきゃ。
身体も、自然にまかすばかりでは、だんだん無理がきかなくなってきました。私生活をもっときちんと作っていかねば。私生活と公務との両立について、真剣に考えていこうと思います。
ただいまゼミ生11名の卒論をチェック中。一人分約4~6時間くらいかかるので、年末年始はゆっくりできません。頑張ります。
さて、2014年がそろそろ終わりますね。新年始まっていいスタートを切るために、この一年を振り返っておきましょうね。
みなさんの2014年はどのような年だったでしょうか。私の2014年は、これまでの総仕上げと新たな展開の兆しが見える年でした。
まず、学位論文「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良—指導的教員の資質向上への動員」を1月24日に広島大学に提出し、3月5日に博士号を授与されました。審査の山は旧年中に超えていたからか、提出→授与の間は不思議と静かな気持ちだったのを覚えています。研究テーマを教育会に定めて以降ですから、10年間の研究の集大成になりました。ただし、すぐに対応すべき課題も残っており、9月ごろまでその研究に取り組み、10月の教育史学会と11月の中国四国教育学会で発表しました。また、出版助成を受けるために、10月ごろまで何かと学位論文+αをいじっていました。つまり、博士号を授与された後もずっと学位論文に関わっていたわけです。2014年は、学位論文の仕上げの年でした。
なお、新しい研究の見通しも見えてきた年でした。決定打は、5月に全国地方教育史学会で発表したテーマ「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」でした。明治30年代の小学校教員社会における自己改良の機運と「研究」の流行の実態を垣間見た研究になりましたが、この研究をまとめるなかで、このテーマはおもしろいと確信しました。今後は、鳥取に限らず中央・全国各地にも焦点をあてて研究していきたいテーマです。なお、そもそもこの研究の発端は2010・11年度に発表した倉吉の教員集団に関する研究ですが、実際に取り組むきっかけになったのは新鳥取県史編さん事業に関連したブックレット執筆の締め切りでした(笑)。9月末に締め切りを切られていたので重い腰を上げて書いていったのですが、思っていた以上におもしろく、執筆を始めてからは意外とすいすい書いていきました。すでに入稿済み校正中で、よほどのことがない限りは3月に鳥取県立公文書館から発行されるはずなのですが、題目は仮題でまだ変更可能性がありそうなのでブログでの公表は控えておきます。今は県史編さん委員の校閲を受けているところです。興味深い反応をしてくださっているので、うれしい限りです。さて、どうなるかな。
それから、「教員が元気になる教育史」、「役に立つ教育史」についても、本格的に考え始めました。これから、具体的な実績をあげていかなければなりません。
それから、3月に5年間勤めた鳥取短期大学を辞して、4月から広島文教女子大学に勤めることになりました。いろいろ戸惑うこともありましたが、幸い、上司・同僚に恵まれ、助けられて何とかやってこられています。「勤め始めてまだ一年も経ってないんですが…」というシーンが山ほどあり、困惑することたびたびでした。とはいえ、保育者養成に5年間必死で携わってきた経験と、博士(教育学)に応じた実績とをかわれてのことですので、ブツブツ言いながらも期待に応えようと仕事に取り組んできました。まあ、気になることがあると黙っていられない性格なので、何かと口を出すから余計に仕事が回ってくるのでしょうけど(笑)。自業自得ですね。
新しい職場は結構気に入っています。忙しすぎるのは玉に瑕ですが、教職員の間には、お互いに助け合おうという気風と学生を育てようという気風があり、学生の間にも、もっと学びたいという姿勢やみんなで助け合って目標に向かっていこうとする姿勢があります。これらは、そう簡単に醸成できない気風と姿勢です。そして、学生たちは小学校教員採用試験のすさまじい結果を出しました(約70名中一次合格51名、二次合格38名)。私もこのような文化と実績を持つ職場の一員になったのだなと思うと、うれしいです。多忙の解消は、自分の工夫次第で何とかなるでしょう。
なお、鳥取短大時代の教え子たちのことも忘れていません。とくに、おいてきた旧4組のことは、今の状況や進路などどうなったか気になるので、風の便りに聞いています。おおよそみんな進路が決まったようなので、とりあえずほっとしました。特別研究発表会は行けませんが、卒業前にどうにか会えないかな、でもそんなの求められてないかも、なんて思います。
今年前半は、拙著「幼児教育の理論とその応用」シリーズ2巻本について、ずっと売れ行きが気になっていました。若造が単著で書いたテキストでしたが、まったく無視されるわけでもなく、そこそこ売れてくれていたので、どこまで行くんだろうかと興味がありました。転売ヤーの仕業で、amazonでの取引金額が一時「万超え」(第1巻が14,700円に!)するなど、ネタには事欠きませんでした。今は売れ行きがついに落ち着きましたが、楽しませてもらいました(笑)。
拙著を使っての授業も実践してきましたが、職場・学生が代わるとやはり今まで同じではうまくいきません。前期には追加教材を作りました(フレーベルについての論文)。また、まだここでは報告していませんが、後期の講義4科目中3科目の授業形態そのものを思い切って変えました。講義から、学生の発表と質疑応答・補充的講義に切り替えました。これは、大学が授業におけるICT機器の利用とアクティブラーニングを推進していることを受けたものです。まあ、「外圧に負けた」「流行に乗った」結果でしょう(笑)。やり始めた当初はうまくいかず、取り組んだことまでも後悔しましたが、ちょちょっと流れを工夫したところ、今では比較的うまくいくようになりました。うまく行き始めたのは何より、学生が授業形態に慣れた上に、この学び方にのってきてくれたからでしょう。ちょっとやる気のあやしい学生たちの発表回と、学ぼうという気持ちの強い学生たちの発表回とでは、授業の雰囲気がまったく違います。
やる気のある学生たちに応えようとすると、事前の個別指導にかなり時間が必要です。授業や会議でコマをいっぱいに詰め込むと、個別指導の時間がなくなり、授業の出来もお粗末なものになります。教員も学生も、いかに時間を作るかが大事です。また、今の拙著のように最低限のことだけを書いているだけでは、学生の学びを発展させることが十分にできません。さらなる教材の研究開発が必要だなと思っています。
最後になりましたが、8月20日の集中豪雨・土砂災害はたまりませんでした。甚大な被害を受けた方々にお見舞い申し上げます。
本学も大きな被害を受け、9月中旬まで復旧作業に追われました。私も自宅や研究室は被害を受けなかったものの、キャンパスが被害を受けていたため、できるだけ復旧作業に加わりました。研究や後期準備の大詰め時期に、復旧に大量の時間を費やし、汗を大量に流し、強い筋肉痛になって、大変でした。連日の作業でできた日焼けは、今でも腕に刻まれています(笑)。
今までボランティアなんて他人事だったのですが、この復旧作業に取り組むことによって、当事者にとってボランティアってこんなにありがたいものなんだな、と実感しました。正直、人生観が少し変わったほどです。
疲れていますが、不思議と前を向けています。これも周りの皆様の支えのおかげです。来年もよろしくお願いします。
このところずっとかかりきりだった仕事が、やっとひと段落つきました。代わりに、今日からまた大量の授業コマをこなす毎日に突入しました(オムニバス授業が回って来たので)。
さて、数時間まえから、広島市安佐北区でも本格的に雪が降り始めました。積もる雪なんじゃないかなあ。写真はさっき大学のバス停を写したものです。
明日の出勤・登校にはくれぐれもご注意を。
車のタイヤをスタッドレスに替えました。急に寒波がおそって来たのでびっくりです。
体調はいいのやら悪いのやら。不安定で、ちょっとのことで不安が頭をかかげてくる面倒な状況。とはいえ、このところ朝がしっかり起きられるのでましかな。論文を読んだり、研究や大学の仕事を進めたりできていて、その意味では順調です。
いま、大中小あわせて5つ原稿を抱えています。締切が少しずつズレながら(まだ締切が決まってないのも1つ)だいたい来年3月あたりまでに仕上げなければなりません。学内の仕事も1つ大きいのを抱えています。四年生の卒論も佳境に入ってきたし、一緒に頑張ろうと思います。運動もしなくちゃ。
現実的な計画を立てたので、体調に気をつけて1日1日着実にやっていきたいと思います。予定が混雑してきた時こそ、計画立案大事です。
たまに、ほっと一息つきたいですけど(^^;)
本日は、久しぶりに睡眠を大失敗し、最悪な気分で目覚めました。そのため、今日はぜったい仕事できないと思って出勤。しかし、今日中にやっておかないとまずいと思うことばっかり立て続けに起こり、ぐったりです。いつか回復するかと思いきや、結局夜までダメでした。
睡眠時無呼吸の治療、再開すべきかなあ… 倉吉に転勤したときに周囲に専門医がいないのでやめていたのですが、広島に戻ってきてまで同じことする必要はないです。でも、CPAP治療すると、「一生これつけて寝なくちゃいけないのか…」と思ってしまって、いやになるんですよ。生活は明らかに楽になるんですけどね。
とくに問題ない日も多いので、いまさら病院に行っても様子見で終わりそうだなぁ。がんばって運動してやせて、自力で何とかするのがいいような気がする。
今日はもうねます。
寒くなってきました。みなさま風邪をひかれませぬよう。
明日明後日11月15日・16日に中国四国教育学会第66回大会が広島大学で開催されます。例年通り私は発表しますが、やっと発表準備ができました。
明日15日10:30から「明治期帝国教育会における教員講習の展開奪取中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」と題して発表します。これまで、明治31(1898)年までの大日本教育会・帝国教育会の教員講習事業を明らかにしてきましたが、それ以降の講習事業は概要と中等教員講習所について明らかにしてきただけでした。今回、明治32(1899)年から45(1912)年までの帝国教育会の教員講習事業を整理しました。
教員講習史研究って、地方の講習は最近研究が進められているのですが、中央の講習の研究は意外と見当たらないんですよね。明治20~30年代に限っても、文部省主催のものや、帝国教育会・明治義会・育成会などの私立団体主催のものもたくさん開かれているので、やりようによっては研究のしがいがありそうですが…。中央の教員講習史をどのように描くか。まだまだ研究の蓄積が必要ですが、帝国教育会の講習を見る限り、地方の講習と中央の講習とをまったく同じようには語れないように思います。
さて、明治30年代以降、帝国教育会の講習事業は、夏期講習会だけでなく夜間・女子・冬期・常設とバリエーションが広がります。今回はそのあたりの展開過程を明らかにしました。夏期講習会の一覧も作りましたので、どんな科目が誰が講師で開講され、どれくらいの受講者がいたのかなども整理しました。ついでに、明治32年~45年の教育学講師の履歴分析も簡単にやりました。明治後期の教育学を一覧することもできるような気がします。
学位論文執筆の際にできなかった研究をして、学位論文の補填をした感じです。結論を補強しただけでなく、おもしろいこともわかりました。女子受講者や准教員の受講などです。
それにしても家から通いで中四(中国四国教育学会の略称)に出席できる日がまた来ようとは。不思議な気持ちです。